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紋別から丸瀬布へ向かう途中にオホーツク最大の近代産業遺産があります。
大正時代(1916年)に金鉱が発見されて住友が操業を始めた
鴻之舞金山。一時は東洋一の埋蔵量・産出量を誇ったものの
金の品位の低下などにより1973年に閉山した。最盛期には
2500人収容の映画館ができるなど山間に「一大都市」が出現
したが、今はゴーストタウンのようになっている。
札幌郊外の定山渓の奥にあった豊羽鉱山と違うのは、多くの
建築物が撤去されずに残っていることだ。住友の意図は不明
だが、このことが「近代産業遺産」としての価値を高めている。
豊羽同様、今でも「鉱毒」が流れ出すため維持管理が欠かせ
ない。まぶしい輝きが富を生み出す一方で傷ついた自然環境
が人の強欲を告発している。
かつての鉱山で働いた男性にお話を伺った。指に光る金の
指輪の先には重労働の痕跡が残る。振動障害や塵肺で苦し
められた人々がいる。炭鉱ほどは大きな事故がなかったとは
いえ、表には出にくい労働災害がある。いつの時代でも自己
責任ではすまされない現実だろう。
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北海道自然散歩
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わずかな時間でもたくさんのエゾヒメギフチョウに出会うことができました。
北緯45度の町のエゾヒメギフチョウ。ほとんど日本の北限の生息地
ではないだろうか。早朝だったせいか活動は鈍い。カタクリの花を
訪れるひとコマは定番だが、ここでカタクリを見つけることはできな
かった。代わりにセイヨウタンポポが満開で、くり返し訪れていた。
何人かの地元の人々に聞いても、この「春の妖精」の存在感は薄い。
砂金や鍾乳洞だけではなく、この女神の保護に力を入れて観察会を
開くなど過疎対策に一役買ってもらう価値はあるだろう。
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道北の滝上(たきのうえ)町の芝ざくらが見ごろを迎えていました。
今でこそあちこちで芝桜を観光の目玉とする所が増えたが、ここ
滝上町はその「元祖」だ。町の関係者の話によれば、最初は樹木
の桜を植えていたが、洞爺丸台風の被害でダメになり芝桜にした
ことが始まりという。ということは半世紀以上の歴史だろうか。
今や道内どこでもそうだが、アジア系の観光客の姿であふれている。
ここでも芝桜に負けない派手な服装の人々が目立った。彼らが関心
のあるのは美しい風景はもちろんだが、日本の何気ない「風習」にも
目が行くようだ。作業する地元の人々へもカメラを向ける。一昔前な
ら、例えば農協の団体さんらがアジア各地を「豪遊」する逆の光景が
あったかもしれない。経済力の逆転を象徴する光景だが、それがいい
かどうか・・・考えさせられるひとコマだった。
芝桜公園の維持管理は大変だ。絶えず雑草除去が欠かせないという。
そのための人件費は入園料(500円)などでは賄えない現状がある。
滝上町も過疎の波には逆らえず、ピーク時には17000人だった人口が
今は約2000人だという。芝桜と観光だけではやっていけない現状があ
る。消滅させないためには何が必要か・・・難しい課題を感じた。
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道北の山のふもとに黄色のお花畑が広がっていました。
よく見ると1本1本の木が白い。一度夏に登った時は気がつかなかったが、多く
はダケカンバだっただろうか? 頂上付近には樹木がない。森林限界かな・・・
初めて見たのが、次の花なのだが・・・さて、これは?
本当は登りたかったピンネシリ岳だが時間の余裕がなく、短時間
麓を歩くだけとなった。それでも色々な発見がある。この黄色い花
もそのひとつで、ニリンソウに似ているものの黄色い。同じキンポ
ウゲの仲間だろうか・・・帰って少し調べたらエゾキンポウゲによく
似ていた(自信はないが)。初めて見たので感動したが、地元の人
の話では「この黄色のニリンソウは食べられないのでダメだ」との
ことだった。そう言えば「白い普通のニリンソウ」はあまり見かけな
かったなぁ・・・生育場所が違うのか、食べられてしまったのか?
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所用で久しぶりに蘭越町へ。羊蹄山やニセコの山々がきれいでした。
尻別川は羊蹄山のふもとを回るように流れ日本海に注ぐ大きな
河川でもあり清流でもある。絶滅が心配されるイトウも住んでい
るという。川の価値は単に流水の清浄さで判断されるものでは
ない。部分的ではあっても河畔を含めた環境がいかに自然に
近い状態で残されているのかは、やはり大きい。
その点で言えば、思わず出会った蘭越のこの場所は満点だった
と思う。私にとっては「偶然」にと思ったこの春の群落は、地元の
人には「必然」の景色のようだった。すぐ隣から春の農作業に忙
しい人々の、写真撮影する「よそ者」への不審がる視線を感じる。
「こんなの当たり前だべさ、札幌にはないのかい」
素朴な心が原風景を残してきたが、農家の高齢化に歯止めがか
からない。ある程度の人手が加わることによって守られてきた自然
=里山もある。目名や名駒地区では廃屋が目立った。過疎化の象
徴は小中学校だ。どちらの地区でも子どもの声がない立派な校舎
がポツンと残されていた。
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