ふわふわブックス

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昔のBlogからの転載です。

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たぶんファインマン博士を知らない人はがほとんどだと思う。ファインマン博士は、アメリカの物理学者者で、朝永振一郎博士と共にノーベル物理学賞を受賞している。
この前本屋に行ったら、そのファインマン博士の書簡集が出ていたので、購入し読み始めている。その中に、ファインマン博士のCalTech時代の教え子のMano Koichi博士に宛てた手紙がある。残念ながらMano博士については何も知らないが、心に染みる手紙だったので、紹介したい。

Mano博士は、研究テーマや、自分が無名な事に不満だったようで、それに対してのファインマン博士からの返信が本に掲載されていた。
「価値のある研究テーマとは、あなたが解くことができる、解明の手助けができる、もしくは、何か(誰か)に貢献できるものである。科学の世界で研究テーマとは、私達の前に未解決のままになっている大地のようなものであり、私達が解決に向けて前進させる事のできる幾つかのアイデアをもっている事である。
私はあなあにアドバイスしたい、あなたが本当に解くことのできるようになシンプルなテーマにしなさい。そうすれば、成功した喜び、誰かの手助けになった喜びを得るでしょう。あなたは価値のあるテーマに対して間違った考え方をしているから、その喜びをあなたは知らないのかもしれない。」

その後、Mano博士と同時期にファインマン博士の生徒だった人の話に移る。
「私は、Albert君の、(海面上で風がどのように吹くのか)というテーマを許可した。何故なら、彼が解明したいテーマを私に持ち込んだから。
しかし、私はあなたには間違いを犯した。つまり、私はあなたに解きたい問題を見つけさせるのではなく、テーマを与えてしまった。そして 私は、何が研究するのに重要かという考え方において、あなたに間違った事をさせたままにしていた。この場で、あなたに謝ることを許していただきたい。そして、この手紙が、私の過ちを修正してくれることを望んでいる。」

ファインマン博士も、自分が如何に沢山の取るに足りないように思えるな問題に取り組んだかを書く(Mano博士は、自分のテーマがそうだと思っていたようだ)。
しかし、彼はそれらを楽しんでやったと告げ、最後に彼の経験から、「どんな問題も真剣に取り組んだら、簡単に解決できるものは無い」ということを書いている。

最後に、「あなたは、無名だと言う。しかし、あなたの妻や子供には無名ではない。あなたは、私にも無名ではない。あなた自身を無名だと考え過ぎてはいけない。それは、非常に悲しいことだ。あなたの今置かれている立場を知り、公平に評価しなさいい。決して、あなたの若い時代のNaive Idea(野心?)や、あなたの師(ファインマン博士)の間違った考え方から、現在を評価してはいけない。」

−−−−−
ファインマン博士は、優秀な科学者であっただけでなく、一人の人間としても、尊敬できる人だと思う。しかし、ある意味、この手紙は非常に厳しいものでもある。何故なら、自分のしたいことを見つける事は、本当に難しいからだ。
ファンインマン博士は、晩年、科学教育に真剣に取り組んでいたように思う。理系の人なら、大学で、ファインマン物理学をテキストとして使った人もいるかもしれない。彼は、読者が興味引くように、楽しんで勉強できるように工夫を凝らしていたように思う。楽しむ事が、自分のしたい事を見つける最大の方法かもしれない。

Nohohon

このシリーズには、我が郷里の先輩、ホンダの本田宗一郎さん、ミスターコンピュータと呼ばれた富士通の池田敏雄さん、そして、これも同郷で、ミスターKと呼ばれ、フェアレディーZを世に送り出した日産の片山豊さんのお話が含まれている。どれも、世界では無名の会社から、世界に挑戦したお話である。

ホンダの、日本でも勝てなかったレーシングチームが世界最高のレースで優勝するまでの話、IBMの独壇場だった大型コンピュータ業界に、日本で「くず通」とまで呼ばれた富士通がIBMを凌駕するコンピュータを開発するまでの話、安かろう悪かろうと呼ばれた日本車から、世界で尊敬されるスポーツカーを世に出した日産の話は、どれも、心を打つものである。

どの話も共通するのは、リーダーの明確な目標、夢、ビジョンと、その実現への強い信念である。その信念が、人を動かしているように思う。
本田さんの「マン島出場宣言」は、心を揺さぶるものがある。
「私の幼き頃の夢は、自分で製作した自動車で全世界の自動車競走の覇者であることであった。
....
やはり日本の現状に心をとらわれすぎていた事にきがついた。世界はものすごいスピードで進歩しているのである。
然し逆に、私年来の着想もってすれば必ず勝てるという自信が昂然と湧き懲り、持ち前の闘士がこれを許さなくなった。
...」

敗戦後まもない時期に、世界を見据えてるのが素晴らしいし、自信に満ちていて、社員を一丸とさせるような趣がある。

富士通の池田氏の「世界最速のコンピュータを作る。挑戦者に無理という言葉は無いんだ」や、「単に模倣的で、これはいいらしいと真似をするのは、私は屈辱的だと思う」という言葉も、池田氏の心意気が伝わってくる。池田さんは、部下にも「お前はありきたりの設計をやっている。限界に挑戦していない」と怒鳴っていたららしい。こんな上司がいたら大変だと思う反面、やはり、こんな所で仕事をしていみたいという思いも湧いてくる。

日産の片山さんも、倉庫で埃をかぶった何百台もの日本車を見て、「高性能で安価なスポーツカーを開発し、世界に殴りこみをかけよう」と、会社を動かそうとする。

どの話も、当然の事ながら困難に遭遇するが、リーダーはエンジニアに開発に専念するよう踏ん張る。それが、また、開発の求心力となっていったように思う。
本田さんは経営が破綻寸前であったにもかかわらず、絶対に開発をとめようとしなかったし、池田さんは開発が大幅に遅れているため、他の重役から激怒されるが、社長に「このプロジェクトには日米の技術者の夢がかかっています。必ず今年中に完成させます」と直訴する。
明確なビジョンや信念に裏打ちされているからこそ、こういう事ができたり、言えたりするのだと思う。

また、この中にはマネージメントなど描かれていない。どれも、信頼関係の上に成り立っている。目標実現のためには、技術者は、どんなに不可能そうに見えても、解決が必要な課題は解決しなければならないし、リーダーはそれに専念させるよう取り計らうべきだと思う。問題は、問題がある事ではない、それが解決すべき課題かどうかであり、技術者とリーダーが解決できるという信念を持つことだと思う。

本田さんも池田さんも既に亡くなられていて、もう記事を読んだり、インタビューを聞いたりすることはない。しかし、二人に共通するのは、感動することが大切だということを言っている事である。感動するとは、想像力の源なのかもしれない。

ホンダも富士通も日産も、全てオリジナルのもので世界にチャレンジしたように、いつか自分もオリジナルものを作りだせたらと思う。

By Nohohon

最後の将軍とは、江戸幕府最後の将軍である徳川慶喜のことである。学生時代の歴史の授業では、明治維新は、長州、薩摩などの活躍として習い、慶喜については、多くを習うことはなった。この本を読んで、時代の流れに翻弄されながらも、国のために尽力をつくした一人の立派な政治家(あえて将軍とはかかない)の人生を知ることができた。
司馬さんも彼にはな並々ならぬ思いがあったように思う。(司馬さんの思いは「後書き」に記されている)

慶喜は、幼少からのエリート教育より、文武に秀でていたようである。彼自身は将軍になる意思はなかったようだったが、世継等の問題から、その機会が回ってきたようである。また、ペリー来航以降、国内に不安が増し、尊王攘夷運動や、開国か鎖国かといった政治的問題に際し、リーダーシップもあり、有能な慶喜が担ぎ上げられていったように思う。慶喜の行動は一環した思想の上に成り立っていたように思う。彼は朝廷に対しても敬意を示し(彼は水戸藩出なので)、また、諸外国の状況を客観的に分析し、日本の行く末をどうするかについて、明確なビジョン(どう開国していくか)をもっていた。
不幸なことは、朝廷が薩摩に牛耳られていたことと(薩摩は武力で脅していたらしい)、薩摩には有用な策略家が居たことだと思う。さらに、彼の有能さが災いしたことは間違い無いと思う。世継問題から、幕府内でも、彼を嫌うものが多く居たようである。
彼の立派な所は、このような策略の中でも、思想をまげるような安易な決断をしなかった事だと思う。彼は、この時代の中で日本国内を正確に分析し、大政奉還も実施した。幕府を信ずるものにとっては、裏切りに他ならない。その後も薩摩の策略家は、朝廷を動かし、慶喜を窮地に陥れようとする。薩摩は、江戸に浪人を放ち、狼藉を繰り返し、幕府が武器を取るように仕向けたらしい。しかし、慶喜はその戦略には乗らなかったが、家臣たちは我慢できず、結果として、武力衝突が起こった。
しかし、慶喜の凄いところは、武力衝突後、薩摩からの信頼があった勝海舟に江戸城を無血で引き渡すよう取り計らったことだと思う。
少なからぬ歴史家も、明治維新のヒーローは、慶喜だと言っているという。私もそう思うし、沢山の方に慶喜のした事を知ってもらいたい。

歴史上の「もし」は存在しないが、明治以降も慶喜が日本国のリーダーだったとしたら、日本の軍部が台頭し、戦争に向かっていく歴史は無かったように思う。革命というものが、武器によって成り立つことが多く、武力を持ったものが政権をとれば、後に、武力が災いすると言うことを世界の歴史が語っているし、日本もその一つだったと思う。

多くの政治家も歴史から学んでもらいたいと思う、武力や、策略は、血の報いがあるということを。

By Nohohon

「太陽の子」を読んで

この本は、灰谷さんが沖縄放浪の後に書き下ろしたため、沖縄の美しい文化や思想が色濃くでた作品である。

内容は、11歳の少女・ふうちゃんが、両親の営む「てでのふあ・おきなわ亭」に集まる人たちとの交流を通して、成長していく過程を描いている。
しかし、ふうちゃんの教師の手紙の中の「ふうちゃんと共に歩むことを許して欲しい」という記述からもわかるように、灰谷さんは、読者にも、ふうちゃんの視点にたって考えて欲しいと訴えているように思う。それは、灰谷さんの「子供から学ぶ」という信念の現れであり、教職を去らざるおえなかった自身への悔恨の念かもしれない。

この作品にはいろいろな立場の人が登場するが、決して、お金持ち、あるいは世間で言う所の立派な職業の人は登場しない。もっと言えば、マイノリティーの立場の人が描かれる。それは、沖縄の人々がマイノリティの立場として舐めてきた辛酸から美しい文化を生み出したように、心の病んだ父親や神戸に住む沖縄出身者という弱い立場の人を描くことにより、灰谷さん自身の思いを表現しているように思う。何故なら、弱い立場の人が経験する苦しみ、不条理、どうすることもできない悲しさと言ったものが、精神的な支えとなる美しい思想を生み出すことが多いからである。

そして、この作品の中の思想は、沖縄の「肝苦さ(ちむりぐさ)」という言葉で表現されていると思う。「肝苦さ」とは、心が痛むという意味であるようだ。この言葉は、神戸生まれで神戸育ちのギンちゃん(マジョリティ)が自殺した女性(沖縄出身者)に対して「かわいそう」と発言した際に、沖縄出身者であるギッチョンチョン(マイノリティ)が使う。そして、彼は、次のように続ける。

「口先だけでかわいそうやなんていう奴ほど、痛いことも痒いことも感じてない奴や。痛いことも痒いこともないことを言うてるから、痛い目にあう人間の数がちっとも減らんのや。この女(ひと)は病気で死んだとちがうんねんで。餓死にしたんともちがうねんで。痛いこともかゆいこともないことを言っている人間に、よってたかって殺されたんや」

この表現は、思いやり(やさしさ)からくる表現に他ならない。つまり、他人の事を自分の事のように感じる、他人の気持ちを想像しているからだ。そして、これこそが、灰谷さんが訴えたかったことのように思う。言い換えれば、灰谷さんは「思いやり」という主題を、色々な登場人物、事件を通して、様々な角度から描いたといえるのかもしれない。

ふうちゃんの教師は、ふうちゃんの父親が戦争から子供を守ろうとする妄想の中にいることや、ふうちゃんの同級生で、母子家庭の女の子の父親が、神戸空襲で大火傷を負って亡くなっている事から、本当の歴史教育とは何かを考えるようになる。それは、教育とは、人を育てることだという観点から、歴史事実を通して、思いやりの心を育てようという試みのように思える。

てだのふあ・おきなわ亭の人たちは、ぐれていたキヨシ少年(外見上は不良)の原因(見えないもの)を探り(想像する)、その心を解きほぐそうとする。
一方、キヨシ少年は、おきなわ亭のやさしさに触れたり、ふうちゃんの父親の心の病の原因(見えなかったもの)を知り、母親が自分を捨てた理由、自殺した姉の理由を知ろうとする。そして、相手を思いやる気持(想像する心)を知るようになり、母親と暮すまでになる。

そして、最後に、ふうちゃんの先生への手紙、キヨシ少年のふうちゃんへの手紙の中で、灰谷さん自身の思いを展開しているように思う。

ふうちゃんから先生への手紙
「.....
先生、人間ていったいなんですか? お父さんもろくさんもキヨシ少年もとてもやさしい人です。気の遠くなる程怖いめに有っている人が、とてもやさしい人なんて。....そんな人が他人の事を人一倍考えるなんて
.....
わたしのまわりにいる人たちをやさしい人だとは思っていましたが、偉い人だとは思っていませんでした。偉い人というのは、偉い政治家や、すぐれた仕事をした芸術家や学者や、名の残るような実業家という人たちを思っていました。今私は人間がえらいということはそんなことではないと思いはじめています。
.....
どんなんに辛いときでも、どんなに絶望的なときでも、本気で人を愛することのできる人が偉いひとなのだと思います。
.....
そんなに苦しい事をもっともっと苦しい事を、キヨシ君やキヨシ君のおかあさん、ろくさんのおじさん、それからわたしのおとうさんたちは、ごまかさず、じっと見続けていたのです。たくさんの沖縄の人びとはそうして生き延びてきたのです。偉い人たちとはこんな人をいうのでしょう先生。
......」

キヨシ君からふうちゃんへの手紙
[.....
勇気いうたらなんやとうことを、ろくさんのおっちゃんにおしえてもろた。勇気いうたら警察で暴れたりさかろうたりすることやない。喧嘩して勝つことでもない。勇気いうたら静かなもんや。勇気いうたらやさしいもんや。勇気いうたら厳しいもんや。そんな勇気をもっているのは沖縄の人間だけや。
......
人間いうたら自分ひとりのことしか考えてへん時は不幸なもんや。そのことがこんど、ようわかった。ショウヘイに殴られているとき、ずっと母ちゃんの事考えとったんや。母ちゃんが受けてきた苦しみを、おれは今、少しやけど味わっているやとおもうたら、おれ、不思議に幸せな気分だった。
......
人間いうたらどんなときでも一人ぼっちやとおもったけど、そやなかった。たしかに、人間は一人ぼっちだけど、「肝苦りさ」の心さえ失わへんかったら、ひとりぼっちの人間でもたくさんの人たちと暖こうに生きていけるということがわかったんや。てだのふあ・おきなわ亭にきて、その事がよくわかったんや、。
.......」

読み終える度に、静かだけれど何か熱を帯びた思いが、自分の中に満たされるのを感じる。しかし、これは小説であるからこそ、美しく感じられるのかも知れない。現実の社会では、奇麗事は言っていられない。集団で生活する以上、利害関係、憎しみ、欺きといった、決して美しくは無い事も経験する。その中で、妥協や、保身に走らざるおえない事もあるだろう。きっと、その方がリアルな社会なのだと思う。しかし、この本で述べられている事は忘れないでいたい。そんなふうに、年老いて生けたらと思う。

By Nohohon

スナーク狩り

以前、古本屋さんで購入した宮部みゆきさんの「スナーク狩り」を読返した。宮部みゆきさんは、大好きな作家の一人。サスペンス、SF,時代物、どれをとっても面白いし、表現が豊かだ。しかも、最後に、うーんと考えさせらてしまう。本当に、才能豊かな、作家だと思う。

スナーク狩りは、登場人物の抱える心の問題を描きつつ、現代社会の闇を描いた作品だと思う。しかも、盗まれた散弾銃をめぐり展開されていくストリーは、サスペンスとしても、わくわくさせられる。最初に読んだときは、あまりに興奮して、一気に読みきってしまった。今回は2度目でストーリーは知っていたので、わくわく感はあまり無かったが、登場人物の心理描写を楽しむ事ができた。

宮部作品は、心理的な問題を描くことが多い。
この作品も、物資的には満たされているのに、満たされない心を持つ人物。残酷な犯罪の犠牲になった家族。出世にこだわり、他人を利用しようとする人物。親と夫の間で疲れ果て心身症となってしまった妻を持つ夫などが描かれる。
どれも、現代社会の持つ歪みが原因のような気がしてならない。宮部作品は、傷ついた心を描くことにより、現代社会の歪みを描いているような気がしてならない。同時期に発表された「火車」でも、そんな気がしたのを覚えている。

それでは、現代社会の歪みとは何だろうと考えると、やはり、物質主義的な考え方。資本主義の弊害ではないだろうかと思う。冷戦が終結して久しい、今、資本主義の方が、正しかったような錯覚に陥っていなだろうかと感じる。欲望を満たすことや、便利さを追求することや、進歩していくことが本当に正しいことがなのか、自分には分からない。お金があれば、したいことは山のように有るのも事実だ。人間誰しも美味しいものを食べたたいし、綺麗な服もきたいし、旅行もしたい、トレンディドラマのような恋愛もしてみたい。しかし、アメリカには、嘗て、ネイティブアメリカンが自由に生きていた時代が有った。彼らの思想は自然と共に生きることだった。今、その思想は、資本主義の下に「保護」されているにすぎない。それは、資本主義が勝ったからだとは、信じたくない。
学生時代に、ポストモダンという事が話題になったのを記憶している。中心的な考えは、「差異化」であったように思う。つまり、差異化を図る事が、問題を引き起こしているということだったように思う。差異化のために、競争が起こるのは避けられないだろう。競争は、何かを進歩させるのも事実だ。戦争が、実に色々な技術を進歩させたことは誰も疑いようがない。戦後も冷戦が技術を進歩させたのは事実だ。皮肉なことは、そのおかげで、かつての軍事技術であるインターネットでBlogもかけるようになった。
しかし、差異化の背後にあるものは、恐怖ではないかと思う。私の大好きな作家の一人の村上春樹さんのデビュー作「風の歌を聴け」には、こんな台詞がある。
「....何かを持っているやつはいつか失くすんじゃないかってびくついてる。何も持っていないやつは永遠に何も持てないんじゃないかと心配している。みんな同じさ。それに気が付いた人間がほんの少しでも強くなろうと努力すべきなんだ。....」
みんながみんな、何かを恐れている。もちろん、恐れているものは人それぞれ違うが、その恐れが、社会を歪めているように思う。もし、進歩していくことが正しいことだとしたとき、この歪みが、過度期である今必要悪なのかどうか私には分からない。将来、誰もが競争する不安が無くなるとしたら、早くそんな時代が来てもらいたいと希望する。むしろ、今を生きている私達には、競争しないでも、自分を支える何かを見つけることも必要なのかもしれない。強くなるとはそういうことなのかも知れない。

By Nohohon

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