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「ココロ学入門」

       「ココロ学入門」
 
  今朝の寺小屋教室のテーマは「ココロ学入門」です。
さて、「ココロ学」って何でしょうかね。
 「人間としての血が通い合い、ココロが通い合いながらお互いに誠実に生きること」「お互いに人のココロを理解しながら生きていくこと」なんでしょうかね。
 考えてみると、あたりまえのことかもしれませんけど、私たちは、日常の繰り返す生活のなかで、お互いに「ココロ学」というものを学びながら日々生きているのではないかなとも思えるのですね。
 だから、いわゆる「心理学入門」というような高尚な学問的な装いではないのです。もっと「ベタなココロ学」なんですね。
 ところで、私は、昨年一年をふとふりかえると、病気とその養生のためにほとんど費やされました。毎日毎日ね。
 一進一退のときもあり、苦戦のときもあり、ボチボチのときもありと、まさに先が全く見えないこともありました。
 そんなとき、「自暴自棄」になってしまうかと思えばそんなことはないですね。「生きる」ということに執着していましたし、「いのちあってなんぼのもんや」みたいな気持ちになってくるのです。「親にもらったこのいのちを大切に燃やさんといかんなあ」と、しみじみと思いましたし、感じましたね。
 こうした貴重な体験をしたものだから、人の「ココロ」というものが今まで以上に見えてきたように思えるのです。
 人それぞれのさまざまな体験というのは、決してムダなことはないのですね。
 そういう「体験」をくぐりぬけていくたびに、私たちは、「人のやさしさ」や「ココロのぬくさ」をさらに感じながら生きているという、これまたごくあたりまえのようなことを感じてしまうのですね。
 ある卒業生が、5月に入院していたときに見舞いに来てくれました。
私は、彼の直接の担当ではありませんでした。でも、風の便りで偶然にも私が入院をしていることを知り、わざわざ見舞いに来てくれたのです。
「いやあ、コニヤン、ほんまに今回は心配したで。一瞬死ぬんじゃないかとさえ思ったきね。今日、コニヤンの元気な顔が見れて良かったですよ。
コニヤンはね、ぼくらの『守護神』みたいなところがあるきね。中学時代、いつもぼくらがしんどかったときに話を聴いてくれたやいかあ。そのことでどれだけぼくたちはほっとしてきたのか。安心してきたことか。今回の話を聴いてバイトしていたけど、どうしても来たかったがね。ほんで来たがよ。でも、よかったあ。ボチボチ力のコニヤンやき、大丈夫よえ。あせらんと、ゆっくり直してくださいよ。ぼくらは何の力もないけど、でも、何かできるかもしれんと思いゆうきね。・・・」
この言葉を聴いたとき、私の目の前が一瞬のうちに見えなくなりました。
卒業生のぬくい言葉に、私はすごく心を動かされました。
次々と不登校の卒業生たちが見舞いに来てくれました。20年前の卒業生からついつい最近の卒業生まで・・・。
私は、その時にしみじみと思ったのです。私は今までどれだけ傲慢に生きていたのだろうかと。そんな思いがしてきたのです。えらそうに教え子たちに「説法」みたいな話をしてきていたと思うのですね。
そんな生き方をしてきていたのですね。正直に告白するとね。だから、私は、いつも自分のしていることに対して、自信なんてこれっぽっちもないし、自信どころか、実践している自分自身のよりどころすらもいつも揺れ動きながらやってきたように思うのですね。それが実態です。
ほんとうに、これでいいのだと思えたことは一度もなかったのです。自己肯定感が低かったといえばその通りなんですよ。
そんななよなよした「軟弱教師」。弱さを全面に出しながら生きてきたというよりも、そんな「鎧(よろい)」を隠しながらいつもびくびくしながら生きてきたというのが真実に近いですね。
そんな私なんですよ。
揺れること自体はすごく大事なことなんですよ。
私たちが子どもたちと接していて、自分のココロが揺れなくなったらもはや終わりなんですね。
いつも揺れながら接している。
こんな言葉がけでよかっただろうか。こんなリアクションしたけど、それで子どものココロに届いたのだろうかとかね。
そんなことをいつも考えてしまうのですね。
いくら教師生活30年・・・と言われてもそんなことは子どもたちにはなんの関係もないことなのです。若かろうが、年輩だろうが、そんなことは関係のないことなのですね。
相手に言葉が届いたり、言葉と言葉の対話を通して私たちはお互いに理解をしていると思うのですが、それだけではないということですよね。
私たちの全身全霊のなかから醸し出す「空気感」というものもありますよね。
その「空気感」のなかで日々生活をしていると言っても過言ではないのです。
私たちの居場所は、そうした「空気の教育」の大切さをここ何年か意識をしてきたように思うのですね。
そこに漂う「ぬくい空気」というものがあるかないかで子どもたちの成長に大いに関係があるということです。
それが、私たちの所の伝統にもなります。ベースにそうしたものが漂っているとい
るというのは実に大切なことですね。
子どもたちも私たちスタッフもそういう空気を意識して感じながら生活していくことは、すごく大切なことです。
これは、チームによる小集団支援のなかで最も大切にしたいことですよね。
その「空気感」というのが、実は、今朝の寺小屋教室での「ココロ学入門」でふれたかったことなのです。
それは、一スタッフだけの力では決して生まれないものだからです。
いくらスーパースターのようなすごく力量のあるスタッフがいたとしても、その人一人だけの力では、そうした「空気感」というものは決して生まれないからです。
私たちは、そういうことを意識して日々生活をしてきたのではないかとも思うのです。
もっと言えば、それは職場だけではなくて、家族でも、地域でも、その「空気感」というのは大事なことなのですが、ここではハショリます。
とにかく、チーム支援をしていくときや小集団の支援をしていくときに、教育支援センターのなかに、上記のような「空気感」があるかないかは大切な要素であるということです。
これは、学校でもクラスのなかでも同じことではないでしょうか。
それがあるかないか。
すごく抽象的な雲をつかむようなことになってもいきませんが、私たちが長い間時間をかけて築いてきたことは、実は、そういうことではなかったのかと思うのですね。
私たちの居場所は歴史的に見ると、通算すると「35年の歴史」があります。
その間に、さまざまなスタッフが入れ替わっています。
でも、いかにスタッフが変わろうと、いまだにその支援のベースがゆるぎなく、継続されているのは、支援の柱となる理論的なものもありますが、そこにあるのは、「空気の教育」なのではなかろうかと思うのです。そうした先人の方から引き継ぎながら時代の要請と時代の実態にふさわしい取り組みと実践があったからではないかということに私は今朝あらためて気づきました。
このことを私は、あえて、「ココロ学入門」とネーミングしました。
だから、そういう意味では、なかなか深いものなのですね。
「空気の教育」というのは、吉本恭子班長から三年前に紹介がありました。外山滋比古さんの著作です。ちくま文庫から出版されている本です。
「ココロ学入門」の本として参考になると思います。よかったらぜひ一読されるといいかもしれません。
てなことで、今朝の寺小屋教室、最近では久々の「30分」でした。いつもの通り支離滅裂の話ですが、最後まで聴いていただきましてありがとうございました。
ああ有情。
(文責:こにしゆたか/2012.12.15早朝・記)

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これ、すごく良いエピソードです。コニヤン先生のお人柄、お考えがよくあらわれていますね。ご冥福をお祈りします。

2013/3/4(月) 午前 1:09 PETER.P


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