kkの気儘日記

おっちらと、活きましょうか

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父の介護の合い間に読みます。
5冊目です。
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『四十九日のレシピ』は、
 ――本文より抜粋――
プロローグ
黄色いワンピースを着て現れたその人は、百合子の新しいお母さんになる人だと父が言った。
あれは五歳のとき、動物園に行ったひのことだ。
乙美(おとみ)と名乗ったその人はやさしく微笑むと、一緒にお弁当を食べようと言って重箱を差し出した。
その瞬間、なぜか渾身の力で重箱をたたき落としていた。
父が怒鳴り、彼女がそれをなだめた。・・・・・        で始まります。



その熱田良平の妻・乙美が七十一歳で亡くなる。

妻に突然先立たれ、腑抜けのようになってしまった良平の元に、

金髪顔黒という派手な風貌の女性が顔を出す。

井本と名乗った彼女は、乙美から生前自分が死んだら、

四十九日までの間、熱田家の家事をすることを頼まれている、と言う。

井本は良平に、絵の巧かった乙美が手書きで残したレシピが存在することを告げる。

乙美は辛い人生経験から、人の痛みが分かるようになり、

押し付けでない愛情、見返りを求めない愛情、

そして人を幸せにするために“踏み切り台(テイクオフ・ボード)”となり、

献身的な努力を惜しまない前向きに描かれています。
        ・  
        ・
        ・
娘百合子と乙美、血縁に絡む離婚問題、親の愛、を絡めて、

家族のつながりとは血縁だけで決まるものではない、ことを考えさせられる物語でした。

とても、面白く妻にも読むことを薦めた本です。
父の介護の合い間に読みます。

4冊目です。


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地域医療の在り方とそして現実。


地方病院(24時間体制の救急病院)での医者の重労働ぶりとそれによって救われる人たちとのかかわり。

一方、地方の大学病院での専門医療、高度医療、しかし治療の出来ない患者を看取らないシステム。

その両者の差を医者の立場で医療とは?と悩み問いながらのストーリー。

小説の中に出てくる、末期癌患者の安曇さん、

病院のだれにも“癒し”をくれる不思議な温かい女性が描かれています、

こんな老人になれたらいいなって思います。


地方病院ならではの人との深いつながり、

病院スタッフ、友人、奥(ハル)さん、患者さん、「御嶽荘」の人々との

人間関係には読んでいくにつれ、気持ちを温かく、優しく包んでくれます。



―――本文から抜粋―――

主人公「一止」先生の苦悩

医療の現場では患者の家族が「出来ることは全てやってくれ」と言うことがある。

死にゆく人に、可能な医療行為全てを行う、ということが何を意味するのか、

人はもう少し真剣に考えねばならぬ。

助かる可能性があるなら、家族の意思など関係なく最初から医者は全力で治療する。

問題となるのは、助からぬ人、つまり寝たっきりの高齢者や癌末期患者に行う医療である。

つまりは安曇さんのような人に行う医療である。

現代の驚異的な技術を用いて全ての医療を行えば、止まりかけた心臓も一時的には動くであろう、

呼吸が止まっていても酸素を投与できるであろう。しかしそれでどうするのか?

心臓マッサージで肋骨は全部折れ、人工呼吸の機械で無理やり酸素を送り込み、

数々のチューブにつないで、回復する見込みのない人に、大量の薬を投与する。

これらの行為の結果、心臓が動いている期間が数日延びることはあるかもしれない。

だが、それが本当に“生きる”ということなのか?

孤独な病室で、機械まみれで呼吸を続けるということは悲惨である。

命の意味を考えもせず、ただ感情的に「全ての治療を」と叫ぶのはエゴである。

そう叫ぶ心に同上の余地はある。

しかしエゴなのである。

患者の意思など存在せず、ただ家族や医療者たちの勝手なエゴだけが存在する。

誰もがこのエゴを持っている。

そしてこの時、私の心中を占めたのも、醜悪なるエゴであった。

大量の輸血を行い、昇圧剤をつかい、場合によっては人工呼吸器につないで呼吸を確保する。

うまくいけば数日は持ちこたえるかもしれない。

信州一帯の貴重な血液製剤を取り寄せて輸血すれば、

安曇産の心臓は二日くらいは動いているかもしれない。

なすべきか、なさらずべきか・・・・・・。
【老いの才覚】  曽野綾子 著   その2

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自立した老人になるための才覚の持ち方を書いた本です。

父の介護に隠岐の島に来て、自分はどうだろうか、子供たちに対してどのような老人であればよいのか考える書でした。


第一章  なぜ老人は才覚を失ってしまったのか

第二章  老いの基本は「自立」と「自律」

第三章  人間は死ぬまで働けなくてはいけない

第四章  晩年になったら夫婦や親子との付き合い方も変える

第五章  一文無しになってもお金に困らない生き方

第六章  孤独と付き合い、人生をおもしろがるコツ

第七章  老い、病気、死と馴れ親しむ

第八章 神様の視点を持てば、人生と世界が理解できる



第四章のつづき

  親にも、やはり慎みと、労わりと、折り目正しさがいると思います。

  だからといって、まともな親子ならよそよそしい関係にはなりません。

  お互い「忙しい中を訪ねてくるのは、大変だろう」

  「年老いても明るい顔をして頑張ってくれているんだ」

  という感謝と尊敬に変るのが、成熟した子供と親の関係ですから。

  親子だからと気を許して、親はほうっておいてもいい、というものでもない。  

  子供にはどんな弱みを見せてもいい、というものでもないと私は思います。


 身近な人に感謝する。  

   人間は、一日だけなら、どんないい人にもなれます。

   毎日毎晩」、顔をつき合わせといれば、お互いアラも見えます。

   いつも優しくするなどということは、なかなかできるものではありません。

   そうすると、同居していない娘や次男の嫁のほうがいいように思えてきて、

   同居している長男の嫁を疎んじたりする。

   でも、老人を引き受けているのは、

   毎日一緒に暮らしている長男の嫁という場合が多いんですね。

   私はやっぱり、身近にいる人を大切にしたい。

   いろいろなことでいつもお世話になっている周囲の人たちに、ほんとうに感謝しています。

   世間には、長男の妻に親の面倒を任せきりにしておきながら、

   「何を食べさせているの」とか「もっと優しくしてあげて」とか、

   何かと口出しをする小姑もいます。

   しかし親が、毎日面倒を見てくれている人に感謝して、

   その気持ちを表していれば、皆がうまくいくのではないでしょうか。

   お小遣をあげるなら、たまにやって来る娘や甥姪よりも、

   同居中の嫁や老人ホームで世話になっている職員にあげてほしいですね。





第五章
  
 日本では、万が一、生活が保てなくなれば、生活保護を受けられます。

  しかし、国家に頼って人の税金で食べていこうというの姿勢、

  他人のお金をあてにしなければ自分の生活が成り立たないというのは、

  どこかおかしいと思います。

 人はいきなり老人になるわけではありません、

  老後の暮らしに備えて、貯蓄はしておくべきでしょう。

  今の日本人の間違いは、古くから「備えあれば憂いなし」と言われているのに、

  備えもしない人が、かなり増えてきたことだと思います。

 分相応、身の丈に合った生活をする。

  必要なおかねがないなら、旅行も観劇もきっぱりあきらめる。

  収入は、労働報酬が一番無難です。

  美味しいものを最優先というのも、

  日ごろは節約して旅行だけは贅沢するかは、その人の自由。

  皆、自分の価値観でいいのです。

 義理を欠く 冠婚葬祭から引退する。

  収入が少なくなれば、支出を減らすのが当然です。

  しかし、食費はあまり削ると、健康によくありません。

  冠婚葬祭くらいから切るのが一番いいように思います。

  遠慮というのは、相手の立場に立つことです。

  身内の葬式でも、

  お年寄りに平気で「ちょっとでもお顔をお出しください」などと言うのは、

  残酷なきがします。


 自治体や病院によっては、扱いが悪いところもあるでしょう、

  たとえどんなひどい目に遭っても、老年のよさは、

  それほど長く生きなくても済む、ということでもあるのです。


第六章
 老年の仕事は孤独に耐えること、曽野仲で自分を発見すること。

  結局のところ、人間は一人で生まれてきて、一人で死ぬ。

  人間の過程の一つとして、

  老年は孤独と徹底して付き合って死ぬことになっているのだ、

  と考えたほうがいいのではないか。

  そして、孤独だけがもたらす時間の中で自分を発見する。

  自分はどういう人間で、どういう風に生きて、それにどういう意味があったのか。

  それを発見して死ぬのが、人生の目的のような気がします。

  一人で遊ぶ習慣を身につける。

  一人旅は、知恵を働かさないといけないし、緊張していなくてはならないから、

  惚け防止にも役立ちます。

  毎日料理することと、時々旅をすること。それは精神を錆付かせない方法です。

  生涯の豊かさは、どれだけこの世で「会ったか」によって図られる。

  人間だけではなく、自然や出来事や、

  もっと抽象的な魂や精神や思想にふれることだと思うのです。


 何も見ず、誰にも会わず、何事にも魂を揺さぶられることがなかったら、

  その人は、人間として生きていなかったことになるのではないか、という気さえします。

  どんなことにも意味を見出し、人生をおもしろがる。

  してもらうことを期待していると不満が募って、つい愚痴が出る。

  老人の愚痴は、他人も自分もみじめにするだけで、いいことは一つもありません。

  愚痴ばかり言う老人の傍には、人間が集まらなくなります。

  愚痴が日陰の感じを与えるからです。

  反対に、何でも面白がっている老人には日の匂いがして、人が寄ってきます

 異性とも遊ぶ

  男性は背骨を伸ばして、ギャラントリーの精神で女性に接する。

  男も女も毎年初々しい気持ちで身だしなみを整える。

  そうすると、健全な色気があって、お互い楽しいし、縁のある、

  気の合った他人と少しずつ共有することが出来たら、それは大きな幸福です。


第七章
 老い、病気、死と馴れ親しむ

  老人になって身に付ける「老人性」に、二つの柱があります。

   一つは利己的になること、もう一つは忍耐がなくなることです。

   年を重ねることの特徴、あるいは悲しさと言ってもいいのですが、

   程度の差こそあれ、この二つはだれにでも見受けられます。

   老齢にやや意図的に逆らって自分を若々しく保ちたいなら、まず利己心を戒め、

   耐力をやしなうことだと思います。

   若くても、他者への配慮がなくなったら、それが老人なんですよ。

   電車の中で足投げ出して座ったり、眠りこけている人は二十歳でも老年です。

   言葉を言い換えて言えば、他者への気配りがあれば七十代でも壮年なのです。

  七十五歳くらいから肉体の衰えを感じ始める

   老化する体になんとか思考と運動機能を細々と保ち続け、健康保険を出来るだけ

   わないようにすることが私の願いです。

 健康を保つことを任務にする

  病気も込みで人生、という心構えを持つ

  病人になっても明るく振舞うこと、喜びを見つけること

  病人は老人と同じように「労ってもらってあたりまえ」という精神構造に

  陥りやいので、たいていは自己中心です。

  体が辛い時やはり不機嫌にもなるし、

  「なんで自分の辛さがわからないんだ」と腹立つ。

  それは仕方のないことだとおもいます。


  しかし、長く生きたものとしての強みがあれば、そこで少しばかり、

  周囲の人たちが不愉快にならないように、内心はどうあろうと、

  明るく振舞うという配慮をしなければいけない。

 死に馴れ親しむ

   私は、生きながら人間性を失っていく人を沢山見てきました。

   大儀で口を利かなくなる、耳が良く聞こえなくなる、反応が鈍くなる。

  そうやって、老いと共に、長い時間をかけて部分的に死んでいきます。

  この部分死が存在することを承認しなくてはならないし、
  
  それが本番の死を受け入れる準備になるでしょう。

  耳が遠くなれば、補聴器をつけたりして少しは改善することが出来ます。

  しかし、もし私が歩けなくなったら、何処へも行けなくなるという意味で、

  足から死んでいくことになるでしょう。

  餌を取れませんから、動物だったらもう死ぬ運命です。

 一日一日、「今日までありがとうございました」と心の帳尻あわせをする。

  もう一つ、自分の最後を考えておかなくてはなりません。

  子供をあてにしてはいけないし、子供が先に死ぬこともあります。

  「どうにか頑張って一人で暮らします」と言っても、できない場合もありますから。

  私は、その時はお金と相談の上で施設に入れてもらうつもりです。

  常に過去にあった、いいこと、楽しかったことをよく記憶しておいて、   
  
  いつもその実感とともに生きればいい。

 これだけ、おもしろい人生を送ったのだから、もういつ死んでもいい、ということです。

  そしてまともに祈りができない時には、

  「今日まで、ありがとうございました」と、たった一言、

  神への感謝だけはすることにしています。
 


第八章
 あの世があるか、ないか、わからないが、分からないものはあるほうに掛ける

  私は、なんとなく死んだ人の視線を感じることがあります。

  視線としか言いようがありませんが、その眼差しの中で、遺族はやはり幸せになってほしい。

  亡くなった人が家族を見るとき、だれもが今まで通りに元気で暮らしてくれてているのが

  一番うれしいだろうと思います。

 引き算の不幸ではなく、足し算の幸福を

  生まれてきた時は、皆ゼロです。

  それを考えたら、わずかなものでもあればありがたいと思う。

  ああ、こんなこともしていただいた、あんなこともしていただいたという

 足算で考えれば不満の持ちようがありません。

  でも、あって当然、もらって当然と思っていると、

  わずかでも手に入らなければマイナスに感じて、不服や不満を言い始める。

  これを引き算の不幸と言います。

 最後に、自分の好きな勉強をし、社会の一部に組み込まれて働き、

  愛も知り、人生の一部を選ぶことができ、自由に旅行し、

  好きな読書をし、趣味に生きる面も許され、家族や友達から信頼や尊敬、

  好意を受けたなら、もうそれだけで、

  その人の人生は文句なしの「大成功」だった、と言えます。 

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父の介護をしながら、自分は年老いたら、どのような年寄りにならねばいけないのだろう、と考える知恵を得ようと読んでみることに。

父の介護の合い間に読みます。

3冊目です。





【老いの才覚】  曽野綾子 著   その1

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自立した老人になるための才覚の持ち方を書いた本です。




第一章  なぜ老人は才覚を失ってしまったのか

第二章  老いの基本は「自立」と「自律」

第三章  人間は死ぬまで働けなくてはいけない

第四章  晩年になったら夫婦や親子との付き合い方も変える

第五章  一文無しになってもお金に困らない生き方

第六章  孤独と付き合い、人生をおもしろがるコツ

第七章  老い、病気、死と馴れ親しむ

第八章 神様の視点を持てば、人生と世界が理解できる


第一章
  高齢である、ということは、若年である、というのと同じ

  一つの状態を示しているだけにすぎません。

  それは善でも悪でもなく、資格でも功績でもない。

  バスの中で、老人だから譲ってもらう権利がある、と言うものではない。

  「○○してくれない」は老化度バロメーター

  「くれない族」と著者は言っている。

  「くれない」と言い出した時が、その人の老化の始まりで、

  どれだけの頻度で「くれない」を発するかでわかります。

  シワや白髪、入歯の数ではかるより、こちらのほうが老化度は、はっきり出ます。

  基本的な苦悩がなくなったb時代が、老いる力を弱くした

  「日本は経済大国なのに、どうして豊かさを感じられないのだろうか」と聞かれました、

  答えは簡単です。貧しさを知らないから豊かさがわからないのです。

  途上国では、全く違います。


  今でも大勢の人が戦争や病気で死ぬこともありし、飢えることもある。

  日本では「食えない」と言う言葉は、家のローンを払いきれない、

  子供を大学に行かせる費用がない、など拡大解釈されていますが、

  世界の多くの地で「食えない」と言えば、まさに今晩口にするものが無い、ということです。


 格差社会と言われていますが、日本ほど格差のない国はない。

  だれでも救急車にタダで乗れる国は、非常に少ない。

  国民健康保険や、国民年金、生活保護法があるなど、、めったにありません。

  被災した時だってそうです。

  途上国では、災害からなん日か経って、腹ペコの被災者に芋や豆を配ったりします。

  生のまんまです。

  被災者たちは、ふらつく足で燃料を集め、煮たり焼いたりしなければ食べられません。

  日本人は、被災したその日から、すぐに菓子パンを食べることが出来るのに、

  「三日間パンばっかり配られて飽き飽きした」などと文句を言っている。

  それほど贅沢なのです。

 戦後の教育思想が貧困な精神を作った

  戦後、日教組が、何かにつけて、「人権」「権利」「平等」を主張するようになった。

  その教育を受けた人たちが老人世代になってきて、ツケが回ってきたのだと思います。

 昔の老人には「遠慮」という美しい言葉がありました。

  よく「お邪魔になるといけないから」などと遠慮したものです。

  しかし今では、だれもが「それをする権利がある」という。

  「あの人はしてもらったのに、私は自分でした」

  「損をした」という貧弱な精神の老人を作った。


  「私はもう年寄りだから、その半分でいいですよ。 
  
  あとは、この子供にあげてください」と言えるのが人間です。

 敬語を使えない人がなんと多いことか。  

  ホームレスの人に対して敬語を使って話をしている看護師長さんがいる一方、

  朝日新聞は「天皇皇后陛下にも敬語を使わなくてもいい」と言いました。

  どちらが心理的に美しいか。私は朝日新聞の発想は醜いと思います。

 だれに対しても敬語を使うのが、私は好きです。

  私は、自分の財産というのは、深く関わった体験の量だと思っています。

  若いころから困難にぶつかっても逃げたりせず、真っ当に苦しんだり、

  泣いたり、悲しんだりした人は、いい年寄りになっているんです。



第二章
  他人に依存しないで自分の才覚で生きる

  自立とは、ともかく他人に依存しないで生きること。

  自分の才覚で生きることです。

  少なくとも生きようと希(こいねが)うことです。

  旅行も人生の旅なのです。

  人生は闘いですから、闘わないで「切符を買ってきてちょうだい」

  「何時に何処に着くの?」「お弁当はどうするの?」などと言うのは、   

  生きていない証拠だと思います。

 幾つになっても、「精神のおしゃれ」が大切

  「精神のおしゃれ」とは男性の場合

  「ギャラントリー(gallantry)」の精神が必要だと思います。

  これは、中世の騎士道に通じる勇気と、女性に対する丁寧な行動のことです。
  
  人前で平気でお化粧したり、歩きながらものを食べたり、

  下着が見えそうな短いスカートを履いたりしている。

  外国で暮らしている知人が、日本の女の子の服装を見て、

  「まともな女性が着るものじゃない。

  どうぞ襲ってちょうだい、と男にアピールしているようなものです」と言ってました。

  年寄りは本来、そういうことを教えてやらなくてはいけないのです。

 自立を可能にするのは、自律の精神  

  自己過保護型になっても自己過信型になってもいけない、

  年相応の生き方、健康法を目指さなければいけない。

  いまだに、振り込め詐欺に騙される年寄りが後を絶ちませんが、 

  私たちは基本的に、人を信用してはいけない。

  生きている限りは、緊張して生きてなくてはいけないのです。


第三章
 一昔前まで、人は死ぬまで働くのが当たり前だった。  

  私は、世界の動きの中に加えてもらうことが面白いから、一生、生産と結びついていたい。 

  できれば、ただ自分が生きるため以上の働き、つまり病気や弱っている人の分まで

  一日でも長く働かせていただきたいと願っています。

  現実問題として、老人も働かないと生活が立ち行かない。

  たとえば息子一人が働いていて両親も妻も子も食べさせるのは大変でしょう。

  年をとっても働ける限り、再就職するとか、庭で野菜を作るとか、

  それぞれが何らかの形で生産性を保っていなくてはやっていけないとおもいます。

 老人が健康に暮らす秘訣は、目的・目標を持つこと

  「何をしてもらうか」ではなく「何ができるか」を考えて、その任務をただ遂行する。

  それが「老人」というものの高貴な魂だと思います。

  老人はむしろ、くだらない、つまらないと社会から軽視されるようなことこそ、

  甘んじて働くのが美しいい。
 
 料理、掃除、洗濯 日常生活の営みを人任せにしない

  働くというのは、外に出ることだけではありません。

  いちばん身近で役に立つのは、孫を育てる手伝いをする事だと思いますが、

  これは孫が近くにいないと出来ません、だれにもできるのが、

  料理を作る、掃除をする、洗濯をすることです。

  つまり、日常生活の営みを人任せにしない。

  生活の第一線から引退しないことです。

  家事全般は死ぬまでついて回りますから、引退はありません。

 受けるより、与える側に立つと幸せになる

  人間は受けもし、与えもしますが、年齢を重ねるにつれて与えることが増えて、

  壮年になると、ほとんど与える立場になります。

  そしてやがて、年寄りになってまた受けることが多くなっていく。

  その時に、人によって受け方の技術に差が出てきます。

  ただ黙って受けるだけなら、子供と同じです。

  もし、「ほんとうにありがとう」と感謝して受けたら、与える側はたぶんうれしい。

  お茶を一杯入れていただいて、何も言わずに当然のことのように飲むのと、

  「あなたのおかげで、今日は美味しいお茶が飲めました」というのとでは、

  相手の気持ちが全然違うでしょう。

  与える側でいれば、死ぬまで壮年だと思います。

  オムツをあてた寝たっきりの老人になっても、介護してくれる人に

  「ありがとう」と言えたら、喜びを与えられる。


  そして、最終的に与えることが出来る最も美しいものは、

  「死に様」だと私は思っています。 

  子供たちは今、死ぬということを学ぶ機会があまりないから、

  それを見せてやるだけでも大した仕事だと思います。

  死後、臓器の提供や献体を希望する人もいるでしょう、どんなによぼよぼになっても、

  与えることが出来る人間は、最後まで現役なんですね。


第四章
 「折衷」を許しあえる夫婦になる

   半分の欲望を叶えて、それをさせていただいたことに感謝する。

   そうすれば、なんとなく折り合いがつきますし、お互い楽です。

   だから老人になったら、折衷を許せる夫婦になったほうがいい、というより便利です。


  親しき仲にも礼儀あり

   老いれば、何でも許されると思う人がいますが、それは甘えです。

   昔、「私くらい年をとれば、何を言っても許されるのよ」と言った老人がいました。

   ほんとうのところは、周囲の人たちが我慢して聞いているのを、

   彼女は許されたと勘違いしていたのです。

   たぶん、私たちは一生、だれにも甘えて不作法してはいけない。

   配偶者にも子供にも立ち入りすぎた非礼はなさない、

   と決心するほうが、かえって楽なのかもしれません。

   私は、親が子供にしてやれる大きな事業の一つは、

   別れることを上手にやってのけることだ、と考えていました。

   子供を教育しながら、

   しかも最終目的は独立を完成したその相手の前からさりげなく姿を消す。

   これは常に感謝され、自分の与えたものを相手に確認してもらいたい

   普通の人間関係においてはなかなかできにくいことですが、

   親の愛情というものは、本来、無私の愛であるはずです。








 
父の介護の合い間に読みます。

2冊目です。


【がらくた】   江國香織 著


一小節ごとに、既婚者の柊子(しゅうこ)と15歳の美海(みうみ)が交互に思いを語る

スタンスでストーリーは始まる。


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序盤は、タイのプーケット島にバカンスに来ていた、柊子が美海を見た印象からの思い出から始まる。

出だしのストーリーはなにか、性に対してオープンな映画“エマニエル”のような物語なのかと感じさせました。


読むにつれて、未成年で背伸びしている美海の行動に、おい!おい!大丈夫なのと

心配になって行きます。
     ・
     ・
     ・
最後はやはりそうなったか・・・です。


柊子の夫に「ミミ(美海)ちゃんにはすいこまれる」と言われ

自分もそうだと喜ぶ美海は「不行き届けな真似をしてほしいの」と禁句を告げる。


しかし、物語に性のどろどろとした描写はなく、あっさりした感覚でした。


古い物が捨てられなくて、“こざっぱりとしているがガラクタばかりよ”と言う台詞があるが、

本の題名【がらくた】の意味が最後までわかりませんでした。

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