大相撲:力士・親方のサイン

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みなさん。こんにちは。
東前頭筆頭の琴勇輝が勢を下して今場所12勝目を挙げた。1横綱2大関を撃破した今場所は殊勲賞を受賞。来場所は小結を飛び越して一気に関脇に昇進することが濃厚になった。
取組後のインタビューでは,「一日一日が充実していて,日々勉強で大きな自信につながりました。特に何も考えず自分の相撲だけをまっとうすることを考えたのが良かったです」と15日間を振り返った。
 
今回は,「大相撲:力士・親方のサインのコレクターです。」シリーズ。
24回は,「琴勇輝 一巖」(ことゆうき かずよし)です。

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本名は,榎本 勇起19914月2日生まれ。身長176cm,体重162.4kg香川県丸亀市出身。小学校4年生の時に香川相撲クラブ(善通寺市)で相撲を始めました。当時,朝5時に起床して5kmランニング,小学校の授業が終わると高校生相手に稽古をする毎日だったそうです。
中学・高校は,小豆島高校(現・小豆島町)相撲部監督宅に下宿。小豆島高校1年の時にインターハイ16強,国体8強の成績を残し,12月に同校中退して,佐渡ケ嶽部屋に入門しました。

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佐渡ヶ岳部屋の力士の四股名の特長は,最初に「琴」が付くこと。特に入門当時は,「琴」+「本名の名字」を名乗ることが多いです。例えば,琴奨菊琴菊次,元大関の琴光喜琴田宮でした。また,(入門から1年で昨年廃業した)コロッケの次男は琴滝川,(今年初場所に初土俵を踏んだ)佐渡ケ嶽親方の長男は琴鎌谷です。
琴勇輝の四股名は平成20年3月場所初土俵当時,琴榎本。平成21年5月場所に琴に名前の「ゆうき」を付けて琴勇輝と改名しました。


琴勇輝のハンディは,上背が無いこと。初土俵を踏んだ平成20年3月場所(16歳)も,8年後の今年3月場所も,身長176cmです。背が無い力士は,取組中,上背がある力士と四つに組み合うと,体の動きをしっかり止められてしまいがちで不利です。
ただ,体重は増えました。7年前,幕下に昇進した平成21年3月場所では117kgでしたが,今場所には,45kgも増えて162kgになっています。
そのためか,琴勇輝の相撲スタイルは,昔から突き押しに徹する相撲です。
理想は,真向から低く当たって回転の速いもろ手突きやのど輪で相手の体を起こして相手の懐に飛び込み,そのままハズ押しまたは突き切る相撲です。
多くの小兵力士がするように,土俵上を動き回って相手をいなしたり投げをうったりと幾つもの技を繰り出すタイプではありません。
実際,勝ち星の決まり手の8割強は突き・押しです。気が強い,一本気な性格が見て取れると思います。


平成2511月場所6日目。琴勇輝は,徳勝龍戦で押し倒しで敗れ,徳勝龍からダメ押しされたことで,左膝蓋腱断裂と左膝前十字靱帯損傷という大ケガを負ってしまいました。
医師からは「相撲を取るのは無理かもしれない」と言われ,立つことも座ることもできなかったそうです。リハビリは「泣きながらやった」そうです。琴勇輝は,翌26年3月場所に見事に土俵に復帰し,11月場所に3度目の幕内昇進を果たしました。
今場所3日目。琴勇輝は,横綱日馬富士を破る初金星を挙げる訳ですが,取組後に男泣きしたのは,リハビリの時に自分以上にあきらめずに支えてくれた人たちへの感謝の気持ちからでした。


琴勇輝が土俵上で有名なのは,残念ながら,その突き押しの相撲よりも,取組前に気合を入れるための「ホォウ!」という声かもしれません。
昨年27年春場所前の力士会で,横綱白鵬から,「犬じゃないんだから,ほえるな! やめろよ!」と叱責されました。白鵬は当時優勝回数33回の大横綱。一方,琴勇輝は十両力士。白鵬のパワハラという批判もありましたが,例えば,取組直前の琴勇輝のコトバウワー・ポーズや元高見盛のロボコップ・ポーズは土俵の外で行われます。取組直前に土俵上での大声は確かに異例。琴勇輝と共に名指しで批判された千代鳳は,「オレは怖くてできなかった」とその後声を出すことを止めました。
しかし,琴勇輝は,その後も本場所中,「信念を捨てるぐらいならマゲを落としてもいい。それぐらいの覚悟がありました」と,声を出し続けています。琴勇輝の気が強い頑固一徹な性格を現すエピソードだと思います。


琴勇輝は,弟思いであることも有名です。子供の頃は,弟がいじめにあったと聞いて,相手のもとに出向いて直談判,いじめを止めさせた頼れるお兄ちゃん。現在,弟は埼玉医科大学の四年生。私立の医大は高額な学費がかかりますが,琴勇輝は平成25年5月場所で,十両優勝した時に表彰式でもらった賞金120万円をそのまま弟に学費にするよう館内で手渡しています。また,その後も,大相撲トーナメントなどで得た賞金を弟の学費にあてている,優しいお兄ちゃんです。
琴勇輝と弟の笑顔の2ショット写真は,琴勇輝のブログで見ることができます。

イメージ 3大相撲の東京場所では,横綱・大関を除く関取は,タクシーを降りて門を入り,国技館前に入るまで約100mを歩くことになります。そして,ファンは,国技館の周りで力士の入り待ちをして,関取が通るたびに,写真を撮り,四股名を連呼します。しかし,悲しいかな,ほとんど全ての関取は,ファンの歓声を無視して,無表情で歩きます。少ない例外の一人が琴勇輝です。琴勇輝は,ファンから自分の四股名を呼ばれるたびに,軽く会釈をしてくれます。実は,私が琴勇輝のファンになったのは,このファンを大切にする光景に接したときからです。


通算の成績は,
生涯戦歴30022627休/522出(48場所),
幕内1018623休/185出(14場所),1金星,
十両116913休/206出(14場所),1優勝,
幕下50401休/89(13場所)
三段目165敗/21出(3場所)
序二段122敗/14出(2場所),
序の口:5勝2敗(1場所),
前相撲:1場所,


これで,琴勇輝は,大関の筆頭候補になりました。今場所12勝で準優勝という成績は大きなステップになったことは,間違いありません。
次の5月場所がとても楽しみです。私は,琴勇輝をもっとも応援しようと考えています。


今回の写真は,3枚。
1枚めは,琴勇輝 一巖の直筆サイン 色紙(201247日藤沢市秋葉台体育館),
2枚めは,琴勇輝 一巖がサイン する光景(201247日藤沢市秋葉台体育館),
3枚めは,琴勇輝 一巖が国技館入りする光景(2015114日藤沢市秋葉台体育館),
です。


このシリーズ は,まだ続きます。よろしければ,バック・ナンバーもご覧 ください。
1.阿武松親方10/1/17      ・2.大島親方10/2/
3.栃ノ心剛10/2/14       ・4.星安出寿保世10/3/
5.時天空慶晃10/3/22      ・6.高見盛精彦10/4/12
7.山本山龍太10/4/29      ・8.琴光喜啓司10/6/16
9.豊ノ島大樹10/9/4      ・10栃煌山雄一郎10/9/14
11稀勢の里寛10/11/15     ・12武州山隆士11/2/11
13琴奨菊和広11/9/28      14花籠親方12/5/20
15旭天鵬勝12/5/23       ・16把瑠都凱斗12/5/20
17阿覧欧虎13/10/19      ・18貴ノ岩義司13/12/24

19琴欧洲勝紀14/3/24      ・20皇風俊司14/5/25

21隆の山俊太郎14/7/27     ・22阿夢露光大14/11/9

23豊真将紀行15/1/24

みなさん。こんにちは。
大相撲初場所6日目。1人の人気力士が引退を表明しました。
元小結で東幕下7枚目の豊真将(33)が引退を表明した。会見では「土俵に上がれないので寂しい」と泣いた一方で「自分の相撲を取り切れたので悔いはない」とすがすがしい表情も。
今後は年寄「立田川」を襲名し,錣山部屋付きの親方として後進を指導する。師匠の錣山親方(元関脇・寺尾)は「礼に始まり礼に終わるということを体現できた数少ない力士。言うことはなかった」と褒めた。
 
そこで,今回は,「大相撲:力士・親方のサインのコレクターです。」シリーズ。
23回は,「豊真将紀行」(ほうましょう のりゆき)です。
 
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本名は,山本 洋介(やまもと ようすけ)。19814月16生まれ。身長186cm,体重145kg山口県下関市(旧豊浦郡豊浦町)出身。
相撲を始めたのは,小学校のときに地元の相撲クラブで。学校は埼玉栄高校から日本大学へとアマチュア相撲のエリート・コースを歩みました。ちなみに,埼玉栄高校と日本大学は,それぞれ,現役の関取を最も多く輩出している名門高校,大学です(5人,6人)。
豊真将は,日本大学相撲部では1年生の時にレギュラー格(黒まわし)となりましたが,蜂窩織炎を患って退部を余儀なくされました。蜂窩織炎とは,細菌により皮下脂肪の組織・細胞が化膿し壊死してしまう病気で痛みと発熱を伴います。かつて,元大関の小錦出島もこれが主原因となって引退に追い込まれましたし,昨年末から,鶴竜がこれに悩まされています。大学時代は,アルバイトに精を出す(警備員,鳶職)傍ら,バイクに興じる日々だったそうです。
4年生になり卒業を控えた2003年,豊真将は,相撲部で同期だった里山白乃波らがプロ入りすることを聞き,相撲への情熱が再燃しました。大相撲の力士になるには,初土俵時に年齢23歳未満という制限があります。そこで,アルバイト先の社長のつてを頼って,大学を中退して錣山部屋に入門しました。初土俵の時,豊真将は,2211ヶ月でした。
 
錣山部屋は,錣山親方(元・寺尾)が井筒部屋から新しく興したばかりの部屋。当初は,親方の家に住み込ながら,親方と二人三脚で稽古に励む日々でした。20kgの重しを持ってすり足を続けたそうです。豊真将は,引退会見の時に,思い出として真っ先に「新弟子検査の時に,『ここから2人でがんばろう』と親方に言われたこと」を挙げています。
 
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豊真将は,3年間の相撲ブランクこそありましたが,初土俵以来,負け越しを経験することなく番付を上げ続けて,わずか2年後の2006年初場所に錣山部屋初の関取(十両)となり,その2場所後には幕内昇進を果たしました。
幕内では,3度の準優勝を果たし,5回の敢闘賞,2回の技能賞を受賞するなど,将来の大関候補とまで呼ばれました。最高位は東小結。この頃,豊真将のネットでの愛称は,当時最新の「第3世代携帯電話」の名称FOMAだったことを覚えています。
 
 
大相撲の力士は,いつもケガの危険に直面しています。豊真将のような正面からぶつかる正攻法の力士は特にそうでしょう。豊真将は,血中コレステロール値の異常,左手首(手術),破傷風,左肩腱板損傷(手術)などが原因で,最近3年半では9場所も休場していました。そのため,番付も平幕上位・十両の間を大きく上しました。
引退の直接の原因は,2014年7月場所5日目,対日馬富士戦で右膝前十字靱帯を損傷したこと。その手術とリハビリのため,7月場所の残りの10日間,9月場所,11月場所と全休し,幕下7枚目まで番付を落とした今場所,初日から休場していましたが,6日目に引退を発表しました。
 
通算の成績は,
生涯戦歴415344106休/756出(64場所)
幕内30930477休/611出(46場所)
十両542229休/75出(7場所),
幕下2913敗/42出(6場所),
三段目7勝0敗/7出(1場所)1優勝,
序二段122敗/14出(2場所)
序の口:4勝3敗/7出(1場所),
前相撲:1場所,
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豊真将は、その所作・作法が丁寧なことで特に有名です。土俵の上での手刀,塵手水(ちりちょうず)。特に取組後の深々とした礼は,他のどの力士にも見られない,とても印象的な姿でした。
日本相撲協会の公式ツイッターは,豊真将の引退記者会見の様子を11回にわたってツイートしました。異例の多さです。錣山親方は「礼で始まり礼で終わる相撲道を体現できる数少ない力士。弟子ながら尊敬している」と称賛。北の湖理事長も「協会にとっても宝」と話しています。
 
 
豊真将の引退は残念で仕方ありません。11月場所前,日本相撲協会に提出した診断書には「右膝脱臼で約2カ月のリハビリテーション加療を要する」とありました。錣山親方は「9月場所で引退する選択もあったが,幕下に落ちても本人はあきらめていなかった。弟子として何ひとつ言うことはない。尊敬している」そうです。
私は,親方株(立田川)を取得して保障があったことも,引退の一つの原因だと思っていました。幕下55枚目まで落ちながらも,幕内に見事復活して先場所に敢闘賞まで受賞したな栃ノ心は,外国籍ゆえ当然親方株は取得できません。また,今場所,元十両の飛翔富士は,7場所全休により番付を落として,前相撲で相撲をとっています。
ただ,錣山親方は「周囲から見ても治すのに1,2年かかる怪我だった。9月場所で引退する選択もあったが,番付が幕下に落ちるとわかっていても,本人は最後まであきらめなかった。」と言います。記者会見での豊真将は,足の怪我はまだ完治していない様子で,ゆっくりと会場を後にしていました。
幕下以下はほぼ無給。現在33歳。それでも,相撲を取り続けてくれるよう願うのは,ファンの未練,勝手というものなのでしょう。
 
錣山部屋は,親方の現役時代の人気もあって力士の数は多いのですが,創設11年で関取はわずか2人(豊真将とモンゴル人力士の青狼)しか誕生していません。今後は, 「怪我のことなど弟子のサポートをしていきたい。諦めない相撲をとる力士を師匠と共に育成していきたい」そうです。
願わくば,豊真将の果たせなかった大関力士を育ててもらえれば,さぞ素晴らしいと思います。
 
今回の写真は,3枚。
1枚めは,豊真将紀行の直筆サイン色紙(2010410日藤沢市秋葉台体育館),
2枚めは,豊真将紀行が巡業入りする光景(2009411日藤沢市秋葉台体育館),
3枚めは,豊真将紀行がポーズをとる光景2010410日藤沢市秋葉台体育館),
です。
 
このシリーズ は,まだ続きます。よろしければ,バック・ナンバーもご覧 ください。
1.阿武松親方10//17     ・2.大島親方10//
3.栃ノ心剛10//14      ・4.星安出寿保世10//
5.時天空慶晃10//22     ・6.高見盛精彦10//12
7.山本山龍太10//29     ・8.琴光喜啓司10//16
9.豊ノ島大樹10//4     ・10栃煌山雄一郎10//14
11稀勢の里寛10/11/15     ・12武州山隆士11//11
13琴奨菊和広11//28     ・14花籠親方12//20
15旭天鵬勝12//23      ・16把瑠都凱斗12//20
17阿覧欧虎13/10/19      ・18貴ノ岩義司13/12/24
19琴欧洲勝紀14/3/24      ・20皇風俊司14/5/25
21隆の山俊太郎14/7/27     ・22阿夢露光大14/11/9
みなさん。こんにちは。
大相撲九州場所が,今日11月9日,福岡国際センターで初日を迎えます。
11月9日に福岡国際センターで初日を迎える大相撲九州場所で,ロシア出身の阿夢露(あむうる)(31)=阿武松部屋=が新入幕となった。平成14年夏場所初土俵から所要74場所は外国出身力士で最も遅い。大けがを乗り越えた苦節12年間。ついに幕内の舞台へ上り詰め「すごいうれしい。でもここが終わりじゃない」とさらなる飛躍に闘志を燃やす。
 
そこで,今回は,「大相撲:力士・親方のサインのコレクターです。」シリーズ。
22回は,「阿夢露 光大」(あむうる みつひろ)です。
 
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本名は,イワノフ・ニコライ・ユーリヴィッチ1988825生まれ。身長192cm,体重126kgロシア連邦沿海地方レソザボズク市出身。
ヨーロッパ出身の関取力士は,全員が他の格闘技からの転向組です(モンゴル人力士との大きな違いです)。阿夢露は,ロシア時代,ボクシングをしていましたが,相撲はTVで見たことがあった程度でした。ただ,阿夢露は,体格も大きく,運動神経にも優れていたことから,義兄から相撲界入りを勧められて,2002年2月に,田上明氏(元十両・後のプロレス団体ノア社長)の紹介で阿松部屋へ入門することになります。来日は,同じロシア人露鵬白露山兄弟と一緒でした。
初土俵は,同年5月場所。阿夢露は,露鵬白露山兄弟と異なり相撲経験はありませんから,出世はかなり遅れました。また,お米がまったく食べられず,パンばかり食べていたそうです。4場所目の序二段西44枚目で早くも負け越してしまいます。その後も,何度か負け越しを経験しながらも,着実にしかしゆっくりと実力をつけていきました
 
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外国人力士の成績が良い理由の1つは,日本人力士と比べてハングリー精神にあふれるからと言われます。母国を離れて生活環境のまったく異なる日本の相撲界に飛び込むことには相当な勇気と覚悟が必要なことは言うまでもありません。そして,相撲取りとしての生活がスタートしても,「1部屋1外国人力士」という制限がありますから,暫くしてその成績が伸びなければ,また別の有望外国人力士と取って替られるという危険にさらされることになります。
 
実際,阿夢露は,平成21年,幕下中位にいた頃,阿武松親方から,「本気で強くなる気がないのなら引退して,そのチャンスを,他の外国人の力士になりたがっている子に譲ってあげなさい」と叱責されたそうです。既に,露鵬白露山兄弟は,それぞれ最高位西小結,東前頭二枚目まで上りつめて引退・帰国しています阿夢露は,それ以来,必死で食べ込んで体を大きくして,稽古に励んだそうです。
 
阿夢露は,平成22年7月場所を,(自己最高位の)東幕下8枚目で迎えました。関取目前です。しかし,4日目の升の山戦で左膝前十字靱帯を断絶してしまいました。そのため,連続休場をよぎなくされて,平成23年5月場所には番付を三段目西68枚目まで落としてしまいました
その後,精進を重ねて,平成24年1月場所に,待望の十両昇進を果たしました。しかし,その場所12日目の琴勇輝戦で,今度は逆の脚の膝靭帯を断絶してしまいます。治療には1年かかります。実際,阿夢露は,翌場所から5番所連続休場することになりました。阿武松親方は,「このまま終わるなよ。再十両じゃない。新十両を目指すんだ。」と励ましながらも,「10年頑張ってここまで来たから,このまま相撲を辞めると言ってきても,良く頑張ったと送り出す。」と言ったそうです。その時,阿夢露は,もう一度化粧廻しをつけると復帰を決心しましたが,心の中の焦燥感やプレッシャーは,きっと,尋常なものではなかったと思います。
 
再起を期した平成25年1月場所。番付は,序二段44枚目まで落ちていました阿夢露の取り口は,きわめて正攻法です。立会変化はしません。立ち合い突っ張って,左前みつをとって左四つから寄り切る,または,押し出すという相撲です。
平成26年3月場所に,めでたく十両に復帰しました。そして,十両でもじわじわと番付をあげて,この11月場所に,幕内昇進を果たしました。長年の苦労が実った形です。31歳2ヶ月での新入幕は,戦後10位の高齢昇進です。また,初土俵以来新入幕まで,74場所(実に12年4か月)を要しましたが,これは,外国出身力士としては史上1位のスロー昇進です。私は,今場所,阿夢露が一番でも多く白星をあげることを願っています。
 
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阿夢露は端正な顔だちをしており,長身で筋肉質でたくましい体つきをしています。いわゆる「そっぷ型」です。しかし,土俵上の姿は,決して派手さはなく,むしろ地味な感じがします。直接会った阿夢露は,いかにも生真面目な人という印象でした。サインは,決してきれいな字ではありません。まるで子供が漢字の書き取り練習をしているようにも見えます。しかし,角ばった文字を崩すことなく,生真面目な性格そのまま一字一字ゆっくりと丁寧に書いてくれました。
 
通算の成績は,
生涯戦歴:29819764休/493(75場所)
幕内戦歴:00敗/0(1場所)
十両戦歴:452817休/72(6場所),
幕下戦績:1078525休/191(31場所),
三段目:1036422休/167(27場所)1優勝
序二段:3818敗/56(8場所)1優勝
序の口:5勝2敗(1場所),
前相撲:1場所,
 
阿夢露という名前は,出身地の沿海州の北を流れるアムール川にちなんでいます。その3文字の漢字は,“”武松部屋に“”を持って“”西亜(ロシア)からきた力士という意味,作詞家の中山大三郎によって命名されたものだそうです。
ただ,“”の読み方は,「ろ」(または「つゆ」)です。「(う)る」とは読みようがありません。厳密には,「あむうる」というよりも「あむろ」でしょう。
そこで,ネットでは,アニメ「機動戦士ガンダム」の主人公アムロ・レイにちなんで,有名なセリフ「2度もぶった! 親父にもぶたれたことないのに!」が格好のネタとなっています。
 
今回の写真は,3枚。
1枚めは,阿夢露光大の直筆サイン色紙(201445日藤沢市秋葉台体育館),
2枚めは,阿夢露光大のスナップ写真201445日藤沢市秋葉台体育館),
3枚めは,阿夢露光大がサインする光景(201445日藤沢市秋葉台体育館),
です。
 
このシリーズは,まだ続きます。よろしければ,バック・ナンバーもご覧ください。
1.阿武松親方10//17     ・2.大島親方10//
3.栃ノ心剛10//14      ・4.星安出寿保世10//
5.時天空慶晃10//22     ・6.高見盛精彦10//12
7.山本山龍太10//29     ・8.琴光喜啓司10//16
9.豊ノ島大樹10//4     ・10栃煌山雄一郎10//14
11稀勢の里寛10/11/15     ・12武州山隆士11//11
13琴奨菊和広11//28     ・14花籠親方12//20
15旭天鵬勝12//23      ・16把瑠都凱斗12//20
17阿覧欧虎13/10/19      ・18貴ノ岩義司13/12/24
19琴欧洲勝紀14/3/24      ・20皇風俊司14/5/25
21隆の山俊太郎14/7/27
みなさん。こんにちは。
チェコ出身の元幕内力士で,多彩な技で人気を集めた西幕下6枚目の隆の山(31)=本名パベル・ボヤル,田子ノ浦部屋=が名古屋場所12日目の24日,現役引退を表明した。愛知県体育館で記者会見し,「自分の相撲が取れなくなり,体力的にも尽きた」と引退理由を語った。今後の活動は未定だが,将来はチェコで日本語を生かす仕事をしたいという。
 
そこで,今回は,「大相撲:力士・親方のサインのコレクターです。」シリーズ。
21回は,「隆の山 俊太郎」(たかのやま しゅんたろう)です。
 
本名は,ボヤル・パヴェル。1983221日生まれ。身長187cm,体重91kg。チェコ国プラハ市出身。
ヨーロッパ出身の関取力士は,全員が柔道またはレスリングからの転向組です(モンゴル人力士との大きな違いです)。例えば,ヨーロッパ出身初の関取の黒海,露鵬,白露山,若ノ鵬,阿覧のロシア組,琴欧州と碧山のブルガリア組は,レスリングからの転向。一方,把瑠都,栃ノ心と臥牙丸,そして,隆の山は,柔道からの転向でした。隆の山は,7歳の時,お母さんの勧めで柔道を始めて,中学・高校は柔道推薦で国立学校のスポーツコースに進学しました。間もなく柔道で頭角を現したのですが,17歳の時に,チェコ相撲協会から世界ジュニア相撲選手権(東京・両国国技館)に出場するチェコ・チームの人数が足りないと助っ人を頼まれて出場。わずか2カ月の稽古で軽量級3位入賞を果たしました。すると,運命の歯車は思わぬ方に回ります。チェコ相撲協会の人から「プロを目指してみないか」と声がかかり,相撲を世界に広めることに積極的だった先代鳴戸親方(元横綱隆の里)を紹介されて,家電のイメージしかなかった未知の国日本の大相撲の世界に18歳で飛び込んだのでした(鳴門部屋)。
200111月に初土俵。相撲素人ながら,序の口,序二段,三段目と順調に番付を上げました。ところが,三段目から幕下への昇進には苦労,行ったり戻ったりで結局5度の幕下昇進を経験して,幕下通過には7年4か月を要しました。十両昇進2011年7月場所。初土俵から所要57場所は外国出身としては2番目のスロー出世でした。しかし,十両は1場所通過で新入幕を果たします。幕内在位は5場所でした。
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 私が初めて隆の山を見かけたのは2001年初場所のこと。当時は,同部屋の稀勢の里寛の付け人でした(上)。体の線の細さが印象的でした。
そして,初めて声をかけたのは20104月でした。当時幕内上位にいるイケメン外国人力士として話題になっていましたから,私は,思わず「すみません。隆の山さん。サインをお願いします。」と声をかけました。しかし,残念ながら「サインはできないんです。」と断られてしまいました。角界不文律で幕下以下の力士はサイン禁止と聞いていたのですが,地方巡業でしたし特別にファン・サービスで  かなと思って聞いてみたのですが,やはり,ダメでした
 
  
日本語は来日後,部屋のおかみさんから貰った「チェコ語・日本語辞典」で独学しました。しかし,最大の壁は体重でした。
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そして,体重を増やす努力は引退まで続きました。幕内力士の平均体重は159kg,平均身長186cm。これに対して,隆の山の入門当時の体重は88kg。力士は食べるのが仕事と言われます。体重を増やそうとあらゆる努力をしたのですが,効を奏しなかったようです。幕内昇進時の体重98kgは舞の海以来14年ぶりとなる100kg未満の幕内力士誕生。また,一時101kgまで増やした体重も,引退時は91kgまで減っていました。
先代鳴戸親方が持病(糖尿病)治療と称してインスリンを入手して,隆の山に注射を打たせていたことも話題になりました(ドーピングに当たる,医師法違反と問題になりましたが,協会は注意にとどめました)。私は,自ら内臓機能を悪くしてまで体重を増やして相撲を取らなければならないのか,と疑問を持ったものです。また,私は,大のMLBファンですが,中年男が悪魔に魂を売って常勝ヤンキースを倒そうとする人気ミュージカル「くたばれ!ヤンキース」を思い起こしました(ミュージカルでは,土壇場で悪魔が男を裏切ります)。
 
本人にとって思い出の相撲は2番。20115月場所,(現・天鎧鵬)をうっちゃって十両昇進を決めた一番と,20122月の大相撲トーナメント(東京・両国国技館)で白鵬につかみ投げを食らった一番だそうです。この1年間3回の幕下陥落。初めの2回は勝ち越して(4勝3敗)1場所で十両復帰を果たしていましたが,今場所は幕下西6枚目,ケガで途中休場,024休。来場所の十両復帰は絶望でした。
 
最後に,勝ち星の決まり手は,多い順に,送り出し,とったり,送り倒し。寄り技や投げ技が無いところに,正攻法ではいかない(いけない)隆の山の相撲の特徴が表れていると思います。普通では歓迎されない立ち合いの変化も,隆の山であれば仕方無いなと思ったものです。隆の山の相手に押されながらも,土俵を広く回りながら技術,腕力,スピードを駆使して勝つスタイルは,見ていて楽しい相撲でした。最高位は西前頭12枚目(20127月場所)
 
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隆の山は,新入幕を果たした2011年9月場所直後に4歳年上の日本人女性との結婚を発表。既にお子さんもいました。不文律では幕下以下の力士は,結婚もご法度のため,入籍が遅れたようです。奥さんは日本人ですが,今後はチェコに帰国してプラハで日本語を生かす仕事に就くそうです。また,大相撲の世界から,個性派力士がいなくなったのは,とても残念です。好きな日本語は「努力と我慢」。“おしん横綱”こと先代鳴門親方直伝の精神なのでしょう。その隆の山が「自分の相撲が取れなくなってきた。体力も尽きた。」そうです。「やるだけやった」という充足感も感じられました。お疲れさまでした。
 
 
通算の成績は,
生涯戦歴 :3253189
幕内戦歴:26495場所),
十両戦歴:768911場所),
幕下戦績:133123938場所),
三段目:593914場所),
序二段:26166場所),
序の口:5勝2敗(1場所),
前相撲:1場所,
 
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今回の写真は,5枚。
1枚めは,隆の山俊太郎稀勢の里寛の付け人時代の写真(2009112日@両国国技館)
2枚めは,隆の山俊太郎のスナップ写真(2010410日@藤沢市秋葉台体育館),
3枚めは,隆の山俊太郎のスナップ写真(201346日@藤沢市秋葉台体育館),
4枚めは,隆の山俊太郎がサイン する光景(201247日@藤沢市秋葉台体育館),
5枚めは,隆の山俊太郎の直筆サイン 色紙(201346日@藤沢市秋葉台体育館),
です。
 
このシリーズは,まだ続きます。よろしければ,バック・ナンバーもご覧ください。
1.阿武松親方10//17     ・2.大島親方10//
3.栃ノ心剛10//14             ・4.星安出寿保世10//
5.時天空慶晃10//22     ・6.高見盛精彦10//12
7.山本山龍太10//29     ・8.琴光喜啓司10//16
9.豊ノ島大樹10//4     ・10栃煌山雄一郎10//14
11稀勢の里寛10/11/15     ・12武州山隆士11//11
13琴奨菊和広11//28     ・14花籠親方12//20
15旭天鵬勝12//23      ・16把瑠都凱斗12//20
17阿覧欧虎13/10/19      ・18貴ノ岩義司13/12/24
19琴欧洲勝紀14/3/24      ・20皇風俊司14/5/25
みなさん。こんにちは。
大相撲の元幕内で,西幕下51枚目の皇風(27)=本名直江俊司,東京都出身,尾車部屋=が夏場所11日目の21日,現役を引退した。東京・両国国技館で取材に応じ,「年明けに左肩を痛めて引退を考えるようになった。やれることはやったと思う」と語った。
 
そこで,今回は,「大相撲:力士・親方のサインのコレクターです。」シリーズ。
20回は,「皇風俊司」(きみかぜ としじ)です。
 
本名は,直江俊司(なおえ としじ)。1986923日生まれ。身長182cm,体重135kg。東京都調布市出身。4から府中住吉クラブで相撲を始めました。高校は名門の明大中野高校。OBには貴乃花若乃花(元横綱),栃東(元大関)などがいます。大学は推薦で早稲田大学(スポーツ科学部スポーツ医科学科)。ただ,多くの関取に見られるような当時全国レベルで素晴らしい成績を残した訳ではありません。高校では2年時に新人戦ベスト163年時にインターハイベスト16。大学では1年時に全国学生選手権で個人ベスト32になりましたが,2年時に左肩を傷めて3年時に退部,相撲を一時断念してしまいました。相撲の再開は偶然。4年の時,知人の出場した相撲大会を観戦に行ったところ,府中住吉クラブの先輩である元・若兎馬(当時年寄「押尾川」)に勧誘されて,再び相撲へ情熱を持って尾車部屋に入門しました。
2009年1月に初土俵。角界入り後は順調に番付を上げました。才能が開花したのでしょうし,十分な稽古も重ねたのでしょう。2011年7月場所に西幕下5枚目で全勝優勝を果たして翌9月場所に十両昇進。「十両に上がれた時が一番うれしかった」,「尾車部屋に入れて幸せだった。この部屋でなければ関取になれなかった」そうです。四股名は本名の直江から皇風に。「風」は尾車部屋所属力士の代表的な文字(親方は元琴風,力士に豪風嘉風星風)。「皇」は「“王”の上に白星を重ねてほしい」との願いが込められていました。そして,20123月場所に西十両7枚目で優勝123敗)を果たして翌5月場所で新入幕を果たしました。
 
しかし,好事魔多し。皇風は,十両昇進後に怪我に悩まされます。十両昇進2場所目に右足首関節捻挫で初の休場,新入幕の場所に右太もも裏の怪我により再び休場。さらに,アマチュア時代相撲を断念する原因となった左肩の腱板が断裂したため肩が思うように上がらなくなって,今場所は西幕下51枚目で全休をしていました。
 
得意技は,突き,押しでした。しかし,立会いの変化は珍しくありませんでした。決まり手は叩き込みが多いのも特徴。突きを繰り返しながらも,叩き込みを狙っているようでした。皇風は決して体格に恵まれた力士ではありませんでしたが何度かがすっきりしない思いもしました。最高位は西前頭13枚目(20125月場所)  
 
イメージ 1
 
 
皇風には,早稲田大学出身の力士という話題が先行していたように思います。ただ,それも仕方のないことでしょう。早大出身の力士は確かに異色。史上3人目,関取(十両以上)としては78年ぶりとなる史上2人目でした。皇風新十両に昇進した2011年,早大相撲部の部員数はわずか3名。そのため,早大OBの期待は大きく,新十両昇進のパーティーを兼ねた稲門祭前夜祭では,森喜朗・元首相,鶴田卓彦・横審委員長,海老沢勝二・元横審委員長というお歴々が駆けつけて激励しました。また,レスリング五輪2大会連続銀メダリストの太田章教授ら「早稲田有志会」は早大スクールカラーのエンジ基調で「」の文字を描いた化粧まわし(約100万円)を贈っています。
 
私は,皇風引退のニュースを聞いたときには,早いなぁ,勿体ないなぁ,と思いました。角界に入って5年半,まだ27歳。怪我で番付を落としていることは知っていました。しかし,一方では,昨年7月場所途中,西前頭11枚目で怪我をして以降3場所連続全休した栃ノ心は,復活した先場所で幕下優勝,今場所も連続優勝を遂げています。皇風には休場して治療に専念してから再起を期すという選択肢は無かったのでしょうか。満身創痍,心も燃え尽きたのでしょう。改めて相撲界の厳しさを再認識させられました。現役を続ければ来場所は三段目陥落が確実でした。今後の進路は未定。「やれることはすべてやった」,「自分を成長させてくれる場所で頑張りたい」そうです。お疲れさまでした。
 
通算の成績は,
生涯戦歴 :14111213
幕内戦歴:5勝8敗2休(1場所),
十両戦歴:39勝438休(6場所),1優勝
幕下戦績:7053318場所),1優勝
三段目:10勝4敗(2場所),
序二段:122敗(2場所),
序の口:5勝2敗(1場所),
前相撲:1場所,
 
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今回の写真は,2枚。
1枚めは,皇風俊司の直筆サイン色紙(201247日@藤沢市秋葉台体育館),
2枚めは,皇風俊司がサインする光景(201247日@藤沢市秋葉台体育館),
です。
 
このシリーズは,まだ続きます。よろしければ,バック・ナンバーもご覧 ください。
1.阿武松親方10//17     ・2.大島親方10//
3.栃ノ心剛10//14      ・4.星安出寿保世10//
5.時天空慶晃10//22     ・6.高見盛精彦10//12
7.山本山龍太10//29     ・8.琴光喜啓司10//16
9.豊ノ島大樹10//4     ・10栃煌山雄一郎10//14
11稀勢の里寛10/11/15     ・12武州山隆士11//11
13琴奨菊和広11//28     ・14花籠親方12//20
15旭天鵬勝12//23      ・16把瑠都凱斗12//20
17阿覧欧虎13/10/19      ・18貴ノ岩義司13/12/24
19琴欧洲勝紀14/3/24

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