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ラミー2000の弱点と言うと、密閉性の低さだろう。ペン内でのインクの乾燥が速い。

この弱点はラミー2000に限ったことではないのだけど、敢えて取り上げた。何故なら、ブルーブラックインクを入れていた私のラミー2000が、乾燥しきって直ぐに復帰できなかったからだ。

やはり古典ブルーブラックは、気が抜けない。と言うか、毎日使い続けてあげる必要ありだ。又は、プラチナ万年筆が発明(?)した、1年放置プレーに耐え得る(インクが乾燥しないという意味)スリップシール機構を有するペンを使うかだ。
(古典ブルーブラックについてはここを参照のこと。http://blogs.yahoo.co.jp/gimpei222/69600132.html)

本題です。ラミー2000の万年筆を分解しました。意外と簡単。尻軸は分解する必要がなかったのでバラさなかったけど、おそらく分解可能だと思う。

びっくりしちゃった。その1。18Kのペン先(ニブ)が小さい。価格の割には金の使用量は少ないね。

びっくりしちゃった。その2。やっぱり溜まってました、詰まってました、こびり付いてました。インクのカスが。(カスってすごい下品な響き。)古典ブルーブラックインクに含まれる酸化鉄が、悪さをしてますね。綿棒やティッシュペーパーの紙縒り(「こより」ってこんな漢字なんですね。)で、このカスを除去してあげました。日本の年末大掃除の事を思うと、この程度の分解・清掃は遊びのようなものです。

ラミー2000の万年筆はシンプルな構造なだけに、元に戻すのも簡単。組み立て直し、乾燥させてから、またインクを入れました。迷わずブルーブラック。と行きたいところなんだけど、今回は普通の青インク。また厄介なことになる予感がしたのさ。

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なんか陰気な実験室で解剖したかのような写真に仕上がったね。

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光陰矢の如し。もう2016年だ。しかも2週間過ぎた。もう直ぐ旧正月だ。

以下、写真・カメラに興味があれば、ご一読下さい。

新年の花火を撮影した。しかも、生産終了して久しいリコーGXR S10ユニットでだ。おまけにテレコンまで付けて。GX200と比べて、夜景が綺麗に撮れるのがわかった。今頃わかったのかい?と言うツッコミが聞こえてきそう。だって夜の撮影あまりしないもーん。

最近のカメラは高感度特性も向上し、夜の撮影、室内の暗い場所での撮影なども、フラッシュなしでもできるようになってきた。でも、夜景撮影には三脚は必要だね。

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うなずきマーチ

12月30日は、大滝詠一の命日だ。もう2年が経とうしています。今日のブログは、氏への哀悼の意を込めてエントリーします。

センセーショナルな出来事だった。うなずきトリオが、歌手デビューした。

1980年から約二年間、漫才ブームなるものがあった。当時まだ小学校高学年の私は、「The MANZAI」という特番や、「笑っていいとも」の前の番組である、「笑ってる場合ですよ」、そして「おれたちひょうきん族」を好んで良く見たものである。その「ひょうきん族」で、当時の人気漫才コンビのツービートのビートきよし、紳助竜介の竜介、そしてB&Bの島田洋八の特別ユニットが結成された。漫才コンビのツッコミ役で、あまり口数の多くない人たちを集めたトリオである。口数が多くないトリオだけあって、ネタもまったく面白くない。どんなネタをしてたかも記憶にすらない。

そんなトリオがレコードデビュー。曲名、「うなずきマーチ」。プロデュースしたのが、御大、大滝詠一だった。作詞作曲編曲も大滝詠一。編曲には多羅尾伴内というペンネームを使っていた。

当時小学生だった私は、大滝詠一を知らず、只うなずきトリオが、うなずきマーチを歌わないかなーと、ワクワクしながら「ひょうきん族」を見ていた。曲も、歌詞も、面白い。そして、うなずきトリオのメンバーが、いつになく生き生きしてたのを思い出す。そんな陽気な歌なのだ。

月日は流れ、21世紀初頭、私はおっさんになった。接待で行ったカラオケ屋で、「うなずきマーチ」を見つけた。しばし仕事を忘れ、心の中でチョッピリ喜んでしまった。次に接待でカラオケ屋にいくことがあったら、絶対にうなずきマーチを歌うぞ!と自分に誓った。と同時にうなずきマーチが入っている「NIAGARA SONGBOOK」のCDを購入。何度も聞いた。聞けば聞くほど、奥の深い歌詞だということも分かった。ジョークがいっぱい散りばめられていたのである。

準備万端、いつ接待があっても歌える状態で待機。果たして、うなずきマーチを歌う日がやってきた。

「なっ、なっ、なっ、うな、うな、うなな、」と歌い出すと、どうしたことか。横のテーブルの見知らぬおっさんが、飛び上がって喜んでいるではないか。そのおっさんが喜んでいるのを見て、私も喜んだ。途中から割って入って歌わないでね、と警戒レベルを二段階上げて。

ありがとう、大滝詠一。「A Long Vacation」の大ヒット、松田聖子の「風立ちぬ」の大ヒット、「ナイアガラトライアングル Vol. 2」の大ヒットと絶好調な時に、「うなずきマーチ」を作ってくれていた貴方は、やはり偉大なミュージシャンだった。

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LAMY 2000 (B) 書き味

ラミーファン、ラミー愛好家、文房具マニア、万年筆好き、工業デザイナー、こうした人たちは、ラミー2000のことをよくご存知。ラミー2000の渋いデザインに魅せられて、万年筆を所有している人もいらっしゃることだろう。

しかしながら、ラミー2000の書き味については、あまり良い評価を聞かない。いや、書き味の評価そのもの自体、殆ど聞かない。

実際のところどうなのよ?

正直なところ、使い始めて数年は書きやすいとは思わなかった。軽いし、ペン先がヤワヤワなので、筆ペンのように扱う必要があるのだよ。私のペンはペン先がB(だと思う)。かなり太字で、使用する機会も用途も限られてたしね。だから使用頻度は高くなかった。殆ど放置プレー状態だった。ごめんなさい。

それがどうだろう、今は凄く書きやすいペンに変身した。自分の筆記スタイルが変わったのか、歳を重ねたからか。はたまた、ペン自体が変化を遂げたのか。特にラミー純正の(古典)ブルーブラックインクを入れてあげてからは、本当にこれが同じペンか?と疑ってしまうほど書きやすくなった。

いやあ、万年筆は奥が深いねえ。

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ペン芯が顔を出してる部分が黒のプラスチックで出来ている旧タイプ。ここからインクが漏れる事があるようで、現行品は首軸と一体パーツになっている。

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1641年に、オランダ統治下になってから、貿易の重要拠点としてのマラッカの存在感は薄れて行きました。

1824年、英蘭協約に基づき、スマトラ島のアチェ王国とマラッカが交換されました。これにより、マラッカ海峡の西側がオランダ領、東側が英国領という線引きがなされました。

その2年後の1826年には、トーマス・ラッフルズ卿(英国)がペナン島、シンガポール島を含めたマレー半島を植民地化しました。シンガポールにあるラッフルズホテルの存在が示す通り、ラッフルズ卿はシンガポールを重要視します。マラッカはますます衰退して行くのでした。

1941年から1945年、日本軍がマレー半島を占領。

1948年 マラヤ連邦が結成されました。この時点ではまだイギリス統治下に置かれていました。

1957年8月31に、マラッカにて独立が宣言されました。

セントポール寺院跡。マラッカの栄枯盛衰を見てきた建物。廃れたまま観光スポットになっている。
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ザビエル教会。今もポルトガル系の子孫が集まる。少し傾いている。
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photo by Gimpei Fukagawa

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