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2008.10.19 登城!?
とにかく、でかかった。
【地域交流センター】
常総市の旧石下町地区は、茨城県南西部にあり、東西に9㎞・南北に6㎞の長方形に近い地形で、東に小貝川、西に飯沼川があり、中央を北から南に流れる鬼怒川によって東西に分かれています。
はじめ石下は「イシケ」と呼ばれ、「イシ」は砂河原、「ケ」は作物・食物の意味があり、農耕に適した土地であったことが考えられます。 5世紀頃から「伊師毛」と記され、和銅6年(713)に「石毛」に変わり、江戸時代の寛永7年(1630)の検地により「石下」と改められました。
この地域交流センターは、別称を「豊田城」といいます。 平安時代末期から戦国時代までこの地方を支配した垣武平氏一族の豊田氏が、東部に流れる小貝川べりに城を築き、豊田城と呼ばれていたために命名されたものです。
当時は、このような天守閣(高さ48.5m)ではなく、カヤ葺きで小貝川の水を要塞としたものであろうと思われます。 地域交流センターは、1,100人収容のホール及び図書室(1・2階)と石下の歴史を紹介した展示室からなる施設として、平成4年に開館しました。 |
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