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もう10日ほど前の出来事になるのですが、生まれて初めてカヤックを漕ぎました。
「サイドカー乗りのしげーが、なぜ畑違いのカヤックを……?」と思われる人も多いと思いますが、実は以前から入手したいな、と考えていたんですよ。そしてその目的は「釣り」です。
今まで自分は専ら防波堤や磯などで釣りをしてきたのですが、ここ数年、沖合でミニボートがのんびりと浮かんで釣りをしているのを見て「あぁ、ボート釣りの人たちは場所取りや隣人とのオマツリとかとは無縁で羨ましいなぁ」と思うようになりました。だけどエンジン付のボートを買うとなると結構高いし、トレーラーや相応の広さの保管場所も必要になる。エンジン出力によっては船舶免許も取得しなければならない(2馬力までは免許不要だが)。
うーん、さてどうしたものか……と思案していると、現在本州方面で流行となっている「カヤックフィッシング」を思い出した。カヤックフィッシングとは、その名の通り1〜2人乗りのカヤックで海へ出て釣りをする、というもの。動力は人力だが、レジャー用ゴムボートや公園の手こぎボートとは違って、抵抗の少ないスリムな船体をパドルを使って漕ぐため、かなり効率よく進むことができます。
ただし、海でカヤック釣りをする人たちのほとんどは、リジット艇と呼ばれるFRPやポリエチレンで作られた硬質のカヤックを使用しています。そして残念ながらこのタイプのカヤックは全長が長い(最低でも3m以上)ので、自動車でないと運搬は不可能です(自分は自動車の免許は保有しているが、車そのものは持っていない)。
でも、調べてみるとありました。自分みたいな自動車非保有者でも買えそうなのが。
場所を取らないコンパクトなカヤックは現在2種類ありまして、ファルトカヤックとインフレータブルカヤックがそれです。どちらも航行性や耐久性ではリジット艇よりも劣るのですが、携行性や収納性、軽便さでは遥かに凌駕しています。
ファルトは細長いフレームを組み立てて外側に船体の生地を着せて中に浮力体を装着するカヤックで、インフレータブルは自転車のタイヤみたいに空気ポンプで空気をシュコシュコと入れて完成する、超高性能なゴムボート風のカヤックです。
…で肝心の価格ですが、ファルトカヤックは結構高い(一番安いものでも15〜20万円以上はする)のでパス……となると、リーズナブルに買えそうなのは自動的にインフレータブルタイプとなります。それでも色々と調べてみると結構いいお値段だ。夏になると近所のホームセンターや大型スーパーで安売りされる海水浴客向けのゴムボートとは訳が違うな。
とりあえずインフレータブルカヤック所有者のサイトやブログを参考にしつつ、最終的に狙いは2つに絞った。
と
以上の2つです。
この2艇はどちらも二人乗りインフレータブルカヤックとしての評判は高く、デザインもかなり洗練されています。特にセビラーユーコンは秀岳荘白石店のカヤック売り場で展示されている実物をわざわざ見に行ったりもしました。
最初に検討していた時はユーコンの購入に気持ちがかなり傾いていたのですが、この2艇に関する情報を自分なりにまとめてみると「実はファイアフライ2の方が合っているのでは?」と思い始めました…というか、他のブログなどではファイヤフライ2で実際に海で釣りをしている人が多いのが決定打となりました(ユーコンで釣りをしている人はなぜかあまり多くない)。
それとファイアフライ2は派手なオレンジ色なので、もしも遭難した時には目立って救助されやすい……という効果も期待できるし(ずいぶんと後ろ向きな思考だ)。
…そして、あーでもないこーでもないと数ヶ月考えた末に、しげーは先月上旬にファイアフライ2をポチッたのであった。お値段は5万円。さらにパドルや救命胴衣など装備一式を購入したので総額は8万円近くになったが、それでもカヤックとしてはかなり安く済んだ方ではある。
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連休前半は晴れて穏やかな日が多かったものの、後半になると曇り空で肌寒く、風が強い日ばかりとなってしまった今年の黄金週間。そんな自分はファイアフライ2を膨らませたり畳んだりと何度か練習をしつつ、出艇の日を待った。
せめて初漕ぎは天気の良い日にしたいからね。それと遭難して死にたくないし…。
5月9日
一番図体のデカいカヤックは、見た目に反してそれほど重たくはないのだが、畳んでもそれなりにかさばるので座席へ載せるのは結構大変です。車ならば積むのも楽なんだけどなぁ……。ちなみに側車の予備タイヤの上に見える小さなタイヤは自作のドーリーです。しかし構造に致命的な欠陥があって現地では全く使い物にならなかった。これは要改良だ。
向こうに到着してから忘れ物が発覚しないよう持ち物リストで入念にチェック後、石狩に向けて出発。 8:27 AM
岸壁には数人の釣り人がいたので近づいてみると、サビキで良型のニシンがポツポツと釣れていた。だけどウグイが多いかな。
最初はここからカヤックを出艇させる予定だったのだが、北から吹いている風がちょっと気になる。ここで一時間半ほど様子見で風待ちをしたものの、どうやら止む気配が無さそうなので諦めて場所移動。
この時間帯だとボート釣りを終えて帰る準備をしている人が多い。
釣果を聞いてみると沖防の港外(赤灯周辺)でマガレイやソウハチの30cm前後がよく釣れた、とのこと。だけどここから赤灯までは片道でも3km近い距離がある。さすがに手漕ぎのカヤックでは遠すぎるし、何かトラブルがあった場合は危険なので行く気にはなれないが。
収納バッグからスルメみたいに平べったい船体を引っ張り出し、付属の空気ポンプで空気を入れると5分とかからずにカヤックが完成した。ちなみに海で単独のカヤック遊びをする場合、パドルは必ず2つ持ちましょう。
これはなぜかというと、カヤック釣りを趣味としている人のブログを読むと、そこそこの頻度でパドルを水中に落としたり、ジョイント部が壊れたといったトラブルに見舞われているからです。もしパドルが1本しか手元にない時に沖でこのような目に遭うと確実に海保のお世話となります。なので安物で構わないので予備パドルは携行した方が身のためです(リーシュコードで繋ぐとさらに安心)。
ちなみに自分の使用しているパドルは
メイン:セビラー 4ピースパドル230cm(7千円前後)
予備:モンベル 2ピースパドル225cm(5千円前後)
となっています。
しかもファイアフライ2は側面にパドルホルダーがあるので、搭載した予備パドルも邪魔になりません。
それでは待望の出艇。 12:10 PM
文章にして書くと何ということはないのだが、これにはちょっと感動した。似たような感覚としては初めて自転車に乗れた時のようなものだろうか?
観光用の手こぎボートなら、今から20年ほど昔の学生時代に支笏湖で友人たちと漕いだことはあるが、カヤックはそれと全く違う。軽く興奮しつつパシャパシャと漕いだら、わりとすぐに中央埠頭の外側へと出た。砂浜からの距離は800m、時間にして15分前後だろうか。スピードは徒歩より少し遅い程度。
遠くには入港してきた砂利運搬船が確認できる。こういう時は中〜大型船舶の曳き波に注意しなければ。
地上からは見えないものをこうして見ることができるのはとても新鮮だ。カヤックも船底にあるスケグが効いているので、安物のダッキーと違って尻を振ることもなく安定して進む。
ここで本来の目的である「釣り」を思い出した。
一応30分ほど竿は出したものの、海底にアンカーを下ろしていないので、ほんの僅かなそよ風でもカヤックは流されて釣りにならなかった。パラシュートアンカーは積んでいるけれど広げるのが億劫だったもので……。
あれこれと気ままに遊んでいたら既に1時間半ほど経過していたので陸へに上がることに。人生初のカヤック体験だったので時間が経つのは早かった。 13:50 PM
ちなみに浅瀬でカヤックから足を出して立ち上がる時に失敗して尻を濡らしてしまった。とてもカッコワルイ
上陸後は撤収作業なのですが、空気を抜いて畳む時にはピクニック用のレジャーシートとかが必要ですね。砂浜だとカヤックに砂が付着して収納する時にザラザラになって厄介です。
以上、石狩湾新港でのカヤック体験でした。
今回は全部で2kmほど漕いだだけですが、この経験を次回の釣りに繋げたいところです。…だけど春のカレイ釣りシーズンはそろそろ終わりそうなんだよねぇ……。
※帰宅後は忘れないうちに真水でカヤックやパドルを念入りに洗いましょう。
そして次の日から3日間ほど腕と肩の筋肉痛で苦しんだ。これは「筋トレをしっかりやれ」という神の啓示か。
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春です。
雪に覆われていた北の大地に、暖かな風と柔らかな日差しが訪れてきたかと思ったらもう5月。季節が巡るのは本当に早いですねぇ。
……えぇ、わかっています、わかっていますとも。4ヶ月以上もブログの更新を放置していたことを。読者の皆様、サボってばかりでスミマセン(いつものテンプレな言い訳)。
5月5日
さて、昨年10月の夕張ツーリング以降、親戚宅にある農機具倉庫の奥でそのまま深い眠りについた我が愛車。それから約半年が経過し、冬眠から目覚めさせるため上に被せていたカバーを剥がして太陽の下へと引っ張り出した。そしてネジ類の緩み、油脂やバッテリーのチェック、タイヤへの空気補充などを済ませて腕時計を見ると時刻は12:20 PM。
風はややあるが寒くはないし、せっかくの好天なので近場を軽く流すとするか。
10回ほど空キックをしてシリンダー内へオイルを十分回してからバッテリーを繋いでキック……したのだが、久々の始動でエンジンがグズっているでうまくかからない。しょうがないのでセルを使っての強制始動となった。
ドコドコポコポコと牧歌的なエンジン音。いつ聞いてものんびりとして攻撃的ではない心地よい音だ。
それでは、今シーズンもよろしく頼むぞ。
シートにまたがり、スロットルを静かに開くと長江サイドカーはそろそろと動き出した。
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行き先は時間と距離を考えて、厚田にある夕日の丘に決定。
……と、ツーリングへ出かける前にガソリンスタンドへ寄ることに。レギュラー13.5リットルを給油@123円。昨年秋と比べると5円/Lほど値上がりをしているな。
ここで(極めて個人的な)重大ニュースを発表します。
なんと我が愛車にとても不釣り合いな文明の利器である「ウェアラブルカメラ(アクションカム)」が搭載されることになりました。
上の画像をよーく見てください。船の手すりに固定してある小さな物体がソレです。
アップで見るとこんな感じ。
機種は「中国が作ったGoPro」などとよく陰口を叩かれるSJCAMのSJ4000です。Amazon(業者による並行輸入品)では1個7000〜8000円前後で流通していますが、自分は長江の予備パーツのついでにタオバオで購入しました。
SJ4000はAmazonで買っても十分安いのですが、中国の店舗から買うと更に安くて、面白そうなオプションパーツ類をあれもこれもとついでにポチッても合計で一万円しないのには驚いた。ちなみに自分のはWi-Fi機能の無い廉価モデル(32GBマイクロSDも付属)で、為替相場の影響により多少は上下しますが現地価格だと6500円ほど。色はド派手なピンクやイエローも気になったが、大人しめなシャンパンゴールドを選択。
購入したタオバオの店舗はココ。
長江、ウラル、ドニエプルだと船のちょうど良い場所にパッセンジャー用の手すりが備え付けてあるので、カメラの固定位置には不自由しません。ちなみに上の画像に写っているマウントや防水ケースはパッケージに最初から含まれています。ただしこの手の小型カメラの宿命として、バッテリーの持ちが悪い(40〜60分ほどしか持たない)ので、予備バッテリーを何個か追加購入をするか、別売りのシガーソケット給電パーツを使うとかなり安心できます。
…あ、一応注意なのですがSJ4000は類似品がやたらと多いことでも有名で、形状や性能は同一でもロゴや名称が違っていたりとかはザラで、どうやら生産工場から梱包・出荷前に横流し(?)されたものを別の会社が勝手に違うロゴをプリントして普通に流通しています。
外見以外は特に違いもありませんが、気にする人はちょっと気をつけた方がいいかもしれません。
だが、走行中の振動がカメラに影響しているみたいで、内蔵マイクが耳障りなビビリ音を常に拾っているのは少々気になります。この対処としてはボタン類をマスキングテープなどで動かないように固定すると改善する……らしい(電子工作に自信のある人は本体を分解して外部マイク端子まで増設するのだとか)。
SJ4000の動作テストを兼ねて国道231号線を走行。厚田着13:44 PM
約2年ぶりに厚田夕日の丘へ来た訳だが、駐車場に乗り入れた時の最初の感想は「すげぇ混んでるなぁ」であった。連休中で観光客が多いため、駐車スペースもほぼ埋まっている。
何とかやりくりをして空いていたスペースに長江を停める。
札幌市内は晴れていたのだが、厚田まで来ると薄曇りで風が強く、気温も少し肌寒い。漁港の外防波堤には10人ほどの人影が見えるが、カレイやチカでも狙っているのだろうか?
夕日の丘の売店と国道を挟んだ向かい側では、道の駅の建設工事が進んでいた。完成するのは来年春だという。
札幌周辺だと千歳や恵庭や新篠津には既に道の駅がオープンしていたのに厚田には作られないのか、と結構前から思っていたが、ようやく実現となったか。
長江サイドカーを珍しがって声をかけてきた数人のギャラリーの人達(その中にはBMW R50サイドカーのオーナーという人も)と会話を楽しんだ。それとどうでもいいことだが皆さん必ず本車のゴム製シートを触りたがります。やはりこの独特な形状が人を惹きつけてやまないのだろうか。
本日の走行距離:83km
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読者の皆様、あけましておめでとうございます。
今年の札幌の正月は雪も降らず、とても穏やかな新年となっています。
さて、早いもので今年でブログを開設して7年となります。あの頃は三日坊主で大して書かずに終わるかと思っていたのですが、意外と続くものですね。
昨年は休日を狙い撃つような悪天候や勤務先の仕事の進捗も絡んだりして、それほど走ることができませんでしたが、今年はいろんな場所へ行きたいと思っています。
…その前に右シリンダのオイル漏れをどうにかせねば……。
本年もどうぞよろしくお願いいたします
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前回の続きです。
沼ノ沢駅を後にして、次に目指したのは清陵町の山奥にある夕張新鉱の跡地。
あれから2年の月日が流れた……。
12:35 PM
2年前に来た時は、ゲートが閉まっていたので奥まで行かずにそのまま引き返したが、今年は徒歩で新鉱の総合事務所・立坑跡まで向かうことを決めた。
肝心の駐車場所だが、ゲート手前にある農家の敷地内にズカズカと入り込んで停めるのはさすがに失礼なので、砂利道の脇にある、ちょっとした草地へ邪魔にならないよう長江を置いた。この場所から新鉱の跡地までは、自分の足だと15〜20分前後だろうか。
船のトランクから荷物を取り出している最中、ガス突出事故の発生時刻である12:41 PMを迎えた。
新鉱へと向かう林道のゲートは固く閉じられている(「もしゲートが開いていればそのまま奥まで乗り付けて…」と邪な期待をしていたが、現実は非情だ)。林業や工事関係者以外は車での進入はできないので、ここは素直に徒歩で向かうこととなる。ゲートの脇を通って奥へと進む。
ゲートを越えたら熊避けのために「あー!!」とか「おーい!!」などと数十秒ごとに叫びつつ、落ち葉が軽く積もった林道内を進んでいたちょうどその時、突然「パアァァァーーーン」と耳をつんざく音が右手から聞こえてきた。
!!…これは銃声だ!
瞬間的に姿勢を低くして身構える。
どうやら銃口をこちらへ向けて撃った訳ではない…とは思うが(もし撃たれたらシャレにならん)、射手は100mほど離れた北の沢林道の河原付近にいると感じた。一応は森の中でも目立つように派手なオレンジ色のジャケットを(遭難対策として)着てはいるが、こういう事態になると少々困る。
物騒だが、とりあえず気を取り直して林道を歩く(まだ後ろからは何発か発砲音がしている)。しばらくすると南の沢林道との分岐点にさしかかった。ここでは脇道へそれずに直進をする。
分岐を進むと右手にペンケマヤ川が見えた。川幅は狭く、水量はかなり少ない。
地図上で距離を計測すると、ゲートから新鉱跡地までは約1600mほどで大したことはないのだが、一人で薄暗い林道をトボトボと歩いているうちに、孤独感もあって妙に長く感じてくる。笹藪からヒグマが出てきたらイヤだなぁ……。
歩きながら色づいた木々を見やる。
当時の事故に関する書籍などを読むと、35年前のこの日、夕張新鉱周辺の山々は紅葉の最盛期で燃えるように鮮やかだったという。そしてその美しい紅葉の中、救急車がサイレンを鳴らしながらひっきりなしに林道を走り、上空には何機もの報道ヘリが飛来していた。
6年前の2010年に訪れた際には路肩が大きく崩落していたカーブ周辺も、今ではきちんと修復されていた。ただ、左側から沢水が流れ込んで路面を濡らしているのがちょっと気になる。地盤が緩んでまた崩れたりしないだろうか。
うげっ……この状況下で一番見たくないものが、いきなり視界に飛び込んできた。道の真ん中に落とされたヒグマのウンコである。知ってる人は知ってるとは思うが、夕張市内にある山林のほとんどがヒグマの生息域である。ただし、このウンコは排泄されてから5〜6日程度の時間が経過していることが救いだろうか(できたてホヤホヤだと至近距離にヒグマがいる可能性が高いので危険)。
せっかくなのでこのウンコをよく観察してみると、中には未消化の植物種子(ヤマブドウか?)が多数存在し、いくつかの小さな糞虫(フンコロガシの仲間)が忙しそうに取り付いていた。あと10日もするとこのウンコは分解されてかなり小さくなるだろう。
突然のヒグマのウンコで肝を冷やしたが、とりあえず気を取り直して林道を歩く。
しばらくするとカーブ手前の道路端左側に立てられた『警笛鳴らせ』の錆びた標識を発見。現在の同じ標識と比べると描かれ方が左右逆になっている(それとも設置時に作業員が逆につけてしまった?)。
北炭清水沢火力発電所から高圧鉄塔を経由して送られてきた電気は、ここにあった変電設備で変圧をされた後、坑内外の機械類を動かすのに使われた。
変電所跡からさらに200mほど歩くと通洞が出現。清陵町側のと比べると、ここの鉄柵はいかにも片手間で組み付けた感じがして、かなり雑な作りだ。稼働当時はこの通洞の横に腰をかけるベンチなどが置かれていた。
入口の手前5mほどに近づくと、通洞の奥から微かに泥とカビの臭いが合わさったような湿っぽい冷風が漂って、自分の身体を包み込んだ。正面に見える扉の金具には通洞内へ立ち入らないよう錠がガッチリとかけられている。
ふと足元を見ると、人一人が通れるくらいの幅で草が倒れており、しっかりとした踏み跡が確認できる。今でも自分みたいな人間がここへ訪れているのだろう。
通洞から北へ100mほど離れた場所にある爆薬の分配所。位置としては繰込所がちょうど目の前だ。
変電所から林道を挟んで向かいにあった爆薬庫から爆薬や雷管を出庫し、この分配所内で発破資格を持つ担当鉱員にその日の作業で必要な量の爆薬を渡していた。もしこの内部で不意に爆発をしても被害を最小限に食い止められるよう、建物はコンクリートで頑丈に固められ、斜面に半分埋まったトーチカみたいな構造となっている。
以前(2010年)来た時には入り口が土砂で塞がれていたが、いつの間にやら誰かが端をスコップで掘り込んだらしく、中に(体をよじれば)入れるようになっていた。自分も入ってみたい衝動に駆られたが、生憎手元にまともな照明器具が無く、しかも単独行なので無理は禁物。隙間から頭を突っ込んで覗き見る程度に留めた。
とりあえずミニライトで照らしてみると内部は深く、5〜10mほど奥行きがあるみたいだ。うーむ、これについては今後の課題としたい。
上部にはガス抜き用の錆びた放散塔が設置されている以外は、特にこれといったものはない。放散塔の根本にあるバルブも試しに回してみたが、長年風雨に晒されて完全に錆びついているため、ピクリとも動かなかった、
巻室側から立坑を見る。
さすがに総合事務所解体から30年以上の月日が立つと、人の手が一切入らないせいかコンクリが打設された場所にも樹木が生い茂ってしまう。所々に明るい水色のものが露出しているが、これは巻室の床面に塗られている塗料の色だ。
巻室と立坑の間に埋まっている新R型立坑櫓の基礎。その横で大きく成長しているシラカバにも注目。
巻室の周辺にいくつか転がっていた鉛バッテリー。ちなみに中身の硫酸は完全に抜けきっている。大きさとしてはティッシュ箱を一回り大きくした程度だが、持ち上げてみるとカーバッテリー並にずしりと重たい。
機械類の非常時動作用として使われたのだろうか?
この辺はセイタカアワダチソウが猛烈な勢いで茂っており、冬山のラッセルみたいに漕いで接近をした。
だけどせっかく近づいて撮影したこの画像、若干斜めに傾いているな……。
繰込所の中心部から立坑・扇風機風洞方面を望む。
繰込所に落ちていた鉱員用キャップライト。バッテリー上部の金具にあるはずの番号票は付いていなかった(軍隊において兵士の首から下げる個人認識票【ドッグタグ】と同じく、各鉱員のバッテリーには数字が刻印された5cmほどの小さな金属票が必ず貼り付けられる。これは坑内災害に被災した場合、判別がつかないほど損傷した遺体の氏名を確認するためだ)。
ふと、この捨て置かれたキャップライトを使用していた人は、今でも存命なのだろうか…と頭に浮かんだ。
完全に破壊された坑口浴場の浴槽。浴槽は全部で6個並んでいるが、この画像のと同じ大きさのが5つ、半分ほどの大きさのが1つ(変電所側)ある。
4年前に訪れた釧路コールマインの体験入坑後に入浴した浴槽と比較すると、大きさはほぼ同じくらいだが、こちらのは少し浅いような感じがする(浴槽内は瓦礫と雑草で埋めつくされているので詳しくは分からないが)。
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新鉱の跡地をデジカメ片手にあちらへふらふら、こちらへふらふらと気が向くままに彷徨いながら撮影をしていたが、ここで時間を確認すると13:20 PM。太陽もすでに斜めとなり、地面に落ちる影も次第に細長くなり始めていた。秋の日は短いので、探索はこの辺で切り上げて戻ることにしよう。
通洞から直線距離で400mほど離れた場所にある第二立坑跡にも行きたかったのだが、これから薄暗くなる時間帯だとヒグマに遭遇するのが怖いので、ここは素直に諦めることにした。
人気の全く無い山奥での単独探索は「命あって」のもの。あくまで「趣味」でやっている事なのだから、こういう時は臆病なくらいが丁度良い(と自分に言い聞かせる)。
新鉱跡から林道ゲートへ向けて歩いていると、途中の水たまりの近くに何やら小さな細いロープが落ちているのが見えた。「奥へ行く途中に捨てられたロープが落ちていたっけ…?」と思いながら近づいてみると、それはロープではなく泥の上で一休みをしているヘビだった。
長さ40cm、直径は2cmほどの小さなヘビ。生き物の同定は得意ではないが、アオダイショウやジムグリなどの幼蛇だろうか? いや、もしかするとヒバカリ? 休憩中に突然人間に近寄られて驚いたのか、このヘビはクネクネと這いながら林道脇に積もった落ち葉の山へと潜り込んでいった。邪魔してゴメンよ。
13:40 PM 林道ゲートへと無事到着。頭上を鬱蒼とした木々が生い茂る林道を抜けて農家や畑が視界に入るとホッとした。
長江の横でペットボトルのジュースを飲み、一息ついてから清陵町へと移動する。
林道ゲートから5分ほど走ると清陵町の通洞・慰霊碑前に到着。中央奥に見える建物は清陵町の公衆浴場(炭住アパートには風呂が無いため)。
いつもはほとんど人気の無いこの場所も、今日は事故の発生した日ということで、広場には慰霊碑に手を合わせに来たと思われる数台の車が駐車していた。
”我が新鉱をがつちり守ろう 出稼と 保安と 生産で”
昔と比べると色がかなり褪せてきた新鉱の標語看板塔。6年前に撮影した画像と比較すると一目瞭然だが、あと7〜8年もするとこの標語のペンキ文字は、ほとんど消え去ってしまうのではないだろうかと心配になる。書かれた標語をよく読むと「出稼」が一番で「保安」が二番目となっている。炭鉱を経営する会社が保安を蔑ろにするような傾向を持っていると、坑内災害の続発は必然であった(※)。
そしてこの標語と同じ構図は未だに日本の多くの企業や組織にはびこり、多数の労働者の生命を奪っているのは、ここ最近のニュースでも御存知の通り。事故から35年が経過していても大して変わらんのだ、この国は…。
※ 逆に釧路コールマイン(旧:太平洋炭鉱)では、過去に繰り返し発生した重大事故を教訓とし、坑内災害を防止するために、炭鉱でありがちな出炭量至上主義を捨てて「安全第一・生産第二」という標語を繰込所に掲げている。
夕張新鉱殉職者慰霊碑
碑の台座には、1970年の建設工事開始から閉山に至るまでの間に、夕張新鉱で命を落とした作業員120人の名が記されている。多くの者の命日である本日、ここへ来て花束や線香を供えていった遺族の胸中は如何許りか。
清陵町側の通洞入り口。
以前に訪れた時と比べると下草が刈られ、ある程度は整備されていた(10月16日ということもあるかもしれないが)。足元はグジュグジュとやや湿っているものの接近は容易。
周辺の町内会の人たちがわざわざ手入れをしたのだろう。頭が下がる思いだ。
次は通洞・慰霊碑から400mほど離れた場所にある、ボーリング(試掘)現場へと移動。
当然それらの周辺は工事関係者以外立入禁止であり、すぐそばへ行くことは不可能……だがカバー等で目隠しはされていないので、遠くの邪魔にならない場所から作業を(勝手に)見学することとした。
今年の春からテレビや新聞などで何度か報道されていたが、9月15日から旧清陵小学校跡地において、炭層中に含まれるメタンガス(コールベッドメタン CBM:Coalbed methane)を地上から吸い上げる試験が実施されている。
この試掘井の名称は夕張CBM-清陵1号井。ボーリングの目的は炭層内に含まれるメタンガス及びコアの採取と地質の確認、採掘に関連する様々なデータの収集と思われます。
発注者は夕張市(まちづくり企画室)、施工者はエスケイエンジニアリング、アドバイザーとしてNPO 地下資源イノベーションネットワークが参加をし、JAPEXと夕張地区のガス採掘権を保有するレアックスが共同で行っています。
掘る深さは960m、試掘にかかる費用は約2億円(うち1億円はJOGMECからの補助金)、工事期間は11月30日までとされています(掘削そのものは10月末頃には完了する予定)。
深さは960mということなので、夕張層の中でも厚く発達している平安8尺層、10尺上層、10尺層などの夕張新鉱でも掘られていた原料炭炭層(平安8尺は一般炭だが)で試験を計画しているみたいだ。
今回のボーリング調査の結果によっては、2017年度以降から試験生産を実施し、そのまま順調に進めばメタンガスを燃料とするガス発電や、周辺のメロン農家向けのビニールハウス暖房なども視野に入れているという。
この時はちょうどトラックのユニックでボーリングロッドを吊り上げ、順に装填して繋いでいる様子だった。ロッドの内径は30cm前後と思われ、遠目からでも結構な太さと長さがあるのがわかる。
この高さ30mの試掘井の櫓は、一通り掘り終わったら解体されると思われるので、興味がある人はなるべく早めに行ったほうが良い。20年ほど昔に苫小牧市郊外で見た巨大な石油ボーリング櫓あけぼのSK-1ほどではないにしても、ここは見る価値があるだろう。
だが、このメタンガス事業で肝心の夕張市の財政・収入が好転するかどうかは、まだ誰にもわからない。
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腕時計を見ると時刻は既に午後2時を回っていた。風も冷たく感じてきたことだし、そろそろ帰るとするか(実は南部方面にも行きたかったが…)。
帰り道は若菜から道道3号線を走って由仁を経由して北広島へと抜けた。途中、国道274号線とぶつかるY字交差点にあるコンビニで軽く休憩をとる。15:03 PM
だけど十年来のサイドカー乗りが老婆心ながら言わせてもらうと、いくらノーヘルが法の建前でOKと言われているトライクでも、乗る時にヘルメットは絶対に被った方がいいと思うぞ(全員ノーヘルだったので)。走行中にカーブで膨らんで転倒したり、虫が顔面にヒットしたら、間違いなくただでは済まないのだから……あー、自分も何だか説教臭い人間になってきたなぁ…。
とりあえず15分ほど休憩をした後、自宅に向けて出発。
この後は西の里や厚別で運良く渋滞にハマることもなくスムーズに帰ることができた(観光地からの帰りで混雑する日曜日夕方なのにね)。16:36 PM
以上、そんなこんなで35年目の10月16日の夕張の記録でした。
長江冬眠前にあと一回は走りたい気持ちもあるが、気温と天候を考えるとさすがにもう無理だろうか?
本日の走行距離:144km
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※ この日記は、本来ならば夕張からのツーリングを終えた10月16日当日の夜にアップをする予定でしたが、諸般の事情により1週間遅れとなってしまいました。
読者の皆様、どうかご了承下さい。
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ここ最近の晴れたり曇ったり雪が降ったりといった、短期間で温度と天気が猫の目のように忙しく変化する北海道内ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか?
さて、タイトルにも書かれている通り「10月16日」はあの北炭夕張新鉱でガス突出事故が発生した日です。そして今年は1981年からちょうど35年が経過した節目の年でもあります。
以上、本日はその夕張へ短時間ではありますが長江サイドカーでツーリングに行ってきたことを書き記してみたいと思います。
10月16日(日)
10月も中盤となり、太陽が顔を出している時間帯でも肌寒い日が増えてきた。そろそろ我が愛車の長江サイドカーも冬眠に向けて準備をする時期だろうか、などと考えながら朝6時半に起床。朝食を食べ身支度を整えて、7時半頃にいざ出発……と思っていたところ突然身内から電話があって色々とゴタゴタしてしまった。この騒動により出発が2時間以上遅れて9:50 AMに自宅を出ることに。
札幌新道から国道274号線へと入り、収穫の終わった田園地帯にある直線道路を長江は50km前後で駆け抜ける。体に当たる風は先月よりも少々冷たいが、その分エンジンの調子が上がった気がする。だけど右シリンダ付け根部分からのオイル漏れは本当にどうにかしないとな。右側の靴にベットリとオイルが染み込んでしまっているのはどうにも……。
とりあえず夕張行の途中にある道の駅マオイの丘を目指すとするか。
直売が開いていない春と冬を除いて、いつ来ても大勢の人で賑わっている道の駅マオイの丘(長沼町)。トイレ休憩とエンジンオイル冷却中の暇つぶしを兼ねてふらりと店頭を冷やかしてみるが、夏〜秋の天候不順の影響で売られている野菜が結構高い。
しかしそれでも札幌市内のスーパーよりは多少安いのだが…。
オイルを適温まで下げた後、ジロジロと刺さるような視線を感じながらエンジンを始動。夕張へと向かう。11:15 AM
マオイの丘を出発して夕張市紅葉山に至るまでの間、夕張川沿いの紅葉を楽しみにして走っていたのだが、途中の霧雨橋周辺からは葉が若干色づいている程度のやや期待はずれな紅葉であった。桜で例えると3分咲きといった感じか。
もう3〜4日ほど経てば葉の色も濃くなって絶景へと変化しているかもしれない。
昨今話題となっている夕張支線(夕張駅〜新夕張駅間)は、今年8月に開かれた夕張市長とJR北海道の協議により、3年後の2019年3月をもって廃線となることが(ほぼ)確定した。北海道内に赤字路線は多数あれど、この夕張支線は21世紀の今までよく持った方だろう。
夕張市内でまだ北炭と三菱の炭鉱が稼働していた当時、夕張支線には機関車と客車と石炭貨車が数え切れないくらい走っていた。そして踏切の遮断機も昼夜を問わずひっきりなしに上下していたであろう。
その踏切で発生する列車と人との事故を減らすために作られたのがこの跨線橋だ。
しかし度重なる閉山で夕張市から炭鉱が消え、利用者の減少により鉄道が消え、そしてこの跨線橋も今その役目を終えようとしている。今ではここの線路を通過する列車は、上りと下りの両方を合計しても1日10本しかないのだ。
「跨線橋を作らねばならないほど、沼ノ沢では列車の往来が激しかった」という過去を証明する遺構だが、完全な姿はここ数週間で見納めかと思われる。
ちょっと登ってみる。
階段は子供向けとして作られたのか段差が15cm前後と非常に低く(跨線橋のすぐそばには5年前に廃校となった夕張市立緑小学校(沼ノ沢小学校)がある)、左側には自転車を押して載せるための斜路となっている。段差の隙間には雑草がすごい勢いで生えており、まともに人が歩いた形跡はない。上の通路部も両端が雑草に占拠されている。
位置的にこれは沼ノ沢駅構内にあった北炭夕張新鉱専用線から本線へと繋がる線路跡……ではないだろうか?
上の画像だと右と左の倉庫は稼働当時から資材などを保管する倉庫として使われていた(真ん中のは不明)。なお、この位置からは死角になって見えないが、奥にも当時そのままの倉庫が現在でも利用されている。
しかし夕張新鉱の坑口事務所や立坑櫓が既に解体されてしまった以上、当時から残る新鉱の物証はこの倉庫や通洞、斜坑坑口、清陵町の団地くらいしか存在しない。
そして新鉱閉山後しばらくしてから選炭工場は解体され、跡地は沼ノ沢工業団地として分譲がされたが、左側に見える食品工場以外は思うように誘致が進んでいない。
跨線橋と倉庫を一通り見終わって沼ノ沢駅へ戻ってきたと同時に、正午を知らせる大音量のサイレンが鳴った。駅前にはいつの間にやらレストランおーやまを目当てに訪れた多数の車とバイクが停められていた。夕張ではかなりの知名度を誇る有名店だけあって、窓越しに見える店内も結構賑わっているみたいだ。
自分もここで食事をしたかったのだが、時間が押していたこともあり今回は残念ながらパス。
調理場の換気扇から漂ってくる旨そうな料理の匂いを嗅ぐだけに留めた。
車内をチラリと見てみると、意外にもそこそこの乗客がいた(失礼ながらもっとガラガラかと思っていた)。中には新聞やテレビで廃線を知り、記念で乗ってみた……という人もいるのかもしれない。
続きます
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