一期一会

札幌の昆虫の生態や自然を写真と合わせて紹介します!

番外編

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   雨模様となった札幌です。ちょっと蒸し暑い程度ですが、猛暑となっている
   地域もあるようですね。熱中症にはお気をつけください。円山へ向かう途中
   久しぶりにネコに出会いました。何かを捕まえようとしていましたが・・・

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              小さな虫だろうか・・・やったか?

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                            見たな!           (2015年7月中旬・円山ふもとで撮影)

      どうも失敗だったようだ。いわゆる「地域ネコ」だろう。久しぶりに
      見たが、少しやせているようだった。かつては、ほかにも何匹か
      一緒だったが・・・この日はこのネコだけが楽しませてくれた。
       家庭菜園で見つけたちょっと変わったチョウチョたちです。

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                                       (2015年7月上旬・西区の住宅街で撮影)

    クルクル回りながら「飛んで」いた。模様を見るとキアゲハのようだが
    青いし、もう一匹は赤いカバマダラのように見える。わざわざ青と赤に
    するには何か意味があるのか? この仕掛けにはどんな効果がある
    のだろうか・・・? 余計なことを考えると、また眠れなくなりそうだ。
    古くからある墓地は、そこだけがタイムカプセルのようになっていて
    昆虫などの観察には格好の場所となっています。その理由はいろ
    いろ考えられるでしょうが、ひとつは人里から離れた山沿いにつくら
    れていたこと、もうひとつは継続した手入れが行われてきた一方で
    大きな(破壊的な)環境改変がなかったことが、一定の昆虫多様性
    を保持させてきた理由でしょう。寺社の「鎮守の森」も似た環境を提
    供してきましたが、最近できてきている公園霊園(公営・民間とも)は
    ダメです。あまりに管理が行き届きすぎて、人工美で飾られた文字
    通り「死者だけの場」となっています。

    その意味で言えば、札幌市内の円山墓地・藻岩山の墓地・手稲墓地
    などは、隣接する天然林に加えて明治以来の伝統と環境が比較的
    よく守られてきました。その一方で100年を超える歴史は「無縁墓」を
    生んでいることも事実です。墓守が絶えた姿は、石の墓の意味を改め
    て考えさせられます。そんなひとつに次のような墓石がありました。

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                                          (2015年6月上旬・円山ふもとで撮影)
 
    打ち捨てられた墓石に「昭和12年10月24日・戦死・22歳」が読み取れる。
    昭和12年(1937年)の戦死といえば、やはり日中戦争での犠牲が想像
    できる。大恐慌の影響が長引く中、北海道からも多くの若者が徴兵され
    た。あるいはその一人だったのかもしれない。戦後70年、戦争を知らな
    い世代が増え、戦争を知らない首相が暴走する時代となっている。

    「ポツダム宣言を読んでいない(かもしれない)」「憲法を(戦争)法案に
    適応させた」「学者がなんと言おうと、(戦争)法案は違憲ではない・・・」
    「後方支援は参戦ではない。攻撃されれば逃げればいい」・・・などなど
    政府の「答弁」は情けないし姑息だ。実際に「戦地」に派遣される人々の
    思いはどうだろう。本当に必要な任務なら「命を惜しんで逃げる=敵前
    逃亡」はありえないし、屈辱そのものだろう。それを「リスクは高まらない」
    と言われても自衛隊員や家族は信用していない。

    「戦死」の文字が刻印された若者の墓石が増える時代が再び来るのだろ
    うか? 私は実際に戦地には行かない、行けない世代だが、未来の日本
    を担う若者には何はともあれ「血を流すな・流させるな」と言うことだけは
    できる。親の世代から戦争体験を聞いた者の義務でもある。
    
   市街地の積雪がなくなり、いつの間にかお地蔵さんも衣替えしていました。

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        昨年11月の積雪前の様子・・・「冬服」になっていました。

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         昨年11月の大雪になったときの様子・・・暖かそうです。

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                                    (2015年3月下旬・円山ふもとの寺院で撮影)

     いつの間にか洒落た柄の「夏服」になっていた。赤が基調なのは
     変わらない。「赤ちゃん」「還暦」など生まれ変わりと関係があるの
     だろうか。いずれにしても毎年、きちんとお世話されているようだ。
     春・・・選抜高校野球で札幌市の東海大4高が下馬評を覆して決勝
     に進んだ。藻岩山のふもとにあるその高校周辺は、確か北海道に
     おけるラベンダー栽培の発祥地だったと思う。その花が咲くのは、
     まだ先だが、明日の甲子園でひと花咲かせてほしいものだ。
      
   フォリー神父の布教活動、植物探索の足跡をたどる中で、札幌の拠点と
   なった「天主公教会聖堂」が現存することを知り、見てみました。

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      左は中央体育館、右が中央小学校です。なぜか道路が曲がって
      いました。札幌は明治に始まった計画都市。東西南北に碁盤の
      目のような区画になっていることが多いのですが・・・そんな中で
      この「曲線」は新鮮です。かつて何があったのか、どんな事情が
      あったのか・・・つい想像してしまいます。

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       ビルの間の先に、赤い屋根の独特の建築物が見えました。

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       幹線道路(北1条通り)の向こうに教会がありました。ここから
       見ると、意外と小さいおもちゃのような感じでしたが・・・

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      近くで見ると、やはり大きく、とても美しい教会でした。周囲の
      ビル群の中で、ここの区画だけ異質の雰囲気でした。

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       「札幌景観資産」・・・このような条例があることを初めて知り
       ました。この聖堂は1916年(大正5年)10月に完成したもので
       したが、フォリー神父は、前年の1915年(大正4年)7月に台湾
       で亡くなっていますから、完成した姿は見ていません。植物採
       集中の事故が元でした。それから約100年経っています。いく
       つかの改修が行われたのでしょう。以前紹介した完成当時の
       写真と比べると多少の違いが見られます。

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            完成時の聖堂(さっぽろ文庫41より引用)

      今回訪れてみて興味をもったことがありました。丸印の木です。
      全体が見えないのが残念ですが、位置と樹形から判断すると・・・

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                                 (2015年3月下旬・北1条東6丁目で撮影)

      ひょっとすると、このケヤキ?ではないかと・・・そうだとすると
      およそ100年生き延びてきた姿です。当時とは比べようもない
      交通量で排気ガスに悩まされる中でも時代の変遷、通う人々
      の姿を見てきたかもしれません。ケヤキの寿命が何年か分か
      りませんが、あと100年は生きられる環境を残せるでしょうか。

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