|
「よいケアとは何か?」 こう問われても、一概に「こういうケアがよいケアだ」とは定義がしづらいと思います。それは、そもそも「よいケアだと、誰が決めるものか?」という問題があります。 ただ、「よいケアだと、誰が決めるのか?」は答えやすいかもしれません。普通に考えたら、「ケアを受ける人」つまり、利用者さんですね。 そうすると、価値観は人それぞれですし、置かれている状況やこれまでの人生、その他もろもろが人によって千差万別ですから、「よいケア」というものを定義することはそもそも無理があるのではないかと思います。 自分はこの「よいケアとは何か?」と問われて、以上のことを踏まえてこう答えました。 「よいケアとは、利用者さんの本物の笑顔が見られるケアだ」 う〜ん・・・。とっても主観的な、とても定義とはならない答えじゃな・・・。 で、あらためてこの記事で「よいケアとは何か?」について考えてみたいんですが、まずは以下の事例をお読みください。 ※この事例は、ある方のブログ記事から拝借しました。この事例がいいとか悪いとかではなく、その先の「よいケアとは何か」を説明するためにはわかりやすい事例かと思い、挙げさせていただきました。 =事例= 入浴の拒否が強く、デイサービスを利用し始めて3ヶ月、未だに入浴ができていない(自宅でも)Aさん。 Aさんに入浴をしてもらうため、スタッフが取った行動は次のようなものでした。 Aさんは認知症の症状が激しく、スタッフどころかご家族の言うことも聞いてくれませんが、通っている病院の医師・看護師の言うことには抵抗なく従います。 そこで、スタッフはAさんに入浴をしてもらうため、『演技』をしました。 スタッフが「今日はAさんの健康診断に先生が来ているから」と脱衣所に案内し、そこでは白衣を着て医師に扮したスタッフが待機。 「はい、胸の音を聴くから上着を脱いで」 その後演技は進み、全部服を脱いだAさんをそのまま浴室へ連れて行き、入浴。 Aさんは「気持ちよかった〜」と、大満足でフロアに戻りました。 さて、みなさんはこのような対応について、どのように感じられるでしょう? 自分は最初、「嫌だな」と思ったんです。なぜかと言うと、結果としては入浴もできてAさんも大満足で万々歳なんですが、「Aさんを騙している」と感じてしまって嫌だったんです。 それで、ある人にこの事例をどう思うかを訊きました。 その人は、“「騙す」と「入浴させる」を量りにかけた場合、後者が勝つための要因は、「必要性・緊急度」「関係性の度合い(日常現場での関わり)」「それまでのケアの過程(職員間や家族と話し合い、試行錯誤)」だと思います。”(一部を抜粋しました) と答えてくれました。 自分は、「そうだよな」と腑に落ちました。(ちなみに、その後別の人に、「そんなの、いいか悪いかは利用者さんに訊けばいいじゃないか。それをしないでは、利用者さん不在のケアだ」というようなことを言われ、これもまた腑に落ちたんですが、ここではとりあえず置いておかせていただきます) 何を言いたいのかというと、「結果だけでは量れない」ということです。 同じ結果だとしても、安易に上記の方法を取ったのでは、「騙している」ことが強くなる。それまでの過程の積み重ねによっては、結果も伴い実にいいケアと言えるのかもしれません。 そう考えると、そもそも「よいケアとは何か?」とは、結果についてだけを考えるのでなく、結果と同様かそれ以上に『過程』が大事なのではないか?と思うのです。 そして、その『過程』とは、相手を理解し、思いやり、慮り、継続的に関係性を築き続けようとする試みではないでしょうか。 もちろん、結果が伴うことは大切です。曲がりなりにも介護の専門職として利用者さんに接している自分たちには、常に結果が求められていると言ってもいいでしょう。 でも、やはり自分たちの仕事は、「結果よければ全てよし」ではないように思います。ですから、過程はとても大切なもので、「よいケア」に欠かせないものではないでしょうか。 「よいケア」とは、相手を理解し、思いやり、慮り、継続的に関係性を築き続けようとする試みであるという、やっぱり客観的でない結論が、この問いへの今の自分の回答です。 ※今回挙げさせていただいた事例ですが、実際はこんな簡単にこの方法を取られたのではなく、充分な過程を踏まれた上で実施されたことです。ですから、自分が書いた内容からすると、よいケアであったのだろうと思います。記事に書いた部分だけでは安易な対応と思われるかもしれませんが、その先の「よいケアとは、結果だけでなく過程が大事」ということを強調するために、その過程の部分は省いて事例として出させていただきました。 |
全体表示
[ リスト ]







おはようございます。
週も中日。残り“最小不幸”な週にしたいですね。
生活はずっと続くのですから、一過性ではダメですもんね。ずっと…。
本日の凸ポチッ☆と。
2010/6/9(水) 午前 6:28 [ 社会福祉法人光照園 ]
「よいケア」とは、目の前にいるその人が喜んでくれるケア
認知症の方にかかわる様になり、その瞬間が大事かな〜と思う様になりました。まあ、きっちりアセスメントした上でという事にはなりますがね。
2010/6/9(水) 午前 9:47 [ 山形GH協 ]
利用者さんご自身も満足され、気持よく入浴でき、家族さんも安心なさって本当によかったですね。ある通所では、入浴拒否の男性利用者さんを椅子ごと持ち上げて(男性職員3人で)風呂場に連れていきました。利用者さんはずっと風呂場でも叫び通し。おそらく恐怖の声だと思います。通所だから入浴点数が欲しいわけねーと見てましたが・・。数年前のことです。いつもその方、フロアでも不安そうな表情で、そのお顔が気になってたのですが。何故不安なのかその解決から先でしょう?と思いましたが、私は通りすがりに立場だったので何も言わず去りました。同じこと何度もあったようです。まだこういうケアをする所、多いようです。スタッフ内で暗黙の了解なので外には出ません。介護業界の質がアップしないのはこういう風通しの悪さだと思います。gitaさんのような人が1人いるかいないか、によっても違うと思いますね。今後も、利用者さんに思いを寄せてあげてください。
2010/6/9(水) 午前 9:57 [ - ]
興味深い記事をありがとうございました。
私は、最初、この記事を読んだとき、やっぱりgitanistさんが最初に感じられたように、騙すのは良くないと、思いました。
でも、改めて読み直して、何で拒否をしているのかというベースの部分を踏まえて、必要性ということを考えたときに、考え抜いた方法がこれであるなら、それもまたありかもしれないと思いました。
三ヶ月も入っていなかったら、やっぱりお風呂に入れてあげたいと思う。
それが認知でそういう拒否をとっているなら、決して無理強いするという意味ではなく、
結果として、利用者さんが、ご家族が、満足できるのであれば、だますというより、ついていい嘘もありだと思います。
お風呂の拒否の方、結構いますよね。
じゃあ、着替えるだけ、身体をさっと拭くだけにしましょう…と言ってお風呂場に来てしまえば、そのままお風呂に入れることも多いです。
誘い方もひとつのテクニック、愛情を持って接し、信頼関係が築けていれば、あり、だと思います。
2010/6/10(木) 午前 0:03 [ るりっち ]
あるデイサービスの管理者が頭を抱えていました。何人かのスタッフが、入浴拒否の利用者を「騙したくない」がために、入浴誘導ができないでいる、とのことです。
ケアマネや家族としては「騙してでも入れてほしいのになぜ?」と訝っていました。
この記事を読んで、騙しに抵抗を感じるスタッフの想いも理解しなくてはならない、ということを学びました。
2010/6/10(木) 午後 9:23
水野さん、その時その時のよいケアを点に終わらせずに、継続的に線にしていきたいですね。そして、面に。
2010/6/12(土) 午後 9:21
ひよこ理事さん、「その瞬間」はとても大事ですし、自分もそれが一番大事だと思ってます。
その「点」の継続性が「線」になり、「面」になっていけば、よりよいケアになるでしょうね。
2010/6/12(土) 午後 9:23
>利用者さんご自身も満足され、気持よく入浴でき、家族さんも安心なさって本当によかったですね。
そうなんです。でも、自分たちはそれだけではやっぱりいけないのかな?とも最近思うようになりました(最近かよ!とはツッコまないで。。)
風通しは良くしていかないといけないですね。
2010/6/12(土) 午後 9:25
るりっちさん、いつも思うのですが、るりっちさんの考えって、自分ととても似通っていると思います。同じように考えている人がいるのは、すごく嬉しいです。
ただですね、テクニックとか技術とか、そういうのは好きではないんですよ。なんだか、あったかいものが感じられないような気がして・・・。
2010/6/12(土) 午後 9:28
まどぎわさん、想いは絶対的に大切なんですが、それに縛られるあまりに視野が狭くなったり、思考が固くなったりしてはいけないと思うんです。
自分は理念先行型のようで、気をつけなければと思っているんですけども。
2010/6/12(土) 午後 9:30