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静岡県の城

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2008.11.03 登城
 
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諏訪原城城主今福浄閑の墓塚。
 
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武家屋敷跡。
 
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大手郭跡。
 
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馬場跡。
 
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乾曲輪跡。
 
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三号堀。
 
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 二の丸跡
副将又は、それに準ずる武士の詰所である。
武器保管や他の城からの来城者の控所にもなる。
武士の屋敷もあった。
                                                        (現地案内板より。)
 
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本丸馬出口跡。
 
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本丸跡。
 
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天主台地跡。
 
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搦め手辺りの石垣。
 
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カンカン井戸。
 
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城址碑。
 
 諏訪原城跡
諏訪原城は天正元(1573)年武田勝頼の臣馬場美濃守氏勝を築城奉行として築かれた規模雄大な山城であり、当時の東海道武田領の最前線牧の原台地の東北角を占めた天然の要害であった。
 遺構は、本丸、二の丸、三の丸、大手郭、帯郭、西の丸、搦手、亀甲曲輪の八郭からなる特徴のある縄張りにより配置形態のうえから「扇城」とも呼ばれた。
自然堀と人工の大小堀が13本ありいずれも深くて急斜面を呈しているが石垣は用いられていない。
武田氏の守護神である諏訪明神を城内の一角に祭ったことから諏訪明神を城内の一角に祭ったことから諏訪原城と呼ばれるが、史料には城の変遷を示す牧野(原)城、金谷城、扇城という呼称が見られる。
                                                        (現地案内板より。)
 
2008.11.03 登城
 
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三日月堀。
 
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 十露盤堀
本丸を囲む重要な堀です
十露盤堀という名称の由来ははっきりしませんが、水がたまった部分がそろばんの箱のように見えることが、その由来と考えられます。
 
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二の丸御殿勝手台所井戸跡。
 
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 掛川城御殿
御殿は、儀式・公式対面などの藩の公的式典の場、藩政の中心となる諸役所と、城主の公邸が連結した建物です。
書院造と呼ばれる建築様式で、畳を敷きつめた多くの室が連なり、各室は襖によって仕切られています。
文久元年(1861)に再建されたものですが、現存する城郭内の御殿としては、京都二条城など全国でも数ヶ所にしかない貴重なものです。
明治2年(1869)の廃城後は、学校、市庁舎などに転用されましたが、昭和47年(1972)から昭和50年の3年間にわたって保存修理され、国の重要文化財に指定されました。
                                                        (現地案内板より。)
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御殿内部。
 
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 太鼓櫓
正保城絵図では、荒和布櫓(あらめやぐら)と呼ばれる見張りの櫓がありました。
今ある建物は、嘉永7年(1854)の大地震以後に建てられた太鼓櫓です。
時刻を知らせる太鼓を置いていた櫓で、何回かの移転の末、昭和30年(1955)に三の丸から移築されました。
                                                        (現地案内板より。)
 
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 霧吹き井戸
永禄12年(1569)徳川家康は、今川氏真の立てこもる掛川城を攻めました。
この時、井戸から立ち込めた霧が城をつつみ、家康軍の攻撃から城を守ったという伝説があります。
                                                        (現地案内板より。)
 
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 四足門
調査では、門の跡は見つかりませんでしたが、正保城絵図を元に復元されました。
門の内側には、入城者を調べる番所がありました。
本丸に通じる重要な門でした。
                                                 (現地案内板より。)
 
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天守台石垣。
 
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天守閣内部。
 
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天守閣。
 
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天守閣と太鼓櫓。
 
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大手門と番所。
 
 掛川城の歴史
掛川城は、文明年間(1469〜1486)頃今川氏の家臣が、掛川古城を築いたことに始まります。
永正10年(1513)頃に現在の位置に移り、今川氏の遠江支配の拠点となりました。
永禄12年(1569)徳川家康がここに立てこもった今川氏真を攻め、長期にわたる攻防の末、掛川城は開城しました。
家康の支配下に入った掛川城は、甲斐武田氏の侵攻を防ぐ拠点になりました。
天正18年(1590)豊臣秀吉は、天下統一を成し遂げ、脅威であった徳川家康の領地を関東に移しました。
さらに、家康の旧領地に秀吉配下の大名を配置し、掛川城には山内一豊が入りました。
一豊は、大規模な城域の拡張を行い近世城郭として整備し、この時初めて天守閣をつくりました。
その後、掛川城は、松平家・太田家など徳川譜代の大名11家26代の居城として、明治維新まで続きました。
                                                       (現地案内板より。)
 
2008.10.26 登城
 
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狼煙場にある物見台。
 
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 狼烟場について
この地は狼烟場と呼ばれ、昔より蒲原城の、東北方面を補強するための物見台、危急を知らせる狼火台が置かれたとされる伝承の地であります。
保健休養林整備事業の実施にあたり、この地に歴史的な背景を踏まえた物見台を築造しました。
この物見台に立つと蒲原城の全体が眼下に、遠く富士川河口から沼津、伊豆内浦方面、北は富士山麓一帯が展望でき、戦国時代に行われた戦の様子が容易に連想できます。
                                                        (現地案内板より。)
 
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蒲原城鳥瞰図。
 
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土塁。
 
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石垣。
 
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空掘。
 
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発掘調査出土品。
 
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 善福寺曲輪について
この場所(曲輪)は、善福寺曲輪と呼ばれ本城(本曲輪)を守るための最後の曲輪として築かれたとされ、戦国時代の永禄12年12月には駿河今川氏の要請でこの城を守るために相模後北条氏より派遣された北条新三郎と駿河侵攻をねらう甲州武田氏の武田勝頼との間ではげしい戦いがあったとされる場所であります。
 甲陽軍鑑より
蒲原町は、この蒲原城址を整備するにあたり昭和63年と平成元年の2年間にわたり発掘調査を行い、その結果より想定される物見台、掘切、逆茂木、木柵など築造し、遠い戦国時代の戦の様子が容易に連想されるように善福寺曲輪を再現いたしました。
                                                        (現地案内板より。)
 
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本郭南曲輪。
 
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本郭南曲輪からの眺望。
 
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本郭南曲輪に建つ城山八幡宮。
 
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北条新三郎を顕彰した碑。
 【北条新三郎氏信
北条幻庵の第2子、生年は不明であるが、没年は永禄12年12月(1569)。
兄三郎が若くして死んだためその遺領を継承す。
正室は公家西園寺公朝の娘。
1554年、今川義元・武田信玄・北条氏康らの三者同盟によって、この地方も小康状態を保っていた。
今川義元が桶狭間の戦いで戦死しすると今川氏の旧領は武田氏と北条氏が奪い合う状態になり、北条氏康から蒲原城の守備を命じられた新三郎は武田信玄との戦いに敗れ、戦死する。
生前、氏信によって建立され祐泉寺にて葬儀が行われ、埋葬された。
墓所は墓地入り口より正面北側にある。
戒名は三光院殿孝誉良玄大居士。
氏信には嫡男氏隆がいたが、北条氏滅亡後は当主氏直にしたがって高野山に入山、赦免後は讃岐生駒家に仕え、慶長14年(1600)に没した。
その後の子孫は不明。
 
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城址碑。
 
 蒲原城址
由来
蒲原城は、蒲原丘陵から孤立した城山層を要塞化した山城で、築城時期は室町時代の前期の頃か。
築城者は今川氏が駿河守護として入国した後、その一族によって築城したものと思われる。
文献上には特定の城主はなく、戦乱の折城代、城番が置かれた。
永享13年(1441)正月における牟禮但馬守範里、天文13年(1544)から同14年にかけての飯尾豊前守、永禄4年(1561)の佐竹又七郎、同雅楽助、永禄12年(1569)1月今川氏の盟友関東北条方の北条新三郎守城の折本郭を大改築したが、同年12月6日武田氏の攻撃にあい落城、蒲原城は武田方に移る。
その後、天正10年(1582)2月徳川勢による落城まで武田氏の治下にあって当地の土豪、地侍による「蒲原衆」を編成しこの地を治めたが、天正18年(1590)3月、小田原征伐の折徳川勢の着陣を最後に廃城となった。
現在小字名に残る城関係の地名には的場、狼烟場、橋台、陣出ヶ谷、根古屋、柵がある。
                                                        (現地案内板より。)
 
2008.10.25 登城
 
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浜松城縄張図。
 
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 浜松城の石垣 (野面積み)
浜松城の石垣は見るからに荒々しく、外観は粗雑で一見崩れやすいように思えますが、400年の風雪に耐え、いまなお当時の面影を残しています。
この石垣は野面積みといい、自然石を上下に組み合わせて積む方法で、慶長(1596〜1615)以前はこの方法が多く用いられました。
石の大きい面を内側にして長く押し込み(牛蒡積み)、その内側に小型の栗石を1〜1.5mほど詰め、さらに砂利を入れてあるので水はけもよく、水圧で崩れることがありません。
石垣表面の隙間には詰め石をし、外観は乱雑ですが、堅固に造られています。
浜松城は、特に天守台と天守門跡付近の石組が堅く、石も大きなものが使われています。
また、突角部には長方形の石材を小口と側面が交互になるように配した算木積み法を用いています。石垣の斜面は直線的で、57度〜78度の傾斜をしています。
石垣に用いた石材は珪岩と呼ばれる物がほとんどで、そのほか石灰岩、結晶片岩などが見られます。珪岩は浜名湖北岸の山々でみられ、現庄内地区の大草山や根本山、対岸の湖西市知波田付近で切り出され、佐鳴湖東岸まで船によって運ばれ、そして、浜松城まで運ばれたと推定されます。
この石垣がいつの時代に築かれたかについては正確な資料がないのでわかりませんが、二代城主堀尾吉晴の頃(1590年頃)と考えられています。
                                                 (現地案内板より。)
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 井 戸
この井戸は、銀明水と呼ばれていたという。
浜松城には、天守台に1つ、本丸に1つ、二の丸に3つ、作左曲輪に4つ、計10本の井戸があったという。
天守台の井戸は、再建の時に残し、今は天守閣の地下室にある。
直径1.3m、深さは現在1mほどになっており水はない。
                                                       現地案内板より。
 
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天守閣地下室の井戸。
 
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 本 丸
天守閣が城の象徴なら、本丸は城の本拠地である。
普通の城は天守閣を取り囲むように本丸が配置されているが、浜松城の場合は天守閣の東、約17m下につくられた。
周囲を石垣で囲み、南に正門である鉄門があった。
北には富士見櫓、南東の隅に二層の菱櫓を置いた。
本丸内の建物についてのくわしいことはわからない。
                                                       現地案内板より。
 
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 銅像撰文
徳川家康公は天文11年(1542)三河国岡崎城内に誕生した。
父は松平広忠、母に生別、駿府に少年時代を過ごしたが、岡崎に戻り独立の一歩を踏み出した。
元亀元年(1570)遠江国へ進出、浜松に築城し、ここを根拠として着々と地歩を固めた。
その間17年、武田信玄のために大敗を喫した三方原合戦、正室築山殿嫡男信康を一時に失うような家庭危機に遭遇したが、隠忍自重よくこれを克服し、東海を制圧、その領国は遠江・三河・駿河・甲斐・信濃の五カ国に及び、海道一の弓取りと武名を馳せるにいたった。
そして常にこれを支えたものは浜松の地の利と人心の和であった。
浜松より駿府へ、さらに江戸に移り、江戸幕府を開き、二百六十余年の泰平の基礎を固めたが、やがて駿府に退隠、元和2年(1616)薨じた。
乱世を生きぬいた努力と忍苦の75年であった。
像は浜松時代の若き日の公の姿。
手にしたのは勝草と呼ばれためでたい歯朶である。
                                                         石碑文章より。
 
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天守閣。
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 浜松城跡
浜松城は、徳川家康が遠州攻略の拠点として築いた城で、元亀元年(1570)6月に入城し、17年間在城した。
東西600m、南北650mの規模で、南の東海道に大手門が開き、東から西へ三の丸、二の丸、本丸、天守台と連なり、順次高さを増す。
ここは、その天守曲輪の跡である。
家康の後、城主は代々譜代の大名が勤め、在城中に老中まで栄進した人が多い。
中でも水野越前守忠邦の名はよく知られている。
石垣は、野面積みと呼ばれる堅固な作りで、古い石垣の特徴をよく残しており、浜松市の史跡に指定されている。
                                                      現地案内板より。

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