藤間瑠依の和に魅せられて

三味線、日本舞踊、五行歌、着物、小説などなど和事のお話 更新中々進みませんが、お許しください。

小南文書完成!!

[ リスト | 詳細 ]

「我が家は武家、、、」

祖母の手から渡った、小南家の系図、、、。

それは、自分の先祖をたどる楽しい手がかり。

記事検索
検索

全1ページ

[1]

堪忍文のお話

「堪忍文」この言葉は初めて聞きました。

秀吉の「三木攻め」の後、(どんな経緯かは定かではないのですが)
蜂須賀まさかずに使え、
二代目までは「堪忍文」によれば200石頂いていたとか。

この「堪忍文」どうやら「生活手当てを与えます」みたいな書状のようです。

この手当てを頂いていたときは、役職に付かず、手当を頂いていたようです。

お話によると、
「赤松家から招かれた客分扱いだったとか、他に理由があってそうなったのかわからない」
とのことです。

三代目からはきちんと役に付き、600石頂いていたようです。

「ます田、森、小南」と、三奉行がいたようで、
どうやら、今で言う「裁判所」のような役割だったとか。

「鉄砲組頭」という文字も見受けられたようで、これからだんだんと解って来るかと、、。

「興味深い事がありまして、、」
とお話してくれたのは
「加藤清正の助成に、朝鮮に出兵しているようなんです」と。

なにせまだ研究を進めているというよりは、
スタートの準備が整ったというくらいの段階。

時間はかかるかと思いますが、また少しずつ紹介していきたいと思います。

この記事に

開く コメント(0)

祖母から古い古い古文書を譲り受けました。
悩んだあげく「東大 史料編纂所」へ持ち込みました。

祖母の話では、ひいおばあちゃんの「小南 あさ」は、
士族の系図の売り買いが盛んになっても、戦争になっても、
大切に、大切に守ってきたものだったそうです。

赤松家の出の小南家。後に蜂須賀家に使えた。
 徳島のずいがん寺のお墓を見る限り普請奉行だったのではないか、、」
祖母からそう聞かされていました。

東大に預けてから随分経ち、
昨日東大の方が、直々に会社まで足を運んでくださいました。

汚い紙だった系図や、手紙たちが五冊もの「小南文書」写本として届けられました。

祖母が言っていた話は本当のようで、
「今まで写しだけしか残っていなかった小南文書の現物が出た。」

どうやら貴重な史料のようです。

「赤松家」について研究をされている方が、
小南文書の写しをまた写したものを(それは実は東大にあったそうです)
元に論文を発表されていました。

しかも、私が東大に現物を持っていった直後に発表されたようです。
その中には「小南文書、その所在は明らかではないが、今後の発見を、、」
と書かれていたのです!

まあ、母方の血筋は、中世かられっきとした士族との事。

家老とまでは行かないものの
上の方の役職だったそうです。

なんだか話すと長くなりそうなので、
回を分けて少しずつお話していきたいと思います。

ちなみに、祖父のお友達には「伊達家」の末裔も。
素敵な、お洒落なおじいちゃまです。

この記事に

開く コメント(1)

全1ページ

[1]


.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事