|
先日9月3日(水)に、 日本舞踊社創立 月刊「日本舞踊」創刊 60周年記念舞踊公演 へ行ってきました。 私は夜の部。 四時開演の部へ。 清元 「清海波」 花柳 寿美 常磐津「駕屋」 五條 珠實 五條 雅太郎 長唄 「吉原雀」 花柳 壽延 花柳 幸志郎 長唄 「旅」 吉村 輝章 清元 「豊後道成寺」藤間 藤太郎 清元 「お祭り」 猿若 清三郎 大和楽「団十郎娘」 吾妻 徳彌 花柳 源九郎 河東節「浮世傀儡子」花柳 寿南海 長唄 「猿舞」 西川 扇藏 西川 扇与一 西川 扇新之輔 西川 扇良三 西川 扇重郎 豪華なメンバーが出演されていました。 「青海波」の、きれいなお着物、美しい姿で幕を開けました。 輝章さんの「旅」は二度目位になるかと思いますが、 やはり、とても良かったです。 今回、はじめてみる演目も多く、 とても楽しい時間を過ごすことが出来ました。 中でも、「団十郎娘」を観られたことは本当に嬉しかったです。 吾妻家のものであり、中々みる機会がなかったのですが、 やっと、見る事が出来ました。 本当に可愛らしい娘に、楽しい丁稚。 助六をまねる姿も愛らしくてたまりませんでした。 あんなふうに娘を演じるというのはとても難しいと思います。 色々な演目に触れ、 刺激を受けたとても良い会でした。 写真は輝章さんから頂いた「お月見」に因んだお饅頭です。 コチラも可愛らしく、箱を開けて思わず微笑んでしまいました。 |
日本舞踊の話
[ リスト | 詳細 ]
お勉強も兼ねて、舞踊の事をつらつらと、、、、。
|
先週名古屋まで行き、 祖母の居る老人ホームへ慰問へ行ってきました。 名古屋から四日市へ。 四日市は雪でした。 本当に綺麗な雪景色で、タクシーからも表を眺めるばかりでした。 一緒に舞台を勤めてくださる舞踊家の方をお迎えするにもあたり、 急遽前のりすることに。 久しぶりの雪だったようで、なんだかあたった、、感が。 舞台の当日も本当に綺麗な雪景色。 大降りは落ち着いて、 お昼前にはお日様も顔をのぞかせていました。 舞台は 木遣りくずし 清元 「神田祭」 三味線のお話 俗曲くずし 三味線の前弾き、さわり等 弁天小僧 皆で歌おう「俗曲」等々 奴さん 皆さん時間を忘れ、本当に楽しんでくださいました。 最後の奴さんは私の弾き語りで たち方は「おたふく」と「ひょっとこ」の面でにぎやかに。 驚いたのが皆さんで唄いましょうといった時間に 「上をむいてあるこう」 を唄ったとき。 どの曲よりも皆さん大きな声で歌ってくださいました。 私の三味線で皆で歌う。 みなさん本当に喜んでくださって、 本当に良い経験をさせていただきました。 三味線の音、、 これがどれほどお年寄りの中にねずいていて、 どんな方でも夢中で体を動かしたり、 手拍子をとってみたり。 本当に色々と感じた貴重な旅になりました。 |
|
先日、浅草へ師匠、姉弟子と稽古場の小道具を買いにゆきました。 |
|
写真と一緒に、有名な道成寺を簡単にですが、 皆様にわかりやすくお話できれば、、、そう思います。。 質問や、間違いがあれば、 遠慮なく皆様教えてくださいませ。 ♪はなの他には松ばかり、、、 はなのほかには松ばかり、、 暮れ染めて鐘や、、響くらん、、、 幕が開き紅白の幕が落ちて、 「京鹿子娘道成寺」のはじまりです。。 約束を交わしたお坊さんを追って、 ここまで来てしまった「白拍子花子」。 お坊さん達には「何者か?」と問われ 「白拍子にてそうろう、、」 そういった事で、 「白拍子なら一舞踊ってみなされ、、、」 花子さんは恋焦がれるお坊さん、、あんちんにあうため、、、舞いだします、、 ♪鐘に怨みは 数々ござる、、 元は仏教の法話から生まれたこの話。 「安珍・清姫」のお話から、 清姫さんが白拍子(優秀で才覚もあり格の高い踊り子)花子として あんちんさんを想い、 色々な娘心を舞いますが、 恋焦がれて思うあまり、蛇へとなってしまいます、、、、。 娘らしく踊る中にも、 時たま蛇の化身としての顔が見えてきます、、、。 頭は赤い着物に烏帽子をつけ、、、
道成寺のはじまりです、、、。。 |
|
先日アップした「贈り物」の記事の写真の中に 「安宅の松」の本が映っています。 「安宅の関」の話なのだから、「松」ではなく、「関」のままでないのはなぜ、、?? そんな疑問がふっとわき、、 マネージャーに聞いてみたところ、、 「松羽目物(まつばめもの)」だからじゃないかしら、、??ん、、、?? 恥ずかしながらその言葉を知らなかった私、、 そこで少しですが調べてみました。 「安宅の松」は「勧進帳」の中の「安宅の関」での話。 本名題「隈取安宅松(くまどりあたかのまつ)」 顔見世狂言「雪梅顔見勢(むつのはなうめのかおみせ)」の一部。 さて、本題の『松羽目物』についてです。 『松羽目物』 明治以降になって、歌舞伎はそれまで接触を禁じられていた、能や狂言とも 交流を持てるようになる。 その結果、能・狂言を原作とする作品が多数作られた。 この種の舞台は能舞台を模倣して、大きな松を一本、背景に描いている。 能の場合には「羽目板(はめいた)」という板に松を描くことから、 これらの作品を「松羽目物」と呼ぶ。 ただし、松を描いていないものもある。能や狂言との交流が始まったのが、 明治以降、、、以外と最近なことに驚きました。 「松羽目」というのは 能の舞台を模倣して作った「舞台装置」 その装置を使用するものを「松羽目物」と呼ぶ。そう説明されると、確かにわかりやすいですね。 「松羽目物」と「勧進帳」調べてみると面白いことがちらほら、、、 「勧進帳」が「松羽目」を最初に使用したもの。つまり、最初の「松羽目物」が「勧進帳」だったのですね。 初演は天保十一年(1840年)。 実は、「勧進帳」の祖型は、元禄十五年(1702年)二月、 江戸中村座で、初代団十郎の「星合十二段」の中にある。 復活を思い立った七代目だったが、原本が亡びてしまっていた。 そこで、五瓶(なみきごへい/狂言作家)に、 能本行の『安宅』を骨子に、 講釈種の『山伏問答』をも取り入れさせた。 これを「初代団十郎生誕二百年記念」と銘うって上演。 しかし、実は「生誕百八十年」だった。いつの時代も、こういうことはあるのですね。 20年さば読んで、七代目は上演したようです。 なんといっても、最初の「松羽目物」 衣装も舞台も前面に能楽趣味を強調。 楽屋から揚幕まで毛氈を敷かせ、 能と同様、幕が開いてから長唄はやし連中が 次々と出て席に着く、、、という演出にしたそうです。 見物に来ていた、能役者勘世清孝(かんぜきよたか) に意見を求めたところ、 笑って「結構だ」といったので、七代目は厚く礼を述べた。 そんな記述もありました。 (「日本の古典 歌舞伎十八番」集英社 より抜粋) 「松羽目物」について、わかりやすい系図がありました。 写真見難いかと思いますので、 今回の記事の「参考・抜粋」させていただいた サイトも紹介しておきます。 なかなか楽しいサイトです。 ひょんなことから手を付けてみたものの、、 今回は中々色々な発見があり、楽しい記事となりました。 でも、松羽目ものだから、「安宅の松」なのか、、 そこのところがいまいちわかりませんでした。 ご存知の方いらっしゃいましたら、、。 |






