|
住宅街の玄関先になぜか気になる「謎の埴輪」があります。
さらに1か月後、目の色が変わっていた・・・
近くを通るたびになぜかチェックしたくなる雰囲気を持っています。
もちろんレプリカでしょうが、これだけでほかに何もなくちょっと場
違いな感じ。しかも目の色も変わるし・・・「おかしいだろ、これ。」
もちろん家主にはそれなりの意味があるのでしょう。これに限ら
ずおかしいこと、不思議なことはいっぱいあります。極め付きは
今の政治でしょう。「戦争を知らない総理」が暴走しています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「おかしいだろ、これ。」・・・・「安保関連法」の成立を受けて出した
新潟県弁護士会会長の「正式コメント」だ。ほかの文言は一切な
し。専門家なだけに種々の法律用語を駆使しての反論談話かと
思いきやの「まさか」。しかし、それだけにインパクトが強かった。
辺野古や農業政策にしても、様々な理屈をつけて反対することも
必要だろうが・・・「おかしいだろ」とまず肌で感じることが大切だ。
|
番外編
[ リスト | 詳細 ]
|
この4月にリニューアルオープンした北海道博物館(旧・北海道開拓記念館)に
行ってきました。開館記念特別展「夷酋列像ー蝦夷地イメージをめぐる人・物・
世界」を見学するためです。なかなか興味深い展覧会でした。
以前からこれらの絵の存在は知っていたが、実物を見たことが
なかった。父方のルーツが、絵の作者・蠣崎波響と同じ道南の
松前(ただし武士ではなく漁民)という縁もあり、是非見てみたい
と思っていた。この機会を逃すと、もう二度と見られない。
「夷酋列像」・・・文字通り「蝦夷の酋長の列像」。つまりアイヌの
指導者たちのポートレートだ。蠣崎波響(松前藩家老)が1790年
(寛政2年)に描いた(描かされた)もの。長く行方不明になってい
たが、なぜかフランス(ブザンソン)で見つかった。
実際に見ると、やはりその色彩の鮮やかさと細密さに驚く。勤勉
な役人の一方で、画人としての優れた技量もうかがわせる。彼が
アイヌを描いた理由は何か・・・そこには単なる風俗描写ではなく
和人とアイヌの複雑な歴史や政治的な意図があった。
絵が完成する前年(1789年・フランス革命の年だ!)に「クナシリ・
メナシの戦い」(道東アイヌの蜂起)が起き、和人71人を殺害した。
ただ同然で酷使されたアイヌの人々の反乱だった。慌てた松前藩
は鎮圧にのり出し、これに「協力」したのが「夷酋」たちだった。
その功績を認められた「夷酋」たちは松前で「お味方アイヌ」として
「歓迎」されることになる。その時に波響が藩命で描いたのがこの
「列像」だった。今なら「記念撮影」というところだろうが、そこには
松前藩の生き残りをかけた政治的な意図があった。
一見して「夷酋」たちの豪華な服装が際立つ。これは当時のアイヌの
正装(長であるとしても)ではないという。また、その目つき(いわゆる
「三白眼」)も気になった。どう見てもよい印象は受けない。これには
諸説があるようだが、いずれにしても虚構性が感じられる。
当時はロシア船の接近もあり、対応を誤ると幕府から「蝦夷地を松前
藩には任せられない」(領地没収)となりかねない事情があった(実際
には後に福島に移封されるのだが)。そこで「これだけのアイヌの実力
者が味方だ」というアピールの道具が必要だったという。
実際、波響は絵が完成した翌年に京都を訪れ、大きな評判を呼んで
「天覧」にも浴し、さかんに模写(今ならコピー?)されたという。一定の
評価を得た松前藩だが、なぜ真っ先に江戸ではなかったのかの疑問
が残る。あるいは「蝦夷地独立」を企んでいたのか・・・想像がふくらむ。
もうひとつ興味を引かれたのが、「イニンカリ」という人物が連れて
いる「白い子熊」らしき動物。ヒグマのアルビノだろうか・・・・・最近
千島で発見された「白いヒグマ」(全身白ではないようだが)と何か
関係があるのか? それともホッキョクグマの子どもか・・・?
波響は実際には全員を見て描いてはいないようだ。何人かを参考
に、あとは想像で・・・ただ、波響の絵には、ほかにも犬・鹿・雁など
の動物が描かれていて、かなりリアルだ。この「白熊」も見たのかも
しれない。珍奇な動物は、絵の価値を高めたことだろう。
「列像」のほかにも、波響の作品がいくつも見られたことは幸運だっ
た。中でも「唐美人図」は目を引いた。隣国の美女もさることながら
2匹の「シロチョウ」がきちんと描き分けられていたのだ!モンシロ
チョウと(エゾ)スジグロシロチョウとはっきり分かる。1814年の作だ
というから、200年前の貴重な記録になる。
この日は、同行した人たちと森林散策もする予定だったが、目まぐる
しく変わる天気で、わずかに博物館周辺の紅葉を眺めるだけになっ
た。なかなか訪れる機会がないので、じっくり歩きたかったのだが・・・
ただ、展覧会だけでも見ておく価値があるものと思う。教科書などで
採り上げられている「アイヌ観」とはまた違う側面が見えてくる。
それにしても「夷酋列像」のわずか12枚の絵画から見えてくる背後の
複雑な事情に改めて驚く。天明の飢饉で蝦夷地に出稼ぎに行かざる
を得なかった東北の「和人」たち、その「和人」に強制労働させられる
アイヌの人々、「藩益」を守るのに必死な役人たち、その役人に協力
する「お味方アイヌ」・・・・時は流れても似た構図が続いているように
見える。すべての根源は「御身大切」か? 捕食目的以外で殺しあう
のは人間だけだという。どこかで断ち切らないと悲劇は続く。
|
|
緑地の紅葉を観察していたら、意外な?「出会い」がありました。
明治の末からほぼ手入れされずに「保全」されている緑地。カシワや
クリ、カエデなどの広葉樹が自由な競争で林冠を形成している。それ
ほどの大木が見られないのは、100年あまりという時間のせいか周囲
の環境によるものか・・・それでもつい紅葉時期には足を運んでしまう。
明治の札幌には、こんな光景がまだあちこちに残っていたのだろう。
根元に墓標らしきものがあった。まだ新しそうだ。何かのペットの墓
だろうか・・・「カブちゃん」の正体は? 何となく気になる。こんな場所
に、まさか犬・猫(あるいは鳥?)もないだろうと、「埋葬者」を想像しな
がら歩いていると、一気に謎が解けそうな現場に遭遇した。それは
あり得ない光景だった。
これはあの「ヘラクレス・・・」。 まさか本物? 「生き虫」か・・・?
遠目にはよくできた「おもちゃ」に見えたのだが。
「本物」だった。ただし、すでに息絶えている。墓標の近くの「カブト」。
あの「カブちゃん」は、これだったのではないか・・・一気に埋葬者に
つながったような気がしたが、それにしてもなぜ切株に・・・?まさか
蘇って秋の林を散策していたとも思えない。2匹だったのか、土葬と
風葬(鳥葬?)の実験か・・・などなど、飼い主の人騒がせな行為に
謎は残る。無闇に「放虫」するよりはましかと思いたいが・・・
カブトムシやコガネムシなどの輸入「生き虫」は、その姿と累代飼育
が比較的容易なことから人気が高い。市内にも専門に扱う店があっ
て、比較的手軽に「ペット」にできる。自然と触れ合うことが少なくなっ
た子どもたち(若者も)が虫に興味を持つ機会になるのはいいことだ。
ただし、札幌ならまず冬越しできないだろうが、温暖な地域では繁殖
している可能性がある。他の動物同様、責任ある飼い方が必要だ。
|
|
今朝の北海道新聞に「テングタケ? 男性が食中毒」の記事が載っていました。
何か不明の(初めて見る)ものは、一応撮影しておいて記録に
残すことにしている。中島公園の針葉樹のまわりにたくさんの
キノコが出ていた。これが有毒のテングタケのようだ。記事に
よると、シメジの仲間と間違って採取し、炒めて食べたあとに
「壁が倒れてくるように見える」幻覚や意識障害を起こしたと
いう。幸い無事に退院できたようだが、やはりキノコは要注意。
何者かに食われた痕跡があった。虫だろうか、毒は大丈夫か?
|
|
ジャガイモの収穫時期になりました。住宅地の中にある畑です。
こんな住宅街で本格的な畑は珍しくなりました。かつては農家として
もっと広く作っていたようです。男爵でしょうか、それともメークイーン
かな? 「男爵」は函館にいた川田龍吉男爵が移入した品種です。
最近はキタアカリという品種も人気のようです。また、原産地のアン
デス高地の品種でしょうか、色つきのジャガイモも見られます。
かつて、ジャガイモが自分が生まれた土地の「リズム」を覚えていて
そのリズムで休眠から目覚める? という話を聞いたことがあったの
で興味を持って調べたことがありました。結局その真偽はよく分かり
ませんでしたが、おかげでジャガイモが身近になりました。
ジャガタライモ→ジャガイモは有名な由来です。南蛮貿易でオランダ
領だったジャカルタから渡来したという説です。馬鈴薯という中国由来
の呼び方もありますが、中国での「馬鈴薯」は別の植物のようです。
ゴショイモ(五升芋)は、量がたくさん獲れたことによる呼び方です。
7月上旬の同じ畑の花の様子です。花はよく見ても実をほとんど
見ないのはなぜ? 元々結実しないのか、摘花してイモに栄養が
いくようにしているのか不思議に思っていますが調べていません。
石川啄木が見た「うすむらさきの花」は、こんな色だったのでしょう。
新大陸を征服した者たちが、ヨーロッパに持ち帰った「おみやげ」
のひとつがジャガイモでした。ただし当時は食用ではなく、この美し
い花が観賞用・装飾用として貴族婦人に愛好されて生き延びました。
イモには毒があるとの風説が流され庶民に流通させないようにした
といいます。それが救荒作物として世界の飢餓を救うことになります。
アイルランドの飢饉では多くの人々を救いましたし、日本でも江戸時
代後期に渡辺崋山らが栽培奨励を説きました。北海道は適した産地
で全国一ですが、長崎も多いというのは由来を連想させます。今や
ポテトチップス・フライドポテトなどとして欠かせない食材ですが、やは
り塩茹でしたホクホクのイモにバターをつけてという子どもの頃の「お
やつ」としての味が忘れられません。サツマイモが獲れなかったので
ふかしイモや焼き芋を口にするのは、もう少しあとだったと思います。
畑の脇では青い実が粉をふいていました。何だろう、カリンかな?
ジャガイモの由来を見ると、やはり「アンデスは偉い!」と感じます。
ほかにもトマトなどアンデス由来の作物はたくさんありますね。それ
らの食材が毎日のように食卓に上っているのですから。
飢饉や戦争での食糧難がなかった「戦後70年」。終戦直後を体験し
た世代の人々の話を聞くと、曲がりなりにも配給があった戦中より
も戦後の食糧難のほうが大変だったと言います。空地や校庭など
利用できる土地は畑になっていた・・・今では想像できませんが。
そんな光景の再来は見たくないし次世代にも体験させたくない。今の
政治を変えるのは今の世代の責任。「責任」というとちょっと重いです
が、「今の政治、感じ悪いよね」くらいの感覚で、いろんな形で、声を
上げ続けます。その一方で自給自足できる防衛策も必要かな。
|




