空を仰いで、風の吹くままに

動植物園外周 つれづれに〜つらつら、ふらふら、そしてゆらゆらと。

ぼやき

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元気道

身心、くたびれ、くたびれ果てているのに、

「いっしょうけんめいに頑張っている」と 
決まり文句で「あら、いつも元気ね〜」と決まって言われる。

ん?

「頑張っているのは元気があるからか」
「頑張れる元気が残っているのか」

「いっしょうけんめい」が私の元気道



この部署にあと一週間

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 来月8/1から違う部署に異動。
この部署でのラスト深夜。
スタッフさん達がケーキでサプライズを準備してくれてました。
   …★…★…★…
こちらこそ
  ホントにホントに
    ありがとうございます。
    …★…★…★…
 20年11月に20年ぶりに病棟配属になって記録やシステムなどすべてにおいてフレッシュな体験を日々してきた、2年弱。
 
★この間、外科病棟に老人が押し寄せてきた。日本人の4人に一人が65歳以上だけど、現実の一端を目の当たりにしてショックだった。 食べれなくなって、自分の唾でおぼれて肺炎になって本来だったら命を終える方々を昼夜吸引して。胃管で栄養を注入する時は両手を抑制して。嚥下を評価したのち、胃ロウを造設して老人施設に返す。口から食事をしながらも肺炎を繰り返し入退院を繰り返す80,90,100歳の皆さん。最初は99歳と言うと感動していたが、103歳と言ってもそう驚かなくなった。
 食べる意欲を失くした高齢者に食べさせるのは一苦労だったなあ。自分で食べれないけど自分でなるべく食べていただく為の大人用のよだれかけ・入れ歯を入れたり外したり、歯磨きをしてあげて、、紙おむつの当て方は子育てで慣れていたけど大人の場合男性は巻きつけることを知った。昼夜問わず2〜3時間毎の体交。もはやこれは看護ではなく介護だ、。看護がしたくて退職を考えた事も度々。
 しかし、超高齢者と接する機会を得て、長寿のコツをつかんだかも(笑)。長寿の遺伝子の存在もあると実感する事もあったし、遺伝子はいじれないけど生活習慣のこつで何とかなる部分もある
★「ちゃんと着替えさせてもらってるんでしょうね」、めったに面会の来られない家族に限って厳しい。
 病院のシーツ、寝まきはは我が家のそれよりきれいですわ。
 もしかしたらこの世の中やっぱり言ったもん勝ちかもしれないと思ったりもする事も多かった。
★乳がん、消化器がんで手術、化学療法を受けられたりする患者さん、予後不良で亡くなっていく患者さんがた、告知をしっかり受け止め、納得で手術を受けられるが、その間に揺れる心の内を支えるのは容易ではなかった、私も苦しかった。また、印象的なのは、ほとんどの皆さんが高血圧、糖尿病、脂質代謝異常を持っている事、精神疾患の病名はついていなくてもそれ系の薬を飲んでいる人の多い事だった。
 末期の患者さんに聞く事が出来なかった事がある「どうしてそんなに穏やかな笑顔なのですか」「死ぬ事を告げられているのに、どうしてそんなに優しくしていられるのでしょうか」「死ぬのは怖くないですか」
何も言わず穏やかに笑っておられる静かな患者さまにこそベストを尽くしたかったけれど、果たして十分だったでしょうか。
                 …★ … ★ … ★…
 そんな中、働きやすい職場だったですよ、ここは、、私こそ本当に本当にありがとうございました。

命って何

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 「命ってなに」 今まで何回自分に問いかけただろう。文献や書籍を開き、哲学してきただろう。そして、自分なりの答えを見出した、そんなつもりでいる。 しかし、40才台をして今まさにその命を終えざるを得ない状況にいる人から問われると自分のその考えを口にする事が出来なかった。
 上◎さんは、乳癌術後ターミナル期にある。もう肺にも肝臓にも脳にも転移し、今の医療ではもう手の尽くしようがない。
 子供さんは3人。お孫さんもいるが一番下の娘さんは高校生。
術前ケモ、OPそして、痛み止めを使いながら術後のケモを受けてきた。しかし病魔の勢いを止める事は出来なかった。連日の発熱・腹水の貯留し、苦痛は日ごとに増してきた。
6月から入院していたが、私が担当したのは今日が初めて。
患者情報として走っていたが、まさかこんなに悪いとは。進行の速さに驚く。
そんな彼女は昨日今日と揺らいでいる。
 今までは、治ると信じて頑張っていたが、もしや治らないのでは、死んでしまうのではと考え始めた。
 人はガンや大病を患っても終のその瞬間まで「奇跡」を信じて頑張れる、そんな姿を幾度となく看てきた。
 余命を3ヶ月と告げられても、虫歯の治療には行き始めたO さん。
もう一月もないだろう、と家族に告げていたTさんは車いすで外出して携帯電話を最新に変えて嬉しそうに帰って来たっけ。
 胃ガンで狭窄して最後の数週間は水分でも吐いてしまっていたFさんは今度退院したら自分のお店で売っている自慢の豚肉のチーズはさみ揚げを食べるつもりと最期の日まで話していた。面会に来られないご主人が仕入れで忙しい事を最後まで案じていたっけ。
 
 一休み;続きは あとで
 

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                     写真はH21年4月の我が家の前
 動ける痴呆老人が一番大変。転倒転落、迷子。治療に必要なルートなどお構いなしに外す、拒絶する。
そんな患者ばかりが大半。今は患者の権利を守るため、行動抑制もしない、だから事故防止のためには、離床センサー、引っ張りコール等を設置し看護師のダッシュ力がものをいう。私は、この年齢でダッシュ力はあるかも^^v。日々鍛えられているから、緊張感の中で 。
 病院に入れる患者の家族はいれたら、権利として患者の安全を前面に押してくる。8、90の患者が転倒しても「なぜ転倒する?」と言ってくる。よろよろの老人は転倒するものだ、転倒したら、もろい骨はぽきっと折れる、そして80,90の老人はそれなりの人格、プライドを持っているから20や40の小娘の言う事は聞かない頑固さを持っている 。ご家族には、そこを理解していただきたい。預けたからには永遠に生かしてほしい!!そんな無茶を本気で押して来ないで下さい。
 有吉佐和子さんの「恍惚の人」詳細はもう覚えていないが、あの世界が日常茶飯事、日本国中に蔓延してきている。目を逸らさず、それらに相対する実態を理解してほしいものだ。親は年をとり、元気な時期から老いていく時期に入っている事を子供たちはなかなか受け入れない。親だからこそ、自分を投影して介護を拒否した信利みたいな心境なのだろう。

 そして彼らはよく(彼らとは、老人の皆さん)、「死にたい」「殺して」ともいう。治療を拒み「何もここまでせんでいい」と私たちに言う。それで経口摂取を拒む、タダでさえ嚥下力が低下しているのに食べようとしないとさらに誤飲のリスクが高まる。分ってほしい、病院は病気を治療するところ。だから一生懸命生かす事に取り組む。

いや、人の寿命は120歳位が限界らしい、「老齢」という病気はない。加齢には治療の限界があると口にできない社会的風潮は老人たちを苦しめているのも事実のような気がする。90歳で胃ロウで完全介護の人に乳がんの手術ををするメリットに首を傾げたりもする、私はおかしいかしら、、。

 でも80,90の老人たちは気づいていない、その命は彼らのものではなく、家族の物なのだ。家族のために、日本の若者の為に、産業を支える為に生きていかなくてはならない。
 メディアは、大人用の紙おむつの販売実績が赤ちゃんのそれを上回ったと。また亡くなったことを報告しないで数年も経過したなどのニュースも何回か聞いた。年金で生活を支えている家族も多い。たとえ医療制度を、介護制度を崩壊させるほどに財政を圧迫しようとも、やはり彼らは、社会に貢献しているのだ。
 
 お願いがあります。
 老人たちは、私たちにでなく家族・親戚一同に「こうして死にたい、こうして命を全うしたい」と話をして、意志をまとめておいてほしい。しかし、これはもちろん無理な希望とおもっている。口に出せない日本の風潮がある。いつ死んでもいいと言いながら毎日点滴に来るのが当たり前。
 
 昨年暮れ、老人施設入所中の90歳の老婦人が首をつったからと入院してきた。命を取り留め、点滴、経鼻経管栄養を経て今は胃ロウを入れて、生きながらえている。その感情はこの世から遠いところで生きている、一月に雪が降った時、車いすで散歩をしていると窓際で「あら、雪」と言葉を発した。悲しい命ガキラリと光った瞬間であった。その後、産休に入る職員のお腹をなでたという話も聞いたが、彼女の心は閉じたまま。

 痴呆のない患者が「殺してほしい」といって私の手にしがみつく時、家族に相談してオランダなどに行く事を進めている。英国やオランダなどでは法的な整備もなされている。家族は法的に守られ、本人の意思も全うできるそんな世界はある事を伝えるようにしている。 しかし、こんな私も本人に代わってその意思を家族に伝える事はしない、。人間が小さいから、人徳ができていないら。

 人の命、体はこの世で産声を上げた瞬間から死に向かって生きている事から誰もが目をそらしている。高齢者のも、若くして癌を患った事も、、煩わしい話題ではあるけれど、、死に方すなわち生き方を口に出して話してもいいのではないでしょうか。 沢尻エリカの離婚の話題よりも もっと、もっと軽く当たり前に。
 
 疲れているわけではないけれど、今日は取り留めもなく書いてしまったな〜。
 ちなみに母とはよく口に出して話している。葬式の出し方まで。最初、私たち兄弟は、うっとおしいと拒絶していたが、こうしようああしようと最善の方法を母の前でしゃべるようになった。それを私の子供たちは聞いている。勉強にも予習が必要なように、生き方にも予習があっていいのだ。
  「死に方を後進に伝える。」老人たちの責任はそこにあるとおもう。母は声が大きい。話し合いの場では母の声が響き渡る。酒が進むし、親戚のばあちゃんや父の葬式の話が出て時に泣いたりもする。そして、今の生き方を頑張ろうという空気で満ちてくる。今度の連休もバーベキューやらピザを作りながら、多分そのあたりの話も出てくるんだろうな。では、

厳しい余命の説明

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シビアなターミナルの患者さんが入院してきた。
自宅で奥さんがず〜っとがんばってきた。
ようやく、入院する事にした。
なんて、つらい入院。

痩せて、細くなった奥さんに厳しいムンテラがなされた
「急変で、自宅からだと間に合わないことも。それは家族も、僕(医師自身)も。
 しっかりと会話が出来る時間も限られているので、あわせたい家族は連絡するように。」
「体を痛めることになるから、急変時の救急蘇生(CPR)は進めたくない。」と続けた。
 奥さんは、一日でも長く生かして欲しいと先生に気持ちを告げた。

 先生は、こういった告知を今日はじめてしたのではない。
   癌と分った時。
   手術を行う前。手術の後。
   、、再発が見つかった時。
   抗がん剤を用いる時。また抗がん剤を中止の時。
   再入院を勧める時。
   食欲がいよいよ儘ならず、痩せてきて、腹水や、前身に浮腫が出てきた時。
   そして、今日。
先生と奥さんは不器用にも不十分ではあるが信頼関係を築いてきた。だからストレートに尋ねる
 「どうして、延命を望むの」。
 奥さんとしては、役所や、事務手続きで本人の死亡届の前に済ませたい物があるというのがその理由であった。
 自宅で看病の時は、期限が迫られていても患者様を一人にすることが出来ず、出来なかった手続き。
 入院で家のもろもろの用事ができるようになったようだ。
 厳しい予後を悲しむというより、キリリと迎えようとする覚悟が見られた。
 「基本的には、NO.CPR」と話は決まった。
 先生退室後、奥さんと「厳しい話ですねぇ」「うん、ほんと」と交わして、私たちも談話室を出た。
 2人とも顔は笑っていた。目と目があった。うん、こんな時、泣いてなんかいられない。
 窓の外は曇った冬空。

私たちの願いは、患者さまに安楽にその時を迎えられる事。奥様や家族に悔いを残させない事。

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