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見てきました。上映されてから約1ヵ月半、長かったです。その間に今までに作られたスターウォーズシリーズをテレビで放映されていましたので、それらを改めてチェックし、テレビで流れるスターウォーズのCMを目と耳をふさぎ、不意に流れてくるラジオからのスターウォーズに関する感想に局を変える、という生活を送っていました。少しでもエピソード3に関する情報をシャットアウトし、フレッシュな気持ちで見たかったのです。

映画館では、スクリーンに向かって左側で前から7列目。ちょっと見にくいかなと言う感じの位置でした。チケット買う際に指定席にされてしまうので、上映15分前で人も少なかったので、他の見やすい席が空いているのならば、そちらに変更してもらうべく係員に交渉。空席情報を見せてもらうと、ちゃんと埋まっていました・・・。はい、スタートダッシュで転んだ感じです。しょうがないので、先の席で我慢することにしました。

上映前のトイレを忘れず、アイスコーヒーを飲みながら見ていました。前回のエピソード2以来の映画館での鑑賞なので、テレビでは無理である臨場感を堪能できました。やっぱり映画館って、すごいですね。あの迫力はとても良かったです。

そろそろ作品について書こうと思います。その前に、皆さんに謝らなければならないことがあります。それは前に書いたスターウォーズ エピソード1 ファントムメナスについての記事の中で、アナキンの出生の秘密についてのことです。あんだけ力強く書いたのに、エピソード3ではそのことに触れていませんでしたね。申し訳ないです。このことについては、ここでは触れないでおきます、まだ上映中なので。

エピソード3では、アナキンがダークサイドに落ちる決定的な瞬間を映しています。なぜアナキンはダークサイドに落ちることを決めたのか。それは、エピソード2からの流れからすれば、予想はつくことでしょう(ここでは書きません)。上手にアナキンの心の隙をついたシディアス、それに翻弄されるアナキンは見ていて痛々しいものがありました。

アナキンに足りなかったのは、将来を自分で切り開こうとする気持ちだったのではないでしょうか。悲観的に考えてしまうのはしょうがないにしても、そこをどの様に切り抜けるかがジェダイとして必要なことだと思います。例えばエピソード1でのクワイ・ガン・ジンの様に、何かに掛けるということがアナキンにもできれば、悲劇に落ちることはなかったことでしょう。

オビワンにしてみれば、クワイ・ガン・ジンの遺志を引き継ぎ、アナキンをジェダイに入門させ、自分の弟子として育て上げてきたにもかかわらず、このような結果になったのは計り知れないほどの悲しみがあったことでしょう。それは、グリーバス将軍を倒すシーンとアナキンとの決闘のラストが比較的に描かれることででも現れていると思います。

ヨーダやオビワン、ウィンドゥ以外のジェダイ、もうちょっと頑張ってほしかったです。エピソード2の時から気になってはいましたが、ジェダイは1対1ではそれなりに力を発揮するが、味方が複数の時には戦い方が分かっていないような気がします。チームプレーができていないと思われるシーンが多くて、ちょっとそこがジェダイとしてどうなんでしょう、と思わされました。

この映画を見て、私は歳をとったな、と感じてしまいました。今までの作品を見たときは全く感じませんでしたが、今回では戦いのシーンでのライトセーバーの動きについていけなくなりました。以前までは私もその動きを追うことができ、「私もジェダイになれるな」と思っていたのに・・・。

ルーカスは、以前にも増して細部をより力を入れた映像を作り上げたように思います。細かい部分も手を抜かずに、より注意したために映像として迫力はかなりアップしたと思います。無理な願いですが、この作品を作った時のテンションで今までの作品を作り直してほしい、と見終わった後に思いました。

さて、今回のエピソード3でMVPをあげるとしたら、皆さんはどのキャラクターにあげるでしょうか?私は、R2-D2にあげたいと思います。おチビちゃんと言われたこともありました。それなのに初めから頑張りました。途中では、R2-D2はアナキンの変容にも気づいていた感じがしましたし。もうかわいくてしょうがないです。

そんなこんなでいろいろ書いてきましたが、実は私は、上映中トイレに行きたくてしょうがなかったんです・・・。上映前にちゃんとトイレに行ったのに。足を組み替えたり、いろいろと努力して何とか最後まで見ることができましたが、エンドロールになった瞬間トイレに駆け込んだのです。危なかったでした。
今年は終戦してから、60年の年に当たります。終戦の年に生まれた方は60歳、戦争に行った方は80歳くらいになるのですね。改めて考えると、長い年月です。

映画「プライド 運命の瞬間」は、日本の終戦後に行われた極東国際軍事裁判、通称東京裁判についての話です。終戦により逮捕された日本の政治的主導者たちの中で、最高権力者であった東条英機を主役にし、大東亜戦争の意味を問おうとしています。

東条英機は諸外国では極悪人のように扱われていますが、実際はどうだったのか、彼は何を考え戦争と言う選択を選んだのか、彼はどういう人間だったのか、を描いています。

そしてそれとは別に、東京裁判の裁判官の一人、インドのパル判事のストーリーも織り込んでいました。パル判事は、唯一日本の罪状に対してすべて無罪を主張したのです。

戦争の是非、日本に対する評価など、人それぞれでありますが、どんな人にもこの映画を見てもらいたいと思っています。この映画では、「魂」が映し出されているからです。東条英機の信念から描かれる「魂」、パル判事の「魂」、インド独立に青春をかけたあと、ホテルの給仕をしていた立花の「魂」など。

私の心に残った印象的なシーンを紹介すると、まずは裁判が開廷してあと巣鴨プリズンへ搬送される途中、一人の日本人女性が搬送している車の前に走り出し、「死ねー」と叫んだ後に割腹自殺を図るのです。その女性は、戦争によって夫を失っていました。彼女からすれば、戦争を起こした東条らは憎むべき悪人ということになるでしょう。以前母が言っていた言葉で覚えていることがあります。若い頃に両親で戦争の話になった際、父が戦争に賛成したことに対し、母は「戦争に行かすために子供を生んだんじゃない」と答えたそうです。父はそれで黙ってしまったそうです。この未亡人と母は同じことを考えていたことでしょう。

次に印象に残ったシーンは、東条の無念さが現れたところです。裁判で日本に対して伝聞や虚偽の証言、証人がでて、日本の罪を重くしようとする企みが行われた後で、東条と東条の弁護人清瀬一郎が面談して打ち合わせた時に、東条が「これでは日本の名誉が汚される。そんなことはあってはならない。弁護人としての勤めを果たせ」と怒るが、清瀬は少しムッとしたのだろうか静かに「これも日本が負けたせいなんです」と答えます。これに東条は落胆した趣で「それを言うな、、、、、、つらい」と言うのです。

この映画は史実に基づいてはいるが、ドキュメンタリー映画というよりはそこに脚色を組み込んではいるとは思います。そうであっても、それがこの映画を貶めるものではないでしょう。ホントに面白い映画でした。一見の価値はあると、確信的に思います。終戦記念日の前に、見ておくのも悪くないと思います。

少しきな臭くなってしまいましたね。政治・宗教・野球について書くとHPが荒れると言うことを聞いて知っていましたが、「パッション」で宗教について書き、この「プライド 運命の瞬間」で政治についても書いてしまいました。「パッション」の時は、幸いなことに荒れる様子はなかったので安心しましたが。これで野球について書いてしまうと・・・、書けないです。野球は、見るよりはする方が好きで、好きな球団がなく、見ても1試合丸まると見ることはなく暇つぶしに1イニング程度と言ったところなので。
PCが故障中、今までPCに費やしていた時間が空白になってしまいました。思うと何気なく長い時間PCに触れていたのだな、と気づかされます。女子バレーボールの試合を見たり、本を読んだり、猫と戯れたり、時間をつぶしました。

それ以外に、今まで見ようかどうしようか迷っていた映画を見ることにしたのです。その一つが、この「パッション」でした。この映画は、イエス・キリストの最後の12時間を表現したものです。キリストについての映画やアニメなどは今までにたくさんあり、私も幼稚園がプロテスタント系だったため、キリスト教にはそれなりに興味があり、当時テレビで放映されていたキリストのアニメを見た記憶があります。

たくさんあるキリストについての作品の中で、この映画は他のどの作品とも異なることでしょう。なぜなら、この作品はかなり強烈に作られていると思ったからです。私が見たアニメの作品では、ソフトなタッチで描かれ、全体的に穏やかな印象でした。キリストの顔もきれいで、苦労を刻んだようには見えません。どちらかというと、キリストが何をし、どういうことを民衆に教えたかをメインにしている感じです。そのため、パッション(=受難)についてはそれほど大きく描かれていませんでした。

この映画では、題名のとおり、パッション(=受難)についてをテーマとして取り上げているのです。キリストは、ユダの密告によりユダヤ教徒に捕まってしまいます。捕まったイエスは、ユダヤ教会には死刑にする権限がないため、あちこちをたらい回しされ、その間ずっと嘲笑され、嫌がらせを受け、時には暴力まで受けました。普通の人にとっては屈辱にしか思えないそのような行動を、キリストは黙って、遠くを見ています。

受難はさらに続き、一応の罰としての鞭打ち刑が執行人の行き過ぎにより惨いものとなり、その後十字架を担いでゴルゴタの丘まで運ぶ際も、周りのローマ兵の嫌がらせは度が過ぎるものがあり、キリストは何度となく膝をつきます。

受難は、はっきり言って目を覆いたくなるものばかりでした。人を憎むと、これほどまでのことができるのか、というくらいのもです。この映画を見たクリスチャンの老女は、ショックのあまり死んでしまったそうです。そのくらいひどいものです。

今まであったキリストについての映画に比べ、この映画は相当に生々しい作り方をしています。そうすることによって、実際にあった受難の意味を問おうとしたのではないか、と思いました。また、リアルに描くことによって、見ている人々に自分自身の問題として取り上げやすくしたのかもしれません。

では、キリストの受けた受難の意味とは、何でしょうか?キリストは、結局のところ無実の罪で死刑にされてしまいました。当時隆盛だったユダヤ教のすることに対して、キリストの教えはことごとく反対の立場にあったのです。キリスト自身は、ユダヤ教に対して反抗する気も異議を唱える気もあったかどうか怪しいですが、ユダヤ教会には実質的にはそうとられてしまいました。

ユダヤ協会に睨まれ、逮捕され、死刑を望まれたキリスト。その根底にあるのは、自分たちの立場の安泰と私利私欲によるものです。ユダヤ教会が発布していた免罪符によって天国に導かれるのではないことを示したキリストは、ユダヤ教徒にとっては目の上のたんこぶであったことでしょう。

ユダヤ教会が中心となっていますが、これは人間の感情として捉えるのが妥当だと思います。なぜなら、キリストは全ての人間の罪のために死んだのですから。キリストが受けた受難の量と質は、全ての人間の罪を表しているのではないでしょうか。それらに耐えてゴルゴタの丘を登りきったキリストは、その信念によって死を選びました。全ての罪を受け止め、その贖罪のため天国に昇ったのでしょう。受難は、全ての人間に対する愛を与えるために、必要なものだということです。

キリストについてもっと知りたいという方は、こちらをご覧ください。

やはりというか、当然ながら、ここまで書いておきながら、私にはこのキリストの世界というものがピンとは来ません。生まれついてキリスト教文化に触れていたわけでもなく、キリスト教の勉強をしたこともなく、信者にもなっていないのですから。私は、この映画を最初見たときに感じた感想は、キリスト教至上主義とかアメリカ至上主義の流れの作品なのかと思ったのです。でもそれは、浅はかではないか、と思いました。

キリスト教について詳しくない人は、私以外にもこの日本では多いことと思います。私を含め、キリスト教について詳しくなく、あまり興味を持たなかった人はこの映画をどの様に見たらいいのか、考えました。その問いについて解く鍵は、「時代」なのではないでしょうか。イエスの死によって、時代区分がされています。それが、「B.C.」と「A.C.」です。訳せば、紀元前、紀元後となります。この映画が作られたのは、昨年の2004年です。つまり、キリストが死んでから2004年が経ち、新世紀となってまだ3年(4年?)しか経っていないということになります。

21世紀の始まりは、アメリカの同時多発テロでした。このテロにより、中東との関係が一気に激化し、イラク戦争が始まります。この戦争の意義はどこにあるのか、目的は何なのか、未だに不透明なものです。傍から見ると、大量破壊兵器の脅威を隠れ蓑に石油権益をほしがっていたように見え、詭弁を弄している感じが、当時はしました。これは、キリストの時代のユダヤ教会と似ている感じがします。

監督のメル・ギブソンは、現代の世界情勢をかんがみて、この映画を作ろうと思ったのではないか、と推測しています。現代への警鐘として、この映画は多大なる貢献をしているのではないでしょうか。

そんな「パッション」ではありますが、アメリカではユダヤ人団体から圧力がかかっていたそうです。理由は、キリストを殺したのはユダヤ人であるということから、そのことに対して公けにされることを恐れてたからでした。メル・ギブソンもその風当たりをくらい、彼はほされてしまっている、ということも耳にしました。

とても衝撃的な映画ではあり、考えさせられる部分もあり、面白い映画だと思います。ただ心臓の弱い方は、ご覧にならないことをお勧めします。下手なホラー映画よりも怖いかもしれません。

ここまでいろいろ書いてきましたが、この受難を乗り切れたのはキリストだったからなのだな、と思ってしまうのは弱さなのでしょうか?私だったら、最初の鞭打ち刑でもう力を無くしていただろうな、と思います。見ているだけでも辛かったですから。キリストの死を最後まで見届けた二人のマリア(聖母マリアとマグダラのマリア)とヨハネ(?)も、すごいと思いました。キリストの受けた受難を自分のものとして感じているにもかかわらず、最後まで見届けるのですから。

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ナマリ鉄ころりのppoking337さんの紹介で、映画「メメント」を見ました。まだ大好きなスターウォーズエピソード3を見に行けず、またPCが故障してしまったため、いい機会なので時間を埋めるために紹介されたこの映画を見ようと思ったのです。

ストーリーは、妻を犯され殺されたレナードは、脳に傷を負いその出来事以降記憶を10分間しか保つことができなくなりました。そんな彼は、妻を殺した犯人を捜し復讐をするという話です。

この作品は、かなり特徴のある作り方をしていました。主人公のレナードが10分間しか記憶を保てないということから、レナードの行動を10分間ずつのチャプターにしています。そのチャプターの始めには、復讐を始める初期のシーンをモノクロで少しだけ挟み、あとからカラーの本編が続きます。これだけならまだありうることですが、面白いのはチャプターの進み方が時間的に逆なのです。簡単に言えば、結末が最初にあり、起点が最後になるのです。それでいながら、モノクロのシーンのチャプター間のつながりは時間的に順行しています。

このため、見ている側はかなり複雑に感じてしまうのではないでしょうか。ストーリーの流れが、順行と逆行の両面から迫ることになります。結末を最初に持ってきているということは、大事なのは問題のきっかけとなり、それを最後にもって来ました。そこに重要な真実が隠されています。

私はこの映画をビデオで借りて見た際、1回では分かりませんでした。なぜなら私の思考がいつの間にか主人公のレナードと同化してしまったからです。レナードは記憶を10分間しか保持することができず、ストーリーがレナードの記憶によるものなので、見ている側も彼と同じ記憶のストーリーを見ていることになります。各チャプター間で、レナードの記憶は一度リセットされているのです。レナードの記憶がリセットされるように、私の見方もまたリセットされ、そのチャプターが進行される中で再構築されていく、この繰り返しとなります。

リセットし再構築されるストーリー、時間の順行と逆行、虚偽と真実、この狭間で私は揺れ動いていました。これらの二律背反した概念の対立によって、最後のチャプターの話を信用することができず、どこに本当のことがあるのか、分からなかったです。

この謎を解くために必要なものは、DVD版の「メメント」です。DVD版では、チャプターの本編を順行につなぎ合わせたリバースモードがついています。これにより、時間的にストレートに見ることができ、話を理解しやすくします。ただ、このリバースモードは必ず、一回作品を見た後に行った方がいいでしょう。

なぜなら、この作品のメインは「何故この出来事が起こったのか」というところにあるからです。それほど最後のレナードの行動の動機を知ったときの衝撃は、大きかったのです。

ところで、この題名の「メメント」とは、記念品、形見、記憶、という意味があります。レナードの記憶障害は、詳しく説明しますと、前向性健忘といわれるものです。前向性健忘とは、記憶に障害を負った時から先の出来事を記憶することができない障害です。記憶に障害を持つ以前の出来事の記憶は健在ですが、それ以後のことを記憶できません。ちなみに記憶に障害を負った時から過去の記憶を想起できない、いわゆる記憶喪失といわれる場合を逆向性健忘といいます。

記憶の障害は、それが前向性健忘であれ、逆向性健忘であれ、その人の行動に支障をきたします。この映画の場合では、これから先何をすればいいのかを記憶できないわけなので、重要な事柄に対してはメモを取ります。そして自分と関係ある人物や建物に関しては、ポラロイドで写真を撮り、そこに自分との関係をメモするのです。最重要事項に関しては、体に入れ墨でメモをするなど、それは徹底されています。

行動の支障以外に、記憶障害はその人のアイデンティティにも問題を生じさせます。アイデンティティとは、自己同一性と訳され、「自分は何者か」、「自分の目指す道は何か」、自分の人生の目的は何か」、「自分の存在意義は何か」など、自己を社会の中に位置づける問いかけに対して、肯定的かつ確信的に回答できることがアイデンティティの確立を示す重要な要素なのです。

記憶の障害は、前向性健忘の場合、将来への自分に対して確固とした自信を喪失させます。過去の自分の記憶は損傷を受けていないため、以前の自分に対して問題はありませんが、現在の記憶に不連続が生じてしまうことから、アイデンティティを確立することができません。アイデンティティは、過去の自分に対してだけではなく、現在の、そしてこれからの自分を要素としている全体的なものだと、言えるでしょう。この映画の場合では、レナードは現在と、そしてこれからの自分に対してあやふやな状態で、生活していることになります。このあやふやさは、自己の存在のあやふやさに直結するのです。

「メメント」は、先に述べたように時間をリバースして流すという斬新な作り方で、緊張感を醸し出しています。この緊張感は、見ている人の存在を脅かす緊張を生み出しているでしょう。新しい形で映画を作り、映画の可能性を増やしたことに、「メメント」は貢献したといえると思います。
以前の記事で「ブリジッド・ジョーンズの日記」について書きましたが、今回は最近、ビデオレンタルを開始された続編の「ブリジッド・ジョーンズの日記2 きれそうな私の12ヶ月 」について書きます。

このビデオが解禁されたのを知ってビデオレンタル屋へ行くと、最近は場所を取らないDVDの方が多く入荷されていて、ビデオだと1本しかありませんでした。もちろんレンタル開始間もない時だったので、借りられていました。しょうがないので、他のビデオを借りようかと思い見回していると、運よく「ブリジッド・ジョーンズの日記2 きれそうな私の12ヶ月 」が返却されたのです。即行で借りて、家に帰りました。

映画は、「ブリジッド・ジョーンズの日記」が恋愛成就までを描いたとすると、「ブリジッド・ジョーンズの日記2 きれそうな私の12ヶ月 」は結婚までを描いたといえるでしょう。前作で恋人になったマーク・ダーシーとの恋人関係が続きます。ブリジッドも幸せを感じていますが、それと同じくらいに不安もありました。マークに他の女が寄ってこないかと。この辺りのブリジッドの心情を、コメディタッチで上手に描いています。

しかし思うのは、この映画も結婚をゴールにしているのだな、ということです。「ブリジッド・ジョーンズの日記」の中でも、ブリジッドの両親が破綻寸前にまでなり、結婚生活の大変さの一部が見られるのですが、それでも結婚というものが至上のものであるかのように取り扱われています。ブリジッドの友人には独身者ばかりで、彼らの気楽さや囚われない考え方も参考にできるはずでしょう。それでも、ブリジッドは結婚に向かって奮闘しています。

まだ結婚をしていないので、この辺は分からないのですが。長く続けていこうとしたら、やはり困難さは伴うでしょう。それこそ愛だけではダメでしょうし(でも愛がなければ、もっとダメなのかもしれませんが)。恋人関係の中でも、好きだけではダメなことは多いですよね。

映画自体は、とても面白いものでした。音楽も最近のビヨンセから、バリー・ホワイト(「ALLY MY LOVE」の中でも良く使われていた人です)までいろいろと取り入れ、とても好感を持ちました。「ブリジッド・ジョーンズの日記2 きれそうな私の12ヶ月 」から見ても多分楽しめると思いますが、「ブリジッド・ジョーンズの日記」をご覧になられてからの方がつながりが分かるので、お勧めします。

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