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☆「自分の世界に補助線を引くということ」
先日、私は、自分の人生方程式http://blogs.yahoo.co.jp/gogokoniyan/51078690.htmlを解くためには、いわゆる「公式」はないことを書いた。ただし、解くための「ヒント」は、私たちの身のまわりにたくさんある。日常のなかでの「気づき」や、さまざまな「フィードバック」など・・・。
それは、出会いや議論によるノーミソの交流によって刺激を受けることで「発見」や「気づき」も出てくる。
不登校の子どもの「苦戦」の解決にしても同じことで、ここにも「公式」はない。ただし、一応の解決への「道筋」というものはある。
でも、個々の子どもにすべてあてはまるわけではない。個々の条件や背景によってすべて異なるからである。
これは、「人生方程式を解くこと」と全く「同型」である。
それと、もう一つ今朝あらたに考えたことがあった。
図形の問題を解くときに、「補助線」というものがある。エレガントな解答という時には、すばらしい「補助線」一発の発見で一気に解決なんてこともあるが、ほとんどの場合はそうはいかない。
でも、この「補助線」の発想は、「自分づくり」ですごく大事だなあと思ったのだ。
つまり、「自分の世界に補助線をいかに引いていくのか」というのは、生きるうえで大事なことなのである。
「補助線」という名の「支援」というものもあるだろう。ステキなオトナやトモダチとの出会いもあるだろう。それで、世界は次第に広がっていくからである。
体験活動で得たこともあるだろう。
自分でご飯を炊くことで、初めて飯の味というものもわかる。自立への道というよりも、自分でご飯を炊いてみて母親の飯の味とはまた違うことにも気づいていく。定食屋の飯とも違うことにも気づく。あくまで例なのだが、これはカレー作りでもいい。クッキーやケーキづくりでもなんでもいいのである。インスタント食品とは違うものという感覚も生まれる。この実感が生きるうえで必要なものではないか。
ということで、とにかく「補助線」というものによって世界が広がっていくのである。これは、明らかに「自分の世界に補助線を引くこと」で初めてわかることである。
この発想は、昨日から読んでいる「未来改造のススメ」(アスペクト発行/2010.8.6初版/岡田斗司夫・小飼弾著)のなかに「世界に補助線を引くことで自分なりの価値観という足場ができる」というくだりが、ほんの三ページだが出てくるのだが、私にとっては、目からうろこであった。
(コニヤンの追記/岡田斗司夫さんは、1958年生まれの「オタク学」の権威。現在、大阪芸術大学客員教授。
小飼弾さんは1969年生まれ。日本における「オープンソース」[ソフトウェアの著作者の権利を守りながらソースコードを公開することを可能にするライセンス(ソフトウェアの使用許諾条件)を指し示す概念]の開発者。元不登校経験者。16歳で大検を取得。アメリカの大学に留学。現在、会社の代表取締役。
この二人の「脱・お金時代の幸福論」というテーマでの対談集なのである。
「カネ」「モノ」「個人」の時代は終わった!これからは「オタナ」=「オタク」+「オトナ」でいこう!というけっこうマジであり、一方ではかなりの過激な提起本でもある。私にとってはこのわずか3ページがとても刺激的であり、新鮮でもあった。この本を買ってよかった!!)
てなわけで、「自分の世界に補助線を引くことで自分なりの価値観という足場を作る」ということを意識してみたらいいと思う。
その「補助線」は一つではないわけなのであるから。
その営みを支援していきたい。
見つけられたらいいなと思う。
あせる必要はない。
昨夜は、東京の服飾関係の専門学校を卒業して就職活動に四苦八苦、苦戦中の娘(今、帰省中)と、この「補助線議論」について語り合うことができたのはよかったかも・・・。
ああ有情。
(文責:コニヤン/2010.8.17早朝・記)
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