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2008.10.12 登城
城址碑。
天守閣。
お堀と天守。
【土 蔵】
この土蔵は慶応3年(1867)、新築されたもので当時は御金蔵(ごきんぞう)として使用されたという。
明治9年(1876)の旧二の丸御殿(当時は筑摩県庁)火災に焼け残り、その後昭和59年(1984)10月解体修理を完了する。 (現地案内板より。)
【武者走】
天守一階の周囲1間通りは、内側の床より50cm低い。
これを入側または武者走と呼ぶ。
戦闘の時、武士が矢玉を持ってここを走りまわるのでその名がついたという。
武者走の外側の柱列をよくみると曲線を描いていることがわかる。
これは下の天守台石垣の天端の線が糸まき状曲線に仕上げてあるためである。
この影響は二階にも及んでいる。 (現地案内板より。)
【守護神二十六夜社勧請の謂れ】
天守六階、小屋梁の上に二十六夜社を勧請したのは、元和4(1618)年である。
其の年の正月、月令二十六夜の月が東の空に昇る頃二十六夜様が、天守番の藩士、川井八郎三郎の前に美婦となって現われ、神告があった。
「天守の梁の上に吾を奉祀して毎月二十六日には三石三斗三升三合三勺の餅を搗(つ)いて斎き、藩士全部にそれを分かち与えよ、さすれば御城は安泰に御勝手向きは豊なるぞ」。
翌朝このことを藩主に言上し、翌二月二十六日に社を勧請し、以来明治維新に至るまで其のお告げを実行してきた。
お陰で松本城天守は多くの危機をのり越えて無事今日に至っている。 (現地案内板より。)
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長野県の城
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