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1964年6月12日、南アフリカの裁判所で一人の男が国家反逆罪で終身刑を言い渡された。
男の名は『ネルソン・マンデラ』、後に南アフリカ第9代大統領と成った人物である。
このネルソン・マンデラ氏は、アフリカ民族会議(ANC)に所属し、1911年11月にウムコント・ウェ・シズウェ(民族の槍)という軍事組織を結成、その最初の軍事司令官に成ったという経歴の持ち主でもある。
逮捕され、裁判にかけられ、国家反逆罪を言い渡されたのもこれらの事が理由とされている。
ネルソン・マンデラ氏に関して日本で流布されている情報というのは、極めてバイアスのかかった、体制にとって都合のいい口当たりの良い部分だけである為、我々の知らない部分が意外にも多い。
ネルソンマンデラ氏がキューバのカストロ氏と親交が深いという事実などもそのひとつであろう。
過去、キューバがアフリカ諸国に様々な支援を行ったことがきっかけとなり、親交を深めていったようである。
一般的な日本国民の知らない世界の現実のひとつがネルソン・マンデラ氏という人物の人生とアフリカの歴史の中にある。
ネルソン・マンデラ氏は『アパルトヘイト政策』に怒り、闘って獄に繋がれた。
本来ならば、拳を振るった正面の相手(差別政策を採る白人種)に向かって、自らが振り上げた拳を打ち下ろしても良い立場にあった。
だが、ネルソン・マンデラ氏はそうはしなかった。
なんと、振り上げたその拳を静かに下ろしたのである。
思うに、相手に対して自己投影を行った結果なのであろうと推定される。
拳を振り上げた相手に自分を見たのだ。
そして、拳を振り上げた自分に相手の姿を見たのだ。
そして、ネルソン・マンデラ氏は理解したのだ。
『これは唯一の正しい解決方法ではない。それに、私だけが人間なのではない、彼らも人間なのだから。きっと理解しあえる方法があるはずだ。』と。
その理解を裏付けるかのように、ネルソン・マンデラ氏は1989年の12月に当時の南ア大統領であったフレデリック・デクラーク氏と会談し、1990年2月11日に釈放された。
その後、1991年にANC議長に就任。デクラーク氏と協力して全人種代表が参加した民主南アフリカ会議を2度開き、さらに多党交渉フォーラムを開き、暫定政府、暫定憲法を作成した。
1994年4月に南ア史上初の全人種参加選挙が実施された。
そしてついに、ANCは勝利し、ネルソン・マンデラ氏は南アフリカ大統領に就任した。
ネルソン・マンデラ氏が追い求め続けたもの、それは、『全ての人間が、人間として平等に生きられる社会』であろう。
ネルソン・マンデラ氏は、白人と黒人の融和を説き、更には、全ての人種、全ての民族が融和する社会の実現を説いた。
ネルソンマンデラ氏の見た夢は『それぞれの民族や人種が、個々のアイデンティティーを喪失する事無く、平等に虹色の輝きを放つ社会』といっても良いだろう。
はたして、私たち日本人は、この日本で、このアジアで、この環太平洋地域で、そのような社会を築く事が出来るであろうか?
『東アジア共同体』や『環太平洋共同体』を、そのような社会として構築し得るであろうか?
それは、私達一人ひとりに課せられた宿題と言えよう。
とってもワンダホ〜!
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一つ目の動画の曲は「スティーヴ・ビコ (「黒人意識運動」の活動家」にちなんだ歌です。
2010/6/17(木) 午後 4:40
所謂、世間の思い込みとは別に、ネルソン・マンデラ氏は単なる『非暴力平和主義者』ではないと言う事実。
このことが何を意味するか、極めて意味深長である。
2010/6/17(木) 午後 4:45