|
海外をテーマにしたブログというと、読み手を夢とロマンの世界に誘うものがほとんどだろう。 しかし、このブログは、観光情報を発信するものでもなければ、国際親善を目的とするものでもない。書き手である私自身が、ここイタリア・シチリア島で実体験した出来事をそのまま書いている、リアリティ・ブログだ。 心外にも、ここでの暮らしはバラ色とは程遠い厳しいものになってしまったため、内容もネオレアリズモ映画のようなものになってしまっている。 それゆえに、このブログを、ネガティヴな人間が書いている、シチリア・バッシングのものだと受け取る読み手もいるだろう。 だが、書き手の意図はそうではない。初めてこの島を訪れたときから、豊かな自然と、気さくな人々に魅せられ、「シチリア人の99.9%は、マフィアで極悪なんだぞ。」といったことを言うイタリア人には、シチリア人友人を例に挙げ、声を大にして「それは偏見だ。」と反論してきたのだ。 ところが、風光明媚で美しいこの島には、残念なことに、異なった価値観やメンタリティを持った人間を頑として受け入れず、複数の人間で攻撃してくるような人々がいる。もちろん、全員がそうだと言っているわけではない。 知人も、東洋人さえもいない地で、このような環境に裸一貫で飛び込むと、これまで築いてきた自分のアイデンティティを捨てて同化するか、袋叩きに遭うか、どちらかだ。異質なものを拒むと同時に、自身が変わることをも拒む彼らの姿勢ゆえに、この環境は個人の努力で解決できる範囲を超えているのだ。 こう書くと、「その環境で暮らすことはそんなに難しいのか?」と疑問に感じる読み手もいるだろうし、「周りと仲良くやっていくためには、同化するのが筋だ。」と考える読み手もいるだろう。 そういう読み手にとって、このブログは、あまり好ましくない、読みたくないものになるだろう。 それはそれで良い、と書き手である私自身は考えている。考え方、生き方は人それぞれ。よって、ブログも人それぞれ。読み手には、選択の自由があるのだから、趣味が合わないものは読まなければ良いのだ。 かつて、ボローニャ大学のギンズブルク教授が“ミクロ・ストーリア”なるものを提唱し、この新手法は、あっという間にイタリア歴史学界の主流となった。 ミクロ・ストーリアとは、一人の一般庶民を通して、その庶民が生きていた時代を考証しようとするもので、それまで一般的だった、王侯貴族や教皇を通しての研究とは一線を画す、画期的なものだった。と同時に、考証が難しい手法でもある。 このブログは、いわば原史料であり、読み手は、歴史家のようなものだ。ジャコミーナという一人の日本人が体験する出来事を通して、シチリア的なものを見出してほしい。 |
全体表示
[ リスト ]





