MLB・大リーガーのサイン

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みなさま。こんにちは。
先日716日,大リーグ(MLB)オールスター試合が行われました。試合前の始球式でかつてMLBの歴史を彩った名選手を見ることができました。今回は、みなさまに彼とそのサインを紹介します。
 
〔MLB ・大リーガーのサインのコレクターです〕シリーズ。
25弾は,「.カルー」(Rodney Cline "Rod" Carew)です。
 
1945101日パナマ運河地帯(パナマ共和国独立前)生まれ(68歳)。身長182.9cm,体重82.6kg。右投・左打。“Rodney Cline”は,列車の中で出産を手伝ってくれた医師の名からとったものです。.カルーは,14歳の時に家族と共にアメリカ・ニューヨークに移住,高校生の頃からセミプロ野球でプレー,高校を卒業する1964年に,ミネソタ・ツインズと契約しました。ちなみに,この年はドラフトが始まる1年前のことでした。
.カルーは,1967年にMLB昇格,新人王受賞。スタイルは打球を広くフィールド全体に打ち分けるスプレー打者。いきなりこの年から1984年まで18年連続オールスター試合出場。当時はMLB球団数わずか〔2024の時代。現在は30ですから,大リーガーの門は狭く,ましてやオールスターに選ばれることは並大抵のことではない時代でした。また,1969年からは15年連続打率3割を記録し,10年間で7度も首位打者を獲得しました。1977年(打率0.388)にはチームは4位とBクラスながら,MVPに選ばれています。1970年代の合計安打1787は,アリーグ1位,MLB2位(1位は.ローズ2045)と,まさに“安打製造機”でした。
 
.カルーは,スピードも兼ね備えていました。1967年のホーム・スチール7個はMLB記録(.カッブ)にあと1つでした。一方,パワーに乏しく単打が多く,1972年にはHR数0ながら首位打者を獲得しましたが,これは現代MLBの歴史の中で唯一のことでした。
 
当時のツインズのオーナーの.グリフィスは,野球一家に育った人でしたが,チームの緊縮財政の中で戦力強化にはとても消極的な人でした。中心選手が好成績をあげて給料が高くなるとトレードで若手数人の選手と交換することを繰り返して,そのため,チーム成績は低迷していました。さらに,.グリフィスは人種差別発言で物議もかもしていました。いわく。「(ツインズはワシントンD.C.から本拠地移転したのですが,)我々がここに来たのは,ここには黒人は15千人しかいないからだ。彼らは,球場に行かずにおどろおどろしい聖歌を歌っている。ここには勤勉な良い白人がいるから,我々は来たのだ。」なお,先日,NBALA クリッパーズのオーナー.スターリングの人種差別発言が問題になりました。女友達に対する「黒人と付き合いがあることを吹聴するな。試合にも連れてくるな」という発言が明らかになって,強制的にチームを売却させられてしまいました。時代の大きな違いを感じます。
.カルーは,そのようなチーム体質に嫌気がさして,1978年オフに移籍希望を表明。1対4のトレードでLAエンジェルスに移籍することになりました。
ちなみに,.カルーは,ツインズ時代,白人女性と結婚して妻と3人の娘と住んでいました。当時のミネアポリスには,アメリカ中西部の保守的な風土があり,球場外で人種差別主義者から多くの脅迫(殺人予告),嫌がらせにあっていたといいます。
 
.カルーLAエンジェルス移籍によって大金を手にしました。年棒は,単年20万ドルから5400万ドルに跳ね上がりました。しかし,移籍後,.カルー、金はで集めたスター軍団の中で,輝きは薄らいだ,というのが私の印象です。33歳からの7年間,タイトル獲得は無し。パワーが無く(年平均HR2.7本),守備も普通ですから,打率3割はキープしても,何か物足りない。1982年のプレーオフ・ALCS(アメリカン・リーグ・チャンピオンシップ・シリーズ)で7番を打っているのを見て,寂しく思いました(今年のイチローとかぶります)。そして,1985年,3,000本安打を達成して,この年限りで引退をしました。
 
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MLBのキャリア通算記録:
・試 合:2469         ・安 打:305322位)
・二塁打: 445107位)     ・三塁打:  112120位)
・H R:  92         ・打 点:1015261位)
・得 点:142484位)     ・盗 塁: 353106位)
・四 球:1018         ・打 率:0.328
 
また,彼の受賞した主な賞を挙げると,
MVP1回(1977
首位打者7回(1969,197275197778
シルバースラッガー賞: 7回(19841986871989年,1994951997
ゴールドグラブ賞:5回(198687198991
オールスター試合出場:18回(196784
 
後日談です。1985年オフ,.カルーはFAとなりましたが,どの球団とも契約できませんでした。MLB選手会はオーナーの間にFA選手の年棒高騰への対抗策としてFA選手獲得を控えるという密約があるとして,提訴します。仲裁の結果,選手会の主張が認められて,.カルーは,引退後でありながら,1986年にプレーしていれば得たであろう金額(約78万ドル)を損害賠償として受け取りました。私は,第三者機関がオーナー間の密約を認定して複数選手への損害賠償を命じるシステムが十分機能していることを知って,(日本では考えられない)MLB機構の進歩性・成熟性を感じました。
.カルーは,1991年に資格取得初年度で「野球名誉の殿堂」入り(必要得票率75%に対して得票率90.5%)。ツインズとエンジェルスの2球団で,背番号〔29〕は永久欠番となっています。
 
 
 
最後に,私は,MLBオールスター試合。毎年,試合内容は勿論ですが,誰が始球式をするかも楽しみにしています。昨年はメッツ本拠地球場試合でT.シーバー,一昨年はロイヤルズ本拠地球場試合でG.ブレットでした。どちらも心から納得です。来年のMLBオールスター試合は,7月14日,シンシナティのGreat American Ball Parkで行われる予定です。誰が始球式に起用されるのでしょうか。私は,本命J.ベンチ。対抗J.モーガン。穴K.グリフィJr.と予想します。K.グリフィJr.K.グリフィSr.の親子共演も盛り上がるかもしれません。2人は共に過去オールスター試合でMVPを受賞しています198092。さて,どうなるでしょうか。
 
今回の直筆サイン入り写真 は,1枚。
選手時代の8インチ×10インチ写真 1枚です。
 
このシリーズは,まだ続きます。よろしければ,バック・ナンバーもご覧ください。
1..ソーシア09/12/17    ・2..スミス09/12/26
3..ボンズ10//2     ・4..ジョンソン10//
5.レロン.リー10//10    ・6..パケット10//25
7..モイヤー10//4    ・8..マーフィー10//10
9..トーマス10//18    ・10.デルガド10//23
11.ウォーカー10//10   ・12.カスティーヤ10//18
13.ガララーガ10//4   ・14.ソーサ10//12
15.グリフィ.Jr10//5  ・16.ギーエン10//
17.アンダーソン10//25  ・18.ホフマン10//
19.ワグナー10/10/11    ・20.アロマー11//
21.ジアンビ11//29    ・22.ラーキン12//15
23.ペーニャ13/3/17     ・24.グウィン14/6/21
みなさま。こんにちは。
米大リーグ(MLB),サンディエゴ・パドレス一筋で20年間外野手としてプレーし,2007年に野球殿堂入りを果たしたトニー・グウィンさんが16日,唾液腺がんのため死去した。54歳だった。
 
そこで,〔MLB ・大リーガーのサインのコレクターです 〕シリーズ。
24弾は,「.グウィン」(Anthony“Tony”Gwynn)です。 
1960年5月9日カリフォルニア州ロサンゼルス生まれ(54歳)。身長180.3cm,体重102.1kg。左投・左打。
 
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.グウィンは,バスケットボール奨学金を受けてサンディエゴ州立大に進学。1981年6月9日,MLBドラフトでサンディエゴ・パドレスから3巡指名(58番目)を受けて契約しましたが,同日,NBAドラフトでサンディエゴ・クリッパーズから10巡指名(214番目)も受けていました。MLBには早くも翌年に昇格,以後引退するまで20年間パドレス一筋で活躍を続けました。特に若い頃は走・攻・守3拍子そろった選手でした。また,日本的な表現をすれば,まさに「安打製造機」でした。1983年から引退するまで19年連続打率3割超。1984年からの14年間で首位打者8回(8回はMLB史上第2位・ナリーグ1位)。
通算打率0.338はMLB史上18位(上位17人は全て第2次大戦前にプレーした選手)です。HR数が少ないのは,本拠地球場の外野が広かったことが影響していたと思います。惜しかったのは1994年。この年はMLBではストライキに入り8月12日以降の全試合(ワールド・シリーズも含めて)がキャンセル。.グウィンは打率0.3941941年以来となる4割を逃してしまいました(なお,最後の4割打者.ウィリアムスはサンディエゴ出身。1999年ボストンで行われたオールスター試合では,車椅子から立ち上がった.ウィリアムス.グウィンが支える格好で2人一緒に始球式を行っています)。また,研究熱心なことでも有名で,自分の全打席をビデオ・テープに残して,いつも自分の打撃フォームをチェックしていたそうです。2001年オフに引退。その後は,12年間にわたり母校の野球監督をする傍ら,ESPNの解説者も務めていました。
2007年には資格取得初年度で「野球名誉の殿堂」入り(必要得票率75%に対して.グウィンの得票率は97.6%)。また,2006年オフにMLBが全30球団について全OB選手の中から1人の「Hometown Heroes」投票を募った(投票者数約1700万)ところ,パドレス部門では,.グウィンが選ばれています。これは,.グウィンの実績も勿論ですが,チャリティ活動に熱心でまたドラッグ禍とも全く無縁であったことも影響しているのではと思います。
最後に,死因は唾液腺癌。.グウィンは現役時代に長年使用した噛み煙草が原因と語っています(医師はその関連性は不明としています)。
 

 
MLBのキャリア通算記録:
・試 合:2440         ・安 打:314118位)
・二塁打: 54328位)     ・三塁打:  85
・H R:135          ・打 点:1138184位)
・得 点:138395位)     ・盗 塁: 319143位)
・四 球: 790         ・打 率:0.338
 
また,彼の受賞した主な賞を挙げると,
首位打者:8回(1984198789199497
シルバースラッガー賞: 7回(19841986871989年,1994951997
ゴールドグラブ賞:5回(198687198991
オールスター試合出場:15回(198487198999
 
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野球以外で記憶に残っている出来事が2つあります。まず,1つめは,(正確な年度は失念しましたが)オフ・シーズン,日本のTV局(たぶんフジTV)が彼を含む3人のパドレス選手(残りの2人はAlan WigginsGarry Templeton)を招いて,日本の選手に混じって運動会(陸上)番組を放映したことです。何と,大胆な企画だろうと驚いたことを覚えています。
2つめは,1997年。.グウィンの妻が野茂英雄(当時ドジャース)のジグソーパズルを本人に無断で作成して日本の会社に販売。怒った野茂英雄がロサンゼルス高等裁判所に損害賠償(465,000ドル+懲罰100万ドル)を求めて訴訟提起。.グウィンは直接野茂英雄に電話をして訴訟取り下げを頼みましたが,野茂側はこれを拒否したことです。.グウィンが人格者で有名だっただけに,その妻の勝手な行動は意外に感じたことを覚えています。
 
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最後に,Tony Gwynnは,Mr. Padreと呼ばれていました。日本ではミスターにチーム名そのまま複数名詞の「S」を付けて呼びます(例えば,長嶋茂雄がミスター・ジャイアイン「ツ」,掛布雅之がミスター・タイガー「ス」など)。しかし,MLBでは単数名詞として「S」は付けずに呼ぶのが通常です(ミスター・パドレ「ス」ではありません。念のため)。ご参考までに,他に私がMr.MLBクラブで思い浮かぶ選手を何人か挙げておきましょう。
 
Brooks RobinsonMr. Oriole(殿堂入り。現役23年間一筋でプレー。)
Johnny PeskyMr. Red Sox(現役10年間のうち8年プレー。引退後12年監督・コーチとして在籍。)
Al KalineMr. Tiger(殿堂入り。現役22年間一筋でプレー。)
Ernie BanksMr. Cub(殿堂入り。現役19年間一筋でプレー。
Jeff ConineMr. Marlin(現役17年間のうち8年プレー。2度の世界一に貢献。)
Craig BiggioMr. Astro(現役20年間一筋でプレー。)
Stan MusialMr. Cardinal(殿堂入り。現役22年間一筋でプレー。)
 
今回の直筆サイン入り写真3枚。
1枚めは、oops野球カード1984年251,
2枚めは、選手時代の8インチ×10インチ写真1枚
3枚めは、Baseball Digedt 1985年5月号、です。
 
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3..ボンズ10//2     ・4..ジョンソン10//
5.レロン.リー10//10    ・6..パケット10//25
7..モイヤー10//4    ・8..マーフィー10//10
9..トーマス10//18    ・10.デルガド10//23
11.ウォーカー10//10   ・12.カスティーヤ10//18
13.ガララーガ10//4   ・14.ソーサ10//12
15.グリフィ.Jr10//5  ・16.ギーエン10//
17.アンダーソン10//25  ・18.ホフマン10//
19.ワグナー10/10/11    ・20.アロマー11//
21.ジアンビ11//29    ・22.ラーキン12//15
23.ペーニャ13/3/17
みなさん。こんにちは。
侍ジャパンが3連覇を目指して、期待以上の奮闘を続けるWBC。日本国内でも、東京ラウンドのオランダ戦2試合のTV視聴率が共に平均30%を超えるなど、試合ごとに盛り上がりを見せています。
決勝ラウンド準決勝、1810時(日本時間)に日本対プエルトリコ、1910時にドミニカ対オランダ。そして、20日9時に決勝が行われます(3位決定戦はありません)。
 
現地の優勝オッズは、ドミニカが1番(2.37)、日本は2番目(2.50)、以下、プエルトリコ(5.00)、オランダ(11.00)となります。
そして、ドミニカ・チームの監督を務めるのが、かつてのMLBの名捕手.ペーニャです。
 
そこで、〔MLB・大リーガーのサインのコレクターです〕シリーズ。
23弾は、「.ペーニャ」(Tony ena)です。
 
1957年6月4日生まれ(55歳)。身長183cm、体重82kg。右投・右打。T.ペーニャは、1975年、MLBピッツバーグと外野手として契約、77年にマイナー2年目に捕手にコンバートされました。MLBでは、ピッツバーグ(1980-86)、セントルイス(1987-89)、ボストン(1990-93)、クリーブランド(1994-96)、Chiホワイトソックス(1997)、ヒューストン(1997)と合計18年間、MLBを代表する功打・堅守の捕手として活躍しました。
 
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T.ペーニャは、捕手としてゴールド・グラブ賞の常連でしたが、有名だったのは、そのユニークな捕球スタイルです。特に打者が左打ちの時など、地面に直接お尻を着け、右足は曲げて、左足は真っすぐ三塁方向に伸ばします。そのスタイルは、“ハードラ―ズ・ストレッチ”(ハードル選手のストレッチ)と呼ばれました。そして、塁上の走者が盗塁を狙ったときには、その態勢から座ったままで上半身と肩の強さだけで、走者をアウトにするのです。MLB監督互選のBest throwing catcherにも何度も選ばれていました。
 
現役引退後は、カンサス・シティの監督を務め(2002  05)、最優秀監督にも選ばれ、2006年以降は、NYヤンキースのコーチを務めています
 
MLBのキャリア通算記録:
・試 合:1988         ・安 打:1687
・二塁打: 298         ・三塁打: 27
・打 点: 708         ・H R: 107
・得 点: 667         ・盗 塁:  80
・四 球: 455         ・打 率:0.260
また、彼の受賞した主な賞を挙げると、
ゴールド・グラブ賞:4回(1983851991
オールスター試合出場:5回(1982848691
ア・リーグ最優秀監督賞:1回(2003
 
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 私がT.ペーニャからサインを貰ったのは、1986年の11月。学校から帰途、JR品川駅北の国道15線沿いを1人歩いていた時です。写真で見たことのある外国人2人がきょろきょろあたりを見回しながらこちらに歩いてきます。私は、思わず、
 
 
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そちら に歩いて行って、尋ねました。「Are you Mr.Jesse Barfield and Mr.Tony Pena?」その2人が、
.ペーニャとその年にアリーグでHR王になった.バーフィールド(トロント)でした。
 
彼らは、日米野球で来日したばかりで、宿泊先の高輪プリンスホテルから出てきたところ。私は、彼らから「秋葉原に行きたいが、連れて行ってくれないか」、「連れて行ってくれたら、自分たちのバットをあげるから。」と頼まれました。そこで、そのままタクシーを利用して秋葉原に向かいステレオなどを買うのを手伝いました。写真のバット(左上・下は後日、.ペーニャから球場でもらったバットです。.ペーニャからは、試合チケットももらいました。なお、.ペーニャは、日米野球(大リーグの6勝1敗)でMVPに選ばれました。
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さて、今回の第3回WBC。ドミニカ・チームは28人中25人がMLBのロースターに載っている選手です(ちなみに、アメリカ・チームは28人全員でした)。これに対して、日本チームには現役大リーガーは0。なぜ、このような対照的な結果となっているのでしょうか。
それは、何よりも、ドミニカが多くの大リーガーを輩出している野球大国だからです。例えば、昨年開幕時のベンチ入り選手856選手(25人×30球団+故障者リスト入りした人数)のうち、アメリカ出身者(243人)を除けば、最多はドミニカ共和国出身の95人でした(日本人は13人)。ドミニカは、MLB大リーガーの層の厚さを誇っています。
 
とは言え、山本監督による出場を要請した日本人現役大リーガー(イチロー青木川崎ダルビッシュ岩隈黒田)の全てが、出場辞退したことは残念でした。
もちろん、辞退するのに仕方のない選手が大半でしょう。ただ、私は、日本人選手にとっては、日本プロ野球に在籍している間は、WBCが世界の一流と戦える唯一・最高の舞台であるのに対して、一旦MLBに移籍してしまうと、日々のレギュラー・シーズン試合こそが最高の舞台になる。また、MLBに身を置くと、アメリカ野球界及び在籍球団のWBCに対する覚めた雰囲気に押されて、WBC日本代表としてプレーする情熱が覚めてしまうのだろう、と残念に思いました。
 
決勝ラウンド。最大2試合ですから、選手層の厚さはもはや無関係です。
私は、ポイントは、投手陣が、最少失点に抑えられるかにあると思います。
今回のドミニカの打線。3番.カノ(ヤンキース)(.313 33 94打点)、4番.エンカーナシオン(ブルージェイズ)(.280 42 110打点)、5番.ラミレス(ドジャース)(.257 24 92打点)、6番.クルーズ(レンジャーズ)(.260 24 90打点)は、特に脅威。また、1番.レイエス(ブルージェイズ)は40盗塁を記録するなど、スピードもあります。
過去2回のWBCでは、日本チームを盤石の投手陣が支えました。第1回は、松坂(MVP)・上原渡辺の先発3本柱、藤田薮田藤川のセットアップ、救援は(会場となった)サンディエゴでプレーしていた大塚でした。第2回は松坂(MVP)・岩隈が先発、杉内山口馬原がセットアップ、そして、救援に抜擢されたダルビッシュが大活躍しました。
山本監督が今回選んだ2本柱は前田投手と田中投手。田中投手は練習試合を含めて失点を喫している点が気がかりです。また、首脳陣が中継ぎ投手の中から好調な選手を見極めて起用できるかも、大きなポイントになるでしょう。
また、ドミニカの投手陣も強力です。.ロドリゲス(パイレーツ)(1213敗 防3.76)、.ボルケス(パドレス)(1111敗 防4.14)、.デドゥーノ(ツインズ)(650S 防4.44)が先発3本柱。順番で行くと決勝(対日本?)は対アメリカ戦で先発した.デドゥーノ(右投)です。また、救援には、.ロドニー(レイズ)(2248S 0.60).カシーヤ(ジャイアンツ)(7625S 2.84)がいます。
日本の打撃陣。東京ドームでの長打攻勢(HR6本!)は忘れましょう。何とか先取点が欲しい。そして、少ない点数を守りきる。走者の塁を確実に進める野球、送りバントに右打ち。自然芝の球場ですから、堅実な内野守備も要求されます。
 
日本チーム。当初まとまりがないと酷評されましたが、東京ラウンド以降、勝利を重ねるにつれて、選手間のコミュニケーションも十分とれて雰囲気はとても良いようです。今から、とても楽しみでなりません。
 
今回の直筆サイン
T.ペーニャ仕様のルイビル・バット3枚と。
選手時代の8インチ×10インチ写真1枚です。
 
このシリーズは、まだ続きます。よろしければ、バック・ナンバーもご覧ください。
1..ソーシア09/12/17    ・2..スミス09/12/26
3..ボンズ10//2     ・4..ジョンソン10//
5.レロン.リー10//10    ・6..パケット10//25
7..モイヤー10//4    ・8..マーフィー10//10
9..トーマス10//18    ・10.デルガド10//23
11.ウォーカー10//10   ・12.カスティーヤ10//18
13.ガララーガ10//4   ・14.ソーサ10//12
15.グリフィ.Jr10//5  ・16.ギーエン10//
17.アンダーソン10//25  ・18.ホフマン10//
19.ワグナー10/10/11    ・20.アロマー11//
21.ジアンビ11//29    ・22.ラーキン12//15
1月9日(日本時間)、全米野球記者協会(BBWAA)は、今年の「野球名誉の殿堂」入りする1人を発表しました。
 
野球選手は、引退後5年を経過すると以降15年間、「野球名誉の殿堂」入りする有資格者となります。毎年、全米野球記者協会に所属するキャリア10年以上の記者が投票を行います(複数投票可)。投票数の75%以上を獲得した人が「殿堂」入りとなりますが、全体の5%に満たない場合は以降資格を失います
 
今年「野球名誉の殿堂」入りに選ばれた元選手は、1人だけ。.ラーキン86.4%の投票を獲得しました。.ラーキンは、2004年シーズン限りで引退、有資格初年の2010年に51.6%の投票を獲得し、翌2011年には62.1%を獲得、これは殿堂入りした.アロマー90.0%)、B.ブライルベン79.7%)に次ぐ投票数であり、今年の殿堂入りは確実と思われていました。
 
 
そこで、〔MLB・大リーガーのサインのコレクターです〕シリーズ。
22弾は、「.ラーキン」(arry arkin)です。
 
1964年4月28日生まれ(47歳)。オハイオ州シンシナティ出身。身長183㎝、体重84㎏。右投・右打。.ラーキンは、子供のころから地元レッズの大ファン。お気に入りの選手は、同じショートを守る.コンセプシオンでした。.ラーキンは、1982年、モーラー高校卒業時にレッズからドラフト2巡で指名されましたが「メジャーでプレーできる自信が無かった」と拒否。ミシガン大では3年間通算打率0.361。オール・アメリカンに2度選ばれ、LA五輪でUSAチームの一員として銀メダル(金メダルは日本)に貢献するなどの活躍を経て、1985年に再びレッズからドラフト1巡(全体で4番目)指名されてプロ契約。レッズ1970年以来レギュラーをつとめていた.コンセプシオン(私が最初に貰った大リーガーのサインが彼でした。場所は、SFのキャンドルスティック・パーク)の後継者を求めていました。.ラーキンは、1985年にAA級でプレー、翌86年にAAA級でリーグ新人王とMVPを獲得するなどの活躍を経てその年の8月に早くも大リーグに昇格を果たします。1987年、首脳陣は、39歳の.コンセプシオン二塁中心のユーティリティ選手として、以降、.ラーキンレッズ不動の1番のショートとなりました。
 
.ラーキンは、オハイオ州シンシナティ出身。MLB19年間をレッズ一筋で過ごしました。チームの移籍が日常の大リーグでは稀有な選手です。.ラーキンは、MLB19年間で、200安打も100打点も記録した年はありません(最多安打数は1851990年)、最多打点は891996年))。ケガも多く、毎年のように故障者リストに載っていました。.ラーキンが殿堂入りしたのは、彼の卓越した運動能力と、チームに数字以上の貢献したことにあると思います。1988年、.ラーキンは、初のオールスター試合出場を果たしますが、この年は、652打席で三振わずか24回と選球眼の良さが目立ちました。そして、1990年、レッズ14年ぶりの世界一を果たしましたが、.ラーキンは、30盗塁と自身初の打率3割を記録しています。1995年シーズン前、.ラーキンは、スポーツ・イラストレイテッド誌のインタビューでユニークな宣言をしました。「自分はアメーバになる。自分は、チームが勝つためなら、どんな形にでもなる」と。「もしチームがリーダーを欲しければ、自分がなる。もしチームが盗塁を欲しければ、自分がやる。もしチームがバントで走者を2塁から3塁に進めたければ、自分がやる。」と。そして、そのシーズン、.ラーキンは、打率0.31951盗塁、15HR、66打点を記録して、地区優勝に貢献し、リーグ2冠の.ビシェット(打率0.34040HR、128打点)を押さえてナ・リーグMVPを受賞しました。1996年にはショートとして大リーグ史上初の3割・30HRを記録しています。1997年、.ラーキンは、チーム・キャプテンに選ばれました。レッズがキャプテンを置いたのは、1988年の.コンセプシオン以来でした。1990年後半、レッズは下位を低迷しました。.ラーキンは、チームが有力選手を手放す一方で有効な補強をしないことに対してマスコミを通じてフロントをたびたび批判をしたのですが、1999年に「なぜ自身はレッズにとどまっているのか?」を地元新聞シンシナティ・エンクワイア紙の記者に聞かれて、「若い選手の模範になりたいというのが、モチベーションになっている」と答えています。彼が薬物問題とは一切無縁だったことも忘れてはいけません。2004年、彼が引退する時に、チーム・メイトの.スウィーニ−は、こう言いました。「バリー。君こそシンシナティだ」と。
 
アメリカは、シーズン・スポーツ制が定着し、4大プロ・スポーツ(MLB、NFL、NBA、NHL)が共存しています。スポーツファンは、季節に応じて、地元のそれぞれのスポーツ・チームを応援します。しかし、私がベースボール・タウンだと思う都市は、シンシナティとセントルイス。特にシンシナティ・レッズは、1866年(日本では慶応2年!)にシンシナティ・レッドストッキングス(名前の由来は、オーナーの娘さんが選手全員に赤いストッキングをプレゼントしたから)として発足、1869年にはアメリカ最初のプロ野球チームとなった名門中の名門。1890年に名称は、レッドストッキングスから、短くレッズとなりました。これまでリーグ優勝9回、世界一5回。特に、1970年代のレッズは、オールスター級選手をそろえ、Big Red Machineとして他球団から恐れられました。私は、シンシナティを訪れたのは2回だけですが、人口約33万人のシンシナティの街並みは(夏季だったからでしょうか)まさにレッズ・カントリーでした。シンシナティ出身の大リーガー(これまで91人)の中で、殿堂入りを果たした人は、.ハギンス(元NYヤンキース監督)に次いで2人目ですが、シンシナティ出身でレッズでプレーした選手は、彼が最初となります(MLB最多安打記録(4,256)保持者のP.ローズも殿堂入りして然るべきなのでしょうが、惜しいかぎりです)。
 
MLBのキャリア通算記録:
・試 合:2180         ・安 打:2340131位)
・二塁打: 441108位)     ・三塁打:  76
・打 点: 960         ・H R: 198
・得 点:1329108位)     ・盗 塁: 37987位)
・四 球: 939         ・打 率:0.295
 
また、彼の受賞した主な賞を挙げると、
リーグMVP:1回(1995
シルバー・スラッガー賞:9回(199892199596199899
ゴールド・グラブ賞:3回(19941996
オールスター試合出場:12回(198891199397199920002004
 
イメージ 1
 
今回の直筆サイン入り写真は、1枚。
選手時代の8インチ×10インチ写真(白黒写真)です。
写真は、通販でレッズ球団の公式ショップから購入したもの。
サインは、日米野球のために来日した時に、対面でもらいました。
 
このシリーズは、まだ続きます。よろしければ、バック・ナンバーもご覧ください。
1..ソーシア09/12/17    ・2..スミス09/12/26
3..ボンズ10//2     ・4..ジョンソン10//
5.レロン.リー10//10    ・6..パケット10//25
7..モイヤー10//4    ・8..マーフィー10//10
9..トーマス10//18    ・10.デルガド10//23
11.ウォーカー10//10   ・12.カスティーヤ10//18
13.ガララーガ10//4   ・14.S.ソーサ:10//12
15.グリフィ.Jr10//5 ・16.ギーエン10//
17.アンダーソン10//25  ・18.ホフマン10//
19.ワグナー10/10/11    ・20.アロマー11//
21.ジアンビ11//29
みなさん。こんにちは。
 
先週5月19日、フィラデルフィアで行われたMLB試合で、3本のHRを打った打者がいます。41歳4カ月11日という年齢は、「野球名誉の殿堂」入りした名選手S.ミュージアルに次ぐ2番目の高齢記録でした。
 
 
(動画を見るには、スタートボタンをクリックすると、
“埋め込みがリクエストにより無効となっています
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そこで、〔MLB・大リーガーのサインのコレクターです〕シリーズ。
第21弾は、J.ジアンビ」(Jason iambi)です。
 
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1971年1月8日生まれ(41歳)。カリフォルニア州出身。身長191㎝、体重107㎏。右投・左打。J.ジアンビは、1992年、ロングビーチ州立大学3年時にオークランドからドラフト2巡指名を受けてプロ契約。ちなみに、同年、バルセロナ五輪の野球競技では米国代表として出場、2番または8番1塁手として日本代表と2試合を行っています。日本が2試合とも勝利しましたが、日本チームのメンバーでは、小久保裕紀選手(当時青山学院大学)だけが現役選手(福岡ソフトバンク)としてプレーしています。
MLBでは、オークランド(1995〜2001)、NYヤンキース(2002〜08)、オークランド(2009)、コロラド(2010〜)、と合計17年間、大リーグを代表する長距離打者として活躍しています。
 
J.ジアンビは、1995年シーズン途中にMLB昇格。95年、96年は外野手兼三塁手としてプレーしましたが、96年オフにチームが主砲のM.マクグアイアをセントルイスにトレードに出したことから、97年以降本来の1塁が彼の定位置となりました。そして、4番打者として1998年から2001年迄の4年連続100打点以上を挙げ、1999年から2001年迄の3年連続チーム最優秀選手に選ばれました。特に2000年は43HR、137打点、打率0.333を記録してアリーグのMVPに輝きました。なお、翌2001年は38HR、120打点、打率0.342を記録してチームのプレーオフ出場(2位・ワイルド・カード)に貢献し、MVP投票2位となりましたが、この年のMVPは西地区優勝シアトルで新人王も獲得したイチローでした。J.ジアンビの特長は、長距離打者ながら選球眼が優れていることです。2000年、2001年とも、リーグ最多四球と最高出塁率を記録しました。
 
J.ジアンビは、FAとなった2001年オフ、7年間1,2億万ドル(約120億円)というリッチな契約でNYヤンキースに移籍しました(2007年の年棒2342万8571ドルは、MLB最高額でした)。私は、とてもがっかりしました。彼は、生まれてから大学に至るまでカリフォルニア州ロサンゼルス近郊で過ごし、MLB在籍球団もカリフォルニア州オークランド。それがいきなり対極の東海岸に行くなんて。しかもヤンキースお馴染みの札束攻勢に魅かれて。「J.ジアンビ、あなたもか!」という気分でした。
 
NYヤンキースは、伝統のある球団。ドレス・コードも厳しくヒゲと長髪を禁止しているために、記者会見にすっきりとした顔立ちで現れた姿はまるで別人に見えました。NYヤンキース時代の7年間、故障者リストに載った2年間(病良性腫瘍・2004年、2007年)を除く5年間はすべてHR30本以上(40HR以上は2度)を打ち、2005年にはカムバック賞も受賞しました。
 
J.ジアンビを語る上で落とせないことに、いわゆる「バルコア・スキャンダル」があります。2004年、B.ボンズ(当時サンフランシスコ)などのトレーナーだったG.アンダーソンが禁止薬物(筋肉増強剤)を使用していた選手の名前を明かし、J.ジアンビもその中に含まれていたのです。J.ジアンビ、は、2001年オフから3年間、ステロイドなどを使用していたというのです。時期的には、オークランドを離れてNYヤンキースに移籍した3年間に当たります。私は、「NYヤンキースと高額契約を結んだことによるプレッシャーがそうさせたのだろうか。だから、NYヤンキースに移籍しなければ良かったのに。」などと思いました。彼は、2005年と2007年、公式に謝罪をしています。
 
J.ジアンビは、2009年、古巣オークランドに復帰しましたが振るわず(打率0.193)、2010年、年棒85万ドル(約6800万円)でコロラドに移籍。今年2011年は、マイナー契約ながら春季キャンプに招待選手として参加して見事MLB契約を勝ち取り、対右投手用の1塁手兼代打要員としてプレーしています。
 
MLBのキャリア通算記録(2011年5月28日迄):
・試合: 2060        ・安打: 1923
・二塁打: 385        ・三塁打: 9
・打点: 1379(74位)    ・HR: 421(43位)
・得点: 1183(183位)    ・盗塁   20
・四球: 1301        ・打率 :0.281
 
また、彼の受賞した主な賞を挙げると、
リーグMVP:1回(2000)
シルバー・スラッガー賞:2回(2001、2002)
オールスター試合出場:5回(2001〜2005)
カムバック賞:1回(2005)
 
最後に、J.ジアンビは、NYヤンキース時代、松井秀喜(現オークランド)と2004年から5年間チーム・メイトでした。両者の成績を比較すると、松井秀喜が601試合、96HR、401打点だったのに対して、J.ジアンビは586試合、127HR、375打点でした。どちらも大怪我を乗り越えての好成績です。
J.ジアンビは、4歳年上で今も守備について攻守ともに活躍しています。J.ジアンビの活躍を聞くと、「松井秀喜もまだまだ活躍して欲しいなあ。」などと思ってしまいます。
 
今回の直筆サイン入り写真は、2枚。
oops野球カード1994年389(ルーキー・カード)の表と裏、
です。
日米野球のために来日した時に、対面でもらいました。
 
日米野球主催者は、来日大リーガーに同伴するもう1人分の費用を負担しており、多くが奥さんや彼女を連れてくる中で、J.ジアンビは、弟のジェレミー・ジアンビと一緒でした。弟ジェレミーは、1998年から6年間MLBでプレー、2000年から2年間はオークランドで兄と共にプレーしました。そして、悲しいことに、2005年、2001年オフに禁止されていたステロイドを使用したことを告白しました(ここ迄、兄の後を追わなくても良いのに)。
 
私が、J.ジアンビにサインを貰った時に、弟が隣にいました。私は、彼らの名前が日本のメディアで「『ジアンビ』とも『ジオンビ』とも紹介されているので、どちらが正しいのか?」と直接尋ねてみました。すると、弟ジェレミーが「ジアンビ」と答えてくれました。現在、MLB選手名発音辞典では「(pronounced /dʒiˈɑːmbi/」と紹介されています。
ちなみに、今もなお、ベースボール・マガジン社の刊行物「Major eague」では「ジオンビ」という表記を用いています。これに対して、例えばネットwikipedia”では、「ジアンビ」という表記を使っています。後者が正確だと思います。
 
このシリーズは、まだ続きます。よろしければ、バック・ナンバーもご覧ください。
1.M.ソーシア09/12/17    ・2.O.スミス09/12/26
3.B.ボンズ10//2     ・4.R.ジョンソン10//
5.レロン.リー10//10    ・6.K.パケット10//25
7.J.モイヤー10//4    ・8.D.マーフィー10//10
9.F.トーマス10//18    ・10C.デルガド10//23
11.L.ウォーカー10//10   ・12V.カスティーヤ10//18
13.A.ガララーガ10//4   ・14S.ソーサ10//12
15.K.グリフィ.Jr10//5 ・16O.ギーエン10//
17.G.アンダーソン10//25  ・18T.ホフマン10//
19.B.ワグナー10/10/11    ・20R.アロマー11//

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