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今から7年前に長江サイドカーの入手に関するアドバイス的な記事を書いたのですが(未だにそのページへアクセスをしている人が一定数存在する)、さすがに今の目で見ると古さや粗がかなり目立つので、長文とはなりますが新たに書き直しをしてみました。
2010年当時とは入手するための状況が変わっていたりしますが、「長江が欲しい」という人の参考にでもなれば幸いです。
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【外観】
中国で作られたオリジナル状態のCJ750長江サイドカーは、旧東側の軍用車両でよく見かける、若干明るい緑色で全体が塗装をされています。自分みたいな旧ドイツ軍風の外見にしたい場合は、別の色で新たに全塗装をする必要があります。
中国人民解放軍でも長江サイドカーは長年に渡って伝令・偵察用途で使われていましたが、北京オリンピックの頃を境にして現在では嘉陵JH600Bサイドカー(※1)へと更新をされています。
長江は大まかに分類すると3つのタイプがあります。しかし、それらの車体の外見はほぼ同一なので、搭載しているエンジンで区別をつけています。
CJ750M1
電装:6V
構造:水平対向SV(サイドバルブ)
出力:22馬力
ミッション:前進4段
始動方式:キック
備考:手動進角
1957年当時、中国の友好国であったソビエト連邦による技術協力で作られた最初の長江。中身はBMW R71やIMZ M72そのままである。
CJ750M1M
電装:12V
構造:水平対向SV
出力:24馬力
ミッション:前進4段/後退1段
始動方式:キック/セル
備考:左側面にデスビとポイント
M1からM1Mへのマイナーチェンジの中身としては、電装が12vに強化をされてセルモーターとバックギアが搭載、点火時期の調整もレバーによる手動操作から遠心ガバナーを用いた自動進角となった。以上、これらの改装で一気に使い勝手が向上し、馬力も少しだけだがUPした。
しげーの長江はこのタイプです。
CJ750M1S
電装:12V
構造:水平対向OHV
出力:32馬力
ミッション:前進4段/後退1段
始動方式:キック/セル
備考:左側面にデスビとポイント
吸排気弁の構造が旧来のサイドバルブからOHVへと進化をしたM1Sだが、シリンダー周辺以外はM1Mと同一となっている。全体的な作りや雰囲気としては、ウラル650のエンジンにもどことなく似ている。
今ではちっとも見かけなくなってしまったウクライナ生まれのドニエプルサイドカーだが、冷戦終結前後の1980〜90年代には、そこそこの台数が日本へ並行輸入されていた。この当時、共産圏で製造されたサイドカーといえばドニエプル(ともう一つはチェコスロバキア製のJAWA 350)であった。
シリンダーのヘッドカバーにある横4本のリブがドニエプルの証になっている。
地道な宣伝活動による周知と全国的な販売網の拡充、以前からの弱点であった電装系や足回りの強化、そして日本における最大のセールスポイントである「二輪免許ではなく普通自動車免許(MT)で運転が可能」という2WD構造により、今やサイドカー界隈の一大勢力とまで化したウラル。しかし日本への上陸そのものはドニエプルよりも少し遅く、ソビエト連邦崩壊後の1990年代初頭以降にようやくまとまった数の並行輸入(後に本格的な正規輸入へと移行)が開始された。
新車販売価格は1台193〜256万円。10年前だと手元に140万円もあれば買えるくらいに安価で手頃なサイドカーであったが、今では大幅な値上がりをして200万円超えという高級オートバイの位置にある(ウラルで一番メジャーなGear Upでは本体価格214万円とは別に諸費用30万円前後が必要)。それでも新車で買える側車付大型二輪としては安い部類だが。
長江と同じ共産圏製のサイドカーであるドニエプルやウラルも、元をたどると第二次世界大戦時にドイツで使われていたBMW R71を起源(正しくは「コピー」だが)とする兄弟車なのですが、よく見比べると様々な部分で結構相違があります。特にウラルとドニエプルは1960年代中頃からフレーム形状やエンジン設計で独自の進化・発展を歩み始めたことにより、R71の面影は次第に消えていきました。
だが、長江はそれら2車種とは違い、ほぼ半世紀近くそのままの構造で生産され続けた結果、1930年代当時のBMW(とM72)の雰囲気を21世紀の今日でも色濃く残す貴重なサイドカーとなりました。
横から見るとBMW・長江のフレームの形状は直角三角形(プランジャ式サスペンション)、近年のウラルやドニエプルは長方形(スイングアーム式サスペンション)となっているので、両車の違いは一目瞭然です。
画像は上から順に…
1938年式 BMW R71 (SV プランジャ) 後にM72の開発母体となる
1966年式 CJ750M1M 長江 (SV プランジャ) しげー所有
1957年式 IMZ M72 (SV プランジャ)
1959年式 ウラル M61 (OHV プランジャ)
1960年代のドニエプル K750 (SV スイングアーム)
1970年代後期のドニエプル MT-10-36 (OHV スイングアーム)
1990年代中〜後期のウラル650 Tourist (OHV スイングアーム)
2008年式 ウラル750 Gear Up (OHV スイングアーム)
参考:中期生産型 BMW R75 (OHV リジッド)
参考:1943年式 Zundapp KS750 (OHV リジッド)
参考:1941年式 BMW R12 (SV リジッド)
※1
長江の後継として新たに部隊配備をされた嘉陵JH600Bサイドカーですが、実は日本でも入手が可能です。千葉県柏市にあるサイドカー専門店オクトランが2016年の春より並行輸入販売をしています。価格は220万円(国交省認可済 要:大型二輪免許)。
そしてこの嘉陵JH600Bには一般的なサイドカーとは違い、ハンドルを操作して前輪を切ると側車輪も連動して同方向へ切れるというギミックが搭載されており、狭い場所におけるUターンでも見た目以上に小回りが効きます。
///////////////////////////////////////////////////////////////////// 【運転免許】
長江は2WDのウラルやドニエプルと外見はよく似ていますが、後輪と側車輪を同時に駆動をさせるフルタイム/パートタイム機構は有していないので、普通自動車免許で運転はできません。
長江に乗って公道を走るには大型二輪免許が必須です。
もしも大型二輪免許を所持していないのなら、自動車教習所へ通うか運転免許試験場の一発試験で頑張って取得してください。
///////////////////////////////////////////////////////////////////// 【入手するには】
10年前から本国スタッフによる正規ディーラーが置かれているウラル(大阪市港区に店舗を兼ねたショールームがある)とは違い、長江には正規の販売店・代理店が国内に無いため、手に入れるには並行輸入が前提となります……が2017年10月現在、中国から並行輸入販売をしている業者は(自分が知る範囲では)残念なことに存在しません。
4年ほど前なら福岡県にある田中商会が通関証明書&現地書類付で1台50〜80万円で販売をしていましたが、実際のところ全然売れなかったらしく、その後しばらくして長江の並行輸入業からは完全に撤退をしてしまいました。
よって今の日本で長江を入手するには
1:ヤフオクに出品されているのを入札して競り落とす
2:バイク屋の店頭に中古車として陳列されたものを購入する
以上の二択となります(※2)。
ヤフオクなどにおける長江の相場は、程度にもよりますが25〜80万円前後とやや上下に幅があるものの実はそれほど高価ではありません(他の中古サイドカーの値段と比較をしては、ですが)。ただし、日本国内に存在する長江のタマ数は兄弟車であるウラルと比べると圧倒的に少ないため、探し出して手に入れるには相応の運と努力と覚悟と根気が必要になります。
それと車庫や物置に保管をされたまま長い年月放置され、ろくに整備すらされていない個体が出品されることも珍しくないので、物によっては状態が極端に悪かったり、ひどい場合には赤錆まみれ、欠品だらけの完全な不動車となっているものもザラだったりします(※3)。
さらに注意したい点として、ヤフオクでは以前から数ヶ月〜半年に一台程度の頻度で長江が出品されますが、その大部分は登録が不可能な書無し車か、存在そのものが100%違法な軽二輪登録車(※4)です。自宅の庭に飾ったり、分解して部品取りなどにするならまだしも、法的に見るとこれらは公道をまともに走れるものではありません。落札して出品者へ代金を支払った後に真相を知って泣きを見ないためにも、そのような素性の怪しい&疑わしい車両には極力手を出さないよう、十分に気をつけてください。
また、バイク屋での店頭取り扱いに関しては、栃木県大田原市にあるモーターサイクルショップイワモトが以前(5年くらい前)はしょっちゅう中古の長江を販売していましたが、今では全然見かけなくなりました(ウラルの新車と中古車は定期的に仕入れているみたいですが)。
ちなみに国内で一番多く生存している長江はM1で、M1MとM1Sは少数派です。それぞれの割合としては5:3:2くらいではないかと思っています。
上の新聞切り抜き画像は、どにぺれ会掲示板の過去ログにアップされていたものをお借りしました。
稀にヤフオクでフェンダーやフレームはサビでグサグサ、タイヤと塗装は劣化してボロボロ、だけど書類は全部揃っている……という状態で出品される、燃料タンクと船の側面に龍の絵が描かれた6v電装のM1長江は、35年以上も昔(1970年代末)に石川県の業者によって並行輸入・販売をされた個体だったりします。以前、この事を色々と調査をした山梨のウラル乗りである保坂氏の情報によりますと、合計で150〜200台ほどが中国から日本に向けて輸出をされたらしい(?)です。
とはいえ、その中にきちんと整備や修理をされ、今でも車検を通して走行が可能な個体は、いったい何台が残っていることやら……。
※2
自身の手で直接、中国本土から1台まるごと個人で輸入をするという方法もあるにはありますが中国当局や税関、現地運送会社との輸出手続き、言語の壁、海外通貨(人民元・米ドル)による高額な支払い、日本到着後の通関処理などにそれなりの知識や経験がないと難しいので、はっきり言うとお勧めはできません。
そして仮に中国から問題なく輸入ができたとしても、現在の運輸局が長江に対して新規に登録許可を出す可能性はかなり低いと思われます。特にここ最近は並行輸入車の審査が以前よりも厳格化され、通関証明書以外の書類関係(主に製造年の確認書など)で門前払いをされる傾向が強い、と聞きます。
※3
他の車やバイクでもそうなのだが、逆に程度良好な個体を愛着をもって長年整備しながら乗り続けているような人は、そう簡単にネットオークションなどで手放すことはありません(所有者が死亡後、遺族が処分目的で出品する場合は除く)。なので、もしも何らかの理由により今ある愛車を手放さざるを得ない事態に陥ったとしても、大抵の場合は昔から付き合いのある友人や知人に譲渡、売却をして未来を託すことが多いです。
それと現行のウラルの新車が200万円を軽く超える価格で販売をされ、その趣味性の高さと滅多に見かけない珍しさが相まって、中古市場においては多少古い年式のウラルでさえも実はそれほど値は下がりません(レア車故に売却価格【リセールバリュー】も近年では高値で安定気味)。そしてこの中古ウラル相場に引っ張られる形で、状態の良い長江には100万円以上の値段が付けられることもあります。
※4
『書無し車』 車検証や一時抹消登録書(俗に言う廃車証明書)が紛失などにより手元に無い状態の車をいいます。こうなると特別な場合(前所有者、またはその親族が再発行に協力してくれる等)を除いて完全なお手上げ状態となり、運輸局での登録はできません。勿論ナンバーを付けて公道を走ることも不可能です。
車検証、廃車証明書以外には、日本へ輸入をした時に税関窓口から交付をされる通関証明書の紛失も書無し車に含まれます。念の為に一応書いておきますが、国内未登録車の通関証明書は、車検証などと違って二度と再発行はされません。もしも紛失をしたら「それまで」です。
『軽二輪登録車』 排気量250cc以上のオートバイを日本の公道で走らせるには、運輸局で正規の登録と車検を通すよう法律で定められていますが、その登録時に不正な書類を提出することにより普通二輪(251〜400cc)・大型二輪(401cc以上)としてではなく車検不要の軽二輪(126〜250cc)で登録をして、車体に軽二輪用のナンバープレートを装着することをいいます。
長江は750ccという排気量からして紛れもない大型二輪車なので、この行為が警察や運輸局に発覚すると脱税や無車検運行の罪で検挙されます。免許証の残り点数や前歴によっては免許取り消し処分も覚悟して下さい。そして、違法な軽二輪登録車で運転中に交通事故を起こしてしまうと、たとえ任意保険にきちんと加入をしていたとしても、保険会社は保険金を1円たりとも支払ってはくれません(違法登録をされたオートバイなので至極当然だが)。もし、その事故が人身死亡事故となった場合には冗談抜きで大変な事態になります。
しかし、30年以上昔に作られた古い外国製バイクと古い国産逆輸入バイクでは、こっそりと軽二輪登録をして走っている人が未だに多かったりします(特に排気量が300〜500ccのバイクで顕著)。
///////////////////////////////////////////////////////////////////// 【運転】
まず、これは長江だけに限らないのですが、足回りが左右で非対称となっているサイドカーで道路へ走り出すと、普通の自動車やバイクとは全く違う、サイドカー特有の『癖』『挙動』が発生します。
長江は右船(運転席から見て右側に側車が固定されている)なので、それで解説をすると……
・左右へ曲がるには肩と腕の力を使ってハンドルを大きく動かす必要がある
・停止状態から発進すると側車(右)の方向にハンドルが取られる
・走行中にブレーキを効かせると本車(左)の方向にハンドルが取られる
・減速せずに右カーブへ進入すると、荷重と遠心力により側車が容易に浮き上がる
・右へハンドルを目一杯切ると小さな半径のUターンができる
・左へハンドルを目一杯切ると大きな半径のUターンができる
このため、運転者にはサイドカーが自動車でもバイクでもない「特異な乗り物」であるということを十分に認識をした上で、安全かつ確実に操縦をするテクニックが要求されます。なのでサイドカーの運転に不慣れな人は、いきなりツーリングへと出かける前に、広い空き地や公園の駐車場などできちんと練習をして、サイドカーの癖と感覚をしっかりと身体に叩き込んでから公道デビューをした方が無難です。
それとカーブの走行は、ある程度運転に慣れたとしても要注意です。今年8月には北海道札幌市で、一家3人の乗るウラルサイドカーが、走行中にカーブを曲がりきれずに路外へと逸脱する死傷事故が発生しています。
長江の走行性能そのものは、郊外や農村部の平坦路をトコトコと走る限りそれほど不満はありません。ツーリングでは4速40〜50km前後でのんびりと流しながら走るのが一番快適で、なおかつとても面白いものです。今どきのオートバイでよくある、吹き飛ばされるような加速感や暴力じみたパワーなどではなく、「遅さを堪能できる牧歌的なサイドカー」というのは、このご時世に貴重な存在だと思います。
逆に交通量の多い幹線道路やバイパスを走る時には、周囲の車の流れに乗るために意外と気を使います。時速60kmでの巡航も一応は可能ですが、肝心のドラムブレーキの効きがやや心もとないので、前方を走る車とは安全のためにも若干長めの車間距離をとる必要があります。
山道の走行では下りはいいとして、上りは言わずもがな。パワーが無いのでギアを4速から3速へと一段落として、ひたすら忍んでジワジワと登坂車線を走ります。片側一車線の場合はチンタラ走って後方がつまりだしたら、素直に左へ寄せて後続車へ追い越しをさせないと彼らの顰蹙を買うことになります。注意しましょう。
えっ? 「高速道路はどうなんだ」って? 最高スピードが80km以上も出ない長江で高速を走らせるのは、エンジンやミッションに強い負荷がかかるので完全に自殺行為ですよ? さすがに自分も長江で高速道路を走らせよう、と考えるほど命知らずではありませんので。
…というか、高速道路をガンガン走りたい人は、長江ではなくて現行のハーレーやゴールドウィングのサイドカーを購入した方が身のためかと思います。
///////////////////////////////////////////////////////////////////// 【エンジンフィーリング】
長江が搭載しているエンジンは排気量746cc、4ストローク空冷式サイドバルブ水平対向2気筒というものです。
出力はM1で22馬力、M1Mは24馬力、構造は違いますがM1SのOHVでは32馬力となっています。同排気量のホンダCB750(RC42)が75馬力、100cc小さなカワサキNinja650が68馬力なのと比べると数値的にはものすごく非力……なのですが、このような低馬力の古臭いエンジンでもギアをしっかりと合わせてスロットルを回せば、350kgを超える重たい車体を粘りながらもグイグイと前へ引っ張ります。
エンジン音はハーレーやドゥカティみたいに聞き惚れるような音ではなく、どちらかというと昔の耕運機やエンジン発電機みたいな、いかにも「産業機械的な駆動音」というバサバサ・バタバタとした軽い音がします。
それと21世紀の現代ではまず目にすることがないであろう、古色蒼然としたサイドバルブ方式のエンジンですが、構成する部品が少なくとてもシンプルなので、オイルさえ切らさなければちょっとやそっとではまず壊れないくらいに頑丈かつ高い信頼性が特徴です。しかし空冷は水冷より冷却効率が劣るので、1時間走ったら余裕を持って10〜20分ほど休ませるとオイル、エンジン共に負担がかからず長持ちします。
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自分の長江の燃費はおおよそ11〜12km/L、使用油種は一般的なレギュラーガソリンです。燃料タンクの容量は22リットルなので、航続距離はリザーブ分の2リットルを含めると約240km前後になります。キャブレターの流量を微調整してもう少し絞ればあと数kmほど燃費が伸びるらしい(?)のですが、下手にいじってガス濃度が希薄になってエンジンブローをすると怖いので、わずかに濃い目の設定としています。
月々の任意保険代はその辺を走っている大型バイクと同額で、古いサイドカーだからといって料金割増とかにはなりません。2年に一度の車検も、自身の手で整備をしてから運輸支局へと持ち込むユーザー車検なので、検査料と自賠責と重量税を含めて2万円もあればお釣りが来ます(ただし重量税は新規登録から10年以上が経過しているので3割増になってはいるが)。
普段の保管は屋根付き車庫かカーポートの利用を強く推奨します(全幅が普通自動車とほぼ同寸なので、自転車・オートバイ用駐輪場にはまず入りません)。これはなぜかというと、長江は灯火類と座席とタイヤを除く車体のほぼ全てが鉄製なので、カバーもせずに剥き出しで青空駐車をすると雨の影響ですぐにサビて無残な姿となるからです……というか、防水加工をされたバイク用カバーを上からかぶせても、露天で保管だと結構危険です。
国内に現存する長江は数が少なく貴重なので、できるだけ丁寧に扱いましょう。
///////////////////////////////////////////////////////////////////// 【整備・修理】
長江は化石並に古い構造をもつ超マイナーなサイドカーなので、街中にある一般的な量販バイク店(2りんかんやライコランド等)へ整備を依頼しても、恐らくは店員に嫌がられてやんわりと断られる可能性が高いです。
この手の水平対向エンジン搭載バイクの専門店としては、千葉県野田市にあるミュンヘナーBMWやウラルを得意とするクリメカがつとに有名ですが(同じ水平対向である長江に対してもかなり造詣が深い)、ここも日本全国から常に依頼が舞い込んでいるので、オーダーが混んでいると断られることがあります。
次善の策としては、昔からある個人経営のバイク屋とかだと受けてくれる場合があります。さらにそこの店主が古いバイクなどをレストアしていれば、その可能性は高くなるでしょう。
まぁ、一番良いのは工具やパーツリストを揃えて自分で整備をすることですが。
部品に関しては、中国の大規模通販サイトであるタオバオから、ほぼ全てが入手できる(供給量としても恐ろしいほどに潤沢)ので心配はありません。ただし、部品の価格そのものはかなり安いのですが、日本への送料がネックになる場合があります。詳しくは以前書いた過去記事を参照としてください。
///////////////////////////////////////////////////////////////////// 【快適性】
そんなものはない。
そのようなものがお望みなら、最新の国産オートバイをお勧めします。
強いて言うならば、側車に乗った人のほぼ全員が「ゴツい見た目に反してサイドカーの乗り心地は意外と良い」と評価をしているくらいかと。だが、自分は長江の持ち主でありながら、未だに横の側車へ乗り込んで走ったことはないが……。
それと左右に大きく張り出したシリンダーからの排気熱は、見た目ほど足には直撃しないのでそれほど心配をする必要はありません。
///////////////////////////////////////////////////////////////////// 【故障・トラブル】
旧車イベント会場やツーリング先の道の駅で、周囲の人たちから頻繁に聞かれる質問が「えぇー、中国製のバイク? ……それって大丈夫なの?」「中国が作るものは質が低いから、走らせてもどうせすぐに壊れるでしょ?」というやつだ。
たしかにトラブルが全然無いとは言わないが、過去12年間所有していて致命的だったトラブルは走行中に後輪のギアの歯が砕けた(2009年夏)のと、同じく走行中に既存のプラグコードの被覆が破けてショートし、ヒューズが連続で切れまくった(2007年秋)ことぐらい(※5)。そして意外なことに、そのどちらもロードサービス(積載車)のお世話とならずに、トラブル発生現場から何とか自走で札幌まで戻ってくることができた。
自分も2005年に長江を手に入れた当初は、書店にあるバイク雑誌はおろか、ネット上にすら長江に関する日本語で書かれた詳しい情報が全然なくてとても不安だったし、細かな不具合も多々発生したが(※6)、現在では「大したトラブルを起こさずに往復合計250kmの日帰りツーリングもできるし、本当にタフなバイクだ」と逆に感心しています。
まぁタフでなかったならば、40年以上もの長い期間に渡って人民解放軍で正式採用などされてはいませんが。
ただし、こうなるには大量生産された機械類にまま見られる【アタリ】【ハズレ】という個体差(自分の長江はどちらかというとアタリだと思う)を考慮したり、不具合が表面化・深刻化をする前に、わずかな異変を察知するために「五感」を野生動物並に研ぎ澄ます必要があります。が……とりあえず、長江はスーパーカブやセローみたいにメンテナンスフリーで乗れるようなお気楽バイクでないことは確かです。
なにせ基本設計が75年以上も昔のサイドカーなので、マメに整備・点検をして労りつつも、気をつけながら走るのが一番重要かと思っています。
※5
ここ最近にあった大きなトラブルとしては、2015年秋に日高のトンネル内でバッテリーあがり&接触事故を起こして周囲へ迷惑をかけてしまったのがありますが、これは自分が普段のバッテリー充電管理を疎かにしていたのが原因なので、長江そのものが悪い訳ではないと考えています。
後輪ファイナルギアの修理・交換については、5年前の日記に顛末が書いてあります。
プラグコードの被覆破けによるショートは、永井電子製のシリコーンパワープラグコード(BMW R80/100用)に交換をしてからは症状も再発せずに安定しています。
※6
入手から10年以上の時間をかけて故障やトラブルの種がほぼ出尽くした、というのは大きい。
ただし「ボルトやナットがいつの間にか緩んだ」「振動で配線の端子が外れた」「エンジンからオイルが滲む」などは今でも日常茶飯事だが。
///////////////////////////////////////////////////////////////////// 【総括】
このような長々とした文章を読んでいただき、お疲れ様でした。
……えー、今の日本国内で長江を手に入れるには、そこそこ容易であった数年前とはがらりと変わってかなり厳しい状況に置かれている訳でありますが、サイドバルブ方式の水平対向エンジンを搭載したサイドカーという希少性と、原型である1930年代のBMW R71のスタイルを、ほぼそのままの形状で維持をしているというクラシカルさで所有欲も満たされるので、非常に満足度の高い一台ではないだろうか、と自分は常々思っています。
現代の高性能な最新オートバイと長江を比較すると、当然ですがスピードは遅くてエンジンは非力、工作精度の甘さも否めません。だけども「どうせ出来損ないの中国製コピーバイクだろ」と頭から否定して馬鹿にするのではなく、きちんと丁寧に手をかけてやれば、長江はロングツーリングも難なくこなします。さらにサイドカーなので荷物の搭載量は大きく、周囲からの注目も嫌というほど浴びることが可能です。
どうです? この楽しさ、面白さを一度味わってはみませんか?
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10月15日(日)
午前3時半に起床。
温もりの残る布団から這い出て、部屋の空気の冷たさに軽く鳥肌が立つ。そして寝間着を着替えながら、しげーは寝ぼけ気味の脳みそで思案した。
「……今日のイベント、どうしよう?」
理由は簡単、それは「寒い」からだ。
雨や雪が降っているのならすっぱりと諦めがつくのだが、寒さを理由で参加をキャンセルするのは流石に主催者に対して失礼だろう。なにせ今日の天気は全道的に晴れ/くもりなのだから。
天気は良い、だが気温は低い…うーん、と少し悩んだものの、結局は行くことに決定した。
ちなみに本日の札幌の予想気温は最高15度・最低7度である。山深い日高方面だともうちょっと寒いだろう。
1ヶ月ほど前ならばほのかに明るい時間帯なのだが、さすがに10月中旬ともなるとまだ真っ暗闇である。
吐く息が白い中、日高の道の駅へ向けて出発。5:06 AM
途中、道路沿いに設置してある看板の温度計を見たら、現在の気温はなんとたったの「6度」。そりゃあ寒い訳だ。一応用心して上下共に完全防備(上:ライダージャケット・下:膝パッド&中綿入りオーバーパンツ)なのだが、季節はもう完全に冬だねぇ。
長沼町 道の駅マオイの丘に到着。 5:52 AM
ようやく東の空から白白と夜が明けてきた。走行中の体感温度そのものは氷点下と言っても過言ではないが、空冷エンジン搭載の我が愛車は人間と違って絶好調である。
そして、ここで自宅を出発した時に付けていた薄手の夏用グローブから、ゴツい冬用グローブへと変える。さすがにこの時期に夏用で走るのは無謀だったか…指先が猛烈にかじかんで、スロットルを回すのにも難儀した。
トイレで用足し後、10分ほどオイルとエンジンを休ませてから再び出発。
さて、いつもならばこのまま国道274号線を進んで夕張経由で日高町へと向かうのだが、今回は追分〜厚真〜鵡川〜平取を経由し、沙流川を横に見ながら日高町へ行くことに。
まぁぶっちゃけて言うと、夕張〜日高間の道路は(長江サイドカーでは)あまり走りたくないなぁ……というのもありますが。
マオイの丘を出発し、牧場と農家が点在する早朝の田園地帯を長江は駆け抜ける。
追分へのショートカットとなるこの道路を走るのは初めてであったが、なだらかな丘が一面に広がっており、プチ美瑛みたいな雰囲気を味わえたのは収穫だった。
…がしかし、この辺は夜中に軽く雨が降ったみたいで路面がしっとりと濡れており、それに朝日が反射して眩しいのなんのって……さらにオマケで空気中の湿度が高くなっているのか、ヘルメットのシールドやサイドミラーが結露でやたらと曇って見辛いことこの上ない。
ほとんど交通量のない早朝だからまだマシだが、これが昼間だと結構危なかったな。
厚真のセイコーマートで休憩。 6:51 AM
自宅を出てから既に2時間が経過しようとしている。いくら防寒に気をつけてはいても、これほど寒いとはね……とりあえずホットドリンクでも飲むとするか。
店の入り口の脇に無造作に転がっていたカボチャ。「ハロウィン」ってことなのかな。
ホット甘酒をグィッと飲み干し、15分ほどしてまた出発。道道59号線の厚真〜鵡川間の山道でも眩しくて辛かったが何とか突破して(どうでもいいことだが、途中で1匹のエゾシカが道路脇の草を食べていた)、さらに平取へ向かって走る。
だけど坂やカーブが緩やかなのは良いとしても、ここまで眩しいと雨降り後にこのルートを走るのは危険だな…濡れた路面の乱反射で目がチカチカする。
平取町が目前になってくると道路も次第に乾き始め、シールドやミラーの曇りも軽減され走りやすくなってきた。ここらでようやく落ち着いて走りながら景色を眺める余裕が生まれてきた。
そしてしばらく走っていると平取のセイコーマートに到着。ここで往路最後の休憩とする。 7:42 AM
15分ほどエンジンを休ませていると、何台かの旧車が日高方面へ走り去っていった。
残りはあと50km、頑張って一気に走るとするか。
ガソリンスタンドで先に給油を済ませてから、北海道オールドカーフェスタの会場である道の駅樹海ロード日高へと入場。 9:01 AM
会場には既にそこそこの台数が集まっていた。
今年最後の旧車イベント、ということもあるからか皆さん早いなぁ。
参加記念として貰った平取町特産の【ニシパの恋人 トマトジュース】。
それにしても吹いている風が氷のように冷たい。ここ日高では太陽もあまり顔を出さないし、最高気温も13〜14度ほどではないだろうか?
周りの人たちからは「今朝は寒くなかった?」「札幌からサイドカーでよく来たねぇ」「春は来れなくて大変でしたね」などと声をかけられている間にも、続々と入場してくる参加車両たち。
今日は過去最高となる120台もの旧車が日高に集結した。
長江サイドカーの配置はこのようになった。
右にはK氏のゴールドウィング1500、左には車体の汚れ落とし等のケミカル剤の販売ブース。
この画像はSJ4000で撮影した動画からのスクリーンショットなのだが、レンズの関係で大きく湾曲して写っている(しかも車体色がデジカメよりも濃くなっている)。
サイドカーとゴールドウィング以外では、原付二種が2台と250ccが1台参加。
こんな寒い時期に難しいとは思いますが、二輪はもうちょっと増えてほしいところです。
ホンダ ドリームC72(左)とスズキ セルペット(中)、右は……忘れてしまった(たしかホンダの125ccだったはず)。
イベント実行委員による開会のあいさつや諸注意が終わると同時に、ものすごい人だかりが発生した。
それはハーレーサービカーのオーナーであるS氏が持ち込んだ、1930年式フォード・モデルA ホットロッド仕様のエンジン始動ショーが行われたから。
3リッターのサイドバルブエンジン(!!)は、豪快なエンジン音を日高町内に響かせておりました。
外見はこんな感じ(周囲の人が空いてから撮影)。
ちなみにフロントガラスに貼られた【SALE】という紙でわかる通り、実はヤフオクで売り出し中です。
後ろ姿。屋根はチョップトップ化しているのでかなり低くなっています。
だが、これでもきちんと車検に通っているのは凄い(車検は製造年の法律が適用されるため、古い車ほど規制が緩いのがその理由)。
これで最高時速90kmを叩き出す。
運転席
足回り。
スポークホイールをキャッスルナットで締めて割りピンで固定……長江と同じだ。エンジンもサイドバルブだしね(こっちは水平対向、向こうは直列だが)。
グリーンの初代RX-7
これほど程度の良いのがまだ生存しているのか。
トライアンフ ヘラルド
トライアンフと聞くとオートバイを思いつくが、昔は自動車も製造していた。そういや映画007のボンドカーでもトライアンフのがあったな。
ポルシェ・フェラーリ・ランボルギーニの揃い踏み
映画バック・トゥ・ザ・フューチャーでおなじみ、DMC デロリアン。
ガルウイングにステンレス製ボディと、かなり斬新なデザイン。
だけど内装は意外と普通。
各種イベントでもおなじみ、ポンティアック・ファイヤーバード・トランザム。簡単に言えばナイト2000。
とにかくよくしゃべります。
こちらは内装が凄いことになっている。
オリジナルのファイヤーバードは普通の丸ハンドルにアナログメーターなのですが、ドラマを参考にハンドルやモニター、スイッチ類を忠実に再現とか、凄いことをやってるなぁ。
三菱スタリオン
最近はすっかり見かけることがなくなったスタリオンですが、きちんと手入れをされて保存されているのですね。
三菱J36ジープ
このタイプのジープはいいですね。機会があれば乗ってみたい。
右手前からスズキ ジムニー(初代後期型)、いすゞ エルフ(2代目)、シュタイヤープフ ハフリンガー、ダイハツ オート三輪CM8。
ジムニーの後ろを見ると、剥き出しの折りたたみ式対面シートである。ここへ座るのには度胸がいるなぁ。
自分も冷えた体を温めるために熱々の特製キノコ汁(1杯100円)を食べました。中のキノコは恐らくラクヨウだったはず…。
昼頃になると、S氏は途中でイベントを抜けて走りに出かけてしまった。
だけどものすごいインパクトだな。
駐車場はイベント開始前からずっと満車状態。
ぶっちゃけ第2会場と化していた。
会場遠景。
道内の旧車イベントでは常連の、北海道発動機保存会の方による農発の実演。
この素朴かつリズミカルな作動音と、燻ったような独特の排気ガスを嗅ぐと「あぁ、イベントに来たんだなぁ」とという実感が湧きます。
左に見える歯車は、箱マグへ繋がって点火を制御しているのだろう。
運転中の農発の動画。
音はともかく、匂いまで伝えられないのが残念。
トヨタ S800
さすがに5台も揃うと壮観です。それとスタイルが丸っこくて明るい色具合なため、何となくゼリービーンズが並んでいる風に見えてしまう。
隣にはホンダ S800もいました。
イベントそのものは午後2時までなのですが、お昼を過ぎて午後1時半くらいになると、ポツポツと帰り始める人が出てきます。
昔から「秋の日はつるべ落とし」と言われています。40年以上前の旧車ともなると配線やライト、ダイナモなどの電装系が現在の車よりも弱いため、暗くなる時間を逆算して閉会前に帰路へつく人が多い。
今年も春から全道各地で大なり小なり多数の旧車イベントが開催されたが、本日の日高をもって全て終了となった。そしてこれからの北海道は、半年近い「冬」が始まります。
ゴールドウィングのK氏も「また来年、会いましょう」と言葉を残して帰られた。それでは自分もそろそろおいとまするか。
イベント実行委員のK氏に簡単な挨拶を交わして、道の駅を出発。 14:06 PM
札幌へ帰る道は樹海ロードを通って夕張へと抜けることにした。
正直言って、日高側から長江で登るのには少々心配だったが、結果からすると大したことはなかった。日高町を出て道道610号線とぶつかる丁字路までは「ちょっと坂がキツいかもしれない」という感じだったが、S字カーブからは登坂車線をのんびりと流しながら普通に登ることができた。逆にトンネル通過後の夕張側S字カーブの下り路面が凹凸で荒れていてやや怖く感じたほど(下り坂でスピードが出ている状況で道路の凹みにタイヤがぶつかると、両手に伝わる衝撃が凄いのだ)。
来年からは行きも帰りも樹海ロードを走っても大丈夫……だと思う。
日高の道の駅を出て、ギリギリ1時間かからずに紅葉山にある夕張の道の駅メロードへ到着。 15:01 PM
ここからは西に沈んでいく太陽との勝負だ。15分ほどエンジンを休ませた後、すぐに出発した。
ここで復路最後の休憩。紅葉山からマオイまでは周囲の車の流れに乗るためとは言え、エンジンをやや回し過ぎた。そして駐輪場に停めるためにコックをオフにして待っていると、そばにいたライダー達にあれこれと質問されてしまった。
「珍しいのに乗ってますね。これってもしかしてウラルとかいうサイドカーですか?」
あ〜とても惜しい。結構長いこと長江サイドカーに乗ってはいるが、ドマイナーなので現在まで車名をズバリ言い当てた人はまだいない。
トイレを済ませた後、10分ほどしてすぐに出発した。傾いた太陽は既に半分ほど沈みかけており、周囲は薄暗くなり始めている。
札幌まで残り40kmほど。とっぷりと日が沈む前には自宅へ着きたかったので、エンジンに鞭を入れて走った。上野幌駅周辺で軽い渋滞に引っかかったものの、そこを抜けると流れはかなりスムーズとなり、札幌新道も日曜の夕方にしてはサクッと通過をすることができた。
17:09 PM トラブルもなく無事に自宅へ到着。
これにて2017年の旧車イベントは終了。結局今年は悪天候だったり時間の都合がつかなかったりで参加できたのは6月のつどーむ、8月の美唄と富良野、そして10月の日高の4つだけでした。
さて来年はどうなることやら……。
本日の走行距離:251km
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10月8日(日)
オールドカーコレクション in サッポロ
前日の土曜日に、思いがけず2枚の無料招待券を手に入れたので、親父と一緒に見に行くことに。
この催し物は、東京で2013年から開催されているお台場旧車天国を、2018年から北海道でも独自に実施されるのを前に、プレイベントとして茨戸にあるガトーキングダム特設広場で開催されるものだという。
実を言うと、自分も「このイベントへ参加をしませんか?」と8月の美唄のイベント会場で関係者から名刺とパンフレットを直々に渡されて声をかけられたのだが、生憎1ヶ月半以上先の予定は全くわからない上に参加料がちとお高いので、今回は見送りました。
あの時の関係者の方、御厚意をふいにしてみませんでした。
なお、開場直後の時間を狙って親父と一緒に乗用車で行ったのだが、駐車場が早い段階で満杯となり、止めるのに苦労しました。
親父とは1時間半ほど共に見学をして一旦帰宅後、午後2時半頃に自分は長江で再度向かいました(このイベントでは半券が手元にあれば何度でも入退場自由)。
会場内にいる見学者の数は、見える範囲だと有料制イベントの1回目にしてはまずまずだろうか。参加台数は80台ほどだという。思っていたよりも台数は控えめである。
だけど車をギュウギュウに詰めて入れるよりかは、ゆったりとしていて良いですね。
天気は空一面に低い雲がかかっており、たまーに太陽が顔を出す……という感じ。
せっかく撮影した写真も暗くてパッとしない。
メグロ S8 1964年製
程度は結構良さそうです。この手の旧車イベントでメグロを見たのは初めてかもしれない。
リアに装着されたゴツい荷台が商用車の雰囲気を漂わせている。
日産 レパード【あぶない刑事】仕様
ナンバープレートも劇中の港303と同じにしてある(もちろんこれはレプリカだが)。
マツダ コスモスポーツ
過去の旧車イベントでも何度か一緒になったことがある赤のコスモ。
見学客を乗せて体験乗車中のハマーH1。この型を見るのは久しぶりだ。
20年ほど前には札幌市内にも販売店が存在した(わずか数年で撤退したみたいだが)。
現在のメッキパーツでゴテゴテ・ギラギラと装飾されて肥大化したH3よりも、初代H1の方がシンプル、かつ軍用車然としたスマートなデザインだと個人的には思う。
初代ビートル カブリオレ仕様
こういう車もいいなぁ……。
フリーマーケットで売られていた金メッキの自動車の置物。
小学生の頃、友達の家へ遊びに行くと、よくこの置物が玄関や本棚に飾ってあった。これって今でも疑問なのだが、当時のディーラーで新車を契約したらこのような物を記念として貰えたものなのですかね?
ランドローバー シリーズ2
これは珍しい。近年のランドローバー(ディスカバリーとか)は街中でも見かけるが、寄り目の角ばったシリーズ2が北海道内にいたとは。ボンネット上に設置された予備タイヤがいいですね。
アルファロメオ SZ
前から見るとそうでもないが、横からだとかなりのウェッジシェイプなデザインです。隣の見切れたカウンタックよりも断然スポーツカーっぽく見えます
三菱 シルバーピジョン
スバル(富士重工)のラビットと比べるとややマイナーですが、綺麗にレストアされています。
午後3時にイベントは終了。
退場する車たちを眺めていると、上空をヘリコプターがやたらとホバリングしていた。最初は「イベント関係者が空から会場を撮影をしているのか?」と思ったのだが、それにしてはどうも様子がおかしい…。
15:50頃に会場を出て伏籠川沿いに走りだすと、突然対向車線に尋常ではない数の赤色灯の行列が見えた。……あ、もしかしてあのヘリコプターが飛んでいた理由はこれか?
かなりの数の緊急車両が停車している。カメラに入り切らないが消防車、救急車、パトカーなど、ざっと20〜30台は集結している模様。
周辺では大勢の消防隊員や警察官が忙しく動き回っていた。この緊迫感からしてただ事ではないことが伺える。
橋の下では数名のダイバーが泥で濁った川の潜水捜索中。自分を含めた野次馬も川の両岸に70〜80人はいただろうか。
聞こえた話によると、どうやら川岸だかに靴が置いてあった(自殺か?) らしい。本当かどうかは不明だが。
上空には救難ヘリが橋をかすめるように低空飛行をしていた。
現場を遠巻きに見ていると、近づいてきた消防隊員によって規制線が張られて野次馬は道路まで下がるよう指示が出たので、ここで自分は帰宅をすることに。
16:15 PM
その後、新聞やTVニュースなどでこの出来事の続報を聞かないので、もしかしたら単なる「事故騒ぎ」だったのかもしれません。
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10月9日 体育の日(祝)
昨日と変わらず空には雲が多くてパッとしない天気。だが、冬(というか雪)がすぐそこにまで来ている北海道では、バイクで走れる日も少なくなってきているので乗れる内に乗らなくては。
行き先はあまり遠くへ行くのも時間的に面倒なので、とりあえず近場の厚田を目指してふらりと走ってみるか。
10:30 AM 自宅を出発。
途中、石狩八幡のセイコマで休憩をしながら厚田夕日の丘に到着 11:45 AM
厚田は札幌よりも曇っていた。
道路を挟んだ向かい側では、道の駅の建設工事が急ピッチで進められていた。
オープン予定となる来年春は凄いことになりそうな予感。
海は穏やかなベタ凪。だがあと半月もすると日本海は気圧と季節風の影響で時化が多くなる。
それと祝日の昼間にしては停まっているバイクの数は10台前後と少なかった。そろそろライダー達も冬眠モードなのだろうか。
夕日の丘から降りて漁港へと立ち寄ってみた。
厚田漁港の朝市は、春〜初夏にかけてシャコやカレイの販売で大賑わいとなるが、今時期は数軒しか開いておらず閑散としている。
今年の厚田周辺の秋サケ漁は不振らしく(サケは数匹だけ販売。しかも筋子の入った中サイズのメスが6000円もしていた)、主な売り物は干物やハタハタのいずしが多かった。
厚田漁港の外防波堤を覗いてみると、30〜40人近い人たちがひっきりなしに竿を上げて魚を取り込んでいる。どうやら港内にチカの群れが入ってきているみたいだ。
自分も今度は釣り道具を持参して来ようかな。
さて、昼も過ぎたし札幌への帰り道はどうしようかと考えた結果、普段とは違う道を走ってみるか…ということで、道道11号線で当別町へ抜けることにした。
木々がやや色づき始めた山道を、長江で快適に飛ばす(とはいってもせいぜい時速50kmほどだが)。この道は対向車も後続車も殆どいないのでとても走りやすかった。
当別ダムを通過して次に到着したのは当別町立旧弁華別小学校。13:29 PM
ここは北海道内に現存する最古の木造2階建校舎だという。ちなみに学校としては2016年3月末に閉校しており、今ではイベントスペースとして活用をされているという。
閉校からまだそれほど時間が経過していないため、全体的に古さはあるもの壁が腐ったり窓ガラスが割れたりといった傷みはありません。
だけど木造だと隙間が多いから冬は暖房を付けても寒いだろうな。
校舎裏手にある体育館。ここも木造だ。
校舎遠景。
校舎は小さいながらも意外と幅があるので、かなりグラウンド側へ下がらないと全体がカメラに入りきりません。
ついでに小学校で撮影した長江サイドカーのキック始動&走行の動画(ヘルメットにカメラを装着して撮影)。
13:58 PM 弁華別小学校を出発。
次はどこへ……と考えていると、当別の道の駅が先月中旬にオープンしていたのを思い出した。札幌への帰り道の途中にあることだし、ふらりと寄ってみるか
そう、この時はほんの軽い気持ちだったのだ……。
当別町市街地を抜けて、国道337号線のバイパス道路を6kmほど札幌方面へひた走る。
あの防風林を超えれば道の駅は目の前だ。
……ん?
交差点の手前に車が止まっているような…。
ウゲェッー、これはもしかして……いや、もしかしなくても駐車場の入場待ちの行列か。軽く100mは並んでいるな。遠目からでも駐車場内が車で満杯になっているのがわかる。
とりあえずこの列で並ばなくてはならないので、オーバーヒートを防ぐためにエンジンを止めて押しながら待つことに。
だけどオープンから既に2週間は経つのに、まだこれほど混んでいるとは…やはり札幌都心から一番近い道の駅だけはあるな(札幌駅から約18km前後。それまで一番近い道の駅は恵庭の28kmだった)。
そう考えながら列の中で長江を押していたのだが、後ろから来たバイクのマスツー集団が列を素通りして道の駅へと入って行った。あぁ、こういう時はバイクが羨ましい。
14:35 PM
20分ほど並んでようやくバイク駐輪場へ停めることができた。なお、自分が長江サイドカーを黙々と押している姿を見て、出入り口にいた駐車場係員には「ガス欠ですか?」と心配されてしまった。
違うんです、空冷エンジンなのでオーバーヒート対策なんです。
建物内部は新築なのでピカピカ(当然だが)。ロイズの売店やレストランも併設されている。それにしても混んでるな〜。
トイレを挟んだ隣にある農産物直売所。
値段はまぁ普通かな。札幌市内のスーパーなどと較べて特に安い、という訳ではない。
駐輪場
厚田よりも多くのバイクが停まっていました。結構広いので30〜40台くらいは大丈夫かと。サイドカーやトライクが何台か来ても余裕があります。
駐輪場から見た、札幌方面からの車列。信号のある交差点で右折をする必要があるため、当別側から来るよりも進むのが遅いです。
とりあえず当別の道の駅の混雑が解消されるには、10月いっぱいは軽くかかるのではないだろうか。
あ、それと駐車場と展望台の屋台で売られていた地元産の焼き立てフランクフルトは美味そうだったな(無駄に飲み食いすると太りそうなので食べなかったが)。
本日の走行距離:101km
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10月15日(日)に日高町にある【道の駅 樹海ロード日高】で開催される北海道オールドカーフェスタに参加します。開催時間は10:00 AM〜14:00 PM、見学は無料です。
※ 昨日の北海道新聞の10月道内イベント欄にも名前が載っていたので、当日は混雑が予想されます。
今年も全道各地で多数開催された旧車イベントの、文字通り冬眠前の最後の「〆」を飾る日高のオールドカーフェスタですが、このイベントと自分との相性はあまり良くありません。なぜなら参加のたびに大なり小なりトラブルが降り掛かってくるから。
トンネル内でバッテリーが上がってぶつけられたり、側車の尾灯カバーが走行中に外れて紛失したり……実は今年5月のオールドカーフェスタにもエントリーはしていたのですが、当日になってエンジンからのオイル漏れが心配で不参加をしています(実行委員のK様、ドタキャンしてすみませんでした)。
さて今回はどうなることやら…2週間後がちょっと心配です。
なお、イベント当日の天気が悪天候(雨・雪など)の場合は不参加となります。ご了承ください。
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どうも皆さんお久しぶりです。
前回の記事から期間が空いてしまいましたね。自分は筆不精なもので、ちょっと気を抜くとすぐこうなってしまう……現在色々と炭鉱ネタを収集してはいるのですが、どうぞ暫しお待ちを。
さて、自宅の物置を漁っていると、祖父&親父が大夕張に住んでいた頃の写真がごっそりと出てきた。とは言っても、その写真のほとんどは宴会だったり慰安旅行だったり葬儀だったり結婚式だったりと、このブログにアップをしても全く意味のないものばかり(俗に言う「ハレの日」の写真だ)。
そうだよな…半世紀近く前だと、写真はおいそれと気軽に撮影できるものではなかっただろう。カメラそのものが高価だったし、フィルムの撮影枚数も限られていたからだ。今みたいにデジカメやスマホでちょっと気になる風景を100枚単位でパシャパシャ、とはいかない時代だったのだ。
だがそれらの中にも興味深い写真が何枚かあったので、アップをしてみたいと思います。
この写真は、鹿島小学校の裏手にある高台から栄町〜代々木町方面を撮影したもの。右手前に見える野球のバックネットは鹿島小学校のグラウンド。
画像中央部には木造の炭住に囲まれるようにたたずむ、コンクリート4階建ての代々木アパートが見える。
制服姿の子が多数いるので、何らかの催し物(遠足?)であろうか。現在この撮影場所はシューパロダム(2015年完成)の湖底である。
ちなみに親父曰く、生前の祖父は酒のツマミを獲ってくると称して、鉱員仲間達と大夕張ダム直下の出水口へ行き、壁面に貼り付いているスナヤツメを真上からタモですくい取って持ち帰り、鍋にして食べていたそうな。
とても危ないので真似しないように。
ここは以前の記事でもチラッと書いたが、自分の親父が若かりし頃に一時期働いていた工場だ。坑内のガス抜きボーリングで吸い取った濃厚なメタンガスは、パイプを伝って地上へ送られ、反応塔で化学処理をされメタノールとなった。そして製品となったメタノール(純度99.9%:工場関係者は『スリーナイン』と呼んだ)は三菱大夕張鉄道のタンク車に充填されて北海道各地に向けて出荷された。
1960年代中頃までは、大夕張の工場一つで全道のメタノール需要をほぼ賄えたという。
なお、この工場は1971年10月に操業停止・閉鎖されている。
湖面にはうっすらと氷が張っている。
大夕張神社の寒中禊。1962年12月31日撮影。
毎年大晦日の夜になると、炭鉱で働く鉱員・職員は褌一丁で頭には三菱の代紋が入った手ぬぐいを締め、足下はわらじを履き、鼻毛も凍る氷点下の大夕張神社へ年越し詣・新年詣で安全祈願をするのが伝統であった。
このイベントは後にNHKのゆく年くる年で全国中継もされた。
子供神輿の列。三菱大夕張の大きな幟があるので、大夕張神社の近くだろう。
現在の過疎化・高齢化が著しい夕張市では想像もつかないが、まだ複数の炭鉱が稼働していた当時はどこへ行っても大勢の子供がいた……と親父談。
同じく祭りの列。撮影場所不明(駅前通?)。
後続の飾られたトラックの荷台には、太鼓や笛のお囃子を担当する人間が乗り込んでいる。
4階建て鉄筋コンクリート製の代々木アパートは、完成当時大夕張で最もモダンな炭鉱住宅として人気があり、入居倍率はかなり高かったという。
烏帽子と白装束に身を固めた大人たちも神輿を担ぐ。
道路を行進しているのは、服装からするとボーイスカウトの一団だろうか。背後の道路上にあるのは鹿島地区唯一の歩道橋。
そして歩道橋のそばには大夕張鉄道の腕木式信号機が見える。ちなみに南大夕張駅〜大夕張炭山駅間は1973年12月廃止。
後ろのトラックはマイナーチェンジ後の初代三菱キャンター?
画像中央やや左にある立派な建物は、大夕張炭鉱労働組合の事務所。
炭山祭の間は炭鉱も採炭はせず、一部の保安職員・鉱員以外は全員休みとなる。そしてこの貴重な時期を使って普段はできない立坑や斜坑のワイヤー張り替えや、大型機材の修繕を行っていた。
撮影場所不明(緑町の集会所?)。
地面に座ってジュースを飲みながら休憩している子供達。瓶ジュースと実用自転車が時代を感じさせる。
この頃で10才前後の小学生だとすると、今では50代後半の年齢だろう。
大人(世話役?)の周りに集まる子供達。
以上、賑やかさと華やかさと生活感を感じる写真をアップしたが、この頃の大夕張地区には既に「閉山」という二文字が目前まで近づいていた。
祖父は大夕張炭鉱が閉山する直前に定年となり、それまで長年住んでいた炭住を引き払って札幌に退職金で家を建てて移住、親父も時を同じくして札幌にある会社へ就職して大夕張を離れた。
今では一部を除いて大部分が湖底へと沈んでしまった大夕張地区ですが、半世紀前までは大勢の人達が生活をしていた「街」があったのだ。
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