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トノサマバッタを見ると、子どもの頃の田園風景がよみがえります。
子どもの頃に住んでいた大谷学園のあたりには、ちょっと歩けば
水田や畑が広がっていた。日本の玉ねぎ(札幌黄という品種だと
思う)栽培発祥の地ともいわれる場所も近い。用水路にはフナや
トンギョ、赤いドジョウがいたし、空地に行けばキリギリスが鳴いて
いた。トノサマバッタは「パタパタ」と音を立てて飛び出した。以来
半世紀、今では彼らの姿はない、少なくとも市内の平地では。
中学時代の友人宅(実家)に「竹馬の友」たちが集まるというので、
ついでに久しぶりに訪れてみると、もちろんそんな田園風景などは
なく、虫の住めそうな環境も消えていた。それでも、まだましなほう
かもしれない。区割りがそのままで、かつてあった住居場所が特定
できたし、当時からあったと思われる一軒家も残っていた。札幌の
住宅事情ひいては昆虫事情を大きく変容させた原因のひとつに、
昭和40年代以降の炭鉱離職者の流入があることは間違いない。
トノサマバッタはどこに・・・?
飛び出して初めてその存在に気づく。着地したと思われる場所を
探しても、地面に同化していて見つけにくい。ここは河川の中流部
の狭い河原。こんな所で命をつないでいた。本来は平地の草原や
河川敷などが住環境だが、先の事情で追いやられわずかな土地
に生き残りをかけた。これ以上奥は、うっそうとした森林で住むこと
ができない。その意味では「限界集団」なのかもしれない。
それでも、久しぶりに会った幼なじみのような感覚で声をかけるが
もちろん反応はない。むしろ怒っているような顔だ。よく見ると前胸
背に稜がある「孤独相」の特徴がある個体。生息密度が低いことの
証拠だ。人にとってみれば、この姿は好都合かもしれない。明治か
ら昭和初期にかけて起きた大発生(飛蝗)時の姿ではないからだ。
だが、もう少し長いスパンで想像すると・・・・彼らはしばらくはここで
じっと我慢して分布拡大のチャンスをうかがっているのではないか?
とも考えられる。それはいつか・・・・?人類が地球に見切りをつけた
後か? そうかもしれない。ただ、昆虫さえ住めないほどに汚染させ
ずに地球の歴史から退場すればの話だが。
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2016年02月17日
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