旧日光街道を完歩しました。

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みなさま,こんにちは。
慶長6年(1601),徳川家康は,宿駅伝馬制度を整え,慶長9年(1604)日本橋を起点とする「5街道の制」を定めました。私は,東海道甲州街道を完歩して,このブログでその一里塚を全て紹介しました。一里塚とは,距離を示す目印として,街道で1里(3.93km)ごとに道の両側に土を盛って(塚),その上に榎などを植えたものです。
今回,私は日光街道を完歩しました。日光街道は,日本橋から北に向い,宇都宮の宿まで旧奥州街道と重なり,そこから更に日光坊中日光東照宮)にまで至る総行程約36里の街道です。そこ,その一里塚を紹介します(全7回)。
第7回は,栃木県内の一里塚の紹介(3/3)です。
 
日光街道は,栃木県内では,順に,(現在の)野木町,小山市,下野市,宇都宮市,日光市を通ります。今回は,日光市内の一里塚の紹介です。
 
日光街道の最大の醍醐味は,日光杉並木街道だと思います。日光杉並木とは,日光街道日光例幣使街道会津西街道の3街道のうち日光東照宮旧神領内にあたる区間,日光街道で言えば,日光市内の大沢-日光間(16.52km)の両側に杉が植栽された並木道です。杉の高さは約30m,とても壮観です。国の特別史跡・特別天然記念物の二重指定を受け,また,世界最長の並木道(35.41km)としてギネスブックに登録されています。
下左は「並木寄進碑」,下右は「杉並木公園」入口の杉並木です(下左右:※①)
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32/36里:水無(大沢)
栃木県日光市大沢町。国道4号(旧日光街道から,「大沢中学校入口」バス停先の左の脇道(日光杉並木街道・旧日光街道)に入り,約1km先です。
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水無一里塚は,日光街道の中で唯一〔車両通行止〕の区間内にあります。“車両の排ガスや振動から日光杉並木を守るため”だそうです。両塚とも,原形を残して,杉が植えられています。東側の塚の前には説明板(上左右:※①),西側の塚の前には「御成街道 水無一里塚」と書かれた標柱(下左右:※①)が立てられています。
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33/36里:七本桜
栃木県日光市今市。脇道から国道119号(旧日光街道に合流して500m進み,国道121号との「森友」交差点から右脇道に入って
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1.3km先です。
東側の塚だけ残っており,塚の上に大きな杉があり,説明板が立てられています。根本には高さ2m,奥行1.1m,入口2.1mの空洞があり,大人4人入れることから,「並木ホテル」と呼ばれています(下左右※②
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34/36里:瀬川
栃木県日光市野口。国道119号「春日町」交差点から約250m先に
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「杉並木公園」があり,ここから,日光杉並木街道(旧日光街道)が,国道119号から分かれて「杉並木公園」に沿って約800m続きます。
瀬川一里塚は,この「杉並木公園」の終点・「旧江連家住宅」駐車場入口の手前約80m,日光杉並木街道の左側にあります。「日光街道瀬川一里塚」と記された木柱が立てられています(下左右:※②)
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私は,なかなか見つけることできず,「旧江蓮家住宅」の売店の女性に尋ねて,たどり着けました。「杉並木街道からよりも国道119号からの方がみつけやすい。」とアドバイスを頂きました。交通標識の横あたりです。
 
35/36里:不明(七里
栃木県日光七里? 塚は現存せず,その跡を示す標柱・説明板なども存在しません。「栃木懸史第二巻交通編」には,“昔松原と称せし大谷川の川原にあった”とあります。距離関係から,「宝殿」交差点の手前あたりと思われています。
 
36/36里:日光東照宮
日光街道の終着点は,国道119(旧日光街道が国道120号と
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ぶつかるT字路です。
「日光町道路元標」が,「神橋」信号の下左約30cm,「日光国立公園NATIONAL PARK」標識の手前にあります。高さわずか約50cmの四角柱です(右:※③。この「神橋」とは,T字路手前左にある「二荒山神社神橋」(下:※③です。
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日光街道の整備を命じたのは,徳川家康ですが,その死後,家康廟が日光東照宮に移されて以来,日光街道は日光東照宮への参詣を目的とする街道として栄えました。
最後に,日光東照宮の本社(中では撮影禁止です)の正門である「唐門」(国宝)(下左:※③と代表的なパワースポットである,徳川家康公のお墓「奥宮宝塔」(下右:※③を紹介します。
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写真撮影日:※①13/11/16※②13/11/23※③13/12/14
 
旧日光街道を完歩しました−全ての一里塚」シリーズも今回で完結。全7回,1回でもご覧になってくださった方々,どうもありがとうございました。今年がみなさまにとって,素晴らしい一年になることをお祈りします。
 
なお,よろしければ,バック・ナンバーもご覧 ください。
1.東京13/12/29         2.埼玉13/12/30-31
3.茨城14/1/2          4.栃木14/1/3-5
みなさん,こんにちは。
慶長6年(1601),徳川家康は,宿駅伝馬制度を整え,慶長9年(1604)日本橋を起点とする「5街道の制」を定めました。私は,東海道甲州街道を完歩して,このブログでその一里塚を全て紹介しました。一里塚とは,距離を示す目印として,街道で1里(3.93km)ごとに道の両側に土を盛って(塚),その上に榎などを植えたものです。
今回,私は日光街道を完歩しました。日光街道は,日本橋から北に向い,宇都宮の宿まで旧奥州街道と重なり,そこから更に日光坊中日光東照宮)にまで至る総行程約36里の街道です。そこ,その一里塚を紹介します(全7回)。
第6回は,栃木県内の一里塚の紹介(2/3)です。
 
日光街道は,栃木県内では,順に,(現在の)野木町,小山市,下野市,宇都宮市,日光市を通ります。今回は,宇都宮市内の一里塚の紹介です。
 
25/36里:雀宮
栃木県宇都宮市雀の宮5丁目? 塚は現存せず,その跡を示す標柱・説明板なども存在しません。距離関係から,国道4号(旧日光街道)沿い,雀の宮5丁目あたりと言われています。
 
イメージ 126/36里:江曽島
栃木県宇都宮市江曽島町? 塚は現存せず,その跡を示す標柱・説明板なども存在しません。距離関係から,国道4号(旧日光街道)沿い,江曽島あたりと思われています。現在では,「一里」交差点・「一里」バス停・「一里」踏切,「ichiriya」酒店に名をとどめるのみです(右:※①)
 
宇都宮の宿は,千住の宿を除けば,旧日光街道最大の宿です。宇都宮二荒山神社(353年〜)(下左:※①)の門前町として,また,宇都宮城11世紀〜)の城下町として栄えました。残念ながら,宇都宮城は戊辰戦争により焼失し,現在は「宇都宮城址公園」となり,土塀とお堀,清明台(下右:※③),富士見櫓が設置されています。
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イメージ 427/36里:宇都宮
栃木県宇都宮市鶴田町2156-5? 塚は現存せず,その跡を示す標柱・説明板なども存在しません。距離関係から,清住町通り(旧日光街道)沿い,県庁前通りと交差するあたり,宝勝寺の南側と思われています。以前は歯科医院がありましたが,現在は更地です(右:※②)
 
国道119(旧日光街道)は,「宮環上戸祭町」交差点を過ぎたあたりから,両側に松や桜の木々が植えられた並木道となります。旧街道の趣を感じるようになります。
 
28/36里:上戸祭(かみとまつり)
栃木県宇都宮市上戸祭町38−1。国道119(旧日光街道の両側に塚が存在しています。
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東側の塚は,「大山総本店」の看板の手前。塚の上に松が植えてありましたが,昭和59年に修復整備されて現在は石柱と説明板が立てられて
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います(上左右:※②)
西側の塚は,「文星学芸大学」・「宇都宮文星短大」の手前。杉が植えてありましたが昭和58年に修復整備されて現在は檜に替わり石柱と説明板も立てられています(左下右:※②)
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29/36里:高谷林(こうやりん)
栃木県宇都宮市下金井町。「宇都宮インター入口」交差点を過ぎ800m先,東北自動車道と交差する地点の手前50mのあたり国道119(旧日光街道の両側に塚が存在しています。
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東側の塚の上には,杉が植えられ石柱と説明板が立てられています(上左右:※②)
西側の塚の上には,桜檜が植えられています(左下右:※②)
 
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30/36里:石那田(六本木)
栃木県宇都宮市石那田町六本木。国道119(旧日光街道沿い,県道77号とのT字路,「船生街道入口」交差点右側角奥。東側の塚だけ残っており石柱が立てられています(下左右:※②),西側には日光街道植樹記念碑が建っています。
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31/36里:上小池
栃木県宇都宮市上小池町。国道119(旧日光街道沿い,信号から約50m先,「新渡神社」の斜め向い後の民家と街道の間。西側の塚が形を崩しながらも(楕円形・縦長)面影を残しています(下左右:※②)
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写真撮影日:※①13/11/2※②13/11/16※③13/12/14
 
このシリーズ は,全7回。まだ続きます。
1.東京13/12/29         2.埼玉13/12/30-31
3.茨城14/1/2          4.栃木14/1/3-5
みなさん,こんにちは。
慶長6年(1601),徳川家康は,宿駅伝馬制度を整え,慶長9年(1604)日本橋を起点とする「5街道の制」を定めました。私は,東海道甲州街道を完歩して,このブログでその一里塚を全て紹介しました。一里塚とは,距離を示す目印として,街道で1里(3.93km)ごとに道の両側に土を盛って(塚),その上に榎などを植えたものです。
今回,私は日光街道を完歩しました。日光街道は,日本橋から北に向い,宇都宮の宿まで旧奥州街道と重なり,そこから更に日光坊中日光東照宮)にまで至る総行程約36里の街道です。そこ,その一里塚を紹介します(全7回)。
第5回は,栃木県内の一里塚の紹介(1/3)です。
 
日光街道は,栃木県内では,順に,(現在の)野木町,小山市,下野市,宇都宮市,日光市を通ります。今回は,野木町,小山市,下野市内の一里塚の紹介です。
 
17/36里:野木
栃木県下都賀郡野木町野木2038-2。国道4号沿い(旧日光街道左側,ß栃木県恩川浄化センター]標識約5m前,交差点左後ろ角。塚は現存しませんが,その跡を示す表示板が民家の植え込みの中に立てられています(下左右:※①
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18/36里:乙女
栃木県小山市乙女。国道4号沿い(旧日光街道左側,法音寺の500mほど北にある馬頭観音と若宮八幡宮の中間,「東京より69㎞」の標柱がある地点。盛り土(塚?)とその上に大木があるのですが,標柱・説明板などは存在しませんから,確証はありません。(下左右:※②
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なお,「69km」とは国道上の距離。旧日光街道は脇道なども通りますから,歩く距離はもう少し長くなります。このあたりが旧日光街道の中間地点です。
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19/36里:間々田
栃木県小山市間々田? 塚は現存せず,その跡を示す標柱・説明板なども存在しません。
距離関係から,「千駄塚」信号の約300m東京より「間々田郵便局」の向かいの菓子屋「蛸屋」(右:※②)のあたりと言われています。
 
 
 
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栃木県小山市天神町1−2−8? 塚は現存せず,その跡を示す標柱・説明板なども存在しません。
距離関係から,国道265号沿い左側。日光街道と小山第二小学校へ通ずる道との交叉点の南。永島銅鉄店(右:※②)のあたりと言われています。
 

21/36里:喜沢
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栃木県小山市喜沢。国道4号線「喜沢東」交差点から右斜めの細い脇道が旧日光街道,約700m進んだ左側の空き地の中:※②)。「いずみハウス」の向い先,「ホテル夕月」の向い手前です。
 
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乙女一里塚も喜沢一里塚も,それらしい塚と木は存在するのですが,その跡を示す標柱・説明板などは設置されていません(後出の上小池一里塚も同様です)。幾多のウェブサイトを参考にしました。
日光街道では,各自治体は,一里塚だけでなく広く史跡一般について,その物(消失した場合は跡地)を指し示す標柱・説明板を逐一設置はしていません。かつての日光街道を示す標識もほとんどありません。勝手な私見でたいへん恐縮ですが,大まかな印象では,10点満点で東海道810甲州街道68なのに対して,日光街道24だと思います(東海道の自治体の多くは,地元の歴史・文化遺産としてだけでなく町興しや観光資源として扱っている印象です)。
私としては,一里塚など史蹟一般について公的な“お墨つき”と簡易な紹介があれば,初めて訪れた土地をより深く知る(そして好きになる)きっかけにもなるのになぁと,完歩しながら残念に思えることが何度もありました。
 
22/36里:小金井
栃木県下野市小金井4−23。小山市から小金井市に入り,国道4号の1本西側に並行する道が旧日光街道。両方の塚は国道4号西側の小公園の中にあります。国道4号向いには「川中子歯科医院」。日光街道で初めて登場する2つの塚です。ほぼ完存しており,日光街道で唯一国指定史跡です。
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東側の塚(上左右:※②)は,「マクドナルド4号線小金井店」約50m手前,西側の塚(下左右:※②)は,東側の塚と同じ小公園の中・東側の塚の奥(西)にあります。
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23/36里:下石橋
栃木県上三川町梁。国道4号(旧日光街道)左側,「下石橋」交差点手前450m。石橋地区消防組合署の南裏の一角が,下野市の中にある上三川町の飛び地です。左塚が,「日本ニューホランド株式会社」(下野市薬師寺332410)駐車場裏,雑木林内にある(右:※③)と言われています。
 
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24/36里:下古橋
栃木県下野市下古山124−6? 塚は現存せず,その跡を示す標柱・説明板なども存在しません。
距離関係から,国道4号(旧日光街道)「下古山」交差点(右:※③)の南のあたりと言われています。
 
 
 
写真撮影日:※①13/7/13※②13/9/21※③13/11/2
 
このシリーズ は,全7回。まだ続きます。
1.東京13/12/29         2.埼玉13/12/30-31
3.茨城14/1/2          4.栃木14/1/3-5
みなさん,こんにちは。
慶長6年(1601),徳川家康は,宿駅伝馬制度を整え,慶長9年(1604)日本橋を起点とする「5街道の制」を定めました。私は,東海道甲州街道を完歩して,このブログでその一里塚を全て紹介しました。一里塚とは,距離を示す目印として,街道で1里(3.93km)ごとに道の両側に土を盛って(塚),その上に榎などを植えたものです。
今回,私は日光街道を完歩しました。日光街道は,日本橋から北に向い,宇都宮の宿まで旧奥州街道と重なり,そこから更に日光坊中日光東照宮)にまで至る総行程約36里の街道です。そこ,その一里塚を紹介します(全7回)。
第4回は,茨城県内の一里塚の紹介です。
 
イメージ 1日光街道は,武蔵の国(埼玉県)を過ぎて利根川を渡ると,下総の国(茨城県)に入ります。下総の国には,日光街道15番目の宿場となる中田の宿16番目の宿場となる古河の宿がありました。日光街道は,茨城県内では(現在の)古河市だけを通りますが,総距離は約6km日光街道全行程のわずか4%弱です。
 
 
イメージ 2利根川を渡ると中田の宿利根川には軍事上(江戸防衛)の理由から橋は架けられず,渡舟場と日光街道唯一の関所が設置されました。関所は,当初は中田の宿の側に置かれたのですが,後に,対岸の栗橋の宿に移されました。中田の宿にも,「房川渡と中田関所跡」の説明板(右:※①が立てられています。
 
利根川に初めて橋が架けられたのは1924(大正13)年。その後この橋が老朽化したために,2本の新橋が架けられて,それぞれが上り・下り専用となっています(旧橋は撤去)。
なお,現在の利根川橋の長さは,640m。日光街道の全行程の中で最長の橋となります(2位は,446mの千住新橋)。
 
15/36里:中田
茨城県古河市中田? 塚は現存せず,その跡を示す標柱・説明板なども存在しません。距離関係から,県道228号沿い「古河中田郵便局」あたりと思われています。
 
16/36里:古河
茨城県古河市幸町1918。県道228号(旧日光街道)沿い右側,国道354号との交差点から約300m先。「県立古河第二高校」の校庭内
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の西南隅あたり。
学校フェンスとネット越しに見ると,一里塚らしき大木が木の柵に囲まれており,木柱も立てられているのがわかります(下左右:※①。しかし,はっきりと確認することはできません。
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現存する一里塚は歴史的に希少価値があります古河一里塚は古河HPでも紹介されています(旧遺跡番号025し,高校は公立なのですから,一里塚に関心がある人たちが校外からも識別できるように,学校フェンスに説明板を設置する(甲州街道にはそのような看板を設置している一里塚がありました)ぐらいの配慮をして頂ければ嬉しいのに,と思いました。
 
徳川家康廟が日光東照宮に移されて,歴代の将軍は日光へ参詣するようになりました。通常は3泊4日の旅。江戸城大手門を出発して,1泊めが日光御成街道沿いの岩槻城(現在の埼玉県さいたま市岩槻区),日光街道に合流して,2泊めが古河城(現在の茨城県古河市),3泊めが宇都宮城(現在の栃木県宇都宮市)でした。
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残念ながら,これら3城はいずれも戊辰戦争で焼失するなど明治に入って廃城されてしまいました。現在,天守閣など再現されていれば,歩いていて旅情を感じることができて楽しいのですが,往年の雄姿を偲ぶことはできません
古河城については,日光街道から分かれて古河城に入城する御成道180mの入口に「史蹟 古河城御茶屋口門址」の石碑が設置されています(右:※①)。その名前は,将軍が入城する前に,休憩した街道沿いの茶屋に由来するそうです。
 
写真撮影日:※①13/7/13
 
このシリーズ は,全7回。まだ続きます。
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3.茨城14/1/2          4.栃木14/1/3-5
みなさん,こんにちは。
慶長6年(1601),徳川家康は,宿駅伝馬制度を整え,慶長9年(1604)日本橋を起点とする「5街道の制」を定めました。私は,東海道甲州街道を完歩して,このブログでその一里塚を全て紹介しました。一里塚とは,距離を示す目印として,街道で1里(3.93km)ごとに道の両側に土を盛って(塚),その上に榎などを植えたものです。
今回,私は日光街道を完歩しました。日光街道は,日本橋から北に向い,宇都宮の宿まで旧奥州街道と重なり,そこから更に日光坊中日光東照宮)にまで至る総行程約36里の街道です。そこ,その一里塚を紹介します(全7回)。
第3回は,埼玉県内の一里塚の紹介(2/2)です。
 
日光街道は,埼玉県内では,順に,(現在の)草加市,越谷市,春日部市,杉戸町,幸手市,久喜市を通ります。今回は,杉戸町,幸手市,久喜市内の一里塚の紹介です。
 
10/36里:三本木
埼玉県北葛飾郡杉戸町清地3丁目9−24。「堤根」交差点(三差路)で国道4号から左の県道373(旧日光街道に入り約300m先道路右側。「木村屋パン店」の斜め向い,民家の生垣の中です。塚は現存しませんが,跡を示す説明板が設置されています(下左右※①)ここの日光街道一里塚は,江戸に向かって左側が堤根村地内。右側が清地村地内で,大きさが縦・横ともに約9m,塚の上に榎が植えられていた。しかし,明治時代なかば以降には,交通の発達などによって取り払われてしまった。
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11/36里:茨島
埼玉県北葛飾郡杉戸町高野台東1−15−8国道4号(旧日光街道沿い左側,「山田うどん高野台店」駐車場隅。塚は現存しませんが,その跡を示す説明板が立てられています(下左右※③)ここ茨島一里塚は,杉戸宿と幸手宿との中間に位置し,塚の上に榎が植えられてあった。…こうした一里塚も明治時代なかば以降には交通の発達や道路の拡張工事ともない取り払われてしまった。
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徳川家康廟が日光東照宮に移されて,歴代の将軍は日光へ参詣するようになりました。将軍の一行は,江戸城大手門を発ち幸手の宿日光街道に合流します。江戸城から幸手の宿までの街道を日光御成街道と言います。日光御成街道とその6つの宿場(岩淵川口鳩ヶ谷大門岩槻幸手)は,徳川家光の時代に立派に整備されたそうです。
日光御成街道が旧日光街道と合流する現在の県道65号(さいたま幸手線)“幸手市南2丁目”のT字路(右上※①)は,説明板も立てられています。
 
12/36里:幸手
埼玉県幸手市北2丁目1。日光御成街道と旧日光街道と合流する“幸手市南2丁目”のT字路から約2km先,県道65号(さいたま幸手線)(旧日光街道)沿い右側。向いには正福寺。塚は現存しませんが,その跡を示す説明板が立てられています(下左右※②)幸手の一里塚は,明治の初めまでここの両側にありました。
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13/36里:小右衛門
埼玉県久喜市栗橋町小右衛門。国道4号の西側に並行する小道(旧日光街道)の左(西)側。国道4号「工業団地入口」交差点の約200m手前。明治時代に入って,国道4号と権現堂川の堤が造られたために,道幅は往時に比べて狭いものとなっています。小さな塚があり,説明板が立てられています(下左右※②)現在,塚の上には,昭和初期に付近から移築されたという弁財天堂が建てられている”また,塚の裏(西側)は一段低く真光寺の墓地となっています。そこで,“塚の高さは西側から約2m,東側(道路側)から約0.6mで,塚の形体と当初の広さを残し,当時の姿を偲ぶことができる。
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14/36里:不明(繰橋栗橋
埼玉県久喜市栗橋東? 塚は現存せず,その跡を示す標柱・説明板なども存在しません。距離関係から,県道60号沿い,国道4号・125号「栗橋」交差点の北西あたりと思われています。
 
イメージ 10日光街道は,14番目の宿場である栗橋の宿(武蔵の国)を過ぎて15番目の宿場である中田の宿(下総の国)に入るには,利根川を越えなければなりません。
利根川には軍事上(江戸防衛)の理由から橋は架けられずに渡舟場が置かれて,日光街道唯一の関所が設置されました。海道の箱根,中山道の碓氷と並んで重要な関所だったそうです。現在は,「栗橋関所跡」(県指定文化財)の石碑と説明板が設置されています(左上:※②)  
 
写真撮影日:※①13/6/16※②13/7/13※③13/12/28  
 
このシリーズ は,全7回。まだ続きます。
1.東京13/12/29         2.埼玉13/12/30-31
3.茨城14/1/2          4.栃木14/1/3-5

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