シチリア脱出計画

仕事&裁判対策のため、コメントへのお返事&更新が遅れがちになります。ゴメンなさい!!

シチリア人

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全5ページ

[1] [2] [3] [4] [5]

[ 次のページ ]

“母の愛”それぞれ

 日曜日の朝、出掛ける準備をしていると、元義母から電話がかかってきた。
 
 元夫の42回目の誕生日なので、昼食時にサプライズでプレゼントをして喜ばせたい。ついては、午後2時にユウキに“おめでとうコール”を入れさせよ
 
 午後2時は、ユウキは昼寝時間だ。愛息子を喜ばせたい気持ちは分からないでもないが、まだ幼いユウキの生活リズムを尊重すべきだ。そう告げると、それなら前後に時間をずらしても良いと彼女は言った。
 
 12時前に元夫に電話を入れると、彼はまだ寝ていた。ここ数日、母親の家(ということは、彼の自宅)の改修工事をやっているため、疲れてるのだと彼は言い訳した。
 
 改修工事という言葉を聞いてすぐにピンと来た。ユウキを迎える準備をしているのだ。
 
 シラクーサの女性心理学士は、クリスマスとイースター、そして夏季の15日間と誕生日に加えて、月1回のメリッリ滞在を裁判長に提案している。マリーリアの妹の子供も、これと同じ条件で父親と面会しているため、裁判長はこの通りに判決を下す可能性が高い。
 
 作業は元夫が独りでやるとしても、材料費はかかる。どの程度の改修工事か知れないが、それができる金があるなら養育費に回せと言いたい。
 
 元義妹のオルネッラは、ユウキの送迎用に大型の新車を買ったようだ。実際に金を出したのは彼女の夫だろうが、何千ユーロもするクルマを買う金があったら、兄に貸せと言いたい。
 
 彼らは、ことあるごとに「金がない。仕事がない。」と口にするが、皆ぷくぷくとよく肥えている。本当に経済苦なら、がりがりになっているはずだ。
 
 父親の養育費貧乏なる状況もあるそうだが、こちらは養育費欠乏貧乏だ。法律などあってないも同じ。父親の面会権は手厚く確保する一方で、母親の養育費請求権は放置。あってはならないことだが、L家が一丸となって、あの手この手で元夫を擁護しているのだから。。。これもひとえに“母の愛”ゆえなのだ。
 
 イタリアの母親は、息子が犯罪を犯しても必死でかばう。「あの子に限って。」「やむをえない理由があって。」等々。だから、日本のように、立てこもり事件の現場に母親が現れて犯人を説得するというようなことはまず起こらないだろう。息子をかばうことは、法律的には正しくなくとも、母親としては正しい行動なのだ。
 
 アルカポネの母親が、息子とその仲間たちの面倒を良く見ていたことは有名だ。彼らが何をしているかも知っていたが、警察に売ることなどせず、家に来れば温かく迎え、食事を振舞い続けていたのだ。これこそ伝統的なシチリアの母の姿だ。
 
 翻って、私は日本の母だ。だから、息子が過ちを犯せばきちんと償いをさせるつもりだ。やって良いことと悪いことの区別もきちんとつけさせたい。だから、抱きしめたりキスしたりとスキンシップをとる一方で、良くないことをしたりわがままを言ったりすれば、厳しく接するようにしている。
 
 ユウキにとって私は、よその母親よりも厳格だろう。実際、何かの折に私が怖いかどうかきいたところ、「うん、マンマ怖いよぉ〜。」と答えた。しかし、その後、「でも、マンマ大好き〜。」と言って抱きついてきた。いまのところ、飴と鞭の使い分けはうまく行っているようだ。
 
 さて、この日出かけたのは、モンデッロだ。家族サービスもしっかりやっておかなくては!
 
イメージ 1
 
モンデッロ広場前の漁港にて。すでにシーズンが始まっていてすごい人出だ。

にほんブログ村 海外生活ブログ イタリア情報へ
(ランキング参加中。いつもありがとうございます。下のリンクをクリックしてください!)
https://overseas.blogmura.com/italy/
 
 先日、借りられる家が見つかった。
 
 モンデッロ(正確には、パルタンナ・モンデッロ)のバカンス用アパートだ。バカンス用だから、6月中旬まで。しかし、期間限定だからブスタパーガは必要ないし、適当な家を見つけるまでの時間稼ぎにもなる。
 
 パッラヴィチーノの北側にあるため、いまのように中心街と郊外を一日2往復する必要がない。アンジェラの家でイタリア語の講師をするときは、パッラヴィチーノ在住のシニョーラが迎えに行って預かってくれることになったため、中心街に家がなくても問題はない。
 
 しかも、この家は広いのだ。キッチン、バス、寝室、ダイニングとサロンが一緒になった部屋があり、約60㎡。バカンス用だから家具や備品は全てそろっており、買う必要はない。家賃が400ユーロと半地下という点が少しひっかかるが、8ヶ月間という期間や以上の点を考慮すれば、借りても良い家だと思う。
 
 ところが、案の定、女性連合とダニエラが反対してきた。
 
 理由は、中心街から遠すぎるということ(実際には、中心街からバスで10分程度)だ。彼女ら曰く、私の家は職場(マリーリア宅と教室)や女性連合の事務所があるリベルタ通り地区近辺であることが望ましいと。
 
 しかし、ブスタパーガがなければ家を借りることは最早不可能に近いこと、中心街と郊外を2往復することの非効率性という点からすれば、モンデッロ地区でも問題はないと思う。子供の保育園の職員やママ友達などに話しても同様の考えだ。
 
 フェデリーカは、ブスタパーガがなくても家を貸してくれる人が一人くらいはいるだろうから、そのような人の賃貸告知を探すようにという。だが、これはあくまで確立と星回りの問題で、自分にそれが回ってくるかどうかは不確実だ。これというものが見つかったら、迷わず決断したほうがよい。実際、自分はこれまでこの考えでやってきた。
 
 先日借り損なった家の場合、最初に電話で対応した妻も、下見で対応した夫も、ブスタパーガなしでよいと言っていたにもかかわらず、その後意見を翻したのだ。同じようなことが起こらないという保証はない。もしも、見つけた家を蹴って、その後、同じような“逆転サヨナラ負け”の家に当たったら、我々親子はホームレスだ。
 
 以上のように彼女たちに話したが、彼女たちの意見は変わらず。自分のことを頑固だというが、彼女たちも頑固だ。そして、「世話してやっているんだから言うことを聞け。」的なところ(“シチリア的貸し借り”関係とでも言おうか。)がある。これらの気質は、シチリア人として生まれたからには一生背負って行くもので、残念ながら付ける薬がない。こういう人ばかりの環境に身を置くと、不愉快な思いをすることが多い。我慢するしかないのだが。
 
 ところで、施設に同居する女性たち、彼女たちもまた、別のシチリア的な気質、“盲目的服従”とでも言おうか、を持ってる。
 
 彼女たちは、女性連合の言葉ですぐに意見を変える。これはどうか、というようなことがありいぶかった顔をしていても、それを女性連合の職員が言ったといえば、即座にオーケーになるのだ。
 
 モンデッロのアパートについても、選択肢の範囲内であり、たとえダニエラが反対しても自分たちもその家を選ぶだろうと言っていたのが、女性連合が反対だと知ると、「女性連合の言うことなら間違いない。その家はやめるべきだ。」と意見を翻したのだ。
 
 盲目的に“女性連合万歳”、そして「何かあれば女性連合が助けてくれる。だから彼女たちに任せておこう。」という“女性連合依存症”なのだ。確かに、女性連合には援助をしてもらっている。特に、シニョーラPはホームレスにまで成り下がったところを助けられたため、強く感謝していることは承知だ。
 
 しかし、女性連合にもできることとできないことがあるし、判断を誤ることもあるだろう。第一、勤務時間以外は仕事をしないため、緊急であったり重要な案件があっても臨機応変に動いてもらえない。だから、他人にばかり頼らず、自分で動くことも必要だと自分は考えるのだが。。。
 
 この特定のもの(世話になったもの)を神のようにあがめ、完全服従する態度、“シチリア的御恩と奉公”とでも言おうか、は無知な階層に多いように感じる。ある程度のレベルの教育を受け、自分で物事を判断することができる人は、もう少し独立した態度をとるだろう。
 
 “シチリア的御恩と奉公”は、前述の“シチリア的貸し借り”と対になっている(同様)と考える。ここでの支配と服従の構図だ。これが、程度の差こそあれ、日常生活、個人間でもあるのだから厄介だ。
 
 そして、意見の異なる人間を集団で攻め立てること、これも然り。
 
 どうにかならないか、このシチリア気質、と思うのだが、これは数百年にわたってシチリアの歴史と風土が生み出したものだ。だから、たとえ太陽が西から昇るようなことがあっても、変えることはできないだろう。ここではこうなのだとやり過ごすしかないのだ。あぁ、シチリア人!

にほんブログ村 海外生活ブログ イタリア情報へ
(ランキング参加中。下のリンクをクリックしてください!)
https://overseas.blogmura.com/italy/

 

人間的な人々

 弁護士の怠慢が発端となったすったもんだ事件が解決することなく、この週明けには親権に関する審問が待ち構えている。
 
 UDIもダニエーラも、友人伝手で見つけた弁護士への変更に難色を示し、「私たちがうまくやってあげるから、あなたは黙ってみていなさい。」と言うのみ。黙ってシラクーサに行ってサインをしてしまうことも考えたが、ベネナーティから書類のコピーを入手できずにいたこと、そうこうしている間に2週間を切ってしまったこと等の問題で、今回もあきらめざるを得なかった。
 
 その間、ダニエーラは、ベネナーティ弁護士と連絡を取り、彼女の指示でシラクーサ側の代理人パッパラルド弁護士とも連絡を取ったようだ。その直後に彼女に会ったのだが、ベネナーティを “大嘘つき女” と非難し、非常に憤っていた。
 
 なんでも、その前にベネナーティと連絡を取ったときは、今回の審問で相手の出方を見てこちらの出方を決断しようというようなことを言っていたのが、今回で決着をつけようと言い出し、あちら側の条件を飲むような妥協案 を用意していたらしい。
 
 さらに、クリスマスのメリッリ滞在事件について、パッパラルドに確認したところ、裁判所から彼女の事務所に通知があったので、ベネナーティに転送したという。自分もこの件は知らされていなかったと主張していたベネナーティに問い詰めたところ、クリスマスはイタリア人にとって重要なので、あちらの意向を汲み取ってやった と言ったらしい。
 
 今回の件で、ベネナーティが、依頼者側ではなく相手側に肩入れしていることが明白になった格好だ。
 
 ダニエーラは、彼女が施設関係者(総裁のヨシズミ弁護士と責任者のダヴィデ)の友人であることが原因に違いないと言っている。
 
 それも少しはあるかもしれないが、私はむしろ、彼女が“同じイタリア人として”ジュゼッペに同情しているから ではないかと考えている。買収されていることも考えたが、L家にそのような金があるとは思えない。
 
 この時期、偶然にもミラノの法律関係者と接触する機会があったのだが、イタリア人は日本人以上に感情で動く部分があるので、イタリア人に有利になりやすいというようなことを言っていた。イタリア人は、日本人に比べると人間的だということだ。なるほど、この説明のほうが自然だ。
 
 “同情という感情で動く” といえば、ヨシズミ弁護士もそうだ。私たちが施設に入って間もなくのことだ。別居と親権請求の申し立てをしたばかりで、まだ審問の通知さえきていないにもかかわらず、あちら側の弁護士から施設に面会の要望があったので、夏休み明けに面会を開始すると言い出した。
 
 夫婦が性格の不一致で別居するというような場合は別として、泥酔及び暴力事件が元で避難してきたような場合、判事の裁定で初めて面会が許される、と私は理解している。施設滞在中となれば、なおさらしかるべきものが必要だろう。同日、某職員が同僚にこう話しているのが聞こえてきた。「私、ヨシズミに言ったのよ、何もあなたが判事をやる必要はないでしょうって。」と。
 
 この日、彼はこのようなことも言った。「夫婦喧嘩くらいで父親を奪われるなど、子供がかわいそうだ。」と。飲酒癖の末の暴力は夫婦喧嘩のうちらしい、彼的には。このような父親を持つことのほうがかわいそうだと個人的には思うのだが。
 
 “同情”が“共鳴”になる こともある。
 
 ある日のことだ。施設責任者ダヴィデに呼ばれて事務室へ行くと、ある日突然子供を奪われた父親の悲しみを訴え、さらに、私がメリッリに戻って別居するという選択肢を拒否していることを非難し始めた。色白で中肉中背、貴族的な物腰のダヴィデは、ジュゼッペとは外見も中身もまったくかけ離れている。しかし、このときの彼は、泥酔してくだを巻いているジュゼッペの生霊が乗り移ったかのように 見え、背筋が凍った。ダヴィデは心理学士ではなく、恐山のイタコかと思ったくらいだ。
 
 実は、こんな伏線がある。彼の妻は、ベルギー出身の外国人であり、愛娘は、ユウキが生まれた翌日に誕生している。自分のしたことを棚に上げ、父親の悲しみを強調して訴えるジュゼッペ(彼がよくとる行動だ。)に、「もしも自分の身に降りかかったら?」と 同じ立場の人間として共鳴した ことは大いに考えられる。
 
 念のために付け加えるが、ダヴィデは現地人の中ではかなりまともな部類に入る。物事を冷静に論理的に判断しようという姿勢を持っており、また外国人と結婚しているからだろう、他の現地人に比べると外に対して目が開けている。
 
 しかし、それでも、職務上ニュートラルでなければいけないにもかかわらず、私情で行動してしまう。彼も人間的な人々のひとりなのだ。
 
 今回のベネナーティの“謀反”で、さすがのダニエーラも懲りたのだろう、弁護士を変えようと言い出した。しかし、私が見つけた弁護士ではなく、彼女の夫の同僚か直接パッパラルドにすると決めているようだ。
 
 誰に変えるにしても、審問は週明けすぐ。動くにはもう遅い。最悪の結果にならないことを祈るしかすべがない。
 
にほんブログ村 海外生活ブログ イタリア情報へ
ランキング参加中。下のリンクをクリックしてください!
https://overseas.blogmura.com/italy/
 ブログで知り合いになったsawabonromaさんが、パレルモ市内で現地女性からレベルの低い意地悪をされたことを書いていた。(詳しくは、こちら。)彼女曰く、シチリアは粘着質な性格の女性が多いようだ、と。

 なるほど、L家の女性の場合、ぱっと見には“さっぱり&からり”だが、何かあるにつけ、過去に1度だけあったこと(しかも、些細なこと)を引っ張り出してきて、あれこれと文句をつけて来たものだ。しつこい、根に持つタイプで、sawabonromaさんの説に当てはまっている。

 さて、『アリスのゆりかご』にもいるのだ、このタイプが。

 田中康男似の顔と南イタリアの中高年女性の典型的な体型を持つ、32歳の院卒ドットレッサ

 このヤスコ職員、当初からだが、なにかにつけてケチをつけてくるのだ。本人が言うには、「エドゥカトーレとして、アドバイスしてあげているだけ。」なのだが、他の職員と違って、非常に細かい。重箱の隅をつつくようなことを言ってくる。

 さらに、話が長い のだ。4〜5歳児ではないのだから、一言言えば足りるものを、長々と説教してくる。本人としては、仕事熱心なつもりなのだろう。そう、この施設の仕事は“入所者を管理すること”なのだから。

 しかし、管理される側からすると、シチリア男の電話攻撃「いま、どこで、何をしているんだ?」以上にしつこく感じられ、正直な話、ストレスの元だ。この施設で生活するだけでもストレスが溜まってそれなりに苦労しているのだ。彼女のお説教に付き合っている暇などない。「はいはい、分かりました。」と言って立ち去るのが常。

 それでも、彼女は諦めない。追いかけて来て同じ言葉を繰り返す。ストレスは増加する一方だ。

 いつもは“柳に風”と流すのだが、精神のバランスが負に傾きかけているときは、押さえきれずに一言返してしまうことがある。

 最近、こんな事件があった。

 ユウキとヨシオ(ユウキよりも2か月半小さい子供)の離乳食(パスティーナ)を準備していたとき、パスティーナの茹で方で一揉めしたのだ。

 パスタ類の茹で加減は、火力、お湯の量、その日の気圧etcで変わってくるので、いつも味見して確認しているのだが、私が少し席を外したときに鍋を覗き込んだらしい彼女、何分前に茹で始めたのかと訊いてくる。自分は時計を見て調理しないので、何分前か分からない、味見したらどうかと答える。

 これに、料理の方法は一人一人ことなるのは当然だが、自分はパッケージに表示された時間どおりに料理するタイプなので、時間が分からないと困るetcと主張する彼女。そう言われても、分からないものは仕方ないのだが・・・。

 そこで、そんなに時間が大切なら、パスティーナを鍋に入れているときにキッチンに入ってきたのだから、そのときに時計を見ておけば良かったのでは。エキスパートを自認するなら、一介の母親を当てにせず、自ら作業をリードすべきだろう、とやり返す。

 これに逆ギレした彼女、子供の前で大声を出してはいけないと常日頃言っている彼女が、「そうよ、いつもあなたの言うことが正しいんでしょうよ!ふんっ!!」と声を張り上げて宣戦布告。「はいはい、そうですよ。」と返すこちら。・・・。

 その数日後のことだ。この日は彼女が先にパスティーナを茹で始めたのだが、キッチンに入った私に向かって、「あなたとは調理法が違うみたいだから、ヨシオの分だけ作ったわ。ユウキの分は自分で作りなさいよ。」と。

 ユウキの分を作るときは、ヨシオの分も作るようにと指示した同じ人間の言葉とは思えない。これは先日の一件の当て付けか、と思い、「お見事!あっぱれ!」と“賞賛”の言葉を贈る。これに乗って来る彼女。・・・。

 騒ぎを聞きつけてもう一人の職員がやって来るものの、前哨戦を知らない彼女は、自分の子供の分を後回しにされただけで怒ったと勘違いし、明らかにヤスコ職員側だ。

 施設への改善要望を出したときもそうだが、こういうときの職員たちの論調はいつも同じだ。「我々は専門家として君の力になってあげているのに、文句ばかり言ってどういうつもりだね?声を張り上げるなど、母親の態度として好ましくないね。」という模範者風のものだ。そして、過去に1度だけあったことを“いつも”という言葉を付けて持ち出してくる

 面倒なことは、施設のルールなり管理者としての立場を前面に出す(こじつけで自らを正当化)なりして鎮圧、といった感じだ。言葉をかえて言えば、親(常に正しい)と子供(過ちを犯すのでしつける必要アリ)の関係を押し付けてくるような。

 入所している子供たちにはこれで良いと思うが、大の大人に対してこの態度はいかがなものか。個人の尊厳がリスペクトされていないように感じるのは私だけだろうか。

 さて、ヤスコ職員の話に戻ると、入所したばかりの頃の私が早く施設を出たいと訴えていたのを持ち出し、「そんなにここが嫌なら出て行けばいいでしょう。誰も止めないわ。」と中学生の喧嘩のようなセリフ を投げかけてくる。

 これに、「裁判官の措置で入っているから出られない。あなた方が『入所者として態度が悪いので別の施設に移して欲しい。』と裁判官に訴えれば出られるでしょう。私の存在が迷惑なら、どうぞ訴えてください。」とやり返す。

 ヤスコ職員は、「そんなことしないわ。だって、あなたのことなんて鼻にも掛けていないから。」と大見得を切るが、私がいなくなったら家事をやる人間がいなくなって困るのが本当のところなのだろうと想像する。

 シチリアーナのしつこさはこれで終わらない。すぐさま責任者のダヴィデに電話をかけて“業務報告”した彼女、数日後に職員会議を開き、「ジャコミーナの態度が悪いので皆でおしおきしよう。」と提案したのだ。これも、いつもの成り行きだが。

 読者のみなさん、シチリアーナは怒らせると怖いですよ。さっぱりした性格に見えても、心の中でしっかりと温めていますから。気をつけましょう。

 蛇足だが、ヤスコ職員はヨシズミ弁護士の元彼女。シラクーサのNさん曰く、「ある意味、お似合いのカップルなのね。」。本当にそうだ。なぜ別れたのか謎だ。

にほんブログ村ランキングに参加中!!!
「この人タイヘンそうね〜。」と思ったら、応援クリックお願いしますね〜♪
にほんブログ村 海外生活ブログ イタリア情報へ(←この文字をクリック)
 この施設での生活も8ヶ月目。多くのイタリア人(大半が女性だが)と接し、彼女たちの素の姿を目にしていると、イタリア人と日本人の“感覚の違い”に気付くことがある。

 そのひとつが、モノに対する感覚 だ。例をひとつ挙げよう。

 施設には居間があり、子供たちは日中の大半をここで過ごしているのだが、10人の乳幼児が自由に遊んでいれば、部屋は大変な散らかりようになる。床中におもちゃや絵本が転がっていて、足の踏み場もないような。

 このような状態のとき、職員たちの行動を見てひどく驚いたことがある。床に落ちている絵本の上を歩いている のだ。もちろん、故意に踏んでいるわけではないが、自分が歩むべき途上に本が落ちていても、そこを避けたり本を拾い上げて移動したりといったことをしない のだ。

 また、子供たちが本を踏みつけても叱らない。叱るとすると、「本で足を滑らせて危険だからやめなさい。」だ。

 本というものは勉強道具であり、それを粗末にすると勉強ができなくなるから大切にするように、と両親や祖父母から厳しく言われて育った私には、到底出来ない行為だ。私とって、本の上を歩くなど、文字通り“踏み絵”のようなものなのだ。

 このような感覚は、日本人なら大抵持っているのではないだろうか。少なくとも、そのような人がいるということは理解できるだろう。

 一方、ここの職員たちは全員、心理学・教育学を専攻した大卒者であり、プロの教育係を自認している。子供たちへのしつけは大変厳しいもので、厳しさのあまり泣き出す子供が多い。その“模範的”である彼女たちのこの行動から推測するに、日本と比較すると、イタリアでは、本はさほど大切なものではないのかという印象を受ける。

 もちろん、本を破ること、落書きをすることはNGで、そのようなことをした子は叱られている。しかし、叱るときも日本のように“精神的”な観点からではなく、「この本を買うのにお金がかかったのよ。」という具合で、“物質的”なものなのだ。


 イチロー選手が渡米したばかりの頃、地元の少年たちを集めて野球教室を開いたニュースを見たことがある。

 車座になって話に聞き入っている少年たちに、「野球が上手になりたかったら、野球の道具をきちんとメンテナンスして大事にしなさい。道具を大事にしている人は、野球が上手です。」とイチロー選手は言っていた。いかにも彼らしいセリフだなと思ったものだ。日本の野球少年も同じように感じるだろう。

 しかし、この言葉の意味をアメリカの野球少年たちはどのくらい理解できたのだろうかと疑問に思わないでもない。私はアメリカに行ったことがないため、アメリカ人のモノに対する感覚は分からないが。どうなのだろう?

 思うに、モノに精神的なものを求めるのは日本人の特徴なのではないだろうか。いまや世界的なスポーツになっている柔道や空手。欧米では、“技”として捉えられているようだが、日本では“精神の修行”としても捉えられている。そう、“道”なのだ。

 違った観点から、例をもうひとつ挙げよう。

 施設の子供たちは、出された食事を全て食べることになっている。好きでない、お腹がいっぱいでも、全部食べるまで席を立たせてもらえない。昔の日本の学校給食のようなものだ。

 なかなか食べ終えない子供に向かって職員たちが投げかける言葉は、「早く全部食べなさい。そうしないと大きくならないから。」であり、「お金がかかっているんだから、残しちゃダメ。」だ。

 オルネッラ&ロゼッタ連合軍も、ブリオッシュをねだるセバスティアーノに「全部食べるなら開けるわよ。これを買うのにお金がかかっているんだから、残したらダメ!」と言っていた。

 また、冷蔵庫の中の悪くなりかけの食物を食べるように私に言った某職員は、「お金がかかっているんだから、捨てるのはもったいないわ。」と付け加えた。

 「食べないと大きくならないぞ。」は日本でもよく言うセリフで、私も子供の頃に言われたものだが、「お金がかかっている。」は言われた記憶があまりない。少なくとも、個人的な体験では。

 私が子供の頃、家族や先生方に言われたのは、「この食べ物を作るために、農家の人は大変な苦労をしたんだぞ。だから、ご飯は一粒残さず食べなさい。」だ。食物の中に、それを生産した人々への感謝とねぎらいを見る のだ。これも、モノに精神的なものを求めている一例ではないだろうか。

 日本人の感覚とイタリア人のそれ、どちらが優れているというような議論をするつもりはない。

 でも、日本人の持っている感覚って、心が豊かになりそうで、ちょっとイイと思いませんか(^_^)


にほんブログ村ランキングに参加中!!!
「この人タイヘンそうね〜。」と思ったら、応援クリックお願いしますね〜♪
にほんブログ村 海外生活ブログ イタリア情報へ(←この文字をクリック)

全5ページ

[1] [2] [3] [4] [5]

[ 次のページ ]


.
ジャコミーナ
ジャコミーナ
女性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!
話題の新商品が今だけもらえる!
ジュレームアミノ シュープリーム
プレゼントキャンペーン

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事