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茨城県の城

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2008.10.19 登城
 
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城址碑。
 
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 横矢掛り
土塁に凹凸や屈曲を設けることを横矢を掛けると言います。
横矢掛りは虎口や土塁に近づいた敵を、横から攻撃するためのものです。
横矢は虎口と共に発達しました。
ここ逆井城では、橋と並行する土塁が横矢掛りとなり、敵を攻撃する矢や鉄砲などを射かけやすくする場となっています。
現在、土塁は往時の姿より低くなっていますが、空掘りにかかる橋よりも高く、復元した櫓門に対し、効果的な守備を発揮できるような位置となっています。
なお、東側の二曲輪にも横矢土塁がみられます。
                                                       現地案内板より。
 
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 櫓門と橋
この櫓門と橋は逆井城跡の発掘調査の成果をもとに復元されています。
橋の遺構は礎石・男柱・支柱の柱穴、橋桁支柱の穴がみつかっています。
また、櫓門の遺構としては、東西に3個づつ2列で方形に結べる柱穴と雨後溝がみつかっています。
復元にあたっては遺構保存のため、旧柱位置より西へ1m、北へ50cmずらされています。
なお形については、史料を基に戦国時代末期の姿を想定しています。
■間口/3.03m ■梁行/2.07cm ■高さ/5,95m
                                                         現地案内板より。
 
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 鐘掘池
天文5年(1536)3月3日、ときの逆井城主逆井常繁は、北条氏康方の大道寺駿河守の城攻めに敗れ戦死しました。
この時、城主の奥方(娘か)は先祖代々伝わる釣鐘をかぶってこの池に飛び込み、自殺したと言われています。
この釣鐘を捜そうと何人もの人が池を掘ったため、「鐘堀池」とか「鐘堀井戸」と呼ばれています。
この池はどんな旱(ひでり)でも水が枯れたことがないと言われるほど、湧水が豊かです。
城の生活水を賄うために掘られたのではないかと考えられています。
                                                       現地案内板より。
 
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 観音堂
この観音堂は大安寺(岩井市)にあったものを町が譲り受け、移築・復元しました。
天正16年(1588)建立時の棟礼と弘化2年(1845)再興寺の棟礼が現存しています。
これにより、天正16年の上棟後、幕末に改造の手が加えられたことが判明しています。
しかし、木柄の大きな角柱の面取り、舟肘木などはいずれも天正期特有の様式を良く残していますので、非常に貴重な建築物として町指定の文化財となっています。
堂内は板敷で、天井は棹縁天井となっています。
                                                        (現地案内板より。)
 
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 関宿城門
関宿城の城門と言い伝えられるこの門は、本柱が門の中心線上から前方にずれている薬医門と呼ばれるものです。
関宿城は久世氏が城主を努めていましたが、明治2年の廃藩置県により久世氏は関宿知藩事となり、城も明治6年に大蔵省の所管となって廃城となりました。
その後、建物の一部は民間に払い下げられ、残りの建物は取り壊されてしまいました。
この時に払い下げされたものの1つがこの城門と伝えられ、町内の鶴見栄助氏宅にあったものを移築しています。
                                                       (現地案内板より。)
 
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 井楼矢倉
井楼矢倉は米を蒸す蒸籠(せいろう)と同じように、井形に組んだ方形材を次々と組み上げた矢倉です
井楼矢倉の役割は、
①.物見矢倉として敵の動勢を監視する。
②.味方全軍の動勢を把握する。
など、軍事的なものです。
このような矢倉の役割が発展・大規模化したものが近世城郭の天守閣で、城主の威厳を誇示した政治的役割が加味されています。
この井楼矢倉は戦国時代末期のものを復元したものです。
■間口・奥行とも2.73m ■高さ/11.86m
                                                        (現地案内板より。)
 
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 主 殿
この主殿は、茨城県牛堀町で発掘調査された大台城遺跡発掘の折出土した主殿遺構を参考に、復元されたものです。
大台城は1595年頃に築城されたもので、逆井城と同時代に存在していたものです。
構成は正面から見て右側半分が主室で、左側半分がその控室的な部屋となっています。
主室の三間に三間の部屋構成は「九間の間」と言われるもので、室町時代中期の主殿建築の特徴的なものです。
前面には枯山水庭園が広がっています。
■間口/11,46m ■奥行/5.73m ■高さ/6.85m
                                                                         (現地案内板より。)
 
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 二層櫓
この二層櫓は、戦国時代末期の時代背景を基に、外観二層の容姿をもつ戦国期の櫓を復元したものです。
近世の隅櫓ではない時代を感じる櫓として、6m四方の平面を持ち、入母屋の望楼(ほうろう)に下見板張り等の外壁によって当時の景観を再現しています。
■建築面積/64.39㎡ ■構造/木造 ■外壁/土壁・日本下見張り ■軒裏/杉板目
■屋根/木葺風銅板 ■床面積/82.2㎡ ■最高の高さ/10.592m ■最高の軒高さ/8.47m
                                                        (現地案内板より。)
 
 【逆井城の歴史
逆井城は、飯沼に臨む標高20mの台地先端にあり、城の北側は飯沼が洗い、西側は入江の蓮沼に接していました。
飯沼は江戸時代の新田開発により湖水はなくなりましたが、およそ幅1㎞・南北30㎞にわたり、その名残を残しています。
今から約410年前の戦国時代に、この飯沼が小田原の後北条氏と佐竹氏・結城氏・多賀谷氏らの領国の境目でした。
進行を続ける後北条氏は飯沼に築城をはじめ、天正5年(1557)10月、北条氏繁(玉縄城主)は、藤沢より城の建物をつくるため大鋸引の職人をよんでいます。
城主となった氏繁は、盛んに佐竹・下妻方面の動勢を報告していますが、翌天正6年(1558)にこの飯沼城中で没し、その後氏舜が城代となりました。
天正18年、豊臣秀吉は小田原城に後北条氏を滅し、この飯沼城も廃城となりました。
                                                        (現地案内板より。)
 
2008.10.19 登城
 
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城址碑。
 
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 櫓 門
本丸にある櫓門としては関東地方で唯一現存するものです。
階上に太鼓を置き、時を知らせていたことから、太鼓櫓とも呼ばれました。
明暦2年(1656)に改築されたと伝えられています。
                                    現地案内板より
 
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 土浦城 西櫓
由来
本建造物は、17世紀初頭元和6・7年頃城主西尾氏の時代に本丸土塁上に東西の櫓が建立されたとされ、西櫓はその一方の櫓である。
土浦城は、その後土屋氏の居城として明治の廃藩置県に至るまで幕藩政治における土浦の中心、象徴として存在していた。
土浦城内の建造物は、明治以降、本丸館を始め多くの建物が火災や移築、取り壊しにより失われ、昭和・戦後に至り、本丸には、太鼓櫓、霞門、西櫓を残すのみとなった。
そして、この西櫓も老朽化と昭和24年のキティ台風により、小破し、昭和25年に復元を前提として解体された。
その後復元を見ず今日に至り土塁上には礎石のみが残され、僅かに住時をしのばせるのに、過ぎなかったものを、市民の浄財をもとに復元したものである。
                                                       現地案内板より
 
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 土浦城の本丸
東櫓の西側の本丸には本丸館がありました。
本丸館は土浦藩の政治の中心として機能し利用されました。
廃藩置県後には新治県庁、新治郡役所として使われましたが、明治17年(1884)に火災で焼失しました。
本丸
本丸館と呼ばれる書院造りの建物は畳部分だけでも合計400畳ありました。
中央には会議や政務をとり行う広間が、西側には数寄屋造りの御居間や御寝間などがありました。
                                                        (現地案内板より。)
 
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内堀と東櫓。
 
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  本丸土塀
土浦城本丸の土塁上には、鉄砲狭間のついた塀がまわっていたことが江戸時代の絵図に描かれています。
当時の記録には、塀の高さなどに加え、大筒狭間や石落としなどが塀に付属したことも記されています。
また、近年の本丸土塁の発掘調査によって塀の基礎地業である砂利敷遺構が発見され、塀に葺かれていた瓦の形状なども判明しました。
また、櫓門の両袖の柱にはかつて塀が取り付いていた痕跡が残り、その遺構や塀の厚さなども判明しました。
こうした調査の成果により、土壁下地に漆喰仕上げの土塀を復元しました。
江戸時代の記録のとおり、塀の高さは東櫓脇の一部が七尺半、その他は七尺としました。
塀に付属する防御装置として東櫓の脇には石落とし、櫓門の脇には大筒狭間を設けました。
                                                        (現地案内板より。)
 
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二の丸跡。
 
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 土浦城 旧前川口門
この門は、親柱の背面に控柱を立て、屋根を架けた高麗門である。
高麗門は城郭の門として建てられた形式の一つで、この門も、武家屋敷であった多計郭と町屋の間を仕切る「前川口門」であったといわれている。
江戸時代末期の建築である。
明治18年(1885)に土浦戸長役場(のち町役場)の門として、さらに大正9年(1920)には田宿町(現大手町)の等覚寺山門として移され、その後、寺の寄贈を受けて、土浦城内の二の丸入口にあたる「二之門」のあったこの位置に、昭和56年(1981)移築されたものである。                          現地案内板より。
 
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 外 丸 
東櫓の東側、堀を挟んだ外丸には外丸御殿がありました。
江戸時代中ごろに建てられ、藩政の実務と、藩主とその家族の住まいに利用されました。
文久2年(1862)には大規模に改築されています。
廃藩置県後は裁判所として使われていましたが、明治38年(1905)に火災で焼失しました。
                                                       現地案内板より。
 
 【土浦城跡および櫓門
土浦城は、一名亀城ともよばれ、平城で、幾重にも巡らした壕を固めとする水城でもあった。
城は、城跡に指定されている本丸・二の丸を中心に、三の丸・外丸のほか、武家屋敷や町屋を含み、北門・南門・西門を結ぶ壕で囲む総構えの規模をもつものであった。
江戸時代の建物としては、本丸表門の櫓門・裏門の霞門、二の丸と外丸の間に移建された旧前川門(高麗門)があり、復元された建物としては、東櫓・西櫓がある。
戦国時代には、城主は若泉氏、信太氏、菅谷氏と変遷したが、織豊期には結城秀康の支配化に入った。
江戸時代の城主は松平(藤井)氏、西尾氏、朽木氏、土屋氏、松平(大河内)氏と変ったが、土屋政直が再び入城して、以降明治維新に至るまで土屋氏(9万5000石)の居城となった。
明治以降、本丸跡は土浦県庁、新治県庁、新治郡役所、自治会館などに利用されたが、現在は二の丸跡の一部とともに亀城公園となっている。                                  現地案内板より。
 
   
 
 
 
2008.10.18 登城
 
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空掘。
 
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城閣造りの展望台。
 
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北側から。
 
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中は資料室になっています。
 
 御城について
この御城は東北は久慈川の断崖に臨み、南は皆沢川を自然の壕とし西に険阻な高館山を控え防備の上からは無双の要害であります。
城は本城、中城、外城からなり周囲をすべて土塁と空壕を巡らし、城主は本城や中城、外城に重臣達、下級武士は南崖下の根古屋に嘆願等はこの橋の手前で役人に取り次いで貰うことになっていました。
さらに高館山頂にも土塁を構築し城砦を形成した跡が歴然としていますが、この古城は芳賀左衛門尉経高が築いたといわれています。
御城については誰がいつ築いたか文献の上で定かにすることは出来ませんが、応永中山方氏が入城したということになっています。                                           (現地案内板より)
 
 

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