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地味にこの回を待っている人がいる……といわれるこのシリーズ(本当か?)、炭鉱を知るための本・第三弾です。
昨年8月以来ということで一年ぶりとなりますが、以前にも増して技術寄りとなっています。
なお、ここに上げた本はすべて北海道大学工学部の所蔵です。
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石炭の技術史 摘録(自費出版)
著者である児玉清臣氏は、長年に渡り三井鉱業に務めていて(三井芦別や三井砂川にも勤務していた)、退職後に日本に存在した石炭産業とその歴史を後世に伝えるために、この本を執筆したと述べています。
この本は上下巻のセットとなっており、上巻が古代〜江戸期〜明治期の石炭産業について、下巻が大正〜昭和期の石炭産業と急速に機械化された坑内外機器の説明となっています。
過去の文献に残る石炭に関する記述の抜粋。
日本においては、天智天皇に献上されたと日本書紀に記される越国(現在の新潟県周辺)の燃える水(石油)や燃える石(天然アスファルト)と比べて、石炭はそれほど認知されていなかったという。
幕末になって開発された茅沼炭鉱の記述。
ここでは掘り出された石炭を運ぶのにインクラインが構築された。
サハリン(樺太)の地質図と炭鉱位置。
個人携行の坑内照明として長い間使われた安全灯。
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高島炭鉱史 三菱鉱業セメント株式会社高島炭礦史編纂委員会
1986年に閉山した長崎県の高島炭鉱の本です。
高島は三菱財閥発祥の地としても有名で、この本には兄弟鉱で高島のすぐそばにあった端島鉱(軍艦島)のことにも多くのページが割かれています。 二子立坑と新造された選炭工場。 丸く巨大な貯炭サイロは南大夕張のにも似ている。
何度も作りなおされた端島のドルフィン桟橋。
高島と違って端島はまともな港が無かったため、人間や資材の移動・運搬は苦労の連続だった。
高島と端島の坑道図。 往時の写真など。 狭い島内に多くの鉱員用高層アパートが作られた。
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三菱炭坑技術 三菱鉱業株式会社
当時の三菱鉱業が保有する各炭鉱の技術交流を目的として作られた社内技術誌です。中身は極めて専門的で、炭鉱技術者や鉱山技師でないと理解できない部分が多数です。
残念なのは昭和44(1969)年でこの本の発行が止まってしまった点。三菱の経営する炭鉱の近代化・機械化をもっと見たかった。
三菱茶志内炭鉱で使われていた水力採炭の、石炭と水のフローチャート。 1960年代には多くの炭鉱で水力採炭のテストが行われていました。しかし、このシステムを本格的に採用したのは三井砂川炭鉱だけでした。
水力採炭の出炭効率。 ////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////
三井鉱山技術ダイジェスト 三井石炭鉱業株式会社
三菱の次は三井鉱山(三井石炭)です。これも三菱炭坑技術と似たような社内誌ですが、三菱のそれよりもぐっと読みやすくなっています。
(本来は中とじのパンフレットみたいな冊子なのですが、耐久性を持たせるために分厚い辞典みたいに製本されています。これは三菱炭坑技術も同じです)
有明炭鉱第二立坑櫓完成の記事。 この立坑櫓は旧有明鉱跡地に太陽光発電所を建設するため、近日解体されます。
三井砂川炭鉱の厚層欠口切羽の構造。 昔の砂川では水力だけではなく欠口も併用していた。
三井だけではなく、社外炭鉱の記事も書かれていました。
「資源通信」という新聞は読んでみたいな……。
途中に挟まれる広告を読むのも、時代を感じることができて面白いです。場合によっては記事よりも広告に目が行く事も…。 上からドラムカッターと自走枠、ロードヘッダー、コントラファン(軸流式の扇風機)
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炭砿 社団法人北海道炭礦文化研究所 以前紹介した炭鉱技術みたいな技術紹介誌で、これも結構読み物が多くて楽しめます。だけど昭和39(1964)年で発行が終わっているのが残念です。
似た傾向の本である炭鉱技術に吸収されてしまったのだろうか?
読み物以外に注目すべきところとして、センスやインパクトのある表紙写真が多いのがこの本の特徴です。
これは通産省が自衛隊恵庭演習場内にレンガ造りの火薬庫を建てて実施した、ダイナマイト1.5トンの爆発実験。高く吹き上がった爆煙がスゴい。
当時の北海道・道外にあった炭鉱の動向も余さず記載されています。 右上の羽幌炭鉱のペーカー3とは、ソビエト製の最新鋭ロードヘッダーのことです。 ちなみにこの後継機であるペーカー7・ペーカー9は三井三池製作所がソビエトと提携を結び、後にライセンス生産もされました。
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炭鉱
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今日は石狩〜月形〜岩見沢と長江サイドカーで走り抜けたのは前の日記に書きましたが、岩見沢にある炭鉱の記憶マネジメントセンターで珍しいものを発見しました。
「それ」は出入口そばの本棚の上にポツンと置かれていたのですが……。
夕張新鉱の絵はがき(というか写真はがき)です。
宇垣おぴょぴょ氏のサイトにも詳しく掲載されていますが、現物を手にとって見たのは初めてです。
これは絵はがきを入れるタトウ(封筒状の包み紙)で、写っているのは夕張市清水沢清陵町の山奥にあった、夕張新鉱の入気・排気立坑と総合事務所の遠景です。
中身は、宇垣氏が所有するセットと比べると何枚か抜けがあります(総合事務所外見、選炭工場、シックナーの3枚)が、この絵はがきがとても貴重な物であることには変わりません。
切羽で炭層を削るレイジングドラムカッターと自走枠。自走枠上部には切羽面に向けて蛍光灯が装着されている。
ただし、この写真は平和炭鉱の解散記念誌にも載っていたので、夕張新鉱ではなく平和炭鉱のドラムカッターなのかもしれない。
夕張新鉱のシンボルであった真紅のR型立坑。
夕張新鉱に勤務する鉱員専用の住宅街「清陵町団地」
この風景は南清水沢駅近辺から撮影されたものと思われる。
沼ノ沢駅を通過する運炭列車と、選炭工場(中央奥)と貯炭瓶(右端)。
ちなみに北海道で国鉄による蒸気機関車の貨物輸送が行われたのは1975年12月24日まででした。
今回の一番の収穫。夕張新鉱総合事務所内にあった管制室。
三菱南大夕張炭鉱や釧路太平洋炭鉱の管制室は色々な資料で見たことがありますが、これほど鮮明な夕張新鉱の管制室の写真は初めてでした。
参考として、以前訪れた夕張市石炭博物館にある写真パネル。
絵はがきとは少し違う角度から撮った管制室の白黒写真だが、展示場所が暗く、しかも照らしているスポットライトが盛大に反射してどうにも見にくかった。
今回は事前準備なしで行ったのでデジカメのマクロ撮影で撮りましたが、歪みのない綺麗な画像が欲しいので、次回はノートPCとスキャナを持参しようかな…。
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前回の続きです。
大夕張から戻る途中、事前に連絡していた夕張地域史研究資料調査室へ向かう。
目的は、以前新聞に載った「夕張新鉱立坑櫓模型」をこの目で見るためです。
夕張市役所の隣にあるアディーレ会館ゆうばり
入り口には名作映画サウンド・オブ・ミュージックの大看板があります。
4階廊下の一番奥にある部屋、ここが夕張地域史研究資料調査室です。
来た時には人の気配がしなくて留守かと思ったのですが、後ろの部屋からタイミングよく室長の青木氏が出てきました。
ちなみに室内には貴重な資料や冊子の山。自分だったら半月は篭れるかも……。
さっそく保管してあるケースの中から出して見せてもらった夕張新鉱の立坑櫓模型。
特徴的な真紅に塗られ、息を呑むくらいに精巧なデキです。 ソファの上では不安定なので別室のテーブル上へ移動。 この模型の縮尺は1/100です。
階段の手すりやステップまできちんと作り込んであります。 夕張新鉱の立坑櫓は新R型立坑櫓といいます。同じ形状の立坑櫓は三井三池炭鉱有明鉱や松島池島炭鉱でも使われていました。 ちなみに幌内炭鉱のはA型立坑櫓、住友赤平炭鉱のはH型立坑櫓です。
屋根との接合部のアップ 巻室とシープにかかるワイヤーも忠実に再現。 立坑櫓の側面図 立坑櫓の仕様書
建設には北炭と関係の深い三井三池製作所が手がけた。
立坑内部の構造
地下には降り口が2ヶ所あるのがわかる。 今回の立坑櫓模型見学なのですが、当日になって連絡をし、飛び込みに近い状態での訪問となってしまい、青木様には色々とご迷惑をおかけしてしまいした。どうもすみません。
もし、夕張地域史研究資料調査室に保存されている模型や書類等を見学したい場合は、訪問する1週間ほど前に連絡をしてもらえればこちら側も事前調整や準備ができるので助かる、とのことでした。
夕張地域史研究資料調査室 (入れるのは平日のみ。土・日・祝祭日は閉まっています)
完全な手弁当による運営なので、普段はあまり常駐していないみたいです。
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オマケ
最近、道路沿いにある四角い生コン製造プラントを見ると、ワインディングタワー型立坑(羽幌炭鉱や真谷地炭鉱のタイプ)に見えるようになってきた。
……病気か? |
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こないだの金曜日に時間があったので大夕張まで走ってみました。
太陽が出て風も弱い、絶好のバイク日和でした(そのかわり最高気温は13℃と低めでしたが)。多分、これが本年最後のツーリングでしょうか。
大夕張へ向かう途中で見かけるこの建物は、旧北炭清水沢炭鉱の坑口事務所です。 位置
1947年営業出炭開始、1980年閉山。今は木材加工工場として使われています。
夕張市内に多数存在した炭鉱関連建築物の殆どが壊されている中、当時そのままに現存しているのは、この清水沢炭鉱の建物だけです。
左側に見えるのは旧安全灯室。現在は倉庫として使われています。 位置
工事中のシューパロダム 位置
左側に見えるのは旧道のトンネル。
三弦橋 位置
この日は以前見た時よりも水位が上がっており、満水に近い状態。観光客も自分含めて7〜8人はいました。
紅葉の季節はとっくに終わっていたが、枯れ枝に囲まれた三弦橋もまたオツなものである。
三弦橋を眺める展望台のすぐ後ろには、三菱大夕張鉄道で使われていたスノーシェードがそのまま残されています。 位置
白銀橋 位置
夕張岳への登山ルートとして知られていますが、住民退去前はこの橋の奥にも住宅や農地が広がっていました。
この橋もダム完成後は三弦橋と運命を共にします。
近くで見ると結構錆が目立ちます。 位置
撮影している間にも工事関係のワゴン車が横を走り抜けて行きました。
親父曰く「これは二代目。以前の白銀橋は吊り橋で、橋が切れてトラックが水中に転落する死亡事故があった」のだとか。
ダム完成後、白銀橋に代わる夕張岳登山ルート用の橋桁 位置
明石沢川にかかるトラストガーター鉄橋 位置
草や木の葉が落ちたので全体がきれいに見渡せます。
奥に見えるのは工事中の新道。
親父が子供の頃、度胸試しでこの橋を友達同士で渡って遊んだという。今やると確実に列車停止&警察に通報モノである。
何人かのグループで鉄橋の撮影をしていました。
遺物その1
【交通安全都市 夕張市】の看板
遺物その2
道路脇の赤錆にまみれた標語塔
よく見ると「モデル町 皆なの力で非行追放」「人の子もわが子もみんな社会の〜(判読不明)」と書かれている。こちらからは死角だが、多分裏側にも標語が書かれていると思う。
そういえば木の電柱なんてまともに見るのは20年ぶりくらいだろうか。
……あ、一部で有名なキリ助もあったけれど撮影し損ねた。
工事用の砂利置き場 位置
ベルトコンベアの近くに親父や祖父が住んでいた鹿島緑町の炭住があったという。
夕張川河畔、官行のメタノール工場跡地 位置
今から26年ほど昔にここへ来たことがある。当時は小学1年生くらいだったが、まだ工場設備が残っていたような…。
三菱大夕張炭鉱のズリ山(中央) 位置
この辺まで来ると工事現場もなく車も通らないので寂しさが増す。
そして時間の余裕がなかったので、ズリ山探索はできず。無念…。
大夕張は一時間半ほどの短い時間だったので、サラッとしか見てまわることしかできませんでしたが、まぁボチボチ撮影はできたかと思う。
ここでUターンをして夕張市街地へ戻る。
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後ろ髪を惹かれつつ午後2時に赤平炭鉱を出発し、歌志内市を抜けて上砂川町に到着したのが2時20分頃。
初めて三井砂川炭鉱の立坑櫓を見ましたが、最近まで各種実験で使われていただけあって今にも動き出しそうな雰囲気でした。
あまり関係ない話ですが、歌志内市の道路では火発へ石炭を運ぶダンプカーが多く走ってしました。
閉山から2年後の1989年には地下無重力実験センター(JAMIC:Japan Microgravity Center)が創設され、深さ766mの試験カプセル落下装置として使われましたが、コスト面で利用が思ったほど伸びず2003年に閉鎖。坑口も密閉されました。
住友赤平炭鉱の立坑櫓と比べると非常にすっきりとしたデザインです。
2005年4月以降ずっと閉館のまま(維持費問題だろうか?)。再オープンの目処は立っていません。
なお、館内には実際に動くモニターが設置してあり、操作体験もできたそうです。
年に一回くらいは開放してくれないかな……。 手に持っているのはコールピックです。
戦争中に鉱員の士気を高めるために作られたが、設置されたのが敗戦3日前。
赤平に展示されているものとはバケット形状が少し違います。
この赤色塗装は防錆塗料の色だろうか?
アーム部には三井のエンブレム。
1964年に運用を開始し、1987年の閉山まで採炭の主力機械として使われてきた。
同時期に三菱茶志内、明治本岐、北炭夕張一鉱などでも導入されたが、23年もの長きにわたって使われたのは国内では三井砂川だけでした。
水力採炭というシステムは、1961年に旧ソビエトから導入された。
水を上に向けて噴射する構造のため、炭層傾斜角が急であればあるほど採炭効率が良くなった。
ただし、水を大量に使うため切羽は水と泥だらけの高温多湿となり、作業環境は劣悪だった。
モニターから10mほど離れた場所に設置し、1人で遠隔操作を行う。
赤平のものよりも古いと思われます。
バッテリーロコが普及する前(昭和40年代以前)の坑内輸送の主力。
上に張られた架線から電力を得る構造となっているので、感電や不意に火花が出てメタンガスに引火する恐れがあったため、バッテリーロコが普及すると姿を消した。
という訳で、ここ上砂川では短い時間でしたが、貴重な機械類(特にモニター)を眺めたり触ったりして面白かったです。
この後、強烈な西日に目をクラクラさせながら札幌へ帰りました。
以上、おしまい
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