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先日アップした「贈り物」の記事の写真の中に 「安宅の松」の本が映っています。 「安宅の関」の話なのだから、「松」ではなく、「関」のままでないのはなぜ、、?? そんな疑問がふっとわき、、 マネージャーに聞いてみたところ、、 「松羽目物(まつばめもの)」だからじゃないかしら、、??ん、、、?? 恥ずかしながらその言葉を知らなかった私、、 そこで少しですが調べてみました。 「安宅の松」は「勧進帳」の中の「安宅の関」での話。 本名題「隈取安宅松(くまどりあたかのまつ)」 顔見世狂言「雪梅顔見勢(むつのはなうめのかおみせ)」の一部。 さて、本題の『松羽目物』についてです。 『松羽目物』 明治以降になって、歌舞伎はそれまで接触を禁じられていた、能や狂言とも 交流を持てるようになる。 その結果、能・狂言を原作とする作品が多数作られた。 この種の舞台は能舞台を模倣して、大きな松を一本、背景に描いている。 能の場合には「羽目板(はめいた)」という板に松を描くことから、 これらの作品を「松羽目物」と呼ぶ。 ただし、松を描いていないものもある。能や狂言との交流が始まったのが、 明治以降、、、以外と最近なことに驚きました。 「松羽目」というのは 能の舞台を模倣して作った「舞台装置」 その装置を使用するものを「松羽目物」と呼ぶ。そう説明されると、確かにわかりやすいですね。 「松羽目物」と「勧進帳」調べてみると面白いことがちらほら、、、 「勧進帳」が「松羽目」を最初に使用したもの。つまり、最初の「松羽目物」が「勧進帳」だったのですね。 初演は天保十一年(1840年)。 実は、「勧進帳」の祖型は、元禄十五年(1702年)二月、 江戸中村座で、初代団十郎の「星合十二段」の中にある。 復活を思い立った七代目だったが、原本が亡びてしまっていた。 そこで、五瓶(なみきごへい/狂言作家)に、 能本行の『安宅』を骨子に、 講釈種の『山伏問答』をも取り入れさせた。 これを「初代団十郎生誕二百年記念」と銘うって上演。 しかし、実は「生誕百八十年」だった。いつの時代も、こういうことはあるのですね。 20年さば読んで、七代目は上演したようです。 なんといっても、最初の「松羽目物」 衣装も舞台も前面に能楽趣味を強調。 楽屋から揚幕まで毛氈を敷かせ、 能と同様、幕が開いてから長唄はやし連中が 次々と出て席に着く、、、という演出にしたそうです。 見物に来ていた、能役者勘世清孝(かんぜきよたか) に意見を求めたところ、 笑って「結構だ」といったので、七代目は厚く礼を述べた。 そんな記述もありました。 (「日本の古典 歌舞伎十八番」集英社 より抜粋) 「松羽目物」について、わかりやすい系図がありました。 写真見難いかと思いますので、 今回の記事の「参考・抜粋」させていただいた サイトも紹介しておきます。 なかなか楽しいサイトです。 ひょんなことから手を付けてみたものの、、 今回は中々色々な発見があり、楽しい記事となりました。 でも、松羽目ものだから、「安宅の松」なのか、、 そこのところがいまいちわかりませんでした。 ご存知の方いらっしゃいましたら、、。 |
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2006年11月17日
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