ゴエの愚痴り〜たいむ

足の薬指を骨折してしまいました(/_;)

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霧吹き

イメージ 1


霧吹きです
おもに アイロンを掛けるときに使います
スチームアイロンが出来て久しいですね
うちにも有ります、スチームアイロン

スチームに水を入れるのと
霧吹きに水を入れるのを選択すると
100%が霧吹きです

何故でしょう…

霧吹きの底に S.58.7.11 と書いています
書いたのは父です
彼は物を新しくすると 日付を入れるのが習わしでした
冷蔵庫、炬燵、トースター、掃除機、、
あらゆる物のどこかしらに書いてありました

それらは使っていくうちに徐々に壊れ、
買い替えられると
もう古くさい習わしを行う者も居ないので シレっと家に溶け込んでいきました

霧吹きは家に1個だけなんですが、使用頻度が低いのか もともと丈夫な質なのか今も初代が頑張っています
壊れないから棄てることもなく
3度の引っ越し時にも荷物に紛れ込んできました


あっちこっちひっくり返してココに書こうと決めたであろう父
いたずらっ子みたいな気分だったのかな


元気な父に逢えたようで
嬉しい時間でした

秋空に想う・・・

ちぎれ雲うかぶ秋空を 見上げて 洗濯機の脱水音を聞く。
 
窓から 涼しさが半分強まじった風が 通りぬける。
 
先に干された洗濯物が 取り込みを待っている。
 
熱気は まだ夏を残しているようだ。
 
目をとじて風を追ってみる。
 
子供のワタシが母の
 
手仕事を見てる。
 
ええ、風やな、おかあちゃん・・・
 
そやな・・
 
洗濯ものが積みあがっている。
 
ふかふかで ええにおい・・・
 
 
 
あのころは この光景がずっと続くと思ってた。
 
青空に ちぎれ雲が 姿を変えていく。
 
 
 
ここまで来たで、おかあちゃん
 
元気でいるから安心してな・・・
 
さ、
 
残りの洗濯物を干しに行こう。
 
 
 
コンビニで パートの仕事をして、丸まる5年が 過ぎました。
 
相変わらず色んなお客さまが 来られます。
 
 
 
その お爺さんは 少々、耳が遠いふうでしたが いつもニコニコされてて
 
良いお客さまでした。
 
体躯は小柄ですが、ガッチリした肩幅が 若かりし頃の仕事ぶりを物語っています。
 
健康のために歩くのだ、と よく仰っていました。
 
 
 
午後によく来られます。
 
お買い物は いつも同じ。
 
タバコ1箱と ワンカップの清酒が 1本。
 
嫁に叱られるから、と 嬉しそうに 上着の奥にしのばせるのが常でした。
 
ほぼ毎日、来られるので ワタシでも お酒の銘柄を 覚えたほどです。
 
 
 
2月になって、姿を お見かけしないなぁ・・と思ってたとき。
 
 
 
ある朝、義父から夫に 電話がありました。
 
組内(町内会)で、葬式が出たが ゴエ夫も行くか?
 
火曜日が通夜で、水曜日が告別式だ という連絡でした。
 
喪服を出したり 色々 準備をしました。
 
夫は 本調子じゃない足で 通夜に向かいました。
 
 
 
帰ってきた夫が 言いました。
 
『今日の お爺さんな、同級生のお父さんなんだよ。』
 
ふうん・・・ と ワタシ。
 
『よく、ここ(我が家の前) 通ってただろ?』
 
え・・・?
 
背の小さい、いつもニコニコして
 
ワンカップ酒を こう服の中に入れてるお爺さん?
 
『そうそう、お婆さんに怒られるからってなぁ・・
 
いいお爺さんだったよ・・』
 
 
 
そう。
 
あの、お客さまでした。
 
たぶん。
 
願わくば 他の人であってほしい。
 
ある日 ヒョッコリと店に来て、ワンカップとタバコを買ってください・・・
 
 
 
名前も知らない間柄でした。
 
初めて お名前を知ったのに 二度と逢えなくなってしまわれました。
 
 
 
お爺さん、いつも ご来店を ありがとうございました。
 
どうか 安らかに お眠りください。
 
 
 
 

訃報・・・

 
 
大阪のおばちゃんやな・・・
 
 
 
 
初対面の印象は こんなでした。
 
さかのぼること、20年まえ。
 
初めてタレントさんの ファンクラブに入会したけれど、2ヶ月に1度送られてくる
 
会報だけが 接点の日々。
 
 
 
前年に 父を亡くし、母子だけの つましい生活の中、会報の一文に目が止まった。
 
 
 
大阪にて 茶話会開催。
 
こぞって ご参加ください。
 
たしか こんな文面でした。
 
 
 
母に 行ってみたい・・と言うと ええで、行っといで の答え。
 
 
 
きっと、若い子ばかりの集まりやろうな。
 
合わへんかったら すぐ帰ってくるわな。
 
 
 
片道1時間半かけて会場に着く。
 
案の定、周りは 10代のキャピキャピばっかり・・・。
 
浮いてるなワタシ・・・。
 
 
 
そこに、ひときわ異彩を放つ人物が。
 
ひとり大きな声で 笑ってる。
 
 
 
みんな 若いなぁ!
 
おばちゃんやけど 入ってもええ?
 
ワタシの気持ちを代弁するかのような その人は 後に ファンクラブの会長となる
 
Nさんでした。
 
 
 
目線に気付いてくれ、おいで と手招きしてくれ 皆の輪に入ることが出来ました。
 
早速の 身上調査。
 
名前は?
 
住所どこ?
 
 
 
時間ある?
 
お茶でもシバく?
 
あれ? お茶、シバくが わからへん?
 
当時のワタシは なぁんにも知らなかったのです。
 
 
 
20数人で 移動。
 
テキパキと 喫茶店を決め、席順を決め、注文の品まで決め(笑) 手際の良さに
 
驚かされました。
 
 
 
こんな人も居るんやな・・。
 
 
 
家に帰って 楽しかった と母に報告。
 
良かったなぁ。
 
喜んでくれた母も 2年後に他界し 天涯孤独となったワタシを 
 
Nさん は 色々と心配してくれました。
 
聞くと Nさんのご主人は ワタシの父と同じ平成2年に亡くなられていました。
 
 
 
甲子園(阪神戦)に 連れて行ってくれたり、
 
お花見に 行ったり、(順番逆だったかも)
 
大阪で待ち合わせては 喫茶店でラストオーダーまで粘ったり、
 
冬の おでんパーティーに おウチに呼んでくれたり。
 
お泊りさせてもらった時は 翌朝、お弁当を 持たせてくれたり。
 
 
 
主導権は いつも むこうで、時々 疲れるなぁ・・ て時もあったけど、
 
方向音痴だったり、
 
変な処が 気弱だったり、
 
言い間違いが 可愛かったりして、
 
面白い おばちゃん いえ おかあさん(皆に こう呼ばれてました)でした。
 
 
 
みんなの憧れのタレントさんと 丁々発止する様子は 語り草でした。
 
そうして、
 
そのタレントさんが 2000年に急逝され、全員が 会の存亡を危ぶんだときに
 
立ち上がったのも おかあさん でした。
 
東京に泊まりこんで 夫人の支えになり、葬儀の助けをし 完遂しました。
 
 
 
こんな時やから 続けなあかん!
 
 
 
『継続は力なり』を呪文に おかあさん と ファンクラブのスタッフさんは会を継続
 
させて来ました。
 
2004年に ワタシは静岡に引越してからは 逢う機会が減って行きました。
 
 
 
オフ会は 東京と大阪で 行われたので、やりくりして なるべく参加しました。
 
毎年が 2年置きになり、欠席が続いたころ。
 
東京での オフ会が中止になりました。
 
 
 
寂しいけど、人が集まらなくなったのも事実だし・・。
 
何度も 原稿をお願いされてたのに、生活に紛れて つい後回し。
 
次回こそは、を繰り返した 或る日。
 
 
 
届いた会報には ファンクラブ活動停止のお知らせ が ありました。
 
10年を節目に
 
と 理由が記載されてました。
 
何かあったのかな?と ひっかかるものが ありました。
 
 
 
今夏。
 
ワタシの誕生日に おかあさん から 祝いのメールが来ました。
 
いつものように お礼を返し・・
 
また 電話でもしよう、と思っていました。
 
 
 
 
そして今日。
 
おかあさんの息子さんから、年賀状欠礼のハガキが 来ました。
 
11月に 母○○子が死去いたしました。
 
 
 
はい?
 
なんのこっちゃ?です。
 
エイプリルフールか?
 
 
 
8月には メール貰ったよ?
 
何があったの?
 
どうなってるの?
 
知りたいことばっかりだけど 今は 訊けない。
 
 
 
心当たりの 2〜3名にメールしてみるけど、1人は返信なく、1人は初耳との事。
 
嘘みたいな感じとしか 言いようがない。
 
在ると思ってた明日が いきなり消えたような・・・。
 
 
 
おかあさん の 笑顔は すぐ思い出せます。
 
目じりの 泣き黒子とか。
 
大きな声も。
 
けっこう 指が細くて、ぎゅっとされると 柔らかいとことか。
 
 
 
鳥の唐揚げが 大嫌いで、
 
冬でも 氷が好きなとことか。
 
 
 
何事にも一生懸命で 歯に衣を着せないせいで、敵を作るとことか。
 
今でも ありありと思い出せるのに、もう居ないのです。
 
 
 
1人の知人から 返信が来ました。
 
本人の願いで 家族以外は知らせていない との由。
 
 
 
そうか・・・・。
 
 
 
だけど、その人は お葬式に行ったんだよね。
 
緘口令が敷かれてたとしても、最後のお別れを言う機会は 欲しかった・・・。
 
 
 
離れてしまうと、心まで冷えてしまうのか。
 
一緒に 笑い合った日々は何だったのか。
 
 
 
悲しいのと、閉ざされた気分とで、気持ちの置き場所がない。
 
夫は 水臭い と嘆く。
 
ワタシも そう思う。
 
 
 
距離とは そんなに 人を冷たくさせるものか。
 
おかあさんと 繋がっていたくて、母の日にお花を送ったり、メールしたり。
 
お礼のメールも頂いた。
 
 
 
急激な何かが あったはず。
 
数ヶ月の間に 何かが。。
 
 
 
そんな事、知っても もう意味無いな・・・。
 
おかあさんは 居ないのだもの。
 
まだ61歳。
 
ガンガン働いて、色んなところに 行きたかっただろうに・・。
 
 
 
『 母は 最期まで 笑顔でした。』
 
息子さんの 一文が 痛々しくて切ない。。
 
 
 
もう少しして 落ち着いたら、息子さんに お手紙しようと思います。
 
おかあさん への お礼を・・・・。
 
 
 
 
 
イメージ 1
 
 
ご存知の方が いらっしゃるかもしれません。 
 
写真は ちばわんサイト様 http://haikei.org/ より拝借いたしました。
 
 
 
本当は フラッシュを貼り付けたかったのですが、不器用で・・。
 
うまく行かなかったので、もし、お時間がありましたら 上記の ちばわんサイト様へ
 
飛んでいただけると嬉しいです。
 
サイトで ワンちゃんの写真をクリックすると フラッシュが始まります。
 
 
 
切なくて、切なくて 胸が苦しくなります。
 
だけど、これが現実なのです。
 
 
 
 
           ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
 
 
 
高校を卒業して暫くしたとき、秋田犬を飼いました。
 
子供の頃から 飼いたくて仕方なかったのですが なかなかOKが出ませんでした。
 
 
 
自分の小遣いに親が不足分を足してくれ、ペットショップへ行きました。
 
店内が 薄暗く、ちょっとイヤな気がしたのですが家に近いのはその店だけでした。
 
お目当ての 秋田犬は 1匹だけ。
 
それも 子犬というには少々、トウが立っている気がしました。
 
しゃがみ込んで顔を近づけると 人懐こく前足を柵に掛けてジっと見つめ返します。
 
この子にする。
 
即決しました。
 
血統書付き、との事で 登録書みたいな書類に 子犬の名前と飼い主の名前を
 
記録しました。
 
 
 
それからは 3人と1匹の楽しい生活が始まりました。
 
数ヶ月は 顔の見える玄関内で 寝起きさせました。
 
犬は外で飼うもの・・・という昔堅気の親だったので、大きくなってからは屋外に小屋
 
を作り そこで飼いました。
 
今だったら 愛護団体が怒ってきそうですけど。
 
 
 
性格のおとなしい子で 無駄吼えしてワタシ達を困らせる事など ありませんでした。
 
逆に人なつこすぎて 来る人皆に しっぽを振るほど。
 
 
 
家に来たときは 痩せてましたが、どんどん大きくなりました。
 
ピンと立った耳、くるんと丸まったシッポが 秋田犬の風格を物語っていました。 
 
散歩途中で、他の犬に 喧嘩をふっかけられても どうします? と見上げるような。
 
そんな おっとりした子でした。
 
 
 
そうそう、誰が教えたわけでもないのに ご飯を前にしても ガッツかず 声を掛ける
 
までジッと待つような子でした。
 
 
 
親がよく言ってました。
 
『ゴエ子が帰ってくるとな、ずっと先の角あたりで もうソワソワすんねんで。
 
解るねんなぁ〜』
 
その頃には 散歩は 父の担当になってました。
 
ワタシは 照れ臭いのと嬉しいのとで ふぅん・・ と素っ気なくしていました。
 
 
 
いつも小屋を覗くと喜んで出て来て 思いっきりシッポを振ってくれます。
 
○○ッ!
 
名前を呼ぶと まあるい目で しっかりこっちを見ます。
 
黒い鼻先が面白くてチョンチョンすると 不思議そうに首をかしげます。
 
身体からは いつも太陽の匂いがしました。
 
 
 
数年後。
 
そんな元気な ○○だったのに、気がついたら変な咳をするようになりました。
 
時々、えづくように咳き込みます。
 
首あたりも掻きむしります。
 
見る見る毛が抜けて行きました。
 
 
 
それでも 元気だし、ご飯も食べるので そのうち治るかな・・と思ってました。
 
咳が激しくなって 寝てるのが多くなりました。
 
父が 病院へ連れて行きました。
 
ジステンバーでした。
 
もう長くない、と言われました。
 
 
 
蚊除けしてたし、予防注射もしていました。
 
なのに、病気だと 言われました。
 
 
 
ある日。
 
会社から帰ると、○○が居ません。
 
 
 
父が 保健所に連れて行った。。と言いました。
 
なんで?
 
なんでやのん??
 
ちゃんと薬やったら助かるんちゃうの?
 
父を責めました。
 
 
 
お別れの言葉もかけずに 朝、行ってくるよ。。とだけしか言わなかったのに。
 
父母は 先の無いのを不憫がって 安楽死させたと言いました。
 
連れて行く途中まで 散歩だと思って嬉しがって ついて来たけど ある地点で
 
動かなくなったそう。
 
母が抱き上げ、父の自転車の荷台に乗り、父が漕いで行きました。
 
我が家には 車がありませんでした。
 
別れ際、啼いて啼いて 可哀相だったと・・・。
 
母も 金網越しに 大泣きし、何度も 名前を呼んだのだと・・・。
 
 
 
なんで、手放したのか。
 
何故、その日にも迎えに行ってやらなかったのか。
 
親に説得させられて、諦めるほどの繋がりだったのか。
 
そんな薄いものだったのか。
 
 
 
いまでも その子の顔は 覚えています。
 
笑った顔。
 
困ったような顔。
 
靴を噛んで怒られたときの イタズラっ子の顔。
 
寝てるときの 安心したような顔。
 
夢みてるときにピクピク動く鼻。
 
 
 
もっと いっぱい遊びたかったね。
 
もっと いっぱい野原を走りたかったね。
 
 
 
 
 
無知なワタシは 最期まで責任をもって飼う意味を深く理解していなかったのです。 
 
ペットショップの内情も、保健所の現状も 当時は知る由もありませんでした。
 
 
 
知らないから許される、とは思っていません。
 
ワタシの人生で悔いる事柄は 3つ。
 
愛犬を 死なせてしまったこと。
 
父の病状を把握せず 手遅れになったこと。
 
母の病気を早期発見できず やっぱり手遅れになったこと。
 
 
 
戻せるなら その時、その場所に戻って もう1度 やりなおしたい。
 
 
 
愛犬は 早く亡くなったあと、虹の橋で 心の伴侶(飼い主)を待つと言います。
 
ワタシの ワンちゃんも 待ってくれてるでしょうか。
 
たった数年の間だったけど。
 
もしかしたら、父や母と一緒に 待ってくれているかな。
 
 
 
逢えたら まっさきに侘びないとね。
 
 
 
             ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
 
 
 
この記事は ブログ友の うめっちゅ〜さん の記事を拝見して書きました。
 
うめっちゅ〜さん、この場を借りて お礼申し上げます。
 
 
 
人、動物、物、を問わず 出逢いは大切なのだという事を じっくり思ったのでした。

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