あしたは いずこの 空の下??

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対馬で最後に観光したのは、長崎県立対馬歴史民俗資料館です。
http://www.pref.nagasaki.jp/t_reki/
本来は休館であるはずの月曜に行ったのですが、たまたま展示入れ替え作業をしてまして、
作業してない展示室のほうを見学できました。

こちらの資料館、近年では入場者数が伸びており、最近は年間3万人入るとか…。
しかるにそのうち約2万人は、韓国等からの外国人観光客で占められているようです(^^;

対馬は日本で一番大陸に近い島であるが故、事あるごと、外国からの脅威にさらされてきました。
古くは白村江の戦いでの大敗北を機に行われた金田城の築城[“対馬(6)”の記事参照(築城:
667年)],1019年の刀伊の来寇[満洲(中国東北部)の女真族の一部が壱岐・対馬を襲い、
更に筑前まで攻めてきた事件],1274年の文永の役と1281年の弘安の役[いわゆる二度に
わたる元寇。文永の役の際は、“対馬(3)”の写真にある小茂田浜にて、守護代・宗助國以下、
蒙古軍を迎え撃つも全滅。],1419年の応永の外寇[李氏朝鮮軍による対馬国襲撃事件],
1861年の対馬事件[ロシア軍艦による芋崎占拠と島民殺害事件],そして、1905年の対馬沖を
舞台にした日本海海戦[ロシア帝国のバルチック艦隊を日本の連合艦隊が破ったという海戦。
外国では“対馬海戦”と呼ばれる。]など、貼られていた歴史年表を見ますに、
本当にさまざまなことが起こっています…。

しかしこの対馬は、外国との友好の窓口として、重要な役割を担ってきた島でもあるのです。
江戸時代、朝鮮通信使を迎えるにあたり、その応対に携わっていたのは対馬藩です。
中でも朝鮮との善隣外交に尽力した雨森芳洲は、その名が知られているところ。。。

展示資料があまりないのに、熱心に見学しているように見えたのか、帰り際、ここの館長さんからは
「何か研究なさってるのですか?」
と質問いただいてしまいました(^^;
「よろしかったらお読みください。」と資料館報を渡され、帰りの船の中で読んだのでしたが、
書いてある中でも日本海海戦後のエピソードが興味深かったです。

戦いで沈没したロシア軍艦からは多数の水兵が脱出し、ボートで漂流したそうですが、そのうち対馬
に流れ着いた者は200人以上。付近の村は大騒ぎとなり、女子供はすぐ避難できるように準備をし、
男達は猟銃や鎌を持って集合したりしたらしいのですが、水兵たちがもはや抵抗しないと知るや、
彼ら全員を民家に分宿させ、傷病者には手当てをし、亡くなった者はお寺に安置するなど、
物心両面から温かい対応をしたとのこと。やがて水兵たちは、島に作られた捕虜収容所へと移される
ことになり、村の岸壁から船を漕いで行くのですが、別れにあたり将校の号令のもと、彼らは一斉に
オールを垂直に立てて感謝の意を表しました。また見送る側の村人も、これに対して頭を下げ、
いつまでも手を振っていた・・・というお話。

今回は駆け足での観光になり残念でしたが、また機会あらば訪れたい対馬でした。

−−−
★前回までの書き込み
http://blogs.yahoo.co.jp/gionkashiwazaki/25487513.html  対馬(1)
http://blogs.yahoo.co.jp/gionkashiwazaki/25530757.html  対馬(2)
http://blogs.yahoo.co.jp/gionkashiwazaki/25580688.html  対馬(3)
http://blogs.yahoo.co.jp/gionkashiwazaki/25656784.html  対馬(4)〜和多都美神社〜
http://blogs.yahoo.co.jp/gionkashiwazaki/25702248.html  対馬(5)〜豊玉の猪垣〜
http://blogs.yahoo.co.jp/gionkashiwazaki/25707272.html  対馬(6)〜金田城跡〜
http://blogs.yahoo.co.jp/gionkashiwazaki/25748711.html  対馬(7)〜日本最北西端の地〜
http://blogs.yahoo.co.jp/gionkashiwazaki/26024544.html  対馬(8)〜対馬野生生物保護センター〜
http://blogs.yahoo.co.jp/gionkashiwazaki/26078522.html  対馬(9)〜対馬藩お船江跡〜
http://blogs.yahoo.co.jp/gionkashiwazaki/26128366.html  対馬(10)〜多久頭魂(たくづだま)神社〜
http://blogs.yahoo.co.jp/gionkashiwazaki/26143703.html  対馬(11)〜豆酘埼(つつざき)〜
http://blogs.yahoo.co.jp/gionkashiwazaki/26176729.html  対馬(12)〜美女塚〜
http://blogs.yahoo.co.jp/gionkashiwazaki/26465870.html  対馬(13)〜安徳天皇御陵墓参考地〜
http://blogs.yahoo.co.jp/gionkashiwazaki/26521906.html  対馬(14)〜椎根の石屋根倉庫〜
http://blogs.yahoo.co.jp/gionkashiwazaki/26573117.html  対馬(15) 〜珠丸遭難者慰霊碑〜

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確かに対馬と韓国の間は短い(近い)です。対馬を左(西)に見ながら船の進行方向(北)を見るとふ釜山が見えますもんネ。まさか対馬〜韓国間 の定期便はありませんよネ。

2007/1/11(木) 午後 9:29 [ キリギリス先生 ]

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じつは定期便があります。http://www.tsushima-net.org/sea%20flower.htm

2007/1/11(木) 午後 11:33 [ gionkashiwazaki ]

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旧石器時代に人が、大陸から対馬の陸橋を通過した足跡は発見されていない。
現在までに確認された最古の遺跡は、新石器時代に属する縄文文化のもので、この時代はすでに陸橋が切れ、対馬が、島として孤立している。
大陸からのナウマンゾウ等の哺乳類の化石も見つかっていない。

縄文時代の峰町佐賀貝塚や上県町志多留(したる)貝塚からは外洋性の魚の骨が出土し、峰町では多くの貝輪(腕に付ける装飾品)の材料が、沖縄の貝(イモガイ、ゴウボラ他)と北海道産の貝(ユキノカサ他)を使っていることが確認されている。
また、石器の材料は、佐賀県伊万里市腰岳産の黒曜石である。さらに、峰町吉田貝塚からは縄文時代晩期の夜臼式土器、弥生時代前期の板付I式土器などが出土し、九州地方北部と同じ文化圏に属していたことが判明している。
イネの収穫具であった石包丁はあまり出土していない。ただし、大陸系磨製石器や青銅器・鉄器などの金属器などは出土している。
弥生時代前期の舶載品の有柄式石剣が多く見られる一方、北九州で製作された中広銅矛・広形銅矛も多く出土している。

2017/5/3(水) 午後 9:21 [ 海洋文化交流・貿易振興 ]

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対馬への襲撃

寛仁3年3月27日(1019年5月10日)、刀伊は賊船約50隻(約3,000人)の船団を組んで突如として対馬に来襲し、島の各地で殺人や放火を繰り返した。
この時、国司の対馬守遠晴は島からの脱出に成功し大宰府に逃れている。

2018/3/21(水) 午後 2:57 [ 歴史の真実を世紀ごと学ぶ ]


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