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市内でよく見られるアシナナガバチ類の代表は、コアシナガバチ。人家周辺にもよく営巣している。その他では
トガリフタモンアシナガバチ、キボシアシナガバチが生息しているが、どちらかというと山地性で、どこにでも
いるというわけではない。市内に確実に分布しているのは、これらの3種のみ。フタモンアシナガバチは本州
などではよく見られるようだが、北海道では道南の一部で確認されているだけで、まだ実際に生きたものを
見たことはなかった。一度見たいと思っていたが、それが熊本を訪れた際に偶然に実現した。♂がたくさん
群れていたが、意外にも住宅地の中にある公園。どこの地域でも、こんなに人と近い場所で営巣しているの
だろうか? 北海道のトガリフタモンアシナガバチでは考えられないことだ。
(2007年10月・熊本県高森町)
おそらく近くに巣があって、巣が解散する時期に当たっていたのだろうが、巣は確認できなかった。
「フタモン」は腹部第1節に2つの黄色紋があることに由来する。アシナガバチ類に関する入門書と
しては、次の本がわかりやすい。札幌出身の著者は、学生時代に札幌・置戸・奥尻島などを
フィールドとして、アシナガバチの生活を研究した。
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昆虫関係図書
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手塚治虫さんが、かなり熱心な昆虫少年だったことはよく知られています。
オサムシという美しい甲虫に魅せられた手塚少年が、用いたペンネーム
が「治虫」でした。
少年時代に描いた「自家製の昆虫図鑑」は圧巻です。正確な観察から
生み出された多様な昆虫の絵は、のちの漫画に生かされたのでしょうね。
手塚さんが少年時代を過ごしたのは宝塚市。ウラジロミドリシジミがいたの
でしょうか。手塚さんの業績を展示する「手塚治虫記念館」が宝塚市にあり、
入口では火の鳥が迎えてくれるようです。上の「手製図鑑」も展示されている
といいます。一度は訪れてみたい場所です。
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熊田さん、今年8月に98歳で亡くなられました。「私は虫であり、虫は私である」
との境地に達し、「ファーブル昆虫記」に登場する虫の細密画を100枚仕上げる
ことを目標にしていましたが、残念ながらかないませんでした。
この本は、それらの絵を仕上げるための「勉強帖」が元になっています。単に
標本画ならヨーロッパなどの伝統があり、日本にもすごい人たちがいる(いた)で
しょう。熊田さんのすごいところは、虫の目線でその生態まで描きこんでいること。
野原に寝転んで、長時間虫の観察・スケッチをしていると、行き倒れと間違えら
れたとのエピソードもあります。それだけ集中していたのでしょうね。続けられる
ことは、やはり才能です。熊田さんの虫の絵からは、様々な情報が読み取れて
眺めていて飽きません。
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虫の名前を冠した書籍に出会うと、つい手にしてしまう。このタイトルの本もそのひとつだった。
ルリボシカミキリ。確かに何とも言えぬ青である。昆虫、とくに甲虫類には人を惹き付ける金属光沢を
もったものが多い。例えば、タマムシの美は1000年以上も人を魅了してきた。タイトルだけで入手した
この本。ルリボシカミキリの怪しげな色の秘密が解き明かされているものと思っていたが、内容は虫
の話ではなかった、少なくとも中心は。昆虫少年だった著者だから、虫の話も所々に散りばめられて
はいるが、展開されているのは「動的平衡」という視点での生命観・社会観であった。遺伝子・細胞・
組織・器官・個体・種・・・とそれぞれのレベルでの営みを考えるとき、この「動的平衡」という視点は
常に頭の隅に置いておかなければならないものであろう。
ルリボシカミキリ:野外で出会うとやはりドキッとする青である。西区三角山で7月下旬に撮影 |
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昨夜の札幌、降ってわいたようなビッグなニュースで騒がしかった。とくに北海道大学周辺では。北大から
初めてのノーベル賞受賞者が出たからだ。ノーベル化学賞。ノーベル賞の自然科学系には、ほかに物理学、
医学生理学賞があるが、生物学や地学というジャンルはない。
もし生物学賞というものがあったとしたら、おそらく
候補となっていたのが、左の本の著者、坂上昭一。
北海道大学で一貫して、ハナバチ類の社会を研究
し、世界に発信し続けた。
多数の論文と何冊かの著書を残した中で、研究の
成果・課題が最も分かりやすくコンパクトにまとめ
られているのが、この本だと思う。
研究の対象になったハチの名前は「ホクダイコハナ
バチ」。その生活史を丹念に調べ上げ、他のハチと
比較して、どのようにして社会性を獲得してきたのか
を解明しようとした。
こうした昆虫などの生物の生態を解明するマクロな
仕事はノーベル賞の対象にはなっていないようだ。
医学生理学賞は、遺伝子レベルのミクロな研究へ
の関心が主流のように見える。また、研究が人社会
へどれだけ貢献したかも、判断基準になっている。
ノーベル賞を取るために仕事をしている訳ではない
が、そのインパクトはやはり大きい。坂上昭一博士の
ような仕事にもっと光が当たってもいい。
坂上さんは、「自然保護」について積極的に行動したほうではなかったとは思うが、ハチなどの生物が生存
可能な環境維持について、どのような考えを持っていたか。その立場が分かる一端が上の著書にある。考え
させられるいくつかのポイントがあると思うので引用させていただく。
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自然保護には、いろいろな見方がある。「自然」という言葉自体が多義的だ。北海道には豊かな自然が
残されているという見方も、少なくとも低地では本来の自然などもう残っていないという見方も、ともに
間違っていない。自然をどのレベルでとらえるかで、見方が変わるのだ。
自然保護自体についても、自然を守ることが、同時に人間を守ることになるのだという、よくいわれる立場
と、それに対立するわけではないが、人間の利害と一応切り離して、自然そのものを守りたいという立場
がある。
人間は他のすべての生物と同様、種として自己中心的だ。だからこそ現存する種は今日まで生き延びて
きたのだ。その意味で、第一の立場は多くの人にとって説得力がある。しかし、人間は他の生物がおもに
頼っている遺伝情報のほかに、桁違いの速度で状況を変える非遺伝情報の集まり―文化―を開発した。
その結果が現在われわれがすむ高度に技術化された世界であり、そのマイナス面が自然環境の破壊を
ひきおこし、多くの生物の地域集団、時には種全体さえ絶滅においやった。
前述のように人間は自己中心性から免れられない存在だ。それが自分の周囲にいくつかの利己主義の
同心円をもたらす。中心が自分、そのまわりにいろいろな意味での近しい人たち、その外側に順次地域
集団や機能集団、人類全体、そしてその外にほかの生物たち。今まで人間の助力はおもに人類全体と
いう円内にとどまり、その外にまで拡がることはあまりなかった。しかし他の生物への加害がこれだけ
増大した今日、人間の役に立つかどうかを別にして、他の生物の保護にも目を向けるという、第二の立場
も少しは考えられてもよいのではないだろうか。困難で不完全な結果にとどまるとしても、人間だけが他の
生物がそれなりに生き抜いてきたことを認知できる唯一の種なのだ。
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