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クリマスの前夜。ささゆり温泉に配達に行った。
電光に縁のない串原でも、ここだけは、わずかにイルミネーションの彩りがあった。
トナカイが二頭、温泉の中庭にいた。
ことしは、初めてだろう。二人だけのクリスマス。静かなイブ。
さまざまな一年の出来事を思い浮かべる。
今日の忙しさと、夜の静寂の落差。
獄中の友は何を考えているのだろうか。
離れて暮らしている子どもたちは元気にしているだろうか。
ご飯は食べたか?お金はあるか?寂しくないか?
(誰かどこかの歌詞のようだか、その通りに思う)
ニュース23では生活破壊を伝える。
貧困率2位の日本。生活保護ももらえず、認知症の母を殺害した男。
セクハラを受けて会社を辞めさせられ、極貧の生活を強いられる女性。
言葉もなかなか通じない。自分の思いも満足に表現できない。
バベルの塔は崩壊したまま、人々は切り離されている。
祈りや希望のなかで、遠くの人とつながることもある。
だが隣人とはなかなか折り合いをつけてゆくことは難しい。
和解とは私たちの切実に求めるものだ。
自分の言い分が尊重され、真摯に受け止められたときに、
はじめて納得する。たとえそれが幼稚な表現であっても、
不適切な言い回しであっても、当人の心底からの声が
相手に届いたときに、初めて納得の一歩がはじまる。
相手の言い分も同様に受け止められるだろうか。
自己が尊重されたと感じたときに、初めて心が開かれる。
人権というものは、そういうものなのだろう。
そう考えると、人権とは
誰かが大切にしてくれるなどと言う生やさしいものではなく
当事者が声を出してみなければ始まらないものであることに気づく。
声を出せない当事者をだれがどのようにくみとるのだろうか。
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