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雨模様となった札幌です。ちょっと蒸し暑い程度ですが、猛暑となっている
地域もあるようですね。熱中症にはお気をつけください。円山へ向かう途中
久しぶりにネコに出会いました。何かを捕まえようとしていましたが・・・
小さな虫だろうか・・・やったか?
どうも失敗だったようだ。いわゆる「地域ネコ」だろう。久しぶりに
見たが、少しやせているようだった。かつては、ほかにも何匹か
一緒だったが・・・この日はこのネコだけが楽しませてくれた。
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番外編
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家庭菜園で見つけたちょっと変わったチョウチョたちです。
クルクル回りながら「飛んで」いた。模様を見るとキアゲハのようだが
青いし、もう一匹は赤いカバマダラのように見える。わざわざ青と赤に
するには何か意味があるのか? この仕掛けにはどんな効果がある
のだろうか・・・? 余計なことを考えると、また眠れなくなりそうだ。
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古くからある墓地は、そこだけがタイムカプセルのようになっていて
昆虫などの観察には格好の場所となっています。その理由はいろ
いろ考えられるでしょうが、ひとつは人里から離れた山沿いにつくら
れていたこと、もうひとつは継続した手入れが行われてきた一方で
大きな(破壊的な)環境改変がなかったことが、一定の昆虫多様性
を保持させてきた理由でしょう。寺社の「鎮守の森」も似た環境を提
供してきましたが、最近できてきている公園霊園(公営・民間とも)は
ダメです。あまりに管理が行き届きすぎて、人工美で飾られた文字
通り「死者だけの場」となっています。
その意味で言えば、札幌市内の円山墓地・藻岩山の墓地・手稲墓地
などは、隣接する天然林に加えて明治以来の伝統と環境が比較的
よく守られてきました。その一方で100年を超える歴史は「無縁墓」を
生んでいることも事実です。墓守が絶えた姿は、石の墓の意味を改め
て考えさせられます。そんなひとつに次のような墓石がありました。
打ち捨てられた墓石に「昭和12年10月24日・戦死・22歳」が読み取れる。
昭和12年(1937年)の戦死といえば、やはり日中戦争での犠牲が想像
できる。大恐慌の影響が長引く中、北海道からも多くの若者が徴兵され
た。あるいはその一人だったのかもしれない。戦後70年、戦争を知らな
い世代が増え、戦争を知らない首相が暴走する時代となっている。
「ポツダム宣言を読んでいない(かもしれない)」「憲法を(戦争)法案に
適応させた」「学者がなんと言おうと、(戦争)法案は違憲ではない・・・」
「後方支援は参戦ではない。攻撃されれば逃げればいい」・・・などなど
政府の「答弁」は情けないし姑息だ。実際に「戦地」に派遣される人々の
思いはどうだろう。本当に必要な任務なら「命を惜しんで逃げる=敵前
逃亡」はありえないし、屈辱そのものだろう。それを「リスクは高まらない」
と言われても自衛隊員や家族は信用していない。
「戦死」の文字が刻印された若者の墓石が増える時代が再び来るのだろ
うか? 私は実際に戦地には行かない、行けない世代だが、未来の日本
を担う若者には何はともあれ「血を流すな・流させるな」と言うことだけは
できる。親の世代から戦争体験を聞いた者の義務でもある。
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市街地の積雪がなくなり、いつの間にかお地蔵さんも衣替えしていました。
昨年11月の積雪前の様子・・・「冬服」になっていました。
昨年11月の大雪になったときの様子・・・暖かそうです。
そして、雪がなくなった今年の3月・・・
いつの間にか洒落た柄の「夏服」になっていた。赤が基調なのは
変わらない。「赤ちゃん」「還暦」など生まれ変わりと関係があるの
だろうか。いずれにしても毎年、きちんとお世話されているようだ。
春・・・選抜高校野球で札幌市の東海大4高が下馬評を覆して決勝
に進んだ。藻岩山のふもとにあるその高校周辺は、確か北海道に
おけるラベンダー栽培の発祥地だったと思う。その花が咲くのは、
まだ先だが、明日の甲子園でひと花咲かせてほしいものだ。
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フォリー神父の布教活動、植物探索の足跡をたどる中で、札幌の拠点と
なった「天主公教会聖堂」が現存することを知り、見てみました。
左は中央体育館、右が中央小学校です。なぜか道路が曲がって
いました。札幌は明治に始まった計画都市。東西南北に碁盤の
目のような区画になっていることが多いのですが・・・そんな中で
この「曲線」は新鮮です。かつて何があったのか、どんな事情が
あったのか・・・つい想像してしまいます。
ビルの間の先に、赤い屋根の独特の建築物が見えました。
幹線道路(北1条通り)の向こうに教会がありました。ここから
見ると、意外と小さいおもちゃのような感じでしたが・・・
近くで見ると、やはり大きく、とても美しい教会でした。周囲の
ビル群の中で、ここの区画だけ異質の雰囲気でした。
「札幌景観資産」・・・このような条例があることを初めて知り
ました。この聖堂は1916年(大正5年)10月に完成したもので
したが、フォリー神父は、前年の1915年(大正4年)7月に台湾
で亡くなっていますから、完成した姿は見ていません。植物採
集中の事故が元でした。それから約100年経っています。いく
つかの改修が行われたのでしょう。以前紹介した完成当時の
写真と比べると多少の違いが見られます。
完成時の聖堂(さっぽろ文庫41より引用)
今回訪れてみて興味をもったことがありました。丸印の木です。
全体が見えないのが残念ですが、位置と樹形から判断すると・・・
ひょっとすると、このケヤキ?ではないかと・・・そうだとすると
およそ100年生き延びてきた姿です。当時とは比べようもない
交通量で排気ガスに悩まされる中でも時代の変遷、通う人々
の姿を見てきたかもしれません。ケヤキの寿命が何年か分か
りませんが、あと100年は生きられる環境を残せるでしょうか。
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