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経団連「定昇見直し」本気で提言 日本的経営は完全に崩壊する
J-CASTニュース 2011年12月31日(土)13時12分配信
長年にわたって日本の企業に定着していた「定期昇給(定昇)制度」がなくなるかもしれない。日本経済団体連合会が2012年の春季労使交渉に向けて経営側の指針としてまとめる「経営労働政策委員会報告」に、定昇の見直しが盛り込まれることになった。
もちろん、日本労働組合総連合会(連合)の抵抗は必至だ。しかし、日本経団連はグローバル競争の激化や長引くデフレで「(定昇の)実施を当然視できなくなっている」と指摘し、強気の構えだ。
◇ 仕事・役割が変わらない限り、上限で昇給が止まる
年齢や資格に応じて毎年賃金が上がる「定昇」は、終身雇用や年功序列を重んじる昔ながらの日本企業の「象徴」のような制度で、そもそもは長く勤めるほど給料の上がる仕組みによって人材の流出を防ぐことが目的だった。
人事コンサルタントの城繁幸氏はブログで、「今時そんなメリットは無いからもう廃止しましょうね、というわけ。時代にそった適正な判断だろう」と、日本経団連がようやく重い腰をあげたとしている。
日本経団連は定昇の具体的な見直し策として、
(1)仕事・役割に応じて等級を設け、賃金水準の上限と下限を決める
(2)暫定措置を講じながら個々人を再格付けする
(3)仕事・役割が変わらない限り、上限で昇給が止まる
という仕組みを提示した。
これまでのように、雇用年数によって自動的に賃金を上げることを「やめる」との意思を明確に示したもので、能力の高い人、会社に利益を与える人を尊重する仕組みへと移行。2012年の春闘交渉で、「中長期的な課題として、労使の話し合いにより、合理的な範囲で抜本的に見直すことが考えられる」としている。
一方の連合は2010年の目標を踏襲し、「一時金を含めた給与総額の1%引き上げ」を掲げている。これに対して、日本経団連は「要求があっても賃金改善を実施しない企業が大多数を占める」と指摘し、「理解に苦しむ」と痛烈に批判した。
「定昇の見直し」はここ数年、経営側の検討課題になっていた。2011年の春闘に向けた経営労働政策委員会報告でも検討したものの、定昇維持を容認していた。
◇ 「厳しい交渉を行わざるを得ない」
ところが、日本経団連の2012年に向けた報告案はかなり強い姿勢のようだ。「負担の重い定期昇給を実施している企業は、厳しい交渉を行わざるを得ない」と、交渉の凍結や延期の可能性にも言及している。
グローバル競争の激化や長引くデフレ、円高や世界的な景気の後退感と、企業も視界不良でさらに厳しい経営環境にさらされている、ということらしい。
一方、いまの日本の雇用は、給与や待遇の低い派遣社員がいて、給与が高い正社員たちを長期雇用できるような仕組みになっている。
城繁幸氏は、「95年の『新時代の日本的経営』は、非正規雇用で雇用調整しつつ、付加価値の高いコア業務を正社員が担うことで、従来の日本型長期雇用を維持しようとするものだった」と、ブログで指摘。「定昇」がなくなることで、日本型の長期雇用の仕組みも根本から崩れるのかもしれない。
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コールドプレイ、演奏を中断してタンバリンを振っていたファンに「やめてほしい」と注意
シネマトゥデイ2011年 11月28日(月)10時36分配信
ロンドンで行われた学習障害をサポートするチャリティ・イベントに出演したコールドプレイが、あるファンのタンバリンの伴奏に耐えられず演奏を中断する事態が起きた。
英ザ・サン紙によると、コールドプレイが「The Scientist」を演奏していたところ、クリス・マーティンが歌を歌うのを突然やめ、ファンに声をかけた。「無礼な態度を取るつもりはないが、これはタンバリンを使うような曲じゃないんだ。正直言うと、この曲のレコーディング時にはタンバリンも試したけどボツになった。だからタンバリンなしで10年以上演奏をしてきた。合うかもしれないけど、僕はタンバリンなしに慣れてしまっている。悪く思わないでほしい」とステージからファンにやめてくれるよう呼びかけた。
WENNによるとタンバリンを振っていたのは女性だったとのこと。「ここから君がどんな人かは見えないけど、とても素敵な人で、いい音を出していると思う。別にタンバリンが嫌いとかアンチ・タンバリンを訴えようとしているわけじゃない。タンバリンは僕のお気に入りの楽器のひとつだ」とクリスは彼女の気持ちを傷つけないよう、優しくタンバリンの伴奏をやめてくれとお願いしたあと、「次の曲はタンバリンにばっちりの曲だから、思いっきり盛り上がってくれ」と付け加えたという。(澤田理沙)
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トヨタも驚愕!伊那食品工業「48期連続増収増益」の秘密
プレジデント 2008年12.1号 社長の仕事術
会社を強くするものは何か。経営者としてずっと考えてきた。
出た答えは「社員のやる気を引き出すこと」。
長野県の伊那市に本社を置く伊那食品工業は寒天のトップメーカーだ。1958年の創業から48年間、増収増益を達成し、現在の売り上げは165億円、従業員は約400名。同社が国内マーケットに占めるシェアは8割、世界でも15%となっている。不景気の到来で、経営の前途に不安を抱く企業が多いなか、毎年着実に成長する同社の経営姿勢に関心を抱く人々は多く、帝人、トヨタグループ幹部等が同社を見学に訪れている。
会社を強くするものは何か。経営者としてずっと考えてきた。出た答えは「社員のやる気を引き出すこと」。やる気を引き出すことさえできれば会社は強くなる。
例えば機械はカタログに書いてあるスペック以上の仕事はしない。しかし人間はやる気になったら、やる気のない人の3倍くらいは働く。人間は頭を使うから、自分で工夫して仕事の能率を上げていく。では、具体的には何をすればいいのか。
考えた末に、ひとつの答えを出した。やる気を引き出すには社員に「これは自分の会社だ」と思わせればいいんだ、と。社員が自分のうち(自宅)のように感じる会社にすればいい、と。たとえ会社ではダメ人間でも、うちに帰れば立派なお父さんだという人はたくさんいる。金を稼いで、家庭を守り、子どもの面倒を見る。家族を守ることに手を抜く人間はいない。それは「家庭は自分のもの」と思っているからだ。
会社もその人にとっての家庭にすればいい。これが一般の会社だと、社員持ち株会などをつくって、株を分けたりする。しかし、それくらいのことでは社員は会社を家庭だとは思わない。
そこで、まずは情報を共有することにした。当社では幹部だけが知っている数字などない。製品をどれだけ売って、どれだけ儲かったかは社員なら誰でも知っている。また、リストラをやったことはないし、これからもしないつもりだ。
給料も地元では高いほうだ。社員旅行も、39年も前から1年おきに海外へ出かけている。そして、万が一社員や社員の家族の身に何かが起きたら、私は完全に面倒を見る。
5年ほど前のことだが、社員の自宅が火事で全焼した。消防署から第一報が入ると、私はすぐ陣頭指揮に立った。
「第1班はすぐに駆けつけろ。状況がわかったらオレに知らせるんだ。第2班は炊き出しの用意をして現場へ急行すること。そして、第3班は待機だ」
社員は火事の現場に駆けつけてきて、それぞれ着るものや家具をカンパした。会社は被災した社員に建て替え資金を貸し出した。利息は一切取らない。火事に限らず、私は困っている社員がいれば何でも面倒を見る。そして、約束したら絶対に守る。この50年間、それを続けてきた。
家族のように思うといっても、私は特定の部下と飲みに行ったりはしないし、社員の結婚式にも極力、出ないようにしている。全員の式に出席することは不可能だからだ。加えて、当社では部下は上司に贈り物をしてはいけないと決めている。逆に上司が部下におごったり、プレゼントするのは大いに結構。どんどんやりなさいと言ってある。
部下を怒ることもある。しかし、それは仕事の成績が悪いといった理由ではない。そして、自分の感情にまかせて声を荒らげたこともない。叱責するのは怠慢に対してだ。何度も同じミスをしたり、約束を破ったり……。実際、そのような部下は少ないが、そういった場合は机を叩いて怒る。
◇ 2カ月間、工場に泊り込んだ
私が入社した50年前には、地域にいくつもの寒天製造会社があった。当時の寒天の用途は和菓子の原料。しかし洋菓子の流行などで需要が減り、従来の得意先だけを相手にしていた寒天会社はつぶれてしまったのだ。
責任者になったのは寒天の売れ行きが減速し始めた頃だった。従業員は十数人で、しかも皆、私より年上。私はとにかく仕事を覚えようと、工場に2カ月間、泊り込んだ。しかし、いくら熱心な態度を見せても社員たちの態度は変わらない。ただ、私には社員たちの心の痛みに共感する気持ちがあった。
画家だった親父が終戦の年に病気で亡くなり、母が子ども5人を抱えて働いた。貧乏暮らしだったことに加えて、私は17歳で結核にかかり3年間病院で寝ていた。逆境にいたから人の痛みはよくわかる。だから社員たちの態度がすぐに変わらなくても、自分が相手に対して愛情を示し続けていればいいと思っていた。
会社として形になってきたのは責任者になって20年も経った頃。うちはほんの少しずつ成長して、今のような形になった。
◇ 「ルイ・ヴィトンみたいなブランドになろう」
私が大事にしていることは3つある。それは時間軸、公、「利他」ということ。
まず時間軸だ。私は常に会社の永続を目指すと社員に話している。会社が長く続くために急成長は必要ない。
屋久杉の年輪をご覧になったことがあるだろうか。年輪はものすごく細かい。屋久杉は低成長だからこそ、6000年も生きていられる。会社も同じ。1年の成長が少ないほど長生きできる。
会社の成長というと世間一般では売上高が増えることと考えている。しかし、わが社の定義は違う。仮に売上高が同じでも、適正な利益があり、その利益を正しく使って外部の人も社員も「自分は成長した」と実感できれば、それが「成長」だ。きざな言い方だが、社員全体の幸福度の総和が大きくなっていくことが当社の成長なのだ。
社員に対してこう言ったことがある。
「おい、うちもルイ・ヴィトンみたいなブランドになろうよ」。皆けげんな顔していた。「そんなの無理ですよ」って。私はふたたび問いかけた。
「どうして無理なの。何も明日やあさってにヴィトンになるって話じゃない。オレが死んだ後の社長でもいいし、その次の社長でもいい。50年、100年かければできないことはない」
時間をかけることに対して人は鈍感だ。目標を達成するには時間軸を長くとって、自分の未来に自信を持てばいい。そうすればたいていのことは実現できる。ただし、目標の達成は未来のことでいいけれど、着手は今すぐでなくてはならない。
時間軸ともうひとつ大切なのは「公」を意識すること。うちには「仕入れ先を大切にする」「町づくりをしっかりやる」といった決めごとが10カ条あるが、その精神は、公を意識しながら会社を運営していくことの大切さだ。公を意識することは、すなわち自分自身の行動を客観的に眺めることにつながる。経営者や上司が公の意識を持ち、大きな視点で行動していれば、おのずと社員たちとのつきあい方にも節度が出てくる。
最後に、人間関係をよくするために何をするかと問われたら、答えはひとつしかない。それは利他ということ。自分だけの利益を追求するのでなく、他人も一緒に幸せになろうということ。私にとって利他の対象はまずは社員だ。
むろん、人生にはつらいときや苦しいときがある。でも、そんなときは「自分は小説の主人公なんだ」と思い込めばいい。そして、「小説のなかで今はつらい時期だ。しかし、この小説(人生)は必ずハッピーエンドで終わる」と考えれば、乗り切ることができる。
結局、ビジネスマンにとって必要なのは自分なりの「軸」を持つことだ。いくら本を読んだり、勉強会に出たりしても、自分自身の軸が確立していなければ他人の意見やトレンドに流されてしまう。「年功序列を守る」「リストラはしない」といった決めごとは会社としての軸を持っていなければ実行できなかった。
〜 伊那食品工業会長 塚越 寛
1937年、長野県生まれ。伊那北高校を肺結核により中退。58年伊那食品工業に入社し、83年代表取締役社長に就任。2005年から現職。著書は『いい会社をつくりましょう。』。趣味は写真で、伊那谷の四季の風景をカレンダー、ポストカードにしている。
塚越寛会長は伊那食品の実質的な創業者で、21歳のとき、社長代行として経営に参画した。
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対極を楽しむ 〜 出井伸之
体制vs大衆
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◇ どこから見るかで物事は違って見える
日本の第2次世界大戦について、どれだけの人が自分の歴史観で語れるだろうか。あれは軍部が暴走したのだ、とはよく言われることだが、陸軍大臣時代好戦派と言われた東条英機が、総理大臣になるとその意を変えていたことを、どのくらいの人が知っているだろう。物事はどこから見るかで、見え方がまるで変わってくるのだ。さしずめ会社でいえば、社長と事業部長では見える世界が違う、ということだ。
この違いは、体制側か大衆側かの違いでもある。社長が体制側とすれば、社員は大衆側。政府と国民も同じ構図だ。だが面白いのは、両者は上下関係にあるように見えて、実は世の中の大きな流れを形作っているのは、必ずしも体制側の人たちとは限らないということである。会社の文化を形作るのは、むしろ大衆側の人たち。そして体制側の大きな意思決定も、大衆側を巻き込んだうねりの中で行われている。
戦勝国のアメリカも、単純に意思決定が行われたわけではない。終戦の3年後に出版され、日本語への翻訳をマッカーサーが禁じた『アメリカの鏡・日本』には、アメリカも追い詰められて戦争せざるを得なかった現実が描かれている。考えてみれば、国力のまったく異なるアジアの小さな島国と、本気で戦争する意味をどのくらいのアメリカ人が認識していたか。だが、結果的に日本と戦争をしたかった人たちの意思が、アメリカ全体をあの戦争へと駆り立てていく。体制側も大衆側も、煽動されたのだ。日本は煽動されやすい国だと言われる。実はアメリカも同じである。そして、状況は今も変わらない。いや、もっとひどい状況にある。
◇ マスコミとネットは実は対立していない
体制側と大衆側の間にあるもの、それがメディアだと僕は思う。第2次世界大戦では、日本のメディアは国民を煽動した。歌謡曲や文学といった文化活動も、戦争に向けて日本人を煽っていった。
今やインターネット時代、これだけ自由になれば、かつてのようなメディアの煽動は起こりえないと考える人もいる。インターネットはマスコミと対立状況にあるという認識だ。しかし、それは違う。実際には、ネットはメディアを増幅させる役割を果たしている。冷静に眺めてみるといい。メディアの受け売りが、ネット上にどれほど多いか。
そしてインターネットが恐ろしいのは、体制側なものが攻撃対象になり、大衆側なものが賞賛の対象になりがちなことだ。東日本大震災でも国民の行動は賞賛され、政府は激しいバッシングを受けた。一連のジャスミン革命でも、ネットで大きなうねりが作られ、その津波が体制側をのみ込むという構図だ。だが、考えてほしい。もしかすると体制側が大衆側を装い、ネットを使って人々を極論へと煽動できるのではなかろうか。
そうやって大衆側に見える極論がひとり歩きしていく。事実かどうか確かめようとする人は、バッシングされる。確たる証拠もないまま、極論は拡散され、人々は煽られる。戦時中よりもはるかに恐い構造が、すでにでき上がっている。
僕は終戦を中国で迎えた。父が仕事で大連に赴任していたからだ。ソビエトは日ソ不可侵条約があるから攻め込んで来ない、と父はいつも言っていたが、実際には攻めてきた。言っていた話と違う、と怒る小学校2年生の僕に対して、困っていた父の姿をよく覚えている。でも、今は父に代わってシンプルに答えられると思う。体制側なものの力など、その程度のものだ、と。
今、世界は明らかにカオスに向かっている。それは体制側なものの弱体化を意味している。これが今の世界の流れである。だが、実は世界は同じようなサイクルを繰り返してきた。大事なことは、国民がどれだけそうした歴史観を持ち、自ら冷静に判断して行動できるか、である。
後に父が勤めた東洋経済新報社で活躍した石橋湛山は、こんな言葉を残している。“流れが速い時には、泳ぎのうまい奴ほど溺れる”。流れには逆らうべきではない。泳いでいるようでも、溺れている可能性がある。だが、流されるままでも危ない。大事なことは、報道や発表を盲目的に信じないことに尽きる。しかし、実はそれは日本人に苦手なことでもある。真実というものは主体的に学ぼうとしなければわからない。8月はそのきっかけを与えてくれる。
〜東京都出身。早稲田大学政治経済学部卒。クオンタムリープ代表取締役。ソニーアドバイザリーボード議長、アクセンチュアや百度(Baidu)の取締役も務める。1960年ソニー入社。スイス、フランス赴任後、オーディオ、コンピューター事業の責任者を経て、社長、会長兼グループCEO、最高顧問を歴任。近著に『日本大転換』(幻冬舎新書)。〜
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「知っている」が学ぶ心を妨げる
Business Media 誠 2011年8月30日(火)14時45分配信
企業で研修を行うと、たいてい主催の人事部(人材育成担当)は受講者(社員)に事後アンケートを取ります。そのアンケート結果は、研修プログラムの開発者であり講師である私にとっては、いわば成績表のようなもので、良い評価であれば励みにし、意見やクレーム・批評のようなものがあれば改善要求書ととらえて参考にします。いずれも見るのは楽しみです。
しかし、そんな中で残念な感想というのがあります。それは例えば――「分かりきった内容のことが多かった」「どこかで聞いたような話だった」「1日拘束されてやるほどの情報量がなかった」「理論的に目新しいものではない」「実際の業務には使えない」といった類のものです。
もちろん私も、このような声が出ないよう、もっと知的満足を与えるための改善の努力を重ねるわけですが、このような類の感想はどうしても出てしまうのです。その理由は「知識が学ぶ心を妨げているから」です。
◇ 「観念が仕事を作り、観念が人を作る」
私が行う「プロフェッショナルシップ(一個のプロであるための基盤意識醸成)研修」は仕事やキャリア形成に関わるマインド・観を涵養する内容なので、いわゆる知識習得・実務スキル習得ではありません。働く上での原理原則の観念をさまざまに肚に植え付けること、そして思索・内省の脳を大いに動かすことを狙いとしています。
私は「観念が仕事を作り、観念が人を作る」と確信しています。さらには、観念は価値を生み出す基となるものであり、観念は人を結びつけるものであるとも確信しています。例えば私が紹介する観念は――。
「心が変われば、行動が変わる。行動が変われば、習慣が変わる。習慣が変われば、人格が変わる。人格が変われば、運命が変わる」(星陵高校野球部・山下智茂監督の指導書き)。あるいは「悲観は感情に属し、楽観は意志に属する」(アラン:仏哲学者)、または「チャンスは心構えをした者に微笑む」。(パスツール:科学者)といったようなものです。
これらわずか1文に表された観念を肚に落としてもらうために、ワークをやり、ゲームをやり、ディスカッションをやり、1日とか2日とかの研修プログラムをこしらえます。
原理原則を含んだ観念というのは、古典的な言い回しです。当然それらは一読して当たり前の内容であり、新規性のある情報や理論は含んでおらず、地味で説教じみたものです。そんなとき、「心が変われば運命が変わる? まぁ、教訓としてはそうだよね」「ああ、その言葉、聞いたことある。知ってる(で、それが何?)」「チャンスは努力しないと来ないってことでしょ。はいはい、分かってます(で、明日から使えそうな具体的ハウツーは何か教えてくれるの?)」……受講者の中で「知識狩り」「ハウツー情報狩り」の人の感想はこうなりがちです。
◇ 「知識が学ぶ心を奪ってしまう」
知識を狩るにしても、ハウツー情報を狩るにしても、それは1つの好奇心の表れですから、まったく悪いというつもりはありません。しかし、自分の外側にある新奇のものばかりの収集・消費に忙しく、自分がすでに持っている内側のものの耕作・醸成を放置していることが私は残念だと言いたいのです。
私たちはあまりに知識所有教育を受け、情報優位社会に生きているので、「ああ、それなら知ってるよ」と思ったとたん、それ以降の「考えること」をしなくなります。そして、もっと知らない知識・もっと目新しい情報を欲しがるのです。
ここで、小林秀雄を引用しましょう。次の箇所は小林が小中学生に語った『美を求める心』に出てきます。
「言葉は眼の邪魔になるものです。例えば、諸君が野原を歩いていて一輪の美しい花の咲いているのを見たとする。見ると、それは菫(すみれ)の花だとわかる。何だ、菫の花か、と思った瞬間に、諸君はもう花の形も色も見るのを止めるでしょう。諸君は心の中でお喋りをしたのです。菫の花という言葉が、諸君の心のうちに這入って来れば、諸君は、もう眼を閉じるのです。それほど、黙って物を見るという事は難しいことです。(中略)言葉の邪魔の這入らぬ花の美しい感じを、そのまま、持ち続け、花を黙って見続けていれば、花は諸君に、嘗て見た事もなかった様な美しさを、それこそ限りなく明かすでしょう。画家は、皆そういう風に花を見ているのです」
小林は「言葉が美を見る眼を奪ってしまう」と言います。それと同じように、私は「知識が学ぶ心を奪ってしまう」と思います。つまり、「ああ、アランのその言葉なら知ってるよ。『幸福論』に出てくるやつでしょ」と、自分がそれを知識としてすでに持っていると認識するや、その人はもうその言葉に興味をなくします。その言葉の深い含蓄を掘り起こし、自分の生きる観念の一部にしようという心を閉じるのです。
知識狩りに忙しい人は、新奇のものを知ることに興奮を得ていて、本当の学び方を学ばない。ハウツー情報狩りに忙しい人は、要領よく事を処理することに功利心が満たされ、物事との本当の向き合い方を学ばない。
とはいえ、人生とはよくできているもので、こうした情報狩りに忙しい人も、ハウツー情報狩りに忙しい人も、いつかのタイミングで古典的な言葉に目を向けるときが必ず来ます。誰しも、悩みや惑い、苦しみに陥る時があるからです。人は何か深みに落ちた時に、断片の知識や要領のいい即効ワザだけでは自分を立て直せないと自覚します。そんな時、自分に力を与えてくれるのが古典的な言葉です。その言葉を身で読んで、強い観念に変えて、その人は苦境から脱しようとします。
そういうことがあるから、私は古典的な言葉を通して、大事な観念を研修で発し続けます。今はピンとこないかもしれないけれど、その人の耳に触れさせておくということが決定的に大事です。
自分の外側には無限の知識空間があり、そこを狩猟して回るのは興奮です。他方、自分の内側には無限の観念空間があり、そこを耕作することは快濶です。狩猟の興奮を与えるコンテンツ・サービスは世の中にあふれていますが、耕作することの快濶さを与えるものは圧倒的に少ない。私はその圧倒的に少ない方に自分の仕事の場を置きました。
3・11以降の日本がどうなるかを考える時、日本人がこの耕作にどれだけの振り返りをみせるかは1つの重要なポイントになると感じます。人を強くするのは多量の知識ではなく、健やかな観念です。興奮は一時的な刺激反応ですが、快濶は持続的な意志活動です。日本人の1人1人が「知ること」を超えて、「掘り起こすこと」に喜びを見出していくなら、日本は1つ強くなれると思います。(村山昇)
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