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大矢田神社 もみじ谷


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美濃市大矢田神社のもみじ谷へ行ってみました。

 
 先週は板取の川浦渓谷の紅葉をアップしましたが、紅葉が今一鮮やかさに
欠けてたのですが、ここもやっぱり同じでした。

 まだ、青々したカエデあれば、茶色になって枯れてしまった葉も多くあって、
丁度の色合いの木々が少なかったように思います。



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 大矢田神社は、社号を牛頭天王社と称していた時代と、近世には禅定寺と言って、
寺の名前で総称していた時代があるようで、大矢田神社の名は、明治時代になって
からのようです。  


 
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 この神社は、弘治2年(1556年)に戦乱で焼失しているので、現在の社殿等
はそれ以後のものなので、本殿は、寛文二年に再建されたものと言われています。
 
   
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 大矢田神社の本殿の屋根には特徴があって、中央に唐破風を配し、その上に千鳥破風
を配した切妻屋根の檜皮葺となっています。

 これだけ凝った屋根の社殿は、この辺りではあまり見かけません!

 この地域は、江戸時代以前、小倉山に金森長親が城を構える以前には、「美濃和紙」の市場
が立ち、この周辺の経済の中心地として栄えた歴史があったと考えられるため、これだけ
立派な本殿や楼門が立ち並んだのではと考えます。

 

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 本殿屋根に配された彫刻、とっても豪華ですね!



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▲「ひんここ祭り」に使う人形
 竹ひごで作った枠に美濃和紙を貼り、山柿の渋を何度塗って作ったもの)



  11月23日 には 「ひんここ祭り」 があります。

 このまつりは、農民が大蛇に悩まされているところを、素戔嗚尊がその大蛇を退治
するというもので、それを、人形を使って演じるのが珍しく、国選択無形民俗文化財に
指定されています。

 「ひんここ」の意味は、はっきり解りませんが、おもしろい名前ですね。。


場 所 岐阜県美濃市大矢田
    

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金神社

                              

金神社


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 名前のとおり、金色の鳥居がとても印象的な神社で、岐阜市街のほぼ中央
にあって、とても目立つところに鎮座しています。

 JR岐阜駅から500メートルぐらいなので、駅から徒歩でも大丈夫ですね。



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ご祭神
・主祭神・・金大神(こがねのおおかみ)
 ・渟熨斗姫命(ぬのしひめのみこと)
 ・五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)
 ・市隼雄命(いちはやおのみこと)
 ・日葉酢姫命(ひばすひめのみこと)
 

 一説には、渟熨斗姫命のことを金大神と称したり、渟熨斗姫命以下4柱の総称が金大神であるとも言われているようで、真意ははっきりしていないとか。

 ちなみに、渟熨斗姫命は景行天皇の第6皇女で、五十瓊敷入彦命の妃、市隼雄命は両命の間の子とされています。


 景行天皇の皇女をお祀りしているということは、古事記の世界に遡るので、随分古い時代からある神社なのですね。



市内にある伊奈波神社に伝わる縁起によると、五十瓊敷入彦命は、朝廷の命を受けて奥州を平定をして都へ帰る途中、その功績を妬んだ、陸奥守豊益が、先回りして都で、「五十瓊敷入彦命が、御門の命を狙っている」と吹聴したため、朝敵と目され、この地で討滅されてしまった。 夫の死を悲しんだ妃の渟熨斗姫命は、夫を慕ってこの美濃の国に来て夫の霊を慰め、生涯をこの地で終わらせたとあります。

 妻が夫を思う気持ちがさぞ強かったのですね。


 境内の東の端には、五十瓊敷入彦命を祀る 古墳「賀夫良城」 (かぶらぎ)があります。



 
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 鮮やかな朱色に塗られた拝殿はとても綺麗!

 平成16年に社殿や外壁の塗り替え工事をしているとのことで、真新しい社殿の印象
でした。

   
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 境内の一角には「さざれ石」もありました。



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 本殿の拝殿右には、お稲荷さんがあります。正式名が 「金祥稲荷神社」 、ここでも、「金」が付きます。
 
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 私は特に朱印には興味はないのですが、連れ添いが最近「朱印帳」を購入して、
一緒に出掛けた時には、こんな感じでいただいてきます。

 金神社では、金曜日に参拝して朱印をいただくと、金色文字でもらえるそうですよ。

 


場 所 岐阜市金町5-3
    

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高賀神社 秋祭り

                              

高賀神社 秋祭り



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 11月に入って、気温もやっと秋らしくなった感じですが、

今年も、紅葉が今一良くないですね! 

いつもなら、鮮やかな紅や黄色に色づいた木々が迎えてくれるのですが、

ちょっと残念でした。


 ここ何年かは、年、高賀神社秋祭りの神事に参加させてもらって
いますが、今年も一年無事で来れたことを感謝しつつ参拝を済ませ
ました。


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 恒例の宮入行列、大鳥居から出発して「祀り場」の鳥居を抜けて

本殿へと向かいます。


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 晩秋の青空のもと、笛と太鼓のお囃子と、法螺貝の音が高賀の郷
に響きます!!

 

   
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来年の秋祭りは、四年に一度の 「神幸祭」 です。

 室町期に造られたとされるお神輿が出て、祀り場では巫女踊りが
奉納されます。

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 境内に入り、正面右にある社が本殿、江戸時代までは 「虚空蔵堂」
呼ばれていました。
 
 名前のとおり虚空蔵菩薩を本尊としてお祀りしてたいいめで、明治の
神仏分離で虚空蔵菩薩の名がとれ、それと同時に、境内にあった''' 「西高賀山
蓮華峰寺」 '''も解体されてしまった歴史があります。



 左にあるもうひとつの大きな社殿は「若宮八幡社」。

 この八幡様は、高賀の郷には 魔物退治伝説 がありますが、その 魔物封 じの
ために、この社に退治した「魔物」を手厚くお祀りし、一緒に八幡神をお祀り
することで、その魔物を封じているのです。



 ちなみに、蓮華峯寺には、胎蔵界対日如来坐像と、十一面観音像が祀られ
ていて、白山信仰と、密教の混在した歴史を刻むのでした。

 その名残を感じさせる仏像等の多くが、本殿横にある「宝物殿」に収蔵さ
れています。

   
 
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場 所 岐阜県関市洞戸高賀 
    

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岐阜公園 三重搭 

                               

岐阜公園 三重塔


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金華山の麓の岐阜公園には三重塔があります。

 知らない人も以外と多いのでは? 

 私としては、何でここに三重塔があるの? いう疑問がずうっとありました。

 正式には「岐阜公園三重塔」という名称で、この塔は、大正天皇の即位を祝う、
御大典記念事業として企画され、市民から寄付を募り、それも、旧長良橋の古材
を利用して、大正6年に岐阜市が建立したものなのだそうです。・・・知りません
でした。
 
  築100年を祈念して、平成29年に大改修工事を完了 しています。

 


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大正天皇と岐阜市とが、何か特別な繋がりがあったのかどうか、その辺り
は解りませんが、天皇即位祝いや御来所祈念として、記念樹を植える自治体
や団体はどこでもありますが、三重塔を建立するまでの自治体は無いのでは? 
と思ってしまいます。
 
塔の考案は、 伊東忠太氏 で、この人は、日本建築史学の創始者と言われ、明治神宮を設計し、建築界で初めて 文化勲章 を受章した超有名人なんですね。


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 場所の選定は、岐阜市にゆかりのある日本画家の 川合玉堂氏
 塔は平成17年2月に国の登録有形文化財に登録されています。





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▲岐阜公園内


 三重塔の直ぐ東隣には、織田信長の館跡の発掘現場あり、金華山の麓には、
相当な規模の御殿が立ち並んでいたようです!!

信長の御殿も、名古屋城の本丸御殿のように、木造で復元されると良いですね!


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場 所 :岐阜市 岐阜公園内







 


 

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手力雄神社

                                

手力雄神社


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 各務原市那加にある 「手力雄神社」 です。
 

 ご祭神は  手力雄神(てぢからおのかみ)

 天照大神が天の岩屋戸に隠れていたとき、岩屋戸を開けて引き出したと言われる、力が強いことで有名な手力雄神を主祭神としています。



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創建不詳

 社伝によれば、5世紀末期ごろ、今の各務原市那加地区を支配していた豪族により、山の中腹に磐座祭祀として神様を祭ったのが始まりと言われていますが、美濃國神明帳には、真幣明神(みてぐらみょうじん)のご神名が見られ、お祀りされていたご祭神がそれと見られています。

 主祭神手力雄神は、古くは佐良木郷八ヶ村の山中に祀られていたとされ、後に現社地に奉還され佐良木郷の産土神として崇敬されたと伝わっています。


 672年、壬申の乱で功績のあった村国男依が各務を領地として与えられ各務・鵜沼地区を支配したのち、各牟氏がこの地域を支配することとなります。




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戦国時代、永禄10年(1567年)織田信長公が岐阜城攻略のおり当社に戦勝祈願をし、祈願成就の後、各務野原近里1300町歩を社領に付したと言われていて、信長により篤く保護されることとなります。

 それで神紋が、織田家家紋の 木瓜 になっています!  


 

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 本殿軒下の左右に配された寄木造り 「龍」 の彫刻ですが、

 今にも飛び出してきそうな勢いですね。





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本殿裏の境内には、東西に一基づつ古墳があります。

 これは西側の古墳で、石室の中には小さな祠がお祀りされていました。


 随分古い歴史のある神社なのですね!!
 
 


場 所 :岐阜県各務原市那加手力町4



 

 

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