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1996年『日本聖公会第49(定期)総会 決議録』 p.272-273
決議第34号(第18号議案修正案可決)
日本聖公会の戦争責任に関する宣言を決議する件
提出者 中部教区信徒代議員 清 公一
北関東教区信徒代議員 菊池 邦香
中部教区信徒代議員 大和田康司
中部教区聖職代議員 司祭 渋澤 一郎
中部教区聖職代議員 司祭 大西 修
賛成者 天皇制・靖国問題委員会
日韓協働委員会
正義と平和委員会
部落差別問題委員会
学生・青年運動協力委員会
日本聖公会の戦争責任に関する下記の宣言を決議する。
提案理由
日本聖公会は1995年8月、清里清泉寮において、「日本聖公会の宣教−歴史への責任と21世紀への展望」を主題に宣教協議会を開催した。ここで採択された「95宣教協議会宣言」をうけて、本総会は日本聖公会の戦争責任、ことに総会が負うべき責任を痛感し、「日本聖公会の戦争責任に関する宣言」を決議する。
日本聖公会の戦争責任に関する宣言
1)日本聖公会は、戦後50年を経た今、戦前、戦中に日本国家による植民地支配と侵略戦争を支持・黙認した責任を認め、その罪を告白します。
1945年、日本聖公会は日本によるアジア太平洋地域に対する侵略と植民地支配の終焉という歴史的転機に立ちました。その年の臨時総会告辞で、佐々木鎮次主教は戦時下の教会の反省を述べ、「国策への迎合」「教会の使命の忘却」を指摘しました。このとき、総会も主教会も教区も各教会も預言者的働きをなしえなかったことを深く反省し、日本が侵略・支配した隣人へ心から謝罪し、真実に和解の関係を公会として求めるべきでありました。
日本聖公会は、設立以来、福音に反する天皇制国家の国体思想や軍国主義に対し、妥協をつづけ、強く抵抗し拒むことができませんでした。日本聖公会が英国、米国、カナダなどの聖公会と繋がりを持つゆえに、官憲の圧迫を受け、信仰の戦いを経験した牧師、信徒もいましたが、その苦汁の経験にもかかわらず、わたしたちの教会は、抑圧され苦しむ人々と共に立つ姿勢を持ちえませんでした。また、国際的な交わりを持つ教会であるにもかかわらず、侵略戦争による加害者としての国家の姿に目を開くことができませんでした。むしろ「支那事変特別祈願式」「大東亜戦争特別祈祷」などを用い、他民族支配や戦争協力をキリスト教の名において肯定し、教勢の拡張や体制の維持のみをめざす閉ざされた教会にとどまり、主の福音が示す「地の塩」としての役割を果たすことができませんでした。
2)日本聖公会は、敗戦後、すみやかにこの過ちを認めなかったこと、また戦後の50年も自らの責任を自覚せず、和解と補償のため積極的に働くことなく今日にいたったことを、神の前に告白し、アジア・太平洋の人々に謝罪します。
戦後、日本聖公会は1947年第22総会において、1938年版の祈祷書をそのまま正本として採用しました。その祈祷書には、天皇の支配を神の御旨とみなす「天皇のため」「紀元節祈祷」などの祈祷文がありました。さらに1959年の祈祷書改正まで、公開問答において「隣に対してなすべきこと如何」の答えとして「・・・天皇陛下とその有司(つかさ)に従い・・・」と教え、聖餐式の中では「すべて主権を持つもの殊にわが今上天皇を祝し」と司祭が祈りました。このように戦後もなお、戦争責任においてもっとも問われるべき天皇やその国家体制を肯定する祈祷書を用い続け、自らの姿勢を自覚的に正すことを怠ってきました。
皇国臣民化政策の結果、引き起こされた沖縄戦の住民虐殺や強制集団自決、さらに戦後における米軍基地の脅威などの沖縄の経験は、沖縄教区を通して語られつづけ、1972年の日本聖公会への移管に向けて「歴史と現状を理解してほしい」との沖縄教区からの問いかけがありました。しかし、その後も日本聖公会として応答することを怠ってきたことを、反省しなければなりません。
3)日本聖公会は、差別体質を戦後も克服できないでいることを告白します。神の民として正義を行なうことへと召されていることを自覚し、平和の器として、世界の分裂と痛み、叫びと苦しみの声を聴きとることのできる教会へと変えられることを祈り求めます。
以上私たちの悔い改めの徴として次のことをすすめていきます。
(1)日本聖公会の戦争責任の告白を全教会が共有すること。
(2)日本が侵略した諸国の教会に対し、日本聖公会としての謝罪の意志を伝えること。
(3)歴史的事実の認識と福音理解を問い直し深めるための取組みを、各教区・教会の中で継続してすすめること。
(以上)
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