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これは、2006年8月29日に、AOLのBlogに転載したものです。
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昨日、Blookbuserに行ったら、4本20ドルコーナーに良い映画が沢山あったので、まとめて買ってきた。North Cuontryはその中の1本。公開時に見ようと思って見れなかったので、楽しみにしていた作品でもある。
この映画は、セクシャルハラスメントのクラスアクション(集団訴訟)第1号になったケースの実話を基にしている。
ストーリーは簡単明瞭。セクハラに耐えていたシングルマザーが、一人で訴訟を起こし、その熱意が、同僚の女性をも動かし、最後には勝訴するという話。このケース以後、多くの会社で、セクハラに関する規定が作られるようになったと言われている。
皮肉なことは、最高裁の決定で、女性も過酷な鉄鉱夫としての雇用機会を与えられなければならないという決定が、鉄鉱の街をこの裁判に巻き込んでいく。
ジョシーは二人の子を持つシングルマザーで、家族を養うために重労働の鉄鉱夫となる。そこには、何人かの女性鉄鉱夫がいるが、男性からのセクハラに耐えながらも、生活のために働いている。
たまりかねたジョシーは、最初に優しい言葉をかけてくれた会社幹部に直訴する。しかし、退職するか、態度を改めるように忠告される。それ以後、ジョシーへの風当たりはひどくなる一方となり、ジョシーは訴訟に踏み切る。
会社側は、ジョシーがふしだらな女である事を示すために、高校の先生からレイプ事件を彼女からの誘惑にすりり替えようと証人を立て、虚偽の証言をさせる。ジョシーにとって、家族にさえ隠していた秘密がまったく逆の意味として公にされるという苦しみも味あう。しかし、弁護士の活躍により証言が嘘であることが明らかになり、共に働いていた女性の心を動かし、集団訴訟へ発展していく。
この映画を見て、女性への差別を描いた作品と取るのが自然だと思う。しかし、アメリカに内在する構造的な問題を描いているのではないかとも感じる。つまり、「正義」=「力」という構造である。勝った者が正義だということ。そのために多くの無用な競争があり、衝突が存在するのでは無いかと思う。
力を持った側が立場の弱い側を抑圧するという構造は、アメリカの歴史に多くあるように思う(世界にも多く存在する)。黒人、アジア系への差別は、その代表ともいえる。 この鉄鉱所においても、力をもった側(男性)が、セクハラという形で、弱い立場(女性)を抑圧もしくは支配しようとしたのではないかと思う。力を持つと言うことは、自尊心を満足さる事でもある。言い換えれば、力を持つ側の自己満足、自己顕示欲のために、弱い立場が虐げられるという構造ともいえるかもしれない。
逆に、、肉体労働者である鉄鉱夫達も、自尊心を満足させる何かが必要だったともいえるとも思う。別に、肉体労働を蔑すんでいるわけではないが、肉体労働していた経験からすると、そいうい感情は解らない訳ではない。
同じ鉄鉱所で働くジョシーの父は、組合の総会でこう述べる。「自分はレンジャーとして一生この鉄鉱所で働いてきた。たった今まで、それを恥じたことは無い。しかし、自分の娘に対して、聞くに堪えない言葉や、落書きを見る事には耐えられない。そんなことをして何かが変わったのか? この部屋に俺の友人はもういないかもしれない。でも、俺はこの娘は恥じたりはしない」
胸が詰まる言葉だった。この言葉には、力からくる正義ではなく、人間の尊厳や信念からくる正義を感じた。自分の信じるものから来る言葉は強いし、人を引き付けると感じる。
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先日、久しぶりに見て、感想が変化しているのに気づいた。
初めて見た当時は、アメリカに対してネガティブな気持ちがつよかったように思う。
以下は、先日見たときの感想です。
この映画は、人の尊厳(あるいはプライド)とは、その人の置かれた環境によって違いでてきて、その環境の変化が争いをつくってしまったことを描いているように思います。アメリカの最高裁の判決で、雇用の男女平等というのが決められ、男の職場だった鉱山のレンジャーの仕事にも女性が進出することができました。
他意はありませんが、やはり肉体労働は、ホワイトカラーの仕事についているひとよりは、自分のプライドを持ちづらいはずです。しかし、レンジャー達は、その環境の中で、自分の尊厳を保とうとしていたはずです。それは、やはり強さ、逞しさという事に根ざしてしまったのかもしれません。そのため、女性が進出してきたとき、その強さをもって、自分のプライドをみたすべく、格差を作り、それが争いへと発展したように思います。
この映画は、セクシャル・ハラスメント第1号のクラスアクション訴訟を元にした映画です。もちろん、セクシャル・ハラスメントは罰せられるべきでしょう。しかし、この争いによって起こった不幸を通して、何が争いを作っていくのかを考え、それを事実として受けいれないと、争いが絶えないという歴史を繰り返すだけのように思います。
Nohohon
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