現代美術と骨董のお話

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現代美術

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現代美術家 西本剛己氏は、
2005年3/25〜9/25の期間、愛知県で開催された万博、
愛・地球博に於いて、日本代表作家として選出されました。

瀬戸会場日本館4階に作品を展示されました。

その作品のコンセプトを作家が書いています。
ご紹介をします。


――・――・――・――


個々の生命は、永遠の時の流れの、
気紛れで絶え間のないまばたきのように、
本人の意志とは無縁に、この世界に発現します。
それがもし自然の秩序と調和のとれた必然的な一部として
生きられるのであるならばよいのですが、
なぜか人間は他の生物と比べると、世界への上手な参加者とは言い難い、
どこかいびつな存在で、自然の中でも社会の中でも、
いまだにあるべき姿、よりふさわしいあり方を模索し続けています。

今回「棲」という言葉で焦点を当てようとしたのは、
いわゆる生物たちの棲息地とか、
帰巣本能、帰属意識のようなものではなく、
自然や社会の中で矛盾をはらみながらも歩み求める
「心の棲み家」といったもので、
そうした「棲」に関する、
いくつかの備忘録としてのインスタレーションを構想しました。

作品の素材には、一般に製造の過程で用いられるものや、
すでに廃棄される予定であったものを多く使用しています。
「棲」ということで例えるならば、
完成されてしまった家よりも、
建築途中の建物や、風雨の浸食をうけた廃虚や遺跡のほうが、
ときとして豊穣なイメージを喚起することがあります。
人も社会も同じように、未完成であったり傷ついたりしながら、
なおも死や断絶に寄り添うのではなく、
あるべき心の棲み家を見い出そうとすることで、
「未来」という言葉の真実に近づくのだと思います。

西本剛己


――・――・――・――


私は2005年3/27(日)、小雪の舞う万博会場にいました。
寒かったです。そして入場者数もこの頃は少なく、
ガラガラの会場をゆっくりと見学しました。

私の万博目的は西本作品を見る!この一点でした。

その後数回万博会場へ行きましたが、
全て、瀬戸会場日本館を訪れました。

作品は西本氏のHp内に解説つきで掲載されています。
是非、ご覧下さいませ。
http://www.artlabplus.com/#

作品画像は、西本氏のHpより拝借を致しました。
伏してお詫びを申し上げます。
ご容赦下さいませ。


――・――・――・――


21日から掲載しました西本氏の記事は、
西本氏の文章をご紹介しましてお開きです。

私の長〜い、意味不明なムニュムニュにお付き合いを頂き
感謝を申し上げます。

次回からは、あっさりと骨董をご紹介して参ります。

明日から3月ですね。
春近し!良い週末をお過ごし下さい。

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第1画像は
「歴史/あるいは読書によって失われる人生の時間」1995
36x36x146cm
「世界の歴史」全16巻、集成材に鉛筆粉、振り子 etc.

4つ脚の台上に塔のように積み重なっているのは
油紙でおおった「世界の歴史」全巻。
台の下にはひとつの振り子がゆれている。
時間というのは、本当に「進んだり」するものなのだろうか?
振り子を見ていると、私は「前後するだけで進まない時間」という概念を見い出す。
(西本剛己)

第2画像は
「白の晩餐」 1995
振り子、12のキャンドルガラス、集成材、炎etc.

「過越(最後の晩餐)のためのドローイング」1995:右壁の作品
振り子、蝋燭、針金、etc.

左奥の壁に設置されている作品は、西本氏の作品ではありません。

第3画像は、
展望台 2001 200X340X270cm
線路用砕石、菱形金網、鉄アングル、ガラスブロック、顔料etc.

手前の「展望台」の前に広がるのは、
鉄道線路に敷かれる砕石でできた壁。事実上何も見えない展望台。
その発想は、前の年、華厳の滝を見にいったときの経験から生まれた。
その日はあいにくの濃霧で、5メートル先も見えない。
展望台からは滝はおろか上下左右、
奥行きも分からない「白い無」があるだけで、
自分が目をあけていることすら認識できない。
その中で滝の轟音だけがしているという非現実的な状況の中、
何故かそれが、比類なく明快な現実の象徴であるように思えた。
(西本剛己)


――・――・――・――


すべての知識は感覚に起源を持つ、
といいます。

その感覚とは何でしょう。
それは「気づくこと」、
と私は思っています。

思考のことを言っていません。
進化、進歩は、当然、時間の経過の中にありまります。
この意味では私たちの創造的行為は時間の中にあります。
時間の経過をともない、何かに「なっていく」、
つまりは思考の変転です。

ゆえに思考と時間は同体となりましょう。

では、心は何をするか。

選択をするのでしょう。
陽か陰かその中間かの三点を選ぶのでしょう。

そんな心が選択するには何が必要かなのです。

私達が働く、作家が創作するも同じなのです。
では、着地に入ります?


――・――・――・――


「気づくこと」は、
……、
「観察と理解」です。


――・――・――・――


私達はいつの時点でも自分がまみえている現実、今というものが
実は歴史そのものであり、
歴史としての複合性をさらに重ねた重層性を備えている
ということを忘れてしまっています。

いつ頃からか気づいた時には、
人は目先だけにトラワレてしまいました。

人は21世紀こそ、自立の発想を問われています。
ここに新しい創造、物語へのページがあるはずです。


――・――・――・――


少々、言葉足らずでこの私の記事を〆ますが、
明日は、西本氏の言葉を掲載させて頂き、
企画の〆と致します。

お付き合いを頂き有難うございました。

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皆様のお陰によりまして、ご訪問者様累計80,000人を迎えました。
誠に有難うございます。

今日まで677記事を書いてきました。

記事に執着し、時には無頓着になりと進んできました。

そして今、現代美術作家 西本剛己氏の記事を
皆様に紹介していることが何よりも嬉しいことなのです。

毎回、明後日な内容をクドクド書き、
満れば欠く、秘することだ、と思いながらも…
皆様とデートであり、会話であり、ムードでもあろうと虚構的行為に
独りムニュムニュ書いてきました。

もう暫く、皆様とデートをさせて下さい。
独りでも…ガハ。


――・――・――・――


十五世紀の能の全盛。
観阿弥の後継者である世阿弥が「伝書」に
能の極意は「秘する」ところにあり、
と書いています。

「秘する」とは完全黙秘ではない、のです。
誤解のありませんように。
何もかもわからないでは、好奇心は生じません。

作品から皆さんはイメージをします。
ここに既に幻想を抱かせる罠があるのです。

西本作品には人の生に執着している姿、
単なる欲望ではないそれより強い願いがあります。
執着です。

そして、その自縄自縛を解き放つ神秘体験があります。
これは、人為と天意を統合をもって意識の在り方を対応させている、
と。

それは小さな中に大きな豊かさを見い出そうとする姿勢ではいでしょうか。
これは無頓着な精神とでも言えましょう。
無頓着とは執着の反対。現実的で幻想的でない態度のことです。
これが直観的に…カオスの中から新しい物語を紡ぎ出してきます。


――・――・――・――


人を忘れていないのです。

「現代美術」とは
「コンテンポラリー・アート(=同時代美術)」の訳なのです。

今は、地球史上、人類の時代にほかなりません。


――・――・――・――


自己表現行為とは既に幻想なのです。
理想的な自己像は永遠に到達しえないのです。

西本氏は体験する(させる)のです…明日は強引な着地・帰結へ…
新しい物語のページへと進みます。

着地を試みます。ズッコケルかも?

皆様、本当に見て頂け、感謝を申し上げます。
有難うございます。

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長くなりますご容赦下さい。

23日、24日の大荒れの天候は、各地で大変な被害がありました。
被災者のお方にはお見舞いを申し上げます。

今日の日経コラム春秋に以下のことが書かれていました。
抜粋します。

「冬と春がせめぎ合う今、日本海と太平洋に交互に低気圧が現れ、
南よりの春疾風(はるはやて)と北からの春北風(はるきた)が、
交代で日本を襲い脅かす。
季節の移ろいでも、気温が上昇して行く過程では、
大気の循環、エネルギーの移動が激しくなる。
地球全体の温暖化ならなおされで、
寒冷地がただ穏やかにぬくぬくと温暖の地に変わるなんていうのは、
素人の妄想とされる。
科学者が予測するのは、
春の嵐の何倍も強力な激しい気象が頻発する過酷な世界である。」
(抜粋)

この文章は、カオスからロゴスへ移動する時のエネルギーに繋がる?
と感じたのです。

そしてアトリエ内での作家の魂の叫びを、
下名はそのことを知らず、作品を論じるのだ、
と。


――・――・――・――


人の意識とは本来、外と内の中間にあるものでしょう。
意識の対象が外に内にと時々変化していっているだけです。

気づかないうちに行ったり来たりしています。

それが自由連想的な思考の変化ではないでしょうか。
健康的な意識活動だと思います。

西本氏の作品は、
内で一気に爆発しているように感じるのです。
それが作品となり物質となって見えている、
と。


――・――・――・――


「心」という字は一説によれば、
人の思いが「ころころ」と変わっていくことを示している、
ということだそうです。

ポリシー・ミックスという言葉があります。

「経済成長と安定。収支改善など複数の目標を同時に達成するために、
幾つかの衝突あるいは矛盾する政策を組み合わせること」、
と説明されます。

何だろう?

ポリシーなる意識というそもそも空なるものが、
いろいろな物という姿になって、色の存在に移り変わる、
ということでしょうか。

例えば世の中、物質的成功を語り、
同時に精神的高揚についても語るものです。

これは矛盾ではなく、ポリシーが無いのでもなく。
ポリシーが定まっていないと考えるべきかもしれません。

すなわち、ロゴスとカオスへ行ったり来たり、
物質とエネルギーを行ったり来たり、
無在無辺の自由さを得るということになりませんでしょうか。

実験なのです!?

西本氏は実験を繰り返しているのです。


――・――・――・――


明るい世界と暗い世界なのです。
カオスは真っ暗であたたかく居心地が良いようです。

瞑想やらヨガやら座禅などのご経験があれば、
何となくご理解いただけるかも知れません。

私は、どれもありませんが、毎晩、呆けていますゆえ…
なんとなくです。ガハ。

自分の内へ沈み込みます。心は休まります?が…。
ここは非常に迷いを生じる世界でもありましょう。

留まると例えば宗教では盲目的な狂信者の世界でしょう。

占いでも何でも真っ暗で本当は訳分からんように出来ています。
(失礼はご容赦)
八卦は、六十四の卦、64通りの回答に分かれ、
血液型は四、星占いは十二に分かれ、…、
みんな分かれてはっきりしないように出来ているのです。

迷いませんようにネ。
もともと分からんように出来ています。

カオスの中にある時は、「無色」「無発元」「無作用」なる、
いわば「完全無」なる状態です。
そしてロゴスへ近づけば、物質的なものへと形が現れます。

このことを大きく考えると、エネルギーの循環法則になります。

カオスの極から中間、そしてロゴスへロゴスの極から反転、
再びカオスの極限へ。
永遠の輪廻をもって、ぐるぐる円転しているのでしょう。
エネルギーは消滅しない、ということでしょう。

まあ、私の及ぶところではありませんからこの辺で。
後はどこかのお坊様にでもお聞き下さい。

西本作品はこのカオスで爆発して、物質(作品)を見せるのです。
まさしく、幻想であり、実体がないものかもしれません?

秘密の実体の世界が現出してきます。

では、次回はさらに…花伝書へ?
解説も混沌としてきます。ガハ。


――・――・――・――


ご紹介画像は、西本氏のアトリエから搬出される作品です。

まるで実験室のようです。
作家は、この空間の中で己に向き合い、
作品と最後の観者として向き合い、
飽和した時をコツコツ紡ぎ出していました。

創造の世界でも作品は大部分は地味な作業の連続。
地道なしっかりした仕事の積み重ねが基本。
作品を身近に置くと西本氏の不断の努力と精励を一層感じるのです。

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私が敬愛する画廊主が
1999年11月7日〜27日に開催された西本剛己氏の個展画像を掲載します。

S.P.O. (Signs, Portents and Omens) 、
と個展の題名が付けられています。

西本氏のHpより抜粋させて頂きます。

「Signs, Portents and Omens」とは、
「兆し」「前兆」をあらわす英語のイディオム。

私は、足利市のM画廊で、小品・中品の発表をさせていただいている。
この展覧会は、1995年の「実験展2」(藤井龍徳氏との2人展)、
1998年の「FIGURE:7/0」につづく、M画廊での3回目の企画展。


――・――・――・――


ご紹介作品は、
第1画像
展示風景です

第2画像
灰の世界史 1999
48x90x23cm
文庫版「世界の歴史」全16巻の灰、薬用ビン、
木にペイント、アクリルにシルクスクリーン etc.
(作家蔵)

第3画像は
発見された感情 1999
23x24x24cm
有刺鉄線、アクリル、鉄板、シナ合板 etc.
(個人蔵)

第4画像は
神曲/または有りもしない世界についての詳細な記述 1999
36x36x42cm
ダンテ「神曲」、壊れたメトロノーム、包帯、
SGボード、鉄フレーム etc
(個人蔵)


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それぞれに面白い作品です。
下名蒐集作品ではありませんゆえ、
解説は割愛です。

世の中の多くが変転しています。
釈迦は「諸方は無我」、と。

人にはポリシーが要ります。
企業にも要りましょう。

固定したポリシーは時代の流れの中であおられ、
ニッチモサッチモ行かなくなる場合もありましょう。

だからこそ心からの叫びがポリシーとなりえるのです。

商売には原理原則があります。
例えば、商売は人の情を忘れるな。
人には喜怒哀楽という不変の理があります。
これを忘れて商売は成り立ちません。

「人間の顔が見える」「人間くささがある」ということが大事なのです。
書くと良く分からないような?ことですが、・・・。

ポリシーが定まっていないような
ポリシーこそが商売の王道となりえます。

次回は、この点?
ロゴスとカオスの往来をもう少し・・・ご紹介します。


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