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私はものを作ることは、現状を否定するだけならば、
それほど重要ではないと思っています。
その否定、「反」がどこに向いているか…
このことが重要ではないかと思っています。
自分を表現しようとすればするほど、
閉塞状況なり、袋小路なりを時代感覚含め感じるのではないでしょうか。
そして、その帰り矢は自分自身に向けられるはずです。
「自己否定」があるかないかなのです。
私は、いつも作品の前で問います。
この問題意識がありますか、と。
内部を掘り下げてこそ、外部がある。
内部の中にこそ外部があるのです。
そこを引きずり出して、否定できているか、
と。
踏み出しているか、と。
(美術評論家千葉成夫氏の文章を参考に
脳天気に思うところを書いてみました)
――・――・――・――
高村光太郎
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちにさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守ることをせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため
――・――・――・――
否定するとガスが溜まるものです。
そのときガス抜きをしないと大爆発が起きます。
石油の採掘などでは、ガス抜きをします。
最初は外に向かった矢は、
Uターンして帰り矢となり自分に向かいます。
その時、穴が、小さな穴が開くのです。
自己否定したとき訪れるのは…おそらく諦めなのです。
うんうん唸り続け、一瞬訪れる…諦めとは、
一切をギブアップして何も望まなくなるのではなく、
ひと時だけ自分の意識の中に諦観意識が混ざることに…。
この時、外が見えるってなるのかもしれません。
ふとした時に閃いた…なんて事は…このようなことかも。
剣道の古歌に「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」とあります。
身を捨ててこそ、作家は問題意識を一気に作品へと…。
――・――・――・――
ご紹介作品は、下名の好きな作品です。
机上に置いて飽きずに眺めています。
高柳恵里氏のドローイング「予兆」です。
切り株が唸らせます?
解説は…いつか改めてご紹介するときに致します。
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