コニヤンの公式ブログ『今日も笑顔でボチボチです!』

「肯定脳」と「ボチボチ力」で、子どもたちと共に「ああ有情!の世界」を創りあげよう!!!

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「人口密度」ならぬ、「金魚密度」なるものがあるという話を同僚に聞いた。
 どういうことかというと、
「金魚は水槽のサイズと何匹いるかによって、金魚の育つ大きさが変わってくる」というのである。

 そう言われたら、確かにずいぶん昔むかし家で二匹の出目金を水槽で飼っていたことがあるが、2年くらいすると、すさまじいほどの大きさまで成長したことがあった。
ところが、それと同じ水槽でコメットという種類の金魚を四匹くらい飼っていたが、何年かして確かに大きくはなったが、二匹で飼っていた出目金に比べたら小さかったことをふと思い出したのだ。

この話は、ずいぶんと興味深かった。
さてさて、いつもの私の「妄想」が始まった。

これって、私たち人間にもあてはまるんじゃないかと。
キャパシティーによって大きく成長する子どもと、そうでない子どもがいるのでは・・・と。
同じ大きさの空間の教室に40人いるのと、20人では、
子どもたちの育ち方が違ってくるのではないかと。
それは、もちろん学校のなかでの教育環境にもよることは確かだ。
なので、子どもたちにもキャパがあるのではないかと。
もちろん、数が多くても十分に育つ子どももいるが、
少ないほうがのびのびと育つ場合もあるのではないかと。
それと、空間コーディネートとして、私の所のような、
ゆったりとした空間、のびのびとした場所で成長する子どものケースがあるのではないかと。

 不登校の子どもたちには、学校に行けないさまざまな要因がある。
そのうちの一つには、ざわざわした騒がしい教室の雰囲気に
ついていけないというケースもけっこう聞くのだ。

 確かに、子どもたちは、周りに合わせてそうなっていきやすい側面もある。
朱に交われば・・・というケースである。
 周りが静かな空間であれば、そうなるし、
騒がしい空間ならばそうなっていくという場合も大いに考えられる。
 それから、子どもによっては、少ない人数でも、
ある一定の人数を超えるとすごく不安定になってしまう子どものケースを聞いたこともある。
確かに子どもにもよるが、それは、一律には括りにくい面があることは事実である。

 子どもによっては、一定数の一斉授業ではなかなかしんどいケースもあったりするのである。
でも、どちらにしても、子ども集団を高めていくことが必要であるし、
落ち着いた教室環境、雰囲気を作っていくことは担任の大切な仕事である。

教室の子どもの数が25人から30人が理想的であるというのは聞いたことがあるが、
これは一概には言えないのではないか。
要は、子ども集団の質によるのである。
でも、やはり、小学生や中学生の成長段階では、
そのくらいの人数がいいのだろうと思ったりはする。
担任教師が一人ひとりの子どもをみるには、少ないほうが、
目が届きやすいことも確かであるからである。

そんなことを「金魚密度の話」からいろいろと考えたりしていた。

私自身は、というと、担当する子どもが10人から15人くらいというのが
ベストであると思ったりしている。
個別ノート課題も毎日書けるからである。
それ以上になると、毎日子どもに対応してノートも書けないのである。
私は、新採の時の山間部の学校での9年間と、
この何年間は、幸いなことにそうした担当人数なのである。

そう思うと、「人間密度」というものも
教師にとっての「相性」としてもあるのではないかと思ったりしているが、
いかがなものであろうか。

教育行政の課題としては、一教室の生徒数というのは
やはり考えなくてはいけないことである。

だから、たかが金魚、されど金魚なのである。

いろんな話からの「妄想」というのは、大事なノーミソトレーニングであると思ったりする。          ああ有情。

(文責:コニヤン/2009.12.10早朝・記)

閉じる コメント(6)

誰が、最良のクラス人数を決めたのか?何の理由で。
子ども自身の問題で不適応というケースももちろんあるけれど、ご指導いただいた先生によると、「友達は沢山とか多くの人に接する方が、という理由で学校復帰を迫るけれど、悪くて大勢のグループより質の良い少人数が良いに決まっている!」と一刀両断!学校に不信感を持つ親たちは溜飲がおりたものです。
量より質の考えを行政の視点に入れて欲しい。低酸素状態の水槽に戻ったら苦しいですものね。

与えられた現場で最善の努力をされている先生方には感謝しています。
でも、その時の最善の環境を模索して家で育つということも、子どもにとって有りだと学びました。一様でない、多様な学びが認められる世の中がいいなぁと感じます。
久々に熱くなってしまいましたm(_ _)m

2009/12/10(木) 午前 9:00 おかよ 返信する

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私たち団塊の 世代と呼ばれる者は 小学校からずっと 一クラス55人 15クラスというのが ざらでした

人口密度の高いこと・・・まあ なんとか 中肉中背ぐらいには 育ちましたが

時代背景の違いもあるでしょうが たくましい生き方が 求められる時ではありました

私は少々ついて いけないところもあって 「白い一日」を経験しましたが・・・

(^ ^)v
ギター・毛髪密度?!・人

2009/12/10(木) 午後 0:28 [ ギター老人(ろうにん) ] 返信する

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おかよさんへ>
教師の説明責任というのが
実にあいまいですよね。
そうですよね。
多様な学びの保障というのが
大事ですよね。
ああ有情。

2009/12/10(木) 午後 6:32 koniyan 返信する

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ギターさんへ>
私の中学高校は一クラス60人でしたね。
私は引っ込みじあんだったので
先生に声をかけられることも
めったになかったですね。
これでも、ひどいとは想っていませんでしたけどね。
時代が違うのかな。
ああ無情。

2009/12/10(木) 午後 6:34 koniyan 返信する

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ギターさんと同じ団塊世代です。中,高私立だったにも関わらず、クラス60人、12クラスありましたね。
一番後ろの子の椅子は壁にくっついてて通れなかった。
公立はもっとすごかったかも。

そういう時代だったからか、そのギュウ詰め状態をいやだとも感じませんでした。

どんな条件でも、適応できる子はいるし、できない子もまたいる。
今ある条件の中でも生きていく。社会はその延長線上にあるのですから。

2009/12/13(日) 午後 3:37 hag**o_en*korog*s* 返信する

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ハギコさんへ>
いつも現状に満足するだけではいけませんけど、
そうですかあ。
どんな状況でも適応できる子どもも
いるけど、適応できない子どももいるんですよね。
だから、今ある条件のなかで

がまんしてというのもわかりますよね。
がまんが足りない側面も
確かに感じることが多々ありますけどね。
ああ有情。

2009/12/13(日) 午後 6:39 koniyan 返信する

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