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今日は休みでしたが、普段と同じ時刻に家を出ました。
母が旅行に行くというので、それを集合場所に送りつけ、そのまま大阪方面に。
目的は
① 南海電鉄 南海線 浜寺公園駅をうろつく。
② 近鉄百貨店 阿倍野店の「韓国フェスタ2012」に行く。
③ 阪堺電車全線乗車
です。
これらは順次ご報告させて頂きます。
まずは 南海線 浜寺公園駅です。
朝の8時過ぎ、早くも浜寺公園駅につきました。
期待通りの駅の出口です。
普通の方は外観の写真をトップに出さはると思いますが、ひねくれ者の私はこの写真からご紹介します。
これは、海側の改札を出た所ですね。
この4本の柱が、すでに物語っています。
南海電鉄のホームページによると、
「明治40年(1907)6月に現在の駅舎に建て替えました。設計は、東京駅などの設計で知られる辰野金吾博士が所属した辰野・片岡建築事務所の設計によるものです。」
とのことです。
ブロ友、ツイ友のkayoさんに教えていただいたんですが、今日3月25日が、その設計者の「辰野金吾博士」の御
命日だそうです。 wikiによる、辰野金吾博士の解説はこちら。東京駅、日本銀行本店、奈良ホテルなどを手掛
けられたということです。
さて、その外観は・・・。
あまりにも有名ですね。これが現役最古の駅舎です。105年前になるんですね。
単なる「駅」なのに、この当時のセンスといいましょうか、遊び心といいましょうか、すばらしいと思いました。
ただ、この駅舎、もうすぐなくなるようです。
といいますのも、「南海本線(堺市)連続立体交差事業」というものの一環として、この辺がすべて高架化されるそ
うなんです。
平成30年の完成予定とのことですから、この駅舎もあと数年でここから姿を消すことになるんでしょうね。
保存されるか心配です。
よく知られているのは、上の写真の海側の駅舎ですが、山側の改札も見て見ろ、とツイ友のkuraさんに教えて頂
き、地下道をくぐって行ってみました。
一見、公園のトイレのようやな、なんて思いましたが(←大変失礼ですね。)いやいやなかなか。
この駅名の文字に萌えましたね。
海側はどこの駅も同じようなプラの看板ですが、これは一味違います。もちろん海側のものよりは新しいもので
しょうが、それでも昭和のいい時代を感じさせてくれますね。
海側も山側も、両方保存してほしいと思います。
ここからはいつもの「ひねくれ目線」の写真をご覧ください。
この駅舎は保存すべきでしょう。山側も含めてね。 |
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arichichiさんがこの日にこの駅に行かれるご縁を本当に不思議に思います。記事を拝見して、辰野さんからの、この風景を変えてほしくないというメッセージのように思いました。人々の幸せのためにこの駅がよりよくなることを祈るばかりですが、移築が原型をできる限り崩さないものになるよう願います。
これまで見たことのなかった角度からのお写真ばかりで、この駅への思いが一層高まりました。
TBさせていただきました。
本当にありがとうございます。☆
2012/3/26(月) 午前 0:22
kayoさん、おはようございます。
この駅、行くのは二回目でした。以前は単にもの珍しさだけ。でも今回は違いましたね。
いわゆる「鑑賞」しいいますか、じっくり眺めさせて頂きました。
移築、保存されるんですね。よかったです。でも、形は変わってしまうんでしょうかね。
線路のない所に移築されても、建屋は魂を抜かれてしまわないんでしょうか。解体破壊よりはいいかもしれませんけどね。おっしゃるとおり、できるだけ原形をとどめてほしいものですね。☆&TBありがとうございました。
2012/3/26(月) 午前 9:20
へ〜! 全然知らなかった!!
子供の頃、浜寺プールのスイミングスクールに通ってたので、
この駅には随分お世話になりました。
浜寺公園、今でも好きです^^♪
駅のことは… すいません本当に全然知りませんでした。
歴史的な財産なんですね><
写真を見て、感激してしまいました!
ほんと美しい建物ですね!
2012/3/26(月) 午前 10:07
みきさん、おはようございます。
そうですか、みきさんの地元の近くでしたよね。
あまりにも日常的だと、それが「フツー」と思ってしまうのが普通でしょうね。浜寺公園、いいですね。あまり奥までいったことはないんですが、堺市民の方がうらやましくなりましたよ。
駅も、ちょっと見る目を変えると以外にいいものでしょ?このまま保存してほしいですね。
2012/3/26(月) 午前 10:16
あ、kayoさん、☆ありがとうございました。
2012/3/26(月) 午前 10:16
アリチチさんのブログには何回か私を紹介してもらいましたね(笑)
浜寺公園駅や浜寺駅前駅、実は私は本当に小さいころから馴染みなんです。今やメール、ブログとその日の便りや写真が見られますが、それを見られる年代の高齢番付けに出られそうな私が小さいころのアナログな話です。
コメントに浜寺プールとありますが、私の子供時代は駅前から言わずと知れた浜寺海水浴場だったんです。いつか機会があれば当時の写真などお見せしたいです。
当時は出島から石津、諏訪の森、浜寺、羽衣、高師ノ浜、助松、松ノ浜、・・・・とずっと砂浜が続いて駅から歩いて行ける海水浴場になってました。
叔父が諏訪の森にいたので子供時代夏はずっと叔父の家で寝起きして浜を眺めたものです。当時は線路脇から直ぐに玉ねぎ畑が広がり灌漑用の風車があちこちにありました。
2012/3/27(火) 午前 9:16 [ kurahoken ]
つづき、いつの日か浜の沖にくい打ち機が立ち並び埋め立てが始まったのを茫然と見ていた自分が懐かしいです。浜寺プールは海水浴場の代わりに作られたものです。
陸も高度成長と共に開発、玉ねぎ畑は瞬く間に住宅や工場になって行きました。
電車に関係の無い話で申し訳ありませんでした。当時は自家用自動車も珍しく、移動のほとんどは電車でした。
2012/3/27(火) 午前 9:17 [ kurahoken ]
kurahokenさん、こんばんわ。
浜寺周辺は昔から水泳には縁があった場所なんですよね。「水練場」なんて言葉を聞いたことありますよ。
出島〜助松なんて広大な浜だったんでしょうね。
「松の浜」あぁ、懐かしいです。和歌山からバス旅行で大阪方面に向う時、高速がない時代には、必ず「松の浜ドライブイン」にたちよってましたね。懐かしい名前です。
玉ねぎ畑、風車なんて今では考えられない風景ですね。浜の向いは人工島、kuraさんの少年時代とは全く違う光景なんですね。私なんかは、工業地帯というイメージでしたね。でも、いい時代だったんでしょうね。コメント、ありがとうございました。
2012/3/27(火) 午後 11:44