三河國の大相撲錦絵場所

相撲の錦絵はどのぐらいあるのだろうか

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 五代目は初代、四代目と並んで愛知県の出身で、現在の碧南市前浜の生れ。
前名志貴ノ海から清見潟又市となり年寄を兼務。明治6(1873)年4月場所入幕。幕内を25場所勤め、
最高位は前頭筆頭(1枚目)。
 出身地辺りは沼津藩の飛び地であったが、慶応4年5月藩主水野忠敬候が上総国菊間(現千葉県市原市菊間)に転封となり、旧碧海郡もそのまま菊間藩の飛び地になり、菊間藩のお抱えとして番付の頭書も引退するまで通した。
 化粧廻しのしるし紋は「角つなぎ」と云われ、菊間藩の藩紋。
引退後は歴代の清見潟同様、三河地方を軸に縄張りの維持、土地相撲の育成に努めた。

 一曜斎國輝画(二代國輝) 両国太平板 慶応3年4月印

 改印の慶応3年4月は4代目が引退の時期で、五代目は新の海といって幕下二段目に上がる頃。
先輩力士の板木を使ったものかもしれないが、いまだ墨線が同じ錦絵にお目にかかれないでいる。

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