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ああ合掌。
「おおらかさのない時代」
昨夜の高知新聞夕刊のある記事に目が釘付け。
「18人の子どもを1日3人ずつ殺すと、何日で全員を殺せるでしょう?」
この算数の問題は、等分除ですか。
包含除ですか。なんてそんな生易しい「算数の問題」ではないのではないか。
現役の愛知県岡崎市の小学校の先生(45歳)が授業中に子どもたちに出題していたというのである。
百歩譲って、これが、もしも子どもが授業を受けて自分で作った「作問」であったら、私たち教師は、どのように対応したのだろうかとふと思ったのだ。
こんなことは現実には大いに起こりうることである。
なかなかすごい自作問題やなあなんて声がけをするのだろうか。
あなたならどのような声がけをしますか。
例えば、算数推理小説もどきの物語として授業した先生が創作していたなかでの問題ならばそれは大いにありうるのかもしれない。
でも、どうもちがうらしい。
保護者からの通報によって発覚したのだという。なんでもそうなのだが、前後の脈略もなしにそういうことだけが報道されると人々は驚くのである。
というよりも、この感覚の異常さとか異様さに全く麻痺していることや気づかない感覚に私は驚くのである。そんなことを平気で教師は授業中に言うのか・・・と。
まさかまさかのことだと思うのだが、もしかしたらこの先生は、算数ができない子どもたちがいたら平気で、「これができないならおまえ死ね」なんて授業中に言っているんじゃないかと想像したりしたのである。
子どもレベルと同じように、「バカ、アホウ、おまえ死ね」なんていつも平気で言っているんじゃないかとも思ったのである。
うーん、実に考えてしまった。
なんか殺伐とした授業風景が見えてくるのである。
学力もなにもかも数字だけを見て評価される時代。
医療でも人間ドックでも数値だけを見て診断されたりする時代。
それはあくまで目安なのではないか。
あいまいさやアバウトさが排除される時代である。
高校時代に担任を3年間していただいた田内瑞穂先生。
今でもよく覚えている太宰治の「富嶽百景」の授業の一コマ。富士には月見草が似合うという有名な文章のときの時だった。
壮大な富士山に比べて、ひっそりとしかもはかないほどのその月見草の美の姿を田内先生はとうとうと語っていたことを思い出す。
私は、数学の教師になったが、そういうことをよく覚えているのである。
私が35年前、母校の高校で教育実習の時に、田内先生に一つだけ質問したことがあった。
「先生、私の大学への内申書を書いていただいた時に、一つだけ余ってしまい中身を見てしまったことがありました。その中で、人物評価は、一つの項目を除いてすべてAでした。なぜ、あの項目だけBだったんでしょうか。」と。
すると、田内先生は、どのように応えたのか。
「そりゃあ、コニヤン。すべてAらあいう人間はめったにおらんがぞ。内申書の信憑性に欠けるろうがよ。ほんで一つだけBにしただけよえ。」と。
私は、その受け答えがとても好きだったのである。
まだまだ教育がおおらかな時代であった。
在職中から数々の名作を書かれた先生。
なかでも「甚田先生の歳時記」は傑作であった。
9月14日、99歳の大往生であった。
ああ合掌。
(文責:コニヤン/2010.9.16早朝・記) |
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田内先生の訃報に接し、今日は一日『甚田先生はだか日記』を読んで過ごしました。夕方になって『栴檀の賦ー朝倉の兵営日記』も探し出しました。
一水先生(高校3年間)、永野先生(かえる・中2)、吉本先生(かます・中1)…僕のHR担任をしてくれた先生方のエピソードも豊富です。(『甚田先生はだか日記』)
卒業してお会いできたのは「かえる」だけです。「かえる」と名付けたのは僕ではなかったかと一人思っています。永野先生は息子さんに僕の名を付けてくれました。
遠い昔の先生方の「人間」が瑞穂先生の手で生き生きと描かれています。懐かしくぬくもりがあります。
コニヤンと知り合ったのですから先生のお宅に連れて行ってもらうことも出来ましたね。思いが及ばなくて残念です。
大往生!瑞穂先生のご冥福を祈ります。
2010/9/16(木) 午後 5:38 [ kei*uke*ap ]
ケイスケさんへ>
田内先生の文章は実に生き生きと書かれていますね。
私が受け持たれていた時は、すでに60代だったのですよね。
最近ではもう10年以上比較的近い比島に住まわれていたのですが
お会いしたことがありませんでした。
白寿。
大往生でしたね。
ああ合掌。
2010/9/16(木) 午後 8:12