|
>>『日韓交流新時代』:抜粋 『韓半島の歴史をここで詳細にかたるつもりがないにしても、少なくとも三国時代を制し半島覇者となったのが新羅であり、当時日本が誼を通じていた百済の滅亡による反動から白村江の戦い以降両地域間の接触、交流が急速に後退していったことは多くの読者もご存知の歴史的事実であろう。 < ・・・・・中略 ・・・・・> 新羅末期には後三国時代を招き、結局その覇者となった王建が創始した「高麗王朝」に政権を譲った。高麗朝(918-1392年)はその基本的性格が武人政権であり、仏教を国教として優遇し国威発揚に努めたが、13世紀に中原を制圧したモンゴルの侵攻以降次第に国力を衰退させ、同じく武人であった李成桂(イ・ソンゲ)に創始された李氏朝鮮朝にとって替わられた。この李氏朝鮮朝こそ、韓半島支配権を中国から認知され、小中華たるべくその宗主国から本格的な儒教導入、強化により絶対的支配体制確立を徹底活用した王朝である。 < ・・・・・中略 ・・・・・> 高麗朝が質実剛健で民族的独自性・開放的色彩が濃い男性的王朝とするなら、その対極にあろう李氏朝鮮朝は、国策として支配層である特権階級と被支配層である一般人との階級差別を当然とした国家秩序の維持が国是であり、それが故に国内交流すら首都防衛の一環から極力抑えつけ社会変革の芽を事前に摘み取る恣意性が強く、結果的に内部交流、民族資本の蓄積をもさまたげるた、極めて自閉的色彩が強い王朝であった。』 『その韓半島において、李氏朝鮮朝終焉後も未だに南北とも儒教の残滓から完全脱却に成功していないのである。(北朝鮮の金王朝が、赤い儒教独裁国家であることは周知の事実)儒教否定を断行した日本の明治維新(士農工商の否定)、毛沢東に主導された打倒孔家店により革命中国から徹底的に一掃された儒教と孔子は、その出身地である中国山東省から李氏朝鮮朝が君臨した韓半島に追い出され、かの地にしっかり根を張り、半島南部の韓国においては資本主義との融和による奇妙な進化を果たしながら、 今日まで生き残ることに成功してきたのである。儒教の根幹が支配層と被支配層の階級差別を前提とするのであるから、支配層を絶対化するための権威主義が強化、整備され、その権威主義が独裁・閉鎖主義を誘発し、富の集中、汚職と腐敗を複合併発させた結果、韓国においても富を得るためには、政治権力に執着せざるを得ない土壌の温存、権力奪取の為には激烈な内部闘争が展開された。 < ・・・・・中略 ・・・・・> これに失敗の原因を常に外部に求めるという独自の民族的精神風土が加味され、「反省をしない民族」という独自色彩や、「両班志向」とも言うべき自己実践、実利追及を軽視し自己体面、形式偏重する社会風土が高じ、いつしか実質・実態の伴わないきわめて奇妙な自愛的、虚飾的習性も並存させてきた韓国的儒教の弊害は 余りのも複雑で深刻なものに変質していったのである。この600年余にわたり染み付いた権力、権威主義志向による韓国社会の負の体質、残滓は、李朝崩壊後も色濃く半島にその陰を落とし続け、今日まで幾多の同族間対立、或いは独裁、腐敗の一翼を担ってきたが(金泳三(キム・ヨンサム)政権の経済破綻もその余波とされる)、その足跡は・・・』 (以上 拙筆『日韓交流新時代』 第一部 『革命の新韓国』より抜粋。)
|
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
2006年09月01日
全1ページ
[1]
全1ページ
[1]




