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SOUTHVILLでの医療奉仕を終え、市長宅へ。お礼の夕食会(ちょっと早めの)が準備されていました。 市長、水道局局長(市長夫人)、水道局GMから簡単のお礼のメッセージ。そして感謝状とおみやげに隣町(アマデオ)産のコーヒーを、外国医療者に。 外国人医療者を代表して渡辺先生の感想、「日本・韓国そしてフィリピンからの参加者。医療奉仕という事を通して、国境を一つになれたそんなプロジェクトでした。外科医としてTULEをしましたが、短い昼食の休憩・器具を片付けた後に駆けつけて来た子供達に、本当に奉仕の精神で取り組まれて行かれる姿に感動しました。これからも海外医療を奉仕を続けて行きたいと思います。」 SOUTHVILLはマニラからの人達(スクォッターとは具体的は言われませんでしたが)の再定住地で現在7,000所帯が入居。1家庭=5人で単純に計算しても35,000人、この数はそれまでのテレセ・マルティレスの人口に匹敵するという事。数もそうですがそれがまた貧しい人々となると、受け入れるにあたっての約束ごとがあったとしても市だけでは簡単ではない感じがしました。 今回は、日本平和大使医療者ファーラムの医療奉仕活動の受け入れをしましたが、これから私達には何が出来るか模索です。
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日本平和大使医療者フォーラム、AMMSフィリピン。テレセ・マルティレス市、テレセ水道局 そして私たちのグループの共同プロジェクトとして医療奉仕をバランガイ・アグアドで行った。準備期間もあり、その間何度か受け入れ側3セクターで事前打ち合わせをし其々の担当分野を明確に。 受付担当の私たちは7時過ぎに現地入り。すでに待っている人影が。番号を書いた医療チケットをMEDICAL・DENTAL・TULEと色分けして準備、受付も其々テーブルを分け…。受付は結構神経を使う。というのもただ受ける恵みではあるが、この診療を受ける順番で結構不平・不満が噴出。過去の経験を活かし医療チケットは50枚1組、連番ではなく奇数・偶数という番号の振り分けを。これは受付の右に並んでも・左に並んでも、同じような時間に並んでいた人は同じような時間に診療が受けられるという工夫を。 受付の到着と共に人もどんどん出てきた。後は先生達のマニラからの到着を待つばかり。8時過ぎには到着予想を過ぎる事1時間あまり、先生たちが到着。先生達の車の到着。医療器具・マニラからのボランティアを乗せたAFPのトラックが到着。 そうこうしながら医療が其々の部署で始まったのが10時過ぎ。TULEは渡辺先生と看護婦のあつみさん、そしてDZRHのTシャツを着られたフィリピンのお医者さん達。(過去2回ほどお目にかかった先生も居られました。)お昼前には30人ほどを終え、待っている子供達も昼食為に帰宅で患者さんが切れたので先生たちも昼食に。この休憩時間わずか20分〜30分、この切り替え速さ。プロですね。
洗礼という儀式であったTULE、子供へお冗談が彼女がいるのかとかエスコートしたいのかという類のも、今はすっかり一人前の男の仲間入りの儀式であるという感じでした。
最後の駆け込みをよそ目に記念撮影。 MEDICAL = 580人強 DENTAL = 160人強 TULE = 60人強 全体で800人以上という内容でした。 皆さんお疲れ様でした。
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過去何回か行ってきた医療奉仕、フィリピン国内のAMMSがいつも何らかの形でお手伝いして貰っています。国際医療団的な活動がここ数年行われておらず、オンコールであったようです。一時解散という話も耳にしましたが。 |
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バランガイ・オソリオ、ここにはマニラのスクォッターエリアからの再定住地がある。 このような再定住地、常に話題になるのが栄養失調気味の子供達。ロータリークラブ そしてバランガイ HEALTHと協賛で6ヶ月のFEEDINGプログラムを立ち上げる事に。 「一度始めれば、止めること事が出来ない」なんてちょっと批判的なドイツ人の人もいましたが、この6ヶ月間の期間親に何か手段を見つけさせる事も重要でしょう。マニラでは住まいは、線路沿い・川の土手、仕事がなくてもここには結構回りの開いている土地があるから・・・。
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この日はバコールの市長、ストライク(あだ名でしょうか)氏の誕生日でした。 昨年の5月の選挙で市長に就任したストライク氏、誕生日は奉仕でという事でしょうか早朝清掃が企画され、そこにお手伝いに行ってきました。バコールはマニラに隣接する地区、湾岸道路からアギナルドへが今回の対象となった場所。バコールベースのいろいろなNGOが参加してました。 |


