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昨日のクローズアップ現代はコンビニオーナーの過酷な環境についてでした。
人手不足て自己や家族を犠牲に24時間営業を続け、高いロイヤリティを支払い、挙げ句の果てに周辺に問答無用で出店していく会社。 会社とオーナーの契約の問題が大きいように思えますが、コメンテーターからは利用者もコンビニへのリスペクトが必要だと言う発言もうなづける。 一番なるほどと考え直したのが、最後のレポーターの締め。 利用者にとってコンビニはCMのように 開いてて良かったというものだったが、今は開いてて当たり前になった。 コンビニの問題に関わらず、人は勝手なもので、誰か善意でやっていても、それに慣れると辞めたら文句がでる。 人間は勝手なものだ。 |
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会社でスタッフ組織にいるため、社員はお客様だと思えと、昭和なこと言う上司がいる。
例え方が間違えだと思う。 お客様は、物やサービスを売って、対価を払ってもらう。 対社員では、社員から対価は貰わないから、お客様と言う表現ではピンとこない。 最悪なのは、お客様を間に受けて何でもかんでもOKしてしまう人がいることで、我儘に対してはNOを言うのも役目でもある。 たとえ嫌われても。(言い方は気をつけるが) そんな状況があったあとの飲み会で、失言だったかなー? 「金を貰ってるから、役割であれば嫌われたって仕方ない。会社に友達作りに来てるんじゃないから」 刺激的過ぎただろうか。 |
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いわゆる墓地に石で建てるお墓は要らないという人も最近は少なくないと思います。
私も後々に墓守りなど面倒を残すのであれば、自分の代で墓じまいでいいかなと考えています。 しかし、先日田舎へ法事に出かけて来て考え直した方がいいかなと思いました。 法事は、亡くなった人のためより、生きている人が集まる口実となり、関係を保つためにあるものだと感じました。 80歳に近い叔父叔母には、法事でもないと会えないし、もしかしたらこれが最後かもしれないし。 残された人達が集う。 墓は、その印なんだと思います。 墓や葬式や法事。 合理的に考えれば、やる必要はないと思いますが、いつの時代からか延々と続くのは、やはり機能として必要だったからだと思います。 もしかしたら、権利者にとって墓は農民を領地に縛り付けておくのに好都合だったかもしれません。 葬式は遺族が悲しみに浸る間も無く、いろいろな段取りを進めていかなければならないのは、悲しみの深い淵に落ちず、次の生活に向け再出発できるようになるから、続くのかもしれません。 どう考えるかは、人それぞれですが、物事の一面を捉えて非効率と切り捨てるのは危険な気がします。 理由はハッキリしなくても、永く続いてきたものには、それなりの理由やメリットあってのことではないかと思います。 |
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人から共感を得られる時って、どんな作業をしているのか。
ひとつの側面で、こういうことかな?と結論に達しました。 人の話しに共感する時は、だいたい、 なるほど、、とか そうそう、、とか そんな反応になる。 共感って、きっと、多くの人が漠然と感じていることを言語化することだと思う。 違和感という種火に、言葉の風を送って炎にするような。 言葉の表現力が豊富な人ほど共感を得られるのだろう。 新聞には情報と意見はあるが、言葉の組み合わせ、比喩の仕方は、本や映画、音楽の詩、お笑いも凄い高い技術だと思う。 そんなものから学ぶのだろうと思います。 |
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親の心子知らずというが、永遠に解決しない問題で、むしろ解決しない方が健全な気もします。
親は子供の過ちを正そうと、培った経験や倫理観で理屈を超えたところで納得させようとします。 しかし理屈をこねることが出来る年齢になると子供も負けてはいません。 子供の理屈が間違いでない場合もあります。 親の経験を話しても、それを経験してない 子供には、悲しいかな響かないのは仕方ない。 むしろ親の言うことを鵜呑みにするのは問題があるような気がします。 なので、親の心子知らずが健全なのかと思います。 他所の子供ならダメならそこでお終いで、いいと思いますが、親はここで引いてはいけないと思います。 なぜなら理不尽なことを言うのが親で、他人にはできないから。 そんな事認めない! 他所がそうでも俺は面白くない! 子供は、そんなの父さんの感覚だけだろと、、、そのとおり。 親は理不尽なのだ、理不尽なのが親の役割りなんだろうと思う。 子供が、いずれ社会で働き、結婚し子供をもうけ、親父があの時言ってたのは、こういう意味だったのかと思い起こす日のために。 |
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