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岐阜公園 三重搭 

                               

岐阜公園 三重塔


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金華山の麓の岐阜公園には三重塔があります。

 知らない人も以外と多いのでは? 

 私としては、何でここに三重塔があるの? いう疑問がずうっとありました。

 正式には「岐阜公園三重塔」という名称で、この塔は、大正天皇の即位を祝う、
御大典記念事業として企画され、市民から寄付を募り、それも、旧長良橋の古材
を利用して、大正6年に岐阜市が建立したものなのだそうです。・・・知りません
でした。
 
  築100年を祈念して、平成29年に大改修工事を完了 しています。

 


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大正天皇と岐阜市とが、何か特別な繋がりがあったのかどうか、その辺り
は解りませんが、天皇即位祝いや御来所祈念として、記念樹を植える自治体
や団体はどこでもありますが、三重塔を建立するまでの自治体は無いのでは? 
と思ってしまいます。
 
塔の考案は、 伊東忠太氏 で、この人は、日本建築史学の創始者と言われ、明治神宮を設計し、建築界で初めて 文化勲章 を受章した超有名人なんですね。


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 場所の選定は、岐阜市にゆかりのある日本画家の 川合玉堂氏
 塔は平成17年2月に国の登録有形文化財に登録されています。





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▲岐阜公園内


 三重塔の直ぐ東隣には、織田信長の館跡の発掘現場あり、金華山の麓には、
相当な規模の御殿が立ち並んでいたようです!!

信長の御殿も、名古屋城の本丸御殿のように、木造で復元されると良いですね!


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場 所 :岐阜市 岐阜公園内







 


 

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手力雄神社

                                

手力雄神社


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 各務原市那加にある 「手力雄神社」 です。
 

 ご祭神は  手力雄神(てぢからおのかみ)

 天照大神が天の岩屋戸に隠れていたとき、岩屋戸を開けて引き出したと言われる、力が強いことで有名な手力雄神を主祭神としています。



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創建不詳

 社伝によれば、5世紀末期ごろ、今の各務原市那加地区を支配していた豪族により、山の中腹に磐座祭祀として神様を祭ったのが始まりと言われていますが、美濃國神明帳には、真幣明神(みてぐらみょうじん)のご神名が見られ、お祀りされていたご祭神がそれと見られています。

 主祭神手力雄神は、古くは佐良木郷八ヶ村の山中に祀られていたとされ、後に現社地に奉還され佐良木郷の産土神として崇敬されたと伝わっています。


 672年、壬申の乱で功績のあった村国男依が各務を領地として与えられ各務・鵜沼地区を支配したのち、各牟氏がこの地域を支配することとなります。




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戦国時代、永禄10年(1567年)織田信長公が岐阜城攻略のおり当社に戦勝祈願をし、祈願成就の後、各務野原近里1300町歩を社領に付したと言われていて、信長により篤く保護されることとなります。

 それで神紋が、織田家家紋の 木瓜 になっています!  


 

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 本殿軒下の左右に配された寄木造り 「龍」 の彫刻ですが、

 今にも飛び出してきそうな勢いですね。





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本殿裏の境内には、東西に一基づつ古墳があります。

 これは西側の古墳で、石室の中には小さな祠がお祀りされていました。


 随分古い歴史のある神社なのですね!!
 
 


場 所 :岐阜県各務原市那加手力町4



 

 

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神宮山慈明院の花祭り


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 花祭りと言えば、お釈迦様の誕生を祝う日で、通常4月8日なのですが、
毎年月遅れの5月の初旬に行われる天台宗の寺、神宮山慈明院の「花祭り」
に行ってきました。

 午前中におじゃましたのですが、本堂内ではまだ準備の最中で、和尚様
に尋ねたところ、昼食を皆さんにふるまった後の、午後からが本番とのこと、
地元の子どもたちが沢山参加して、なかなかの賑わいと聞きました。

 
 お寺の方から、ちょっと早めの昼食を勧められ、花祭りを見て行ってほしい
と言われてしまいとっても嬉しかったのですが、午後からの予定があったので
、丁寧にお断りをして、お参りをして帰ってきました。

 
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▲ご本尊の釈迦如来坐像 

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 参拝の時、この小さなお釈迦様の像に甘茶をかけます。、

 私も子供の頃、近くの寺院で、花祭りの日には水筒ややかんを持って参拝に
行き、その帰りに甘茶をいただいてきた記憶があります。

 お釈迦様の廻りには、お供えのお菓子がいっぱい!

 午後から始まる花祭りの後に、子供たちに振舞われるものなのでしょうね。

  
       
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 「白いゾウは?」と和尚様に聞くと、お釈迦様のお母さんが、お釈迦様をおなかに
宿す前に、夢で、白いゾウがお母さんの体に入ってくる夢を見て、その後、お釈迦様
をおなかに宿したとの言い伝えから、白いゾウは、花祭りには欠かせない重要なもの
なのだそうです。  ・・・知りませんでした。



慈明院の聖観音立像


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▲聖観音立像 

 慈明院に来た目的は、「花祭り」ともう一つは、以前にもアップしたのですが、
洞戸高賀神社にあった、平安後期の作と言われている聖観音立像が、ここ慈明院
本堂にお祀りされているので、その参拝に来てみたいとの思いもあってのことで
した。

  
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 よく見ると、頭の上には鳥居が付いています。
 神仏習合を解りやすく現したものだと思いますが、他にあまり例のない観音像
ですね。

 高賀神社の宝物殿にある平安期の仏像群は、廃仏運動の影響をもろに受けて、
殆どの仏像が破損しているのですが、ここ慈明院に安置してある聖観音立像だ
けは、往時の姿をそのまま残していて、とても貴重なものだと思います。

 

慈明院寺伝

 伊自良村の王沢にあった観音堂が焼失し、そこに祀られていた、聖徳太子作
との言い伝えのある子安観音も焼失。
その観音堂を再建するために、慈明院の二十世会海和尚が西高賀山蓮華峰寺で
祀られていた「聖観音立像」を譲り受けて、慈明院境内で再建(寛保元年 1741)
した。


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 毎年8月18日は、聖観音さまのお祭りの日なのだそうで、その日にはまた
参拝に来たいと思っています。



          
場 所:岐阜県山県市西深瀬

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名古屋城 本丸御殿

名古屋城本丸御殿


                                   
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 名古屋城の 本丸御殿 です。

 名古屋城へ行くのは、小学校の遠足以来何十年ぶり!

 学生時代は名古屋で過ごしたのですが、一度も足を向けていませんでした。

 
 私の中には、「鉄筋コンクリート造りの復興天守」と言う思いが強く、城好き
と言いながらも、何となく興味が湧かなかったのです。



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 平成になって復元された「本丸御殿」、当時の設計図等、絵図のもとや写真が
数多く残っていたものを基に、忠実に復元されたものだそうです。


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 障壁の見事なこと!!  

 日本人が何故か好きな「虎」、そして「松」、「桜」なんかを題材とした画が見事
なまでに描かれています。


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 この時代、電気が無いので、夜や日の短い冬、雨の日など、陽射しの無い日は、
御殿の中は蝋燭の灯かりだけなんですね。 

 薄暗い中、虎や松の画が、金箔の下地の中で浮き上がって見えてたのかなと想像
してしまいました。


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 二の丸の中にある 「二の丸茶亭」 で抹茶をいただきなら一休み。

 窓からの眺めは、新緑が眩しいくらい綺麗でした。

 
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 途中に出くわした あの 「おもてなし武将隊」

 この後、写真撮りタイムだったようなのですが、武将隊の面々と一緒に
写真を、というお客さんの列が続いてました。



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 久しぶりの名古屋城でしたが、日本の建築文化や、障壁画なんかの芸術
文化の良さに浸ることができました。

          
場 所:名古屋市中区本丸1-1

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春祭り 矢作神社


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 いつもなら、桜の蕾がまだ固いころに、洞戸菅谷地区にある矢作神社
の祭礼が行われるのですが、もうすっかり桜も散り、葉桜になりかけて
います。

 こんな年は珍しいですね!

 本殿には、向って左に矢作大明神(シナトベノミコ、シナツヒコノミコ)、右
には天神様がお祀りされています。

 本殿の登り階段の両脇には、厄年の人たちによる餅まき用の餅やお菓子が
奉納され、並べられていて、お祭りの最後に餅まきの行事が行われます。



 高賀神社の魔物退治伝説では、魔物退治をしたとされる、藤原高光公が、
この矢作の郷で矢柄を採り、多くの矢をこしらえ、高賀の郷へ向かったと
言い伝えられています。

 高賀神社と矢作神社は、魔物退治で繋がりがあるのですが、矢を砥ぐため
に使った、良質の砥石も多く産出したの土地柄でもあります。





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矢作神社の春祭りには、昔からの伝統として、地元の子供たちによる巫女踊りが
奉納されます。

 最近は、少子化の影響で、中学生の女子四人を確保することが大変になっていて、
三年後には、今の四人での奉納は難しくなりそう。 
 二人での奉納でもいいのですが、将来的には、巫女さんのOB隊でも編成して、
年齢不問なんてこともにもなりそう!!

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 拝殿は、春祭り直前に改修工事が完成し、屋根瓦の葺き替えや土台の修理、柱の
磨き等で新築同様になりました。

 
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 小さな自治会で、これだけの神社を維持していくのはなかなか大変ですね。

 昔の人たちの信仰心の篤さに感心してしまいます。

 
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 桜が終わった後、境内にはシャクナゲが咲き始めていました。

 今年から三年間、氏子総代の役が回ってきました。
初めて祭りを取り仕切ったのですがなかなか大変でした。

・・こうやって次世代に引き継いでいくのですね!


 
場所: 岐阜県関市洞戸下菅谷地区
            

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