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愛知県尾張地方に伝わる山姥の話 7 その三の五)山姥の話 福富新造と親友小池与八郎貞好と妻玉の話 「新造殿、新造殿、ちょっと来てくれ!!」与八郎は悲鳴に近い声を上げた。声に仰天した新造が与八郎の指差す方を見て「どうした!!与八殿!!ああっ!!」此れまた全身を硬直させ膝から崩れるように床へ座りこんでしまった。「どうしたんだ!!どうなっているんだ!!与八郎殿・・・」新造がうわ言のように呟く。与八郎は文机の上にある別離の句を黙って新造に手渡した。 次の日の夜が明けるのを待ちかねるように、与八朗と新造は連れ立って玉が残した血の跡をたどって屋敷を出た。墨衣こそ纏っていないものの、新造の頭は綺麗に剃髪されていた。 新造の心境はいかがばかりであったろう。今まで獣の命の代償を生活の糧として暮らしてきた者が、神の鉄誅を受けたと思ったのかもしれない。 二人は道に続く血の跡をたどり、とうとう木曽川まで来てしまった。「ああ・・・玉のふるさととはこの川だったのか。いくらお前が物の怪であっても、私らは10年近くも一緒に暮らしてきたではないか、それに、宮丸・京丸の二人の可愛い子供まで授かっているのに、なぜお前は私に打ち明けてくれなかった・・・」与九郎はさめざめと涙を流し川に向かって手を合わせるのだった。 二人は悲しみに打ちひしがれて、ようように屋敷へ戻ってくると村人を集め今までの顛末をすべて話した。村人達も玉の事はよく知っている。すでに玉は村の一員になっていたのだ。村人の中には涙を流すものさえ大勢いたくらい、大きな座敷の中は悲しみに包まれた。 その日の内に小池家に寄宿している者や、雇われている者、村の若い者達によって床や壁、柱などの血痕は綺麗に洗い流され褥は荼毘にされた。 福富新造はその後、両福坊と名を改め仏門に入り小さな庵を作り読経三昧に暮らした。 年が代わり夏が過ぎた、玉が無くなって丁度一年が過ぎようとする日の昼時の事だった。小池与八郎の屋敷では、親戚、縁者、それに村の人達ちも集まって今正に玉の一周期の法要が始まっていた。その時小池家の門前に一人の年老いた僧が立った、僧は一心に読経を唱えはじめた。僧の澄んだ声は屋敷の中まで届いていった。屋敷の中の読経と、門前から流れてくる読経とが一緒になり、室内に集まった人達は自分が天国を浮遊しているような錯覚を覚えたほどであった。 澄んだ読経の声を最初に気付いたのは与八朗の長男京丸だった。隣りに座る父親の袖を引いて外にいる僧の事を教えた。与八郎は夢から覚めたように我に返ると、そっとその場を離れ門前に佇む僧に歩み寄った。そして、「今日は我が妻の一周期の法要を致しております。ここにおいでなさるのも何かのご縁でしょう、ぜひ中に入って一緒に妻の供養をしていただけないか」と丁重に頼むと、くだんの僧も「私も急ぐ修行ではありません。ご供養とあらば経の一巻でも唱えて進ぜましょう」と心よく承諾し、草鞋を脱いだ。 玉の一周期追悼法要もあらかた終わり、座敷のなかでは生前の玉をしのんで皆が話しをしている中に先刻尋ねてきた僧も混じっていた。村人から乞われるままにその僧が不思議な話しを始めたのである。以下僧の話 「私は奥州平泉にある寺の僧で浄真と申します。修行で全国を行脚していますが、昨日まで逗留しておりました木曽川の向こう岸に各務原といゆう笹の生い茂った広い沼地がございました。その奥に苧ヶ瀬(おがせ)と言う所がありました。私はその苧ヶ瀬で三日ほど逗留をさせていただきましたが、聞くところによるとその村には不思議な事が起きるので御座います。 昨年の秋の事、今時分の事でございましょう、苧ヶ瀬(おがせ)には苧ヶ瀬池と呼ぶ葦の生えた広い池が御座いますが、その池の中に一匹の大きな大蛇が死んで浮かんでいました。その大蛇は左目には長い矢が射られていました。村の人は可愛そうに思いその大蛇を供養するべく池の中ほどにある小さな島に鳥居を建て小さなお社を作り今でも供養しております。その後その池に住む魚の目が左だけないのです。」と話終わると与八朗の今宵一晩の喜捨をと進めても首を縦に振らず立ち去っていった。老僧の目はなぜか潤んで見えた。 その後も毎年玉の命日が近付くと、くだんの僧が門口に立ち与八郎の案内で仏前での一時を過ごすと何処とも無く立ち去って行った。 写真説明 1) 山姥が住んでいたと伝えられる洞穴 本宮山に隣接する相沢山(そうたくさん) 2) 福富新造の墓 犬山市羽黒高橋 3) 苧ヶ瀬池全景 =続く=
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心に沁みる物語
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この物語は「虹の橋と雨降り地区」から始まりました。
いつかあなたの物語も聞かせてくださいね。
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愛知県尾張地方に伝わる山姥の話 6 その三の四)山姥の話 福富新造と親友小池与八郎貞好と妻玉の話 福富新造は本宮山奥の宮の社殿脇で目を覚ました。いつのしか眠ってしまったのであろう。深い木々の間を朝霧が流れて行く。今朝は小鳥の声も聞こえた。二匹の犬も新造の気配を知ると体を振るわせ立ちあがった。新造は大きく伸びをして周囲の気配を確かめたが、ムッとする血の匂い以外には人の気配を感じなかった。 社殿の周りにはおびただしい黒い血が土の上を染めていた。その血の跡は山頂から鞍ヶ淵※・(鞍ヶ淵は尾張富士と本宮山の間にあって入鹿池の完成以前は入鹿川が深い淵を作っていた)へと続いているようだ。周りの木は根元から倒され岩も跳ね飛ばされていた。昨晩の地震を思わせる騒動もこれを見ると納得がゆく。 新造は血の跡を追う事にした。普段なら欝蒼と茂る樹木に阻まれ、通る事も出来ない所に突然1本の道が出来たように山麓へ向かって続いている。木の根を掴み、岩を抱き何時現れるか知れない昨晩の物の怪に全身の注意を払いながら山を下った。 点々と続く血痕は鞍ヶ淵を過ぎなおも下流へと続く。安楽寺の部落を過ぎても血痕は続くのである。「きやつ!!まさかこんなところまで来るとは」驚きを隠せない新造だが、二匹の犬は昨晩とは違い元気に新造の前を進んでいく。羽黒の集落を過ぎ、青塚古墳の森を横目にして小口村へと伸びている。新造と犬はその跡をたどって行くと何と余野村の小池与八郎の屋敷の前まで来てしまった。「これはおかしなことよ。小池殿の屋敷ではないか」新造は屋敷の前に立ち止まってしまった。連れている二匹の犬は屋敷に向かって低く唸り声をあげている。「小池殿に何か悪いことでも起きたやも知れぬ!!」新造は門の前に立ち案内を請うた。 運よく与八朗は家におり、久しぶりの友の顔お見ると喜んで座敷へ迎え「どうしたのです!!狩の帰りですか」と尋ねる。新造は、此れこれ、しかじかと昨晩からの出来事をつぶさに語り、血の跡を追ってこの屋敷の前にきたのだと語った。 与八郎は顔色を変え、「それがしの妻が今朝から病で床に伏せている。何か昨晩夜なべをして目に何か虫でも入ったようだ」と言っていっていたがと、玉の寝所へ慌てて出ていった。 与八郎は寝所の前に来て「玉気分はどうだ、新造殿がお見えになっている、気分が優れなければ無理には言わぬが、良かったら座敷に来て挨拶してくれぬか」と声をかけたがどうしたことか何の返事もなかった。不審に思い戸を開けてみると、薄暗い部屋のなかからむっとする血の匂いがして何と布団の上は真っ赤な血の海だった。 与八郎は腰を抜かさんばかりに動転し、部屋の中に駈け込んだが玉の姿は何処にも見当たらない、部屋の隅の文机の上には白い紙に和歌が書かれていた。 求めなき契りのすえのはらはれて 終(つい)には帰るふるさとの空 求めてはならない結婚でしたが 私の素性を知られたからには、ご迷惑をお掛け する訳には参りませんふるさとへ帰ります。 写真説明 1) 入鹿池と尾張富士 2) 右本宮山の山裾、左尾張富士の山裾今は面影も無い鞍ヶ淵 =続く=
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愛知県尾張地方に伝わる山姥の話 5 その三の三)山姥の話 福富新造と親友小池与八郎貞好と妻玉の話 数日の滞在で玉はすっかり元気を回復した。 与九郎は玉の立ち居振る舞いのしとやかさにすっかり虜となった。彼の母親もまた何をやらせても非の打ちどころがないと、これまたすっかり気に入ってしまった。 針仕事・華道や文芸・琴・横笛と何をさせても非の打ちどころがない。 「これが都の娘か」両親の心の中には玉を与九郎の嫁にと考え始めていた。 そうこうするうち、半年の月日が経った。今では玉はこの家には無くてはならない存在になっていたし、家敷きの外でも玉の噂で持ち切りだった。始めのころは、あまりの美しさに物の怪の化身では無いかと噂し合っていた人達も今では、玉の素直な性格と、誰とでも気軽に話しかける明るい笑顔に出会うと今まで警戒していた自分達を恥ずかしく思うのだった。 特に村の子供達からは、おね・おねと呼ばれ大変な人気者になっていた。玉が機織りで織った布地の端布(はぎれ)を夜なべで作る「お手玉」が子供達の新しい遊びとして広がっていたからだ。 ある夜のこと、与八郎貞友夫婦は、床のなかにあって、玉の話をしていた。「今まで近在の村の娘達の中から与九郎の嫁を捜していたが、帯に長し襷に短しとは良く言った物だ中々これはと思う娘もおらん、徒然に眺めていると与九郎も玉もお互いが好きあっているようにも見える。お前さえ良ければ、二人を一緒にさせてはどうかとわしは思っているのだが、二人にそれとのう尋ねてみてくれぬか」と夫の口から聞いた妻は「実は私も貴方様からのお言葉を待っておりました。さっそく明日にでも私が二人に聞いてみます」と喜んで夫に打ち明けた。二人は喜んで近々村の衆に披露しようと、この夜ばかりは遅くまで夫婦の部屋から灯りがもれていた。 その頃のことである、村の若い男達が一人あるいは二人連れ立って大県神社参詣を始めた。噂は広がり隣の村、その隣の村へと広がっていった。「与九郎さんは幸せ者じゃて」「そんなに羨ましいのならお前もあしたから本宮山にお参りしたらどうじゃ」村の若者達は寄ると触ると与九郎と玉の話で持ち切りだったのである。 何時しか、田を渡る風にも涼しさを感じ、稲の穂も重く頭を垂れる秋の一日、小池屋敷の中は朝から華やいだ雰囲気に包まれていた。 中でも年老いた与八郎夫婦の喜びようは、ただごとでは無い様子で、朝からそわそわと落ちつかない、親戚、縁者のだれかれとなく「与九郎にはもったいない、お玉はいい嫁ごじゃ」といっては話しかける。秋の日が釣べ落しに、西の山に隠れ広い庭に赤々と薪が燃え始めると、この日が来るのを首を長くしてまっていた与九郎と玉が座敷の上座に座ると、満員の座敷の中から一斉にため息が漏れた。女達は座敷の隅から二人を見詰め「お玉さん、可愛らしい、こんなに綺麗なお嫁さんは見た事ないわ」と言えば「与九郎さんもご立派になられて、玉さんとの縁談が決まってからと言うものなんだか以前より一回りも、二た周りも大きくなられたわ」と賞賛の声が彼方此方から聞こえる。 かくして、三々九度の杯も無事終わって若い二人が席をはずすと、宴も最高潮に達し、振る舞い酒に酔った村の若い衆が、大声で謡いだすやら、娘達の踊りが続きよりも深深と深けて行った。 それからと言うものは、二人の中は他人が羨むほどに仲むつまじく、玉は両親にも孝養を尽くした。 月日は流れ与八郎と玉には二人の子供が授かっていた。長男は6才で名を宮丸と言う、与九郎が本宮山大県神社から授かった嫁に因んでその名を付けた。次男は3才で京丸といった。これも玉の生まれ故郷から名を取った。今玉のお腹には三人目の子供が元気に育っている。 与九郎の両親はすでに他界し、与九郎は名を与八朗貞好と改めていた。 この一時期が小池家にとっても、村にとっても一番穏やかな日々であった。 写真説明 1) 梶原景時と妻の墓 與禅寺 手前の二基は鎌倉時代の古い宝篋印塔残りは尾張に落ちた七家 の祖先ではないかと言われている。 2) 與禅寺本堂 梶原景時が承安4年(1174)に開いた寺 3) 與禅寺山門 昨晩NHK大河ドラマ「功名が辻」で一豊の生母法秀尼が梶原一族の末裔としてこの寺を紹介していた。 =続く=
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その三のニ)山姥の話 福富新造と親友小池与八郎貞好と妻玉の話 丹羽郡余野村(丹羽郡大口町)に小池与八郎貞友と名乗る郷士がいた。※・(この付近は広い濃尾平野の北東の位置にあたり、木曽川が育んだ肥沃な土壌は作物を作る上において適している。現在では尾張名産守口漬けの産地でもあり、西部の津島付近は蓮根の産地として知られている。) 広い屋敷は土塁で囲まれ、西北の隅は高い木が茂り冬の伊吹山から落ちる北風を防いでいた。内側には大きな家が軒を連ねていた。土塁で囲まれた屋敷は遠くから見るとさながら城のように見えた。 小池与八郎貞友の祖先は、鳥羽天皇時代に遡ることが出来た。小池民部定時という。永久年間のころ病気で官位を退きこの片田舎に妻子ともども居を移した。そして、民部から与八郎と名を改めた。これが初代与八朗定時である。現在の与八郎貞友は四代目に当たる。 初代与八朗は官位を捨てた後、百姓をしながら好きな和歌を読んだ。都の懐かしさもあったであろうが、彼はこの地での生活を楽しんでいたと思われる。現在残る地名に「和歌が橋」と呼ばれる橋がある事も近隣の百姓との親密な交流を物語っている 4代目小池与八郎貞友には、20才を少し過ぎた長男がいた。名を与九郎貞好(後の与八郎貞好=話の主人公)といった。 与九郎貞好は両親に似て目元涼しく、近隣の村の中では若い娘達が三人寄れば噂が尽きないほどのモテようだったが、与九郎は晩生なのか一向に気にも懸ける様子もなかった。彼の関心はもっぱら文・武と寺社への参詣だった。 この日も与九郎は供を連れ、本宮山の大県神社へ出掛けるべく屋敷の門を開いた。処がどうしたことか、一人の旅の女性が門前にうずくまっているではないか。与九郎は供の者に指図して屋敷内へ運び入れた。そして、両親に訳を話すると再び供を連れて出掛けていった。 ※・(大県神社はニの宮、真清田神社は一宮、熱田神宮は三宮である。) 与九郎は神社へ向かう道すがら、先ほど自分の腕の中で気を失っていた若い女性のことをぼんやりと思い浮かべていた。美しい顔形を苦痛にゆがめていた。半ば開いた唇から盛れる女の息の甘やかさは始めて与九郎に女性を意識させた。 大県神社への参詣を済ますと、与九郎は急いで屋敷へ帰って来た。井戸端で水を浴び汗になった体を拭っていると、奥から鈴を転がすような若い女の笑い声が聞こえてくる。その笑いに供するように、明るい父と母の声もするではないか。与九郎は三人の声がする部屋に顔を出した。 褥に体を起こし正座した娘を囲み、与九郎の両親は明るい顔で娘と話をしていた。こんな明るい顔をしたお袋様を見た事がないと与九郎は思った。 娘は入って来た与九郎を見ると三つ指をつき丁寧に挨拶をする。両親は娘の態度をしみじみと見詰め、物腰や行儀にいたく感銘した面持ちである。娘は「すっかり気分も好くなりました。お助け頂いた貴方様にお礼のお言葉をかけることもなく立ち去る無礼はかなわずと、お帰りになるのをお待ち致しておりました」と言い「もはや、気分も治りましたのでこれにてお暇いたします」と言った。 母親は体の回復するまで、しばらくここに滞在するがよいと進めれば、父親の与八郎も急ぎ旅でなければしばらくわしらの話し合手になってくれるようにと引きとめるのだった。与九郎にも依存はなく、娘のない小池の家には突然美しい娘が授かったように年老いた両親は大喜びで娘の名前「玉」を朝から夜寝るまで何度も何度も呼んでは片時も自分達の側から離さなかった。 写真説明 1) 入鹿池よりみた本宮山 福富新造に矢を射られ鞍ヶ淵へ逃げたと言う鞍ヶ淵は建物の奥に広がる田園 2) 大県神社里宮 小池与九郎が参詣したと伝えられる。 3) 梶原景時の子孫が移り住んだ愛知県丹羽郡羽黒高橋郷、にある鳴海神社 =続く=
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その三の一)山姥の話 福富新造が山姥と出会う話 尾張羽黒に落ち延びた、梶原一族の中に福富万蔵国秀がいた。時は流れ万蔵国秀から三代あとに、福富新造と名乗る郷士がいた。彼は狩が得意でいつも近郷の山野を駆け巡り鳥や獣を求めて生計を立てていたが、この日も朝から二匹の犬を連れ獣を求め本宮山の奥へ分け入っていた。ところが、この日に限って獣に出合ない。新造は不思議に思いながら、なおも山の中を歩いていました。 すでに日はとっぷりと暮れている。夜目に慣れた新造の目は木間から漏れる月の明かりで足元の小石の数まで数えることが出来る。どれくらいの時が過ぎたのであろうか、山頂に通じる崖の上に立つと頭上には煌々と真昼のように月が輝いていて、足元の谷間には薄い霧が流れていた。 新造は枯れ枝を集め火を熾すと、腰に縛っていた袋から干し魚を取り出しそれを焼き、連れていた犬に食べさせ、自分も食べた。あたりには香ばしい匂いが風に流れて行く。新造は瓢の水を飲むと立ちあがり、なおも頂上に建つ奥の宮へ向けて歩いていたが、突然新造の行き先を走っていた犬が毛を逆立て、尾を下げ一目散に逃げ戻ってくるではないか、そして新造の回りから一向に離れようとしない。「どうした!!何か見つけたのか!!」新造は2匹の犬に声をかけたが低い唸り声を上げ、毛を逆立てているだけだった。 不審に思った彼は、暗い坂の先を透かし見てギョッと立ちどまった。大きな岩の上に腰を下ろし白い髪を櫛梳る老婆を見付けた。大きな目は爛々と輝き、口は耳まで裂けている。それが福原新造をじぃ〜っと見詰めているではないか。 さしも豪胆な福原新造も息をのみ、後ろを振り向き逃げ出そうと思ったほどの驚愕を覚えた。彼は丹田に力をこめ大きな声を張り上げた「そこにいるのは、何奴じゃ」しかし老婆は大きな口を僅かに動かし「くく・・・・く」と笑うのみ。 この頃本宮山の山麓の村では、里人がパニック状態に陥るような事件が次々と起きている。在る日突然子供が行方不明になったり、だれそれの家の家畜が居なくなったといった噂が蔓延していた。 福富新造はその化け物を睨みながら、少しずつ鬼女に近付き足元を固め大音声を以って叫んだ。「これが村人を苦しめている物の怪か、いざ勝負、福富新造が討取ってやる!!」と持っていた弓に矢をつなげ「南無八幡大菩薩」と言ったかどうかは分からないのですが、強弓を引き絞るとヒヨイとばかりに矢を放った。至近距離であり、弓の名手が射た矢は鬼女の左眼に深く突き刺さった。 「ぎゃ−あ」と叫ぶと鬼女は一目散に逃げていった。ところが、今まで煌々と真昼のように輝いていた月も一転にわかに掻き曇り稲妻が走り雷鳴が轟き山は地響きを立てて振動した。雨こそ降らなかったが、空を覆う雲は凄い速さで飛び退り時々顔お出す月も瞬く間にくもに隠れてしまう。福富新造は山の上にある社殿の陰で風を避け夜の明けるのを待ことにしました。 ここで、本宮山の山頂から目に矢を受け逃げだした山姥の話しを中断して、福富新造の友人小池与八郎と、その妻の話をさしはさむ。 写真説明 1) 本宮山山頂直下の岩場にある山姥の池(この池で山姥はお歯黒を染めたり、髪を洗ったりしていたと伝えられている)日照が続いても池の水は枯れないと言われている。事実私は何度もこの山を歩いているが、この池の水が枯れていたところを見た事がない。 =続く=
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