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5月2日(日)〜4日(祝) 下関市で 「しものせき海峡まつり」 がありましたが、 私は3日に門司港から関門連絡船に乗って下関に渡り 「源平船合戦」 を見て来ました♪ 門司港の関門連絡船の乗り場です。この船に乗りました。 船の後方に、前日セイルドリルがあった帆船「日本丸」 のマストが見えています。 壇ノ浦の合戦では平家は赤、源氏は白の幟を掲げて戦ったそうです。 弁慶が乗っています。 平家の船です。 下関港の関門連絡船の乗り場です。巌流島行きの船も応援に来ています。 大勢の人で20分程並んで待って、この船に乗りました。 門司港に到着しました。 関門連絡船に乗ったのはこの度初めてでしたが、所要時間は5分程でとても便利でした。
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下関
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「第23回しものせき海峡まつり」の続きです。今回は「上臈参拝」を掲載します。 赤間神宮境内の「水天門」から本殿へかけられた橋(天橋)を、豪華絢爛な衣装を身にまとった太夫が 「外八文字」を披露しながら渡り、安徳帝の御影堂に参拝します。 上臈参拝の由来(パンフレットから抜粋) 〜語り継がれる悲哀の歴史〜 平家の女官たちは、里人に救われたものの宮仕えの育ちの為、これといった生計の法をしらず、 付近の稲荷山などの草花を手折っては沖がかりの船人に売り、ほそぼそと生活していました。 それでも3月24日(旧暦)の安徳帝の御命日には毎年忘れず、昔ながらに威儀を正して帝の御影堂に 参拝・香華を手向けるのでした。 やがて女官も絶えた後、江戸時代になって稲荷町に遊郭ができ、郭の主人がその女官たちの 優しい真心と美風を後世まで伝えようと、お抱えの遊女たちに参拝を続けさせたといわれています。 現在は、下関舞踊協会の奉仕で引き継がれているそうです。 品がよく綺麗でした。
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「しものせき海峡まつり」の続きを掲載します。 5月3日(土・祝)関門海峡で、源平合戦の模様を再現したいくさ船のパレードがありました。 鎧武者が乗り込んだ80隻あまりのいくさ船(漁船などが参加)が、紅白の旗や幟をたなびかせて、 関門海峡を行き交う光景は、勇壮でした!! ☆ 次は、赤間神宮での「上臈参拝」を掲載します。
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5月3日(土・祝)、「しものせき海峡まつり」(5月2日〜4日)に行って来ました。 いろいろ催しがありましたが「上臈道中」「源平船合戦」「上臈参拝」を見ました。 「上臈道中」は、豪華絢爛な衣装をまとった五人の太夫が、それぞれ稚児・警固・官女・禿を従えて、 伊崎町から赤間神宮までの途中の四ヶ所で「外八文字」を披露しながらパレードします。 私は、唐戸商店街での「外八文字」披露を見ていましたが、残念ながら私がいた位置からでは 見ることは出来ましたが、大勢の人で写真は撮れませんでした。 外八文字(そとはちもんじ)…踏み出す足の爪先を先ず内側に向けた後、外側に向けて足を運ぶこと。 遊女が道中するときの歩き方。 禿(かぶろ・かむろ)…太夫(たゆう)・天神など上位の遊女が、そばに置いて使う三、四年生くらいまでの
見習いの少女。 髪型 長めのおかっぱ。 |
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赤間神宮(山口県下関市)には、壇ノ浦合戦に敗れ、わずか8歳で入水した安徳天皇が祀られています。 毎年5月3日に、安徳天皇を弔い、平家一門を偲ぶ「先帝祭」が盛大に行われます。 4月29日(祝)、赤間神宮境内で、水天門から本殿へかけられた天橋を渡って参拝する 「上臈(じょうろう)参拝」のリハーサルが行われていました。 本殿です。 先帝祭(せんていさい)は、遊女に身を落とした平家の女官たちが、毎年安徳天皇の命日に、参拝 していたことが始まりだと伝えられています。 本番の衣装・髪飾りは豪華絢爛です!! すごい人出なので、まだ一度も見に行ったことはありません。 今年は、行ってみようと思っていますが・・・♪
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