たった一人の世論

世相を“複雑系”の視点から・・・

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イラン空爆の雲行き

 調査報道の第一人者で米軍によるイラク人捕虜虐待の実態を素っ破抜いたセイモラー・ハーシュ氏は、このほど「ニューヨーカー・マガジン」誌を通じて「イランの地下核施設に対し米軍が空爆を強行する可能性がる」ことを示唆した。同氏によえばイランのアフマディネジャド大統領を「新しいヒトラー」に見立てて危険視するブッシュ政権は、テヘラン南方320キロのナタンツにある地下核施設に対するB61−11型地下壕爆砕戦術核兵器による攻撃を検討しているという。
 これまでもイランの核研究・開発は平和利用に限定されているとの触れ込みだが、欧米の情報機関は「イランが核兵器開発に着手することは間違いない」との見方で一致しているという。もっとも、英国はじめ欧州勢は武力行使には反対で、平和的解決手段に徹することを主張している。また、米国内においても戦術核兵器の使用については抵抗感が強く、ペンタゴン(国防総省)内にも意見の対立があるようだ。ただ一方においてはイランの地下核施設はきわめて頑強な構造になっており、通常のバンカー・バスター(地下壕破壊弾)では歯が立たないとの見方もあって、攻撃するなら戦術核弾頭を装備したバンカー・バスターを使用するほかないとの意見が、関係者の間では根強く残っている模様。それに戦術核兵器の実用効果を確かめたいとする少数派グループもいるらしく、今後のアフマディネジャド大統領の言動しだいでは空爆を誘うことになるかもしれない。

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武士道のDNA

 偽装、偽計、偽証にかかわる事件が続出、例によってマスコミが必要以上に騒ぎ立てている今日この頃、ふと私は武士道について考えてみた。小学校に入って間もなく父を失った私の幼い日の記憶には、意味もわからずに暗証した父の口癖が刻まれていた。「武士は食わねど高楊枝」と「燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや」である。武士は貧しくて食事ができなくても、悠々と楊枝を使って空腹を人に見せないというのが前者の意味で,要は清貧に甘んじることや気位を高く保つことの大切さを説いているのだが、裏返せば「痩せ我慢」あるいは「見栄っ張り」に通ずる。が、時には痩せ我慢すること、あるいは見栄を張ることも必要であること、そうした精神的突っ張りで自尊心を保つことの重要性を私が悟ったのは三十歳を過ぎた頃であった。また、燕や雀のような小鳥(小人物)には、大きな鳥(大人物)の心は判らないを意味する後者は、その意味するところよりも語呂のよさが快くて諳んじていた。
 さらに勇気とは正しいことをすること、不正を働かぬこと、卑怯な振舞いを恥ずることが武士道だとの印象がいつの間にか心に刷り込まれていた。新渡戸稲造博士が自著「武士道」で述べられているように、士族に限らず日本人全員の道徳の根底に武士道は受け継がれ、いささか希薄にはなってもそのDNAはいまも私たち日本人の体内に息吹いているはずだ。
 マスメディアでは多くの論者が、いまにも日本が駄目になりそうことを警告しているが、マスコミのせいで妙な連中や現象が目立っているだけで、まだ日本及び日本人には健全な部分は多いはずである。ちなみに新渡戸博士の「武士道」にも「私たち日本人にとっては、1871年の廃藩置県の詔勅が武士道の弔鐘となるべき合図であった―中略ーそして詭弁家、金儲け主義者、計算高い連中の新時代に入った」と、すでに一世紀前に現在同様の不逞の輩は暗躍していたわけで、いまさら大騒ぎするほどのことでもない。それより受け継いできた「武士道のDNA」に磨きをかけるよう、私たち日本人は心がけるべきだろう。

皇室問題の真実

 皇室問題がクローズアップされ、国民の関心を高めているのは結構なことだと思う。いうまでもなく日本を国民国家として統合している権威的象徴が万世一系の天皇であり、その伝統を護るのは当然のことである。ところが、いまひとつ天皇の必要性と重要性が分からぬという声もある。その答は理屈で説明できるものではなく、単純な真実に秘められていると考えたほうがいいのではなかろうか。その真実とは、天皇及び天皇制とはわれわれ日本人のアイデンティティに他ならない、と私は考えている。

たった一人の世論

いつものように“ゆく年くる年”を観て、除夜の鐘の音を聴きながら新年を迎えた。そして、いつものように日本各地の神社仏閣の静謐な佇まいに感無量となり、まだまだ日本は大丈夫と直観して胸を撫で下ろす。何が大丈夫なのかというと、新年の迎え方が象徴しているように、私たちの身の回りにはまだたっぷりと「日本らしさ」が残っているということである。
 昨年も嫌というほど気が滅入る事件が頻発し、識者の多くが日本人の公徳心の衰えを嘆いてみせた。確かにそうした一面はあるものの、絶対多数の日本人が公徳心を失ってしまったわけではない。マスメディアの無責任な集中報道が必要以上に世相のマイナス面を誇張するせいで悲観的になりがちだが、実際には心温まる人間の触れ合いや善行の数々が日本中で散見できるはずである。
 これまで何度か滅亡の危機に陥りながらも、日本が不死鳥のように甦ったことは歴史が実証している。そうした蘇生の原動力になったのは、他でもない日本の強い国民的復元力である。いざというときには国民一人一人の自覚、知恵、勇気、決断が自然発生し、共鳴して復元力を生み出し“日本丸”の転覆を防いできたのである。今年は、日本人にとってさまざまな意味で「自覚の年」になるような予感がする。
 
 

拒否しない日本

 クリントン政権時代から「年次改革要望書」が日米政府間で交換され、それぞれが要望に応えるべく努力して経済摩擦を最小限に留めるようにしている。周知の通り日米間には長年にわたる貿易摩擦があって、米国側は日本に輸入の規制緩和や内需拡大を求めていた。この間の日米交渉について日本のマスメディアは、さかんに米側代表が無理難題を吹っかけていることを報道した。確かにそうした事実もあるにはあったが、内実は誇大報道だった。実際には交渉担当の日本側官僚が専門知識に優れ、忍耐力があることに米側が辟易していたのである。
 こうした日本の官僚の交渉力は米軍占領時代からの伝統で、マッカーサー司令部高官の1人は「日本人はイエスといいながら、最終的には全てを自分たちの思い通りにしていた」と述懐している。まぁ、これはずるいやり方だが、ノーといって波風を立てても事態は好転しないのであるから周囲の状況からして許される便法だったといえよう。
 ところで前述の「年次改革要望書」について野中氏はじめ政治家や評論家のなかには、これを竹中氏ら政府内親米派が米サイドと結託した「アメリカによる日本改造計画」とあたかも米国の陰謀のように論う向きが少なくない。また、好評発売中の文春新書「拒否できない日本」(関岡英之著)を読んだ石原知事をはじめとする読者の多くも、どちらかというと米国の陰謀説に傾いている。
 しかし、こうした陰謀説は、あまりにも短絡しすぎた見方であって国際的政治・経済交渉の実態に目が行き届いていない。たとえばこのところマスメディアを賑わしている欠陥ホテルとマンションの事件は、日本の建設業界におけるルールには問題が山積していることを暴露しており、これでは国際的スタンダードにはなりえないだろう。たとえば建設関連のルール作りで米国サイドからルール改善を要求されても、これでは拒否するのが無理なことは素人考えでも判る。
 さようことほどに日本には改造の余地があり、諸般の事情からしてこれらの改造には“外圧”を利用するのが手っ取り早い。このため官僚は「外圧を拒否しない」のであって、拒否できないのではない。それを斜に構えた陰謀説まがいの観点から見ても、実態は見えてこないだろう。

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