GivingTreeの雑記帳

seeking for my another sky─それは、この世界そのものだと気付いた

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リスクを承知で先に深く進む者だけが、
己の限界を知る機会を得ることができる。

T.S.エリオット



あなたの行動に、限界はありませんでした。
あなたの行動は、世界中の人々に届くことでしょう。
あなたの行動を、忘れません。

合掌

2012年8月21日 

Her actions knew no boundaries. 
Her actions will reach every corner of the globe.
Her actions will be forever remembered.

May her soul rest in peace. 

August 21, 2012

“核の平和利用”という虚像が推進された背景 

原発推進の片棒を担がされた平和運動

今日世界史上初の「原爆の日」にどうしても語らなければならないことがある。
それは「核の平和利用」をどう平和団体が推進してきたか。

核の軍事利用を“否定”し、核の軍事利用としての価値を“相対的に削減”し、核の平和利用を“促進する”―平和団体は、この理念のもと原発推進者となった。

世界連邦運動などの平和団体による原発推進は、元々は平和理念に基づく「反核」としての運動だった。平和利用の促進が、兵器利用の価値を下げると確信していた。

この価値観は、後に核不拡散防止条約(NPT)というひとつのレジーム(体制)の確立により強化される。核の拡散防止のために平和利用促進が是とされたのだ。

核の平和利用が原発ビジネス推進のために国際原子力機関(IAEA)やNPT体制によって支えられた謀略なのかどうか、そこまでは確信を持っていえない。判っているのは、謀略の有無に関係なく、世界連邦運動という国際平和運動は、“国際規模で原発を推進する片棒を担がされてしまった”ということだ。

マージナライズされた反核運動

世界連邦運動などに代表される「平和運動」が「核の平和利用促進」のために原発推進に柁を切った一方で、原水禁などの「反核運動」は、核の兵器利用も平和利用も両方認めないというスタンスで一貫して運動を続けてきた。そしてその頑ななスタンスは、原発推進勢力に政治的に逆利用されてしまった。←私が世界連邦運動を辞めた理由。

非核三原則のもと、核の平和利用は例外的に認めることを国是としている我が国で、核の利用を一体化視して「核の平和利用」をも認めないというスタンスをとることは、国是に反するだけでなく、“非核の精神をも否定する”という論理のすり替えが行われ、反核団体は社会の中でその存在をマージナライズ(矮小化)された。

反核運動が核の兵器利用への反対運動として“のみ”認められる形へとマージナライズされていく一方で、核の兵器利用には反対するが核の平和利用は、“兵器利用の削減のためにも推進すべき”とする平和運動は、その政治的利用価値を高めていき、いつしか、“核の平和利用に反対できない環境”が構築されていった。

つまり、総合的にみれば、平和運動も、反核運動も、両者とも核の平和利用には反対できなくなっていった。日本に核の平和利用に反対する有効な勢力は存在しなくなったのである。しかし振り返ってみれば、これはいま脱原発を主張する多くの国民にとって、非常に大きな痛手であった。

福島原発事故以降、国民の多くが頼りにするようになった情報・データの源(核情報原子力情報資料室、等)はどこだったか。長年、核の平和利用としての原発を問題視してきた反核運動コミュニティそのものではなかったか。たとえばピースデポという自他共に認める核シンクタンクは長年、原発と核開発の一体化構造に警鐘を鳴らしてきた。

だがピースデポの研究・調査内容はあくまで「反核」のコンテクストにおいてのみ有効な情報とされ、「反原発」の部分の価値はマージナライズされたままだった。

結果、原発の危険性、核開発との一体性という危機認識は一般の中に育たず、多くの国民が無知・無関心のまま2011年3月11日を迎えることとなった。

これら一連の平和運動・反核運動の発展の歴史が、原発推進勢力の謀略によって導かれたかどうか、そんなことは、もはやことの本質とは関係がない。問題は実態であって、背後に何があるかではない。

本質は、いずれの運動も「核の平和利用」に反対しにくくなったということだ。
だが、それはもう過去の問題であることは周知の通りである。

もはや現体制では“核の平和利用”は不可能 

核の平和利用=原発が抱える問題の本質とは

現在日本が抱える「核の平和利用」の問題の要は、その管理体制と意識にある。遡れば、地震列島日本に原発を建設すること自体に問題があるが、これは多くの国民が巧みな情報操作によって「安全」と信じ込まされ、「容認」してきたこと。問題はその後にある。

安全性は確保されてきたのかということだ。

311以後、多くの国民が認識したのは、仮に原発が完璧に運営されていても、そこに“厳格な安全基準(設計と運営の両方)の運用と、明確な危機管理意識と、それを明文化した対応、厳格な訓練が行われ、常に改善が繰り返されるような体制”がなくては、「原発の安全性は確保されない」という事実だ。

これは今年初め、「終末時計」を1分進めた理由としても指摘されている。

2012: "safer nuclear reactor designs need to be developed and built, and more stringent oversight, training, and attention are needed to prevent future disasters;"
より安全な原子炉が設計及び建造されなければならない。また、将来の災害を防ぐために、より厳格な監督、訓練が行われ、かつ十分な注意が払われる必要がある

原発事故から1年以上が経った今も、これらの改善はなされていない。民間・国会事故調の両方により「人災」認定されても、行政監視機関の国会は、新設する原子力規制委員会の人事の状況を見ても、「人質」(じんしつ)の改善を徹底できない。

「歴代の規制当局と東電との関係について、「規制する立場とされる立場が『逆転関係』となることによる原子力安全についての監視・監督機能の崩壊」が起きた点に求められると認識する。何度も事前に対策を立てるチャンスがあったことに鑑みれば、今回の事故は「自然災害」ではなくあきらかに「人災」である。」(国会事故調報告の「結論」より)

すなわち、これまで繰り返し述べてきたように、この国に原発を管理する資格はない。

67年目の誓い

我が国は、67年前の今日を境に3度、核に被曝した。2度の“被爆”は戦争によるものだったが、政府は被爆者の補償すら満足にしてこなかった。3度目の“被曝”は天災に端を発するが被害を拡散する結果を招いたのは“人災”だった。

我が国の政府は、核から国民を守る意思を有していない。

だからこそ、核被爆67年目の今日、新たに誓おう。

今度こそ、全国民を核の恐怖から守る政府を選択しようと。
今度こそ、全国民を核の脅威から守る行政を創ろうと。
今度こそ、全国民を核の危険に曝すことを許さない立法府を創ろうと。
そして今度こそ、教訓を学ぼうと。

4度目の被曝を経験しないために。

だが、現政権・体制には、これらの理想を実現する意思も力もない。

震災後1年強、行政・立法・当局・産業の対応・議論・施策により、
現体制への評価はもはや決した。すべてを作り替える必要がある。

まずは、行政を構成する立法府からはじめよう。
その為に、現政府は退陣しなければならない。

2012年8月6日

平和を祈念する原爆記念の日に
4度目の被曝回避を祈念して

イメージ 1
2012年7月5日、 国会東京電力福島原子力発電所事故調査委員会 (国会事故調)が最終報告書をまとめた。2011年12月8日「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会法」に基づき設置された国会事故調は、報告書をまとめるまでの6か月の期間に、延べ19回委員会を開催。法令に基づく文書の提出請求権を13度行使して情報収集に当たった。法令上、国政調査権の発動権限も有していたが、必要とされる参考人等全てから協力を得られたため、権限を発動することには至らなかった。

国会事故調は、両院の議員運営委員会が合意した「設置の基本的考え」に基づき、情報公開を徹底して全てを公開で行い、その過程・結果・報告に至るまでの全てを常に公表してきた。2012年7月5日にまとめられた 最終報告書では、11の結論が導き出され、これらに対する7の提言が発せられた。
以下は、最終報告書(『要約』『ダイジェスト版』)に基づきその調査の概要、結論と提言、及び個人的評価をまとめたものである。但し、必ずしも『要約』及び『ダイジェスト版』あるいは『本編』の順序通りには記載していない。

Ⅰ. 調査の概要

国会事故調が行った調査の概要は次のとおり。
  • 延べ1167 人(900 時間)を超えるヒアリングを実施
  • 各関連発電所に対し、9回の視察を実施
  • 被災住民に対し、3 回のタウンミーティングを開催、400 人超に対するヒアリングを実施
  • 被災地である12 市町村を訪問し、ヒアリングを実施
  • 「被災住民アンケート」を実施し、1 万633 人の回答を得た
  • 福島第一原発において作業する従業員アンケートを実施し、2,415人の回答を得た
  • 海外調査を3回実施し、報告をまとめた
  • 委員会で38人に対し、参考人招致を行った
Ⅱ. 結論と提言

これら調査の結果まとめられた国会事故調の結論と提言は次の通り。

■11の結論
  1. 【事故の根本的原因】 歴代の規制当局と東電との関係について、「規制する立場とされる立場が『逆転関係』となることによる原子力安全についての監視・監督機能の崩壊」が起きた点に求められると認識する。何度も事前に対策を立てるチャンスがあったことに鑑みれば、今回の事故は「自然災害」ではなくあきらかに「人災」であると結論(提言1に対応)。
  2. 【緊急対応時の問題】 事故の進展を止められなかった、あるいは被害を最小化できなかった最大の原因「官邸及び規制当局を含めた危機管理体制が機能しなかったこと」、そして「緊急時対応において事業者の責任、政府の責任の境界が曖昧であったこと」にあると結論(提言2に対応)。
  3. 【被害拡大の要因】 避難指示が住民に的確に伝わらなかった点について、「これまでの規制当局の原子力防災対策への怠慢と、当時の官邸、規制当局の危機管理意識の低さが、今回の住民避難の混乱の根底にあり、住民の健康と安全に関して責任を持つべき官邸及び規制当局の危機管理体制は機能しなかった」と結論(提言2に対応)。
  4. 【住民の被害状況】 「被災地の住民にとって事故の状況は続いている。放射線被ばくによる健康問題、家族、生活基盤の崩壊、そして広大な土地の環境汚染問題は深刻である。いまだに被災者住民の避難生活は続き、必要な除染、あるいは復興の道筋も見えていない。先の見えない避難所生活など現在も多くの人が心身ともに苦難の生活を強いられている」と認識。また、その理由として「政府、規制当局の住民の健康と安全を守る意思の欠如と健康を守る対策の遅れ、被害を受けた住民の生活基盤回復の対応の遅れ、さらには受け手の視点を考えない情報公表にある」と結論(提言3に対応)。
  5. 【運転上の原因】 「過酷事故に対する十分な準備、レベルの高い知識と訓練、機材の点検がなされ、また、緊急性について運転員・作業員に対する時間的要件の具体的な指示ができる準備があれば、より効果的な事後対応ができた可能性は否定できない。すなわち、東電の組織的な問題である」と認識(提言4 に対応)。
  6. 【事業者】 「規制された以上の安全対策を行わず、常により高い安全を目指す姿勢に欠け、また、緊急時に、発電所の事故対応の支援ができない現場軽視の東京電力経営陣の姿勢は、原子力を扱う事業者としての資格があるのか」との疑問を呈す(提言4に対応)。
  7. 【規制当局】 「規制当局は組織の形態あるいは位置付けを変えるだけではなく、その実態の抜本的な転換を行わない限り、国民の安全は守られない。国際的な安全基準に背を向ける内向きの態度を改め、国際社会から信頼される規制機関への脱皮が必要である。また今回の事故を契機に、変化に対応し継続的に自己改革を続けていく姿勢が必要である」と結論(提言5に対応)。
  8. 【問題解決に向けて】 事故原因を個々人の資質、能力の問題に帰結させるのではなく、規制される側とする側の「逆転関係」を形成した真因である「組織的、制度的問題」がこのような「人災」を引き起こしたと考える。この根本原因の解決なくして、単に人を入れ替え、あるいは組織の名称を変えるだけでは、再発防止は不可能であると結論(提言4、5 及び6 に対応)。
  9. 【法規制】 「原子力法規制は、その目的、法体系を含めた法規制全般について、抜本的に見直す必要がある。かかる見直しに当たっては、世界の最新の技術的知見等を反映し、この反映を担保するための仕組みを構築するべきである」と結論付けた(提言6に対応)。
  10. 【事故の直接的原因】 「安全上重要な機器の地震による損傷はないとは確定的には言えない」、特に「1号機においては小規模のLOCA が起きた可能性を否定できない」との結論に達した。しかし未解明な部分が残っており、これについて引き続き第三者による検証が行われることを期待する(提言7に対応)。
  11. 【認識の共有化】 「事故は継続しており、被災後の福島第一原子力発電所(以下「福島第一原発」という)の建物と設備の脆弱性及び被害を受けた住民への対応は急務である」と認識する。また「この事故報告が提出されることで、事故が過去のものとされてしまうこと」に強い危惧を覚える。日本全体、そして世界に大きな影響を与え、今なお続いているこの事故は、今後も独立した第三者によって継続して厳しく監視、検証されるべき(提言7に対応)。

■7の提言
  1. 【規制当局に対する国会の監視 】 国民の健康と安全を守るために、規制当局を監視する目的で、国会に原子力に係る問題に関する常設の委員会等を設置する。
  2. 【政府の危機管理体制の見直し 】 緊急時の政府、自治体、及び事業者の役割と責任を明らかにすることを含め、政府の危機管理体制に関係する制度についての抜本的な見直しを行う。
  3. 【被災住民に対する政府の対応 】 被災地の環境を長期的・継続的にモニターしながら、住民の健康と安全を守り、生活基盤を回復するため、政府の責任において以下の対応を早急に取る必要がある。
  4. 【電気事業者の監視 】 東電は、電気事業者として経産省との密接な関係を基に、電事連を介して、保安院等の規制当局の意思決定過程に干渉してきた。国会は、提言1に示した規制機関の監視・監督に加えて、事業者が規制当局に不当な圧力をかけることのないように厳しく監視する必要がある。(略)
  5. 【新しい規制組織の要件 】 規制組織は、今回の事故を契機に、国民の健康と安全を最優先とし、常に安全の向上に向けて自ら変革を続けていく組織になるよう抜本的な転換を図る。(略)
  6. 【原子力法規制の見直し 】 原子力法規制については、以下を含め、抜本的に見直す。(略)
  7. 【独立調査委員会の活用 】 未解明部分の事故原因の究明、事故の収束に向けたプロセス、被害の拡大防止、本報告で今回は扱わなかった廃炉の道筋や、使用済み核燃料問題等、国民生活に重大な影響のあるテーマについて調査審議するために、国会に、原子力事業者及び行政機関から独立した、民間中心の専門家からなる第三者機関として(原子力臨時調査委員会〈仮称〉)を設置する。また国会がこのような独立した調査委員会を課題別に立ち上げられる仕組みとし、これまでの発想に拘泥せず、引き続き調査、検討を行う。
Ⅲ. 個人的評価

過去半年のうちに国会事故調が行ってきた「調査」の内容は、与えられた期間、資源、権限の中で行われたきたものとしては十分に評価できる内容と考える。7つの「提言」を導くに至った11の「結論」についても、まさにこの国会事故調報告書でもたびたび言及される「規制の虜」(規制当局が事業者の「虜」となって被規制産業である事業者の利益最大化に傾注する状況)の病巣をえぐりだし、その根本的治癒を図ろうとするものであると評価できる。しかし、原子力を推進する議員が多数派を占める現国会において、国会内での改革を重視した形の①常設委員会の設置や、②法規制・③規制組織の要件・④制度の抜本的見直し、⑤事業者の監視、さらには⑥被災住民への対応といったことが、果たして政策として、あるいは制度として立法化され、実施される保証があるのだろうか?

今回活躍した、独立調査委員会のような存在、⑦第三者機関としての原子力臨時調査委員会(仮称)は、「規制の虜」の円の中にある国会とは独立した存在なのだから、期待したいと思う。だが、かといって、国会内の①〜⑥の取り組みが機能不全に陥る時にいち第三者機関にそれらを取り扱う権限を与えるわけにもいかないし、いち機関で取り扱うには作業負荷や責任範囲が大きすぎ、またそのマンデートもこの提言には定められていない。

つまり、7の提言のうち6つは、国会でこれら提言を十分に推進する下地があって初めて機能する。仮に、現国会がこれら提言を全て、あるいは部分的に受け入れて、提言が求めるように「実行計画」を策定しこれが採択、施行されたとしても、立法作業の過程で「規制の虜」の状況が再発し、穴だらけの法制・規制・監視になってしまう可能性はないだろうか?現に、それが過去40年行われてきた原子力行政や国会監視の姿ではなかったのか?

国会に関連する6提言を実施する上で必要不可欠になるのは人材の刷新である。これは奇しくも、事故調が行ったヒアリング対象者の評価に現れている。「結論8」において、国会事故調は結論の前段としてこう述べている。
「本事故の根源的原因は「人災」であるが、この「人災」を特定個人の過ちとして処理してしまう限り、問題の本質の解決策とはならず、失った国民の信頼回復は実現できない。これらの背後にあるのは、自らの行動を正当化し、責任回避を最優先に記録を残さない不透明な組織、制度、さらにはそれらを許容する法的な枠組みであったまた関係者に共通していたのは、およそ原子力を扱う者に許されない無知と慢心であり、世界の潮流を無視し、国民の安全を最優先とせず、組織の利益を最優先とする組織依存のマインドセット(思いこみ、常識)であった。」
事故調はこの前段の下、「事故原因を個々人の資質、能力の問題に帰結させるのではなく、規制される側とする側の「逆転関係」を形成した真因である「組織的、制度的問題」がこのような「人災」を引き起こしたと考える」とし、その根本原因の解決を提言している。だが、その根本原因こそがやはり人質(じんしつ)であり、その解決となるのは人材の刷新であることは明らかだろう。しかもこの解決は、規制当局だけでなく、これを監視する役割を負う国会議員に対しても行われる必要があるということだ。でなければ、「規制の虜」の輪は閉じない。

私はこの最終報告書を高く評価する。一方で、この報告書の提言を実現するには人質の刷新が不可欠であると、個人的に結論付ける。国会の人質を刷新するということは、つまり選挙である。総選挙を行い、この期に及んでもなお報告書が指摘するような「マインドセット」を持ち続ける国会議員を立法府から一掃し、その上で行政上の改革が行われなければ、この素晴らしい提言は全く生かされないであろうと確信する。

以上が国会事故最終報告に対する私の個人的な評価である。

2012年7月6日
脱原発社会の実現を再び祈念して




LOVE ME TENDER

Original by: E. Presley& V. Matson
Arranged by: Kiyoshiro Imawano

What the fxxx? Nukes?
We don't need no stinkin' nukes!
What the fxxx? Stop lying.
We won't be fooled anymore!
What the fxxx? Stop explaining.
No matter how good you put it,
It's simple logic even I can understand

Radiation? We don't want no stinkin' radiation!
We wanna drink a healthy milk!

What the fxxx? Give us our money back!
Wake up and smell the leaks!
No matter how much you invest in your PR
We can see right through your dark intentions

What the fxxx are we doin'
in the heart of this damned world?
Oh my darling, I love you
I just wanna live a little longer

Love me tender, love me true
Never let me go
Oh my darling, I love you
Don't ever let 'em fool you

What the fxxx are we doin'
in the heart of this damned world?
Oh my darling, I love you
I just wanna live a little longer

そろそろ、“世界連邦”の話をしてもいいのではないか

そろそろ「世界連邦の話をしよう」なんていうFacebookページを始めてもいいのかもしれない。

『テルマエ・ロマエ』単行本全巻を読んだのち、映画を見て、そして作者のブログ”戦闘記”をまとめた最新著書『テルマエ戦記』を映画を見た当日に一気に読み終えてみて、なぜこの作品にこんなに惹かれるのか実感した。作者に共感しているのだ。

そしてもし仮に作者が単行本5巻でグランドフィナーレを考えていて、別の形で構想を表現しようとしても、それはそれで納得がいく。この作品の構想が生まれる前から、この構想のエンディングは決まっていたのだと思うからだ。

よく「構想何年」とかいわれれるが、この作品は「生涯構想」だと思う。あとは形にするだけで、漫画は実は表現方法の一手段に過ぎない。ブログの文章でも、単行本の後書きにしても、この作者には文才があることは誰もが認めることだと思う。映画化は、作者の中にあったひとつのを叶えてしまったようだが、彼女の中ではそれは一つの表現の終わりでしかないように思う。

作者の生きる環境では、「忙しい漫画家」は理解されにくい職種らしい。イタリア人の家族を持つ彼女にとって、住み慣れたリスボンや新天地シカゴの価値観はいずれもワーカホリックな日本人の性質(タチ)を受け容れようとしない。だが作者には、幾多の障害を乗り越えてでも、表現したいものがあるようだ。漫画家である前に、人として。探求者として。

『テルマエ・ロマエ』の作者が表現したい内容は、その作品を通してしか説明できないものかもしれない。作者はそれが映画によって、作者自身の「見たかった」ものが表現されたと形容した。それが「見たかった」から「漫画に描いてみるしかなかったのだよ!!」と、著書に興奮気味に描いている。

和はすべてのものに通ず

では、映画を通して異邦人の私が何を見て共感したかというと、「和はすべてのものに通ず」の精神だった。作品の“主役”であるテルマエ(風呂)は、実はその媒介でしかない。テルマエという媒介を通じて、異なる国・人種・文化・歴史・時代を生きるものが「和」を共有できるかもしれないということ。

テルマエのような「和」を生み育てる共通項があったとしたら、世界の人びとは、違いを恐れ、罵り、虐待し、境界を作り、それを強化し、自らを守ることに固執し、排他的になり、利己的になり、視野狭窄に陥り、孤独になる―という一連の業から解放されるのではないか。

孤独だからこそ、人は群れるのだと思う。

「和」を望まない人間はいない。それが内なる孤高の平穏であろうと、集団の中での安寧であろうと、本質的に人間が求めるものが「和」であり、いってみれば快楽というものすら、この和を実現するためのひとつの媒介に過ぎないかもしれない。『テルマエ・ロマエ』を読むと、そう思えてくる。

実写版『テルマエ・ロマエ』はこの精神を忠実に再現・映像化した。そこに作者としては、なんともいえない達成感を感じたのではないだろうか。表現者として、自らが創ったものが多くの人間の共感を呼び、支持され、また感動を起こす作品に仕上がっていると感じる時ほど、喜ばしい瞬間はないだろう。

ブームは人が“起こす”もの、作られるものはない

私が『そろそろ世界連邦の話をしよう』というFacebookページを作ってもよいのではないかと感じたのは、作品の面白さ、奇抜さだけでなく作者のそうした内なる願いのようなものが多くの人に伝わったからこそ、人から人へと支持が広まり、「ブーム」というのが起きるのではないかと思からだ。

「ブーム」というものは、一定の勢いを経て加速力を得て始めて発生する社会現象である。さまざまなマーケティングの仕掛けはあるものの、一人の人間が生み出した「作品」の面白さというものは、そんなビジネスの世界の計算など吹き飛ばしてしまうほどの「つかみ」を持つ。

では、この作品の「つかみ」は何か。

なにより、「訴える力」だと思う。人にとって根源的な「和」を尊び求める精神。それは本当に古今東西共通の精神であって、常に外敵や内なる敵に苛まれている刺激を求めたいという人間はおそらくどこが「人間らしさ」が麻痺しているのだろうと思う。だからこそ、これだけの短期間で「ブーム」が起きた。「訴求力」という、ビジネスの世界で使い古された単純な指標では、計り知れない力によってだ。

そろそろ、日本人も隣国といつまでも啀み合っていたり、蔑んだり蔑まされたりする、そうした荒んだ世界から脱皮したいと思っているのではないか。他国の言葉が出来ないこと、理解できないことに劣等感を感じ、他のもので優越を誇るという「寂しい」行為から解放されたいと願っているのではないか。

ただでさえこの国は分断されている。分断が統治の方法と勘違いしている時代錯誤の権力者。分断がそれぞれの中で限られた和を生み、しのぎを削って交代制で力を握れればいいと思っている人びと。原発にしたって、在日米軍の問題にしたって、どちらの考えが優れているかで優越を誇るほど「寂しい」ことはない。

テルマエのような「和」を生み育てる共通項があったとしたら、世界の人びとは、違いを恐れ、罵り、虐待し、境界を作り、それを強化し、自らを守ることに固執し、排他的になり、利己的になり、視野狭窄に陥り、孤独になる―という一連の業から解放されるのではないか。

これは、単に世界の人が求めるものではない。日本人だって、きっと求めていると思う。その可能性を持つもの、日本人の世俗文化に根付くもの。私たちのコアにあるもの。そのミディアム(媒介)がテルマエ(風呂)というローマにすら通ずる文化だった訳だ。


“外”から観たテルマエ(風呂)文化の価値

私は実はこのテルマエ文化の重要さを、外からの視点で見つめた。なぜか。風呂嫌いなのである。というより、水が嫌いと言ったほうが正解かもしれない。だから実は「風呂はいいよ、たしかに!日本人の魂の真髄だ!」などとは露とも思っていない。意外だったろうか。

異邦人である作者が異国から日本文化を希求する中で描いた『テルマエ・ロマエ』。そこには風呂の無い生活の中で風呂を切望する作者の強い願いと、作者が愛してやまない古代ローマの軌跡、そしてそれを何とか一つの形に表現したいという強い“想い”がある。

『テルマエ・ロマエ』は、それらすべてが折り重なって完成した一つの創作物である。

作者がこの作品を造り出せたのは、様々な境遇が重なり合ったためだ。それは四十半ばにして花開いた遅咲きの報いだったかもしれないが、作者が異邦人であること、それでいて日本文化を愛していること、多文化も同様に愛していること。これら強い“想い”がなければ、いずれも実現しなかっただろうと思う。

そして、人びとはその強い想いに、無意識に反応したのかもしれない。「ブーム」は、人によって発生するものであるが、作られるものではないのかもしれない。もし「テルマエ」=風呂がローマ時代以来からのブームだったとしよう。これに勝るブームなど、人に作れようもないではないか。

それが、“文化の力”である。

この文化の力で、いまいちど日本に和を取り戻せないだろうか。もう一人の異邦人として、そう願わずには得られない。そしてこういう想いを新たにしてくれた作品に私は感謝する。



オマケ:読書・鑑賞メーターでの感想
《鑑賞メーター》 映画『テルマエ・ロマエ』 視聴直後の感想
《読書メーター》 手記『テルマエ戦記』 読了直後の感想


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