9条・五本木の宣教

Article 9, The Constitution of Japan, A Mission of Gohongi

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『戦後60年 平和メッセージ「非暴力による平和への道」〜今こそ預言者としての役割を〜』
日本カトリック司教団 2005年6月17日

日本の教会の兄弟姉妹とすべての善意ある人々へ

はじめに  
戦後60年目の今年、「日本カトリック平和旬間」[1]にあたり、わたしたち日本カトリック司教団は日本の教会の兄弟姉妹とすべての善意ある人々へ平和メッセージを送ります。
 戦後50年に司教団はメッセージ『平和への決意』を発表しました。その中で、戦前から戦中にかけて日本のカトリック教会が「尊いいのちを守るために、神のみ心にそって果たさなければならない預言者的な役割についての適切な認識に欠けていたことを認め」、「神と、戦争によって苦しみを受けた多くの人々に対してゆるしを願い」[2] ました。そしてわたしたちの回心のあかしとして、平和への実現に向かって貢献していくという決意を表明したのです。
 それから十年を経て、平和への呼びかけにもかかわらず、世界はいまだに様々な暴力の連鎖から抜け出せないでいます。わたしたちは今こそ預言者としての役割、すなわち、「時のしるしを読み解き、神のメッセージを伝える」という役割を果たさなければならない時であると自覚するものです。

人間の尊厳 
 平和の前提は、まず「人間の尊厳」にあります。わたしたちは、聖書の教えによって、人間の尊厳は人間社会がつくりだしたものではなく、神によって与えられたものであり、誰も侵してはならない普遍的な権利であると信じます。この「人間の尊厳」を前提にすることによってのみ、一人ひとりの基本的人権が守られるだけではなく、異なる文化を持つ世界の人々が一つにつながり、互いに愛しあう関係へと向かうことができるのです。このような理念は、世界人権宣言[3] や日本国憲法[4] にも明記され、「人間の尊厳」がすべての人に当てはまる普遍的な共通善であるからこそ、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有する」[5] と宣言できるのです。

アジアの国々との和解と連帯 
 この春、東アジア、とくに中国、韓国では、反日運動がこれまでにないほど激しいものとなりました。このような緊張の背景には、さまざまな理由がありますが、そのひとつとして、日本の最近の動きがあります。具体的には歴史認識、首相の靖国神社参拝、憲法改正論議などの問題が挙げられるでしょう。
 「過去を振り返ることは、将来に対する責任を担うことです」と教皇ヨハネ・パウロ二世は広島での『平和アピール』[6] で繰り返し訴えました。日本人であるわたしたちは過去の植民地支配や武力による侵略という歴史的事実を真摯に受け止め、反省し、その歴史認識を共有することが求められています。そのことが二度と同じ悲劇を繰り返さないことを誓うことになり、将来に対する責任を担うことにもなるとわたしたちは確信しています。
 かつて軍国主義政権の圧力のもとで、当時のカトリック教会の指導者は靖国神社をはじめとする神社参拝を心ならずも「儀礼」[7] として容認してしまいました。このことは過去の出来事として葬り去ることはできません。なぜなら、今まさに同じ危機が目前に迫っているからです。すなわち、憲法改正論議のなかで、政教分離の原則を緩和し、靖国神社参拝を「儀礼」として容認しようという動きが出てきているからです。日本の政教分離(憲法第20条3項)[8]は、天皇を中心とする国家体制が宗教を利用して戦争にまい進したという歴史の反省から生まれた原則なのです。だからこそ、日本国民であるわたしたちにとって、この政教分離の原則を守り続けることが、同じ轍をふまない覚悟を明らかにすることになるのです。
 東アジアの人々の信頼を回復し、連帯して平和を築いていくためにも、わたしたちはこれらの確固たる姿勢を示すことが必要ではないでしょうか。

富の公正な分配と環境保全 
 現在、国家間の経済格差は一向に縮まらないばかりか、むしろ広がっており、さらに富める国でも貧しい国でも、国内での貧富の差が広がってきています。日本も例外ではありません。貧困は、生活苦だけではなく、人の移動とそれに伴う家族の離散、さらには人身・薬物・臓器の売買のような人間の尊厳を踏みにじる問題を生み出しています。教皇ヨハネ・パウロ二世は、現代世界において人権といのちのグローバル化の必要性にふれ、次のように訴えられました。「排除され疎外されているすべての人が、経済的、人間的発展の圏内に入ることができるよう助けること、このことが実現されるためには、現在、わたしたちの世界が豊富に生産している余剰物を振り分けるだけでは不十分です。何よりもまず、生活様式や生産と消費のモデル、そして今の社会を支配している既成の権力構造の変革が必要です。」[9]
 また多くの紛争や暴力は、資源をめぐって起きており、地球環境保全が平和構築へむけて取り組むべき重要な課題であると認識されています。限りある資源を有効に使い、みなで公平に分配し、持続可能な方法で資源を管理し、最貧国の債務問題に取り組むことにより、紛争問題の解決に寄与することができるのです。この貧困をなくし、地球環境を守るという課題は、世界の政府、企業、団体、市民の連帯なくして効果を期待することはできません。

非暴力を貫いて連帯を
 2001年9月11日に米国で起きた「同時多発テロ」と、それに続くアフガニスタンやイラクに対する攻撃は、世界に衝撃を与え、深い亀裂をもたらしてしまいました。これらの武力攻撃は多くの一般市民を巻き添えにし、暴力の悪循環をもたらしています。このような中で、多くの宗教者や市民が報復反対と対話による和解を呼びかけました。教皇ヨハネ・パウロ二世は、聖パウロの教えに従って、平和は悪が善によって打ち負かされるときにのみもたらされる辛抱強い闘いの成果であることを明らかにしています。軍備と武力行使によってではなく、非暴力を貫き対話によって平和を築く歩みだけが「悪に対して悪をもって報いるという悪循環から抜け出す唯一の道」[10] なのです。これはガンディーの非暴力による抵抗運動などが示しているように、多くの人々の共感をよぶものです。この非暴力の精神は憲法第9条の中で、国際紛争を解決する手段としての戦争の放棄、および戦力の不保持という形で掲げられています[11] 。60年にわたって戦争で誰も殺さず、誰も殺されなかったという日本における歴史的事実はわたしたちの誇りとするところではないでしょうか。
 暴力の連鎖から抜け出せない現代にあって、この非暴力の精神と実践を積極的に広め、世界の人々と共有することにおいて新しい連帯を築き、平和のために力を尽くしていきましょう。

むすび
 最後にもう一度、教皇ヨハネ・パウロ二世の『平和アピール』の言葉を引用します。
「各国の元首、政府首脳、政治・経済上の指導者に次のように申します。正義のもとでの平和を誓おうではありませんか。今、この時点で、紛争解決の手段としての戦争は、許されるべきではないという固い決意をしようではありませんか。人類同胞に向かって、軍備縮小とすべての核兵器の破棄とを約束しようではありませんか。暴力と憎しみにかえて、信頼と思いやりを持とうではありませんか。」
 わたしたちは、この教皇の『平和アピール』を再び強く訴え、共に神に祈り、共に連帯して非暴力による世界平和を築いていくように呼びかけます。
 平和の使徒として国々を歴訪し、預言者としての役割を果たした前教皇の遺志を継ぎ、わたしたちもそれぞれの場で、新教皇ベネディクト16世と心を一つにし、平和のために貢献していこうではありませんか。

2005年 カトリック平和旬間に
   日本カトリック司教団

[1]
日本のカトリック司教団は1981年の教皇ヨハネ・パウロ二世の広島での「平和アピール」を受けて、翌年から「カトリック平和旬間」(8月6日-15日)を制定し、特にこの期間世界平和を祈り、平和の決意を行動に移すように呼びかけている。

[2]
参照『平和への決意』p.9

[3]
参照『世界人権宣言』(日本ユネスコ協会連盟1979年版・前文より「人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と、平等で譲ることのできない権利とを承認することは、世界における自由、正義及び平和の基礎である」

[4]
憲法第11条「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在および将来の国民に与へられる」
憲法第97条「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」
[5]
憲法前文

[6]
1981年2月25日、教皇ヨハネ・パウロ二世は広島平和記念公園で全世界に向け9カ国語で平和アピールを行った。

[7]
参照(1)「学生、生徒、児童の団体が神社に敬礼することには宗教的意味合いがないことを明確にしてほしい」駐日教皇庁使節と東京教区大司教の鳩山一郎文部大臣宛請願書1932.9.22 (参照『歴史から何を学ぶか』p.51カトリック中央協議会福音宣教研究室編1999年)

参照(2)「神社参拝は、教育上の理由に基づくもので、学生生徒児童の団体が要求されている敬礼は、愛国心と忠誠を現すものである」(文部省回答1932.9.30雑宗140号)(参照『歴史から何を学ぶか』p.51カトリック中央協議会福音宣教研究室編1999年)

参照(3)「日本帝国の司教たちは、次のことを信者に教えるべきである。政府によって国家神道の神社として管理されている神社において通常なされる儀礼は、(政府が数回にわたって行った明らかな宣言から確実に分かるとおり)国家当局者によって、単なる愛国心のしるし、すなわち皇室や国の恩人たちに対する尊敬のしるしと見なされている。・・・・したがって、これらの儀式が単なる社会的な意味しかもっていないものになったので、カトリック信者がそれに参加し、他の国民と同じように振る舞うことが許される。」A.A.S.1936 (翻訳参照『歴史から何を学ぶか』p.134カトリック中央協議会福音宣教研究室編1999年

[8]
憲法第20条
「1.信教の自由は、何人にたいしてもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国からの特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。2.何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。3.国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」

[9]
教皇ヨハネ・パウロ2世回勅『新しい課題』58

[10]
2005年1月1日「世界平和の日」メッセージ 1

[11]
憲法第9条
「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 
2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」

敗戦後60年を覚えて

アジア・太平洋戦争での日本の敗戦から60 年経ちました。その後、日本のキリスト教各教団・
団体は、自らが戦争に加担しキリスト者の責任を放棄した罪を告白し、神と隣人に赦しを請いま
した。しかし、敗戦後60 年の今日、私たちは日本がいまだに真の悔い改めをなさず、進む方向
を変えていないことに気付き、そのような社会を作ってきた怠慢の罪を告白します。
天皇の戦争責任を明確に追求しないままに、1952 年4 月28 日、日本はサンフランシスコ条
約発効により占領から「独立」しました。同時に、旧植民地から連行された人々は外国人登録法
と出入国管理令の管理下に置かれました。同じ日に日米安全保障条約が発効し、それを支える米
軍基地の大部分は沖縄に置かれました。
この出発が、その後の日本の歩みを決定しました。日本は米国の軍事力に安全を託し、米国と
一緒に戦争のできる国を目指してきました。米国の覇権主義に従い、他国を貪り利益を得てきま
した。アジアの一員であることを忘れ、「日本人」以外の人を排除し管理する閉鎖的な社会を作
りました。過去の軍国主義と植民地主義の過ちを正当化する論調が復活しています。この結果、
日本社会は、モノにあふれていながら、自然環境は破壊され、住みにくく希望を持ちにくい社会
となっています。特に、社会の隅に追いやられた人々の苦しみは深刻です。
敗戦後60 年にあたり、私たちは、もう一度、日本の進む方向を変え、非暴力に徹し、和解と
共生の社会を目指して働きたいと願います。
*私たちは、十字架の主イエス・キリストの神のみを唯一の神と信じ、他のものを崇めることを
しません。それゆえ、思想・信教の自由を守り、日の丸・君が代の強制に反対します。
*罪を告白し、神に赦された者として、日本が過去の罪を公に謝罪し、日本軍「慰安婦」などを
はじめ、戦争の被害者に償うよう働きます。また、靖国神社による戦争の美化、歴史を歪める
教科書などの問題に取り組み、ふたたび同じ道を歩むことのないよう働きます。
*イエス・キリストは、自ら弱い者となられ、それによって神と人の平和を実現なさいました。
私たちも、武力によらず、非暴力で平和を作り出すために働きます。平和憲法を守り、沖縄・
辺野古のヘリ基地建設に非暴力で反対している人々に連帯します。
*イエス・キリストは、自らを徹底的に低くして、仕える者となられました。私たちも、「障害
者」、移住労働者など、弱い立場に置かれた人の人権が守られる社会を築くために働きます。
*イエス・キリストは、自分のように隣人を愛しなさいと教えられました。私たちは、世界の他
の地域の犠牲のうえに自分の豊かな生活を保つことを止め、他国の領土や資源を奪う試みに与
せず、経済的に公正な社会を築くために働きます。
私たちの進む道は厳しいものになると予想されます。しかし、私たちは、すべてが神の導きの
下にあることを信じます。命にいたる道は狭いとの言葉に希望をかけ、永遠なるものに目を向け、
真実な神の声に聞き従って進んでいきたいと願います。
私たちの歩みを神が支え、近隣諸国の友が見まもり導いてくださるよう心から祈ります。

2005年8月

日本キリスト教協議会
議長 鈴木伶子
総幹事 山本俊正

『[市販本]新しい歴史教科書』2001年6月10日発行
 著作者 西尾幹二ほか13名
 発行者 株式会社 扶桑社 (東京)

第5章 世界大戦の時代と日本
 第3節 日本の復興と国際社会
  72占領下の日本

日本国憲法

 GHQが憲法改正を求めたので、日本政府は憲法改正試案をつくったが、GHQは満足しなかった。日本側では、戦前、軍歌から弾圧を受けた憲法学者美濃部達吉をはじめとして、日本の軍国主義の原因は憲法になく、また、それまでの憲法でも民主化が可能だとの意見が強く、政府もそれに多少の修正をほどこせばよいと考えていたのである。これに対し、1946(昭和21)年2月、GHQはみずから作成した憲法草案を日本政府に示して憲法改正を強く迫った。
 政府はGHQが示した憲法草案音愛用に衝撃を受けたが、それを拒否した場合、天皇の地位や占領下の日本へのよりきびしい事態が予測された。そこで、GHQの草案に基づいて政府は憲法案をつくり、帝国議会の審議をへて、1946年11月3日、日本国憲法が公布された(施行は1947年5月3日)。
 日本国憲法は、世襲の天皇を日本国および日本国民統合の象徴と定めた。さらに国民主権をうたい、国会を国権の最高機関とし、議院内閣制を明記するとともに、基本的人権にかんする規定が整備された。また、国際紛争を解決する手段としての戦争の放棄と、そのための戦力のもたないことを定めた。この規定が、自衛力を含むいっさいの戦力の保持を禁止したという解釈も生まれ、その後の安全保障をめぐる議論に大きな影響をおよぼした。
 憲法にそって、地方自治体が制定され、都道府県知事は住民の選挙で選ばれることになった。労働組合法や労働基準法が定められ、労働者の立場が強化された。また、教育基本法が制定されて民主主義教育の原則がうたわれ、義務教育を小学校・中学校あわせて9年間とする6・3・3・4年制の学校制度が新しく導入され、男女共学も広がった。(新教育の開始にともない、教育勅語「ちょくご」の排除・失効が衆参両院で決議された)。

〜2005年版はのちほど掲載します〜

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